我が家の息子シリーズ(0)
2010年1月31日(日)
我が家の息子4。
ことばの教室で良く言われた事は
出来るところは すごく良く出来る
だけど 出来ないところは とことん出来ない
問題は その差の大きさ
バランスの悪さ
良いところはどんどん伸ばした方がいい
だけど 底辺の部分(基礎)がしっかりしていないと 上の部分も頭打ちになる
って良く言われました
やっと子どもの良い部分が見えるようになったところなのに 何でそんな事言うのか 良く分かりませんでした
ひらがなが書けるようになったり 時計が読めるようになったり
どんどん伸ばせば いいじゃない!!って思った
だけど どんどん色んな事を覚えて どんなに すばらしい発見をしたとしても
それを 人に話せるようになったり
聞かれた時に答えられたり
上手く説明出来るようにならないと
その才能は活きてこないって事 小学生になって良く分かりました
もし 計算のすごく得意な子がいたとして 計算の理屈は理解出来ても 読解力がなければ 文章問題は解けません。
つまり 算数の問題を解くのに国語力が必要なワケです
どんなに算数が出来ても 国語力も伸ばさないと頭打ちになる
例えが違うかもしれませんが そんなイメージです。
つまり 何かの力を発揮する為には それ以外の力も同時に伸ばさないと 限界があるって事
それに気づいてからは
とにかく『好きこそ物の上手なれ』で 好きな事 興味のある事はどんどんやらせました
好きなことは 放っておいても伸びてくれます。
もちろん 必要な時は手助けしますが
大事なのは 視野の狭さ(こだわり)をいかに広げるか
興味の幅を広げるか
1つの興味に没頭したとしても
次の興味を持つことか出来れば またそれに没頭し
また次 また次…と 興味の数が増えることによって 結果的に 1つ1つの光は細くても 並べれば 太い光になるって事
だから 私の役目は 息子の興味の幅を広げる事 興味の数を増やす事
と言っても 「これ 面白いョ」って言って 乗ってくれたら儲けもん
乗ってこなければ またの機会に 別な方法 タイミングでってくらいでちょうどいい
『下手な鉄砲数打ちゃ当たる』です
最初は「こんなに“してやってるのに”」って言いたくなります
あ、言いましたし ぶちギレました(-.-;)
そのうち 諦め半分になれれば 楽しめます(笑)
基礎を作る上で欠かせないのは 『受け入れる事』
心理学で説明しましたが 人間は自分を受け入れてくれる人に興味を持ちます
だから いきなり否定すると 構えてしまうわけです
そして 子どもにはイヤな事を受け入れられる大きさは決まってますので その器から溢れない程度に頑張らせなければなりません
まだ基礎(器)が出来てない時は受け入れ容量はすごく小さいです
だから 好きなこと 楽しいことで満たしてあげる
溢れない程度のルールは守らせながら 出来た事を認める
そうする事で 子どもは安心感で満たされ 受け入れ容量は少し大きくなります
それが、基礎を作るってこと
器は ちょっとずつしか大きくならないけど 小さな器にたくさん水を流しても溢れるだけ
そんな時は諦めて 器が大きくなるまで我慢です
今はまだ基礎が出来てないって我慢です
と言っても 自分も人間ですから いつも虫の居どころがいいワケではありません
だから 虫の居どころがいい時に 何か思いついたら やってみる
ただ これは どんなに良いことだったとしても 子どもは興味を示さないかもしれないし
たまたまやってみたら 以外にHitだったり…
こればっかりはタイミングなんじゃないかと思っています
だから 上手く乗って来なければ
残念 また頑張るか…
もし 上手く行ったとしたら ラッキー☆
ってなカンジです
失敗したら 別な方法やタイミングを考えてもいいし
やっぱ うちの子には合わないんだ
って諦めるのも一つの手かな
昔の私は なんとかして!!
って頑張って疲れちゃったから
相手の器も考えず
頑張れば頑張る程 押しつけがましくなる
『こんなにしてやってるのに』
こう思っちゃうと マイナスな感情は出て来ても プラスな感情は出て来ません
だから 『下手な鉄砲 数打ちゃ当たる作戦』『失敗したら 心が元気ならまた挑戦!!疲れてるなら諦める作戦』
をオススメ致しますm(_ _)m
つづく
出来るところは すごく良く出来る
だけど 出来ないところは とことん出来ない
問題は その差の大きさ
バランスの悪さ
良いところはどんどん伸ばした方がいい
だけど 底辺の部分(基礎)がしっかりしていないと 上の部分も頭打ちになる
って良く言われました
やっと子どもの良い部分が見えるようになったところなのに 何でそんな事言うのか 良く分かりませんでした
ひらがなが書けるようになったり 時計が読めるようになったり
どんどん伸ばせば いいじゃない!!って思った
だけど どんどん色んな事を覚えて どんなに すばらしい発見をしたとしても
それを 人に話せるようになったり
聞かれた時に答えられたり
上手く説明出来るようにならないと
その才能は活きてこないって事 小学生になって良く分かりました
もし 計算のすごく得意な子がいたとして 計算の理屈は理解出来ても 読解力がなければ 文章問題は解けません。
つまり 算数の問題を解くのに国語力が必要なワケです
どんなに算数が出来ても 国語力も伸ばさないと頭打ちになる
例えが違うかもしれませんが そんなイメージです。
つまり 何かの力を発揮する為には それ以外の力も同時に伸ばさないと 限界があるって事
それに気づいてからは
とにかく『好きこそ物の上手なれ』で 好きな事 興味のある事はどんどんやらせました
好きなことは 放っておいても伸びてくれます。
もちろん 必要な時は手助けしますが
大事なのは 視野の狭さ(こだわり)をいかに広げるか
興味の幅を広げるか
1つの興味に没頭したとしても
次の興味を持つことか出来れば またそれに没頭し
また次 また次…と 興味の数が増えることによって 結果的に 1つ1つの光は細くても 並べれば 太い光になるって事
だから 私の役目は 息子の興味の幅を広げる事 興味の数を増やす事
と言っても 「これ 面白いョ」って言って 乗ってくれたら儲けもん
乗ってこなければ またの機会に 別な方法 タイミングでってくらいでちょうどいい
『下手な鉄砲数打ちゃ当たる』です
最初は「こんなに“してやってるのに”」って言いたくなります
あ、言いましたし ぶちギレました(-.-;)
そのうち 諦め半分になれれば 楽しめます(笑)
基礎を作る上で欠かせないのは 『受け入れる事』
心理学で説明しましたが 人間は自分を受け入れてくれる人に興味を持ちます
だから いきなり否定すると 構えてしまうわけです
そして 子どもにはイヤな事を受け入れられる大きさは決まってますので その器から溢れない程度に頑張らせなければなりません
まだ基礎(器)が出来てない時は受け入れ容量はすごく小さいです
だから 好きなこと 楽しいことで満たしてあげる
溢れない程度のルールは守らせながら 出来た事を認める
そうする事で 子どもは安心感で満たされ 受け入れ容量は少し大きくなります
それが、基礎を作るってこと
器は ちょっとずつしか大きくならないけど 小さな器にたくさん水を流しても溢れるだけ
そんな時は諦めて 器が大きくなるまで我慢です
今はまだ基礎が出来てないって我慢です
と言っても 自分も人間ですから いつも虫の居どころがいいワケではありません
だから 虫の居どころがいい時に 何か思いついたら やってみる
ただ これは どんなに良いことだったとしても 子どもは興味を示さないかもしれないし
たまたまやってみたら 以外にHitだったり…
こればっかりはタイミングなんじゃないかと思っています
だから 上手く乗って来なければ
残念 また頑張るか…
もし 上手く行ったとしたら ラッキー☆
ってなカンジです
失敗したら 別な方法やタイミングを考えてもいいし
やっぱ うちの子には合わないんだ
って諦めるのも一つの手かな
昔の私は なんとかして!!
って頑張って疲れちゃったから
相手の器も考えず
頑張れば頑張る程 押しつけがましくなる
『こんなにしてやってるのに』
こう思っちゃうと マイナスな感情は出て来ても プラスな感情は出て来ません
だから 『下手な鉄砲 数打ちゃ当たる作戦』『失敗したら 心が元気ならまた挑戦!!疲れてるなら諦める作戦』
をオススメ致しますm(_ _)m
つづく
2010年1月30日(土)
我が家の息子3。
長男が診断を受けたのは 年中さんの冬の事
それまでも 『自閉症の傾向がある』って言われ続けていました
ことばの教室に通い 児童相談所の検査を受けたり
だけど 診断名を付けられるのは お医者さんのみ という事で 診断を受けに行きました。
母親からの聞き取り調査
本人への検査
先生の診察
結果
『知的に遅れのない 人と関わるのが苦手なタイプの自閉症』とのことでした
診断がついた時…なんかスッキリした
あぁ やっぱりね
って思った
ずっとグレー扱いで それは白に近いグレーなのか 黒に近いグレーなのか…
グレーって何さ!!
どんなグレーさ!!
それが はっきりとブラックとなった時
ブラック=どん底ではなく
ブラック=光が見えた
ってカンジだった
それまで ずいぶん泣いたもん
それまで ずいぶん苦しんだもん
それまで ずいぶん悩んだもん
なんだか 解けない問題の答えが出たみたいな気分だった
診断を受けた時 次男も似たような素質を持ってる
って言われました
似たような素質…
息子が自閉症かもしれないと聞いた時から 何度も「自分の育て方が悪かったんだ」って思いました。
その度に
「自閉症の原因は良く分かってないけど 脳に原因がある障害で お母さんの育て方のせいじゃない 持って産まれたものだから」
って言われました。
だけど 昔 保育を勉強した事があり その時に心理学も勉強しました
その中で
「まずは、相手を否定しない」というのがありました
人間は 自分を受け入れてくれる人の話しは聞こうと思うけど
自分を否定する人の話しは 最初から聞かない
だから まずは相手を受け入れる
相手を肯定する
って
まずは「分かるョ」って言ってあげたら 自分を受け入れてくれるけど
いきなり「それは違うんじゃない??」って言うと受け入れてもらえない
だから まずは肯定する
その法則で 「この子がこうなったのは お母さんのせいじゃないョ」って言ってるんじゃないか
…って ただの ひねくれ者ですよね
だって 自分の子どもが2人も自閉症と自閉症の要素を持ってるってサ
自分のせいだと思うって
自分のお腹から産まれて来たんだもの
自分が育てて来たんだもの
オマエが怒ってばっかりいるから 子どもがこうなるんだ って言われちゃったんだもの…
いっつも泣いてたな~
いっつも怒ってたな~
いっつも自分の事責めてたな~
何の解決にもならない くだらない道
だけど そこで いっぱい凹んで 悩んで わめいて
いっぱい いっぱいエネルギー使って
ちょっとガス欠気味になったから 前に進めたのかも
堕ちるとこまで堕ちて 上を見れるというか
上を見なきゃって思った。
だって 泣いたって 悩んだって 目の前の子ども達はどんどん成長するんだもの
だから 変わんなきゃって思ったんだ
つづく
それまでも 『自閉症の傾向がある』って言われ続けていました
ことばの教室に通い 児童相談所の検査を受けたり
だけど 診断名を付けられるのは お医者さんのみ という事で 診断を受けに行きました。
母親からの聞き取り調査
本人への検査
先生の診察
結果
『知的に遅れのない 人と関わるのが苦手なタイプの自閉症』とのことでした
診断がついた時…なんかスッキリした
あぁ やっぱりね
って思った
ずっとグレー扱いで それは白に近いグレーなのか 黒に近いグレーなのか…
グレーって何さ!!
どんなグレーさ!!
それが はっきりとブラックとなった時
ブラック=どん底ではなく
ブラック=光が見えた
ってカンジだった
それまで ずいぶん泣いたもん
それまで ずいぶん苦しんだもん
それまで ずいぶん悩んだもん
なんだか 解けない問題の答えが出たみたいな気分だった
診断を受けた時 次男も似たような素質を持ってる
って言われました
似たような素質…
息子が自閉症かもしれないと聞いた時から 何度も「自分の育て方が悪かったんだ」って思いました。
その度に
「自閉症の原因は良く分かってないけど 脳に原因がある障害で お母さんの育て方のせいじゃない 持って産まれたものだから」
って言われました。
だけど 昔 保育を勉強した事があり その時に心理学も勉強しました
その中で
「まずは、相手を否定しない」というのがありました
人間は 自分を受け入れてくれる人の話しは聞こうと思うけど
自分を否定する人の話しは 最初から聞かない
だから まずは相手を受け入れる
相手を肯定する
って
まずは「分かるョ」って言ってあげたら 自分を受け入れてくれるけど
いきなり「それは違うんじゃない??」って言うと受け入れてもらえない
だから まずは肯定する
その法則で 「この子がこうなったのは お母さんのせいじゃないョ」って言ってるんじゃないか
…って ただの ひねくれ者ですよね
だって 自分の子どもが2人も自閉症と自閉症の要素を持ってるってサ
自分のせいだと思うって
自分のお腹から産まれて来たんだもの
自分が育てて来たんだもの
オマエが怒ってばっかりいるから 子どもがこうなるんだ って言われちゃったんだもの…
いっつも泣いてたな~
いっつも怒ってたな~
いっつも自分の事責めてたな~
何の解決にもならない くだらない道
だけど そこで いっぱい凹んで 悩んで わめいて
いっぱい いっぱいエネルギー使って
ちょっとガス欠気味になったから 前に進めたのかも
堕ちるとこまで堕ちて 上を見れるというか
上を見なきゃって思った。
だって 泣いたって 悩んだって 目の前の子ども達はどんどん成長するんだもの
だから 変わんなきゃって思ったんだ
つづく
2010年1月30日(土)
我が家の息子2。
幼稚園の時は 行事も 参観日も全て行きましたが ストライキの連続
イスに座れず 床に寝そべってみたり 奇声をあげてみたり 隣の子を叩いたり かじったり
言葉よりも まず手がでたし 加減がわからないからトラブルもしょちゅうだった
参観日は特に みんな年長さんという 一番お兄ちゃん お姉ちゃんに成長し 落ち着き払ってる中で 目の前の我が子の姿
見ていて涙が出ました
なんで家だけ…って
たぶん あの時の息子も 違う環境に慣れるのに 必死だったと思います。
でも 年長の息子の他に 年少の息子も 似たような傾向があるとの事で ことばの教室に通っていましたし 末っ子は まだ1才の赤ちゃん
その頃は お昼に出面さんが家に上がって来て お味噌汁とオカズを出していたので あれもこれもいっぱいx2
『今 自分がツラい』
としか考えられませんでした
自閉症の特性である『こだわり』
これは 周りにも理解出来る事から 社会的に好ましくないものまでありますが わがままとしか思えませんでした。
『こだわり』なんだなって頭では分かっていても
なぜこだわるのか
なぜ分かってくれないのか
なぜこんなくだらない事にこだわるのか…
分かってるんです
本人にとってはくだらなくないからこだわってるんだって事
でも 頭で分かってるのと
自分の怒りを理性で押し殺せるのとは違います
私 ロボットじゃないので 腹立つんです
私 ホントに未熟な母です
子ども叩いて 怒り狂ってました
虐待っていうのかもしれない
そんなことしたって何も変わらないし
かえって逆効果だって何度も言われました
オマエが怒るから 子どもがダメになるんだって
私のツラさ 何にも分かってくれない!!
じゃあ どうすればいいのさ!!
って何度もぶちギレて
私が母親だからいけなかったんだって凹んで
私じゃない誰か立派なお母さんに育ててもらった方が この子達は幸せなんじゃないかって思って
子ども置いて 家を出ようかと考えた事もありました
こんなステキな夫だもの ステキなお母さん見つけてくれるだろうって思いました
私居なくなった方がいいかな。って
ちょっと鬱っぽくなってたかも
だけど うじうじと行動しないままで時が過ぎ
私のおかしさに気づき 夫の様子に変化が
私がイライラしないように 子どもの面倒をみてくれるようになり
私がテンパってる時は 仕事を軽減してくれたり たくさんたくさん助けてもらいました
おかげで 鬼母ではあるものの
徐々に 「自分は 立派なお母さんじゃないけれど この子達の事を一番分かってるのは私だ」っていうへんな自信で 気持ちが回復し なんとか今日までやって来ました
相変わらず ダメダメ母さんですけどね
つづく
イスに座れず 床に寝そべってみたり 奇声をあげてみたり 隣の子を叩いたり かじったり
言葉よりも まず手がでたし 加減がわからないからトラブルもしょちゅうだった
参観日は特に みんな年長さんという 一番お兄ちゃん お姉ちゃんに成長し 落ち着き払ってる中で 目の前の我が子の姿
見ていて涙が出ました
なんで家だけ…って
たぶん あの時の息子も 違う環境に慣れるのに 必死だったと思います。
でも 年長の息子の他に 年少の息子も 似たような傾向があるとの事で ことばの教室に通っていましたし 末っ子は まだ1才の赤ちゃん
その頃は お昼に出面さんが家に上がって来て お味噌汁とオカズを出していたので あれもこれもいっぱいx2
『今 自分がツラい』
としか考えられませんでした
自閉症の特性である『こだわり』
これは 周りにも理解出来る事から 社会的に好ましくないものまでありますが わがままとしか思えませんでした。
『こだわり』なんだなって頭では分かっていても
なぜこだわるのか
なぜ分かってくれないのか
なぜこんなくだらない事にこだわるのか…
分かってるんです
本人にとってはくだらなくないからこだわってるんだって事
でも 頭で分かってるのと
自分の怒りを理性で押し殺せるのとは違います
私 ロボットじゃないので 腹立つんです
私 ホントに未熟な母です
子ども叩いて 怒り狂ってました
虐待っていうのかもしれない
そんなことしたって何も変わらないし
かえって逆効果だって何度も言われました
オマエが怒るから 子どもがダメになるんだって
私のツラさ 何にも分かってくれない!!
じゃあ どうすればいいのさ!!
って何度もぶちギレて
私が母親だからいけなかったんだって凹んで
私じゃない誰か立派なお母さんに育ててもらった方が この子達は幸せなんじゃないかって思って
子ども置いて 家を出ようかと考えた事もありました
こんなステキな夫だもの ステキなお母さん見つけてくれるだろうって思いました
私居なくなった方がいいかな。って
ちょっと鬱っぽくなってたかも
だけど うじうじと行動しないままで時が過ぎ
私のおかしさに気づき 夫の様子に変化が
私がイライラしないように 子どもの面倒をみてくれるようになり
私がテンパってる時は 仕事を軽減してくれたり たくさんたくさん助けてもらいました
おかげで 鬼母ではあるものの
徐々に 「自分は 立派なお母さんじゃないけれど この子達の事を一番分かってるのは私だ」っていうへんな自信で 気持ちが回復し なんとか今日までやって来ました
相変わらず ダメダメ母さんですけどね
つづく
2010年1月29日(金)
我が家の息子1。
うちの子は自閉症です。
知的に遅れのない 人と関わるのが苦手なタイプの自閉症
気づいたのは保育所の先生
この子 目が合わない…
その頃の私 2人目を産んだばかりでした
確かに 長男の子育ては大変でした
毎日夕方になると泣いてばかり
夜泣きもひどくて 毎晩 抱っこして 階段を登ったり 降りたり…
疲れてる夫と同居の夫の両親を起こしてしまわないか 心配しながら
音にも敏感で 掃除機のスイッチを入れると ビクッとなり ピンポン♪のチャイムや 電話の音で泣いてました
実家の母に
「無音の静かな環境で育てると神経質になるから ラジオかテレビは必ずつけておきなさい」と言われたので いつもラジオをつけていたし 長男には たくさん言葉をかけたつもりだったんだけど
毎日夕方になると泣くので 先にごはん支度とかしておけば良かったんだろうけど そんな器用な事 段取り良く出来なくて
気持ちばかり焦っていました
出面さんは 夕方帰って来る度 赤ちゃんの泣き声がするから お母さんも泣いてるんじゃないかと 私の事を心配してくれていたそうです
車のおもちゃで遊ぶ時は横に寝そべって 車のタイヤの動きを見てるのが好きでした
ミニカーなど 縦列駐車で並べるのが好きでした
デスクチェアに乗って ぐるぐるといつまでも回転してるのが好きでした
つま先立ちで歩いてました
部屋のリモコン置き場が違うとか
玄関のくつの位置が違うとかんしゃくを起こし ひっくり返って泣いてました
1日に1時間かけて 畑をぐるっと回ってお散歩したり
そうかと思うと一歩も外に出たがらなかったり…
字に興味があり ひらがなや数字は4歳くらいで読めるようになったかな
着替えがキライで お遊戯会等は 衣装を嫌がりました
最初は先生も頑張ってくれてましたが 衣装は着てなくてもいいとお願いし それでも 出番いっぱいは出られない時もありました
だけど だんだん経験を重ね 練習は見て覚え だんだん衣装も着れるようになり 小学校では本番だけ衣装を着せて嫌がったので 次の年は 衣装が決まった段階で 練習から衣装を着せてもらい 練習と本番の『変化』を無くす工夫もしました
運動会も 走りたくない
みんなとやりたくない
それも だんだんこちらが受け入れて ダメなら休んでもいいから
とにかく 長い人生において 何度も経験しなければならない『運動会』というものをキライになってしまわないように…って思うようになりました
うちの子が幼稚園に通ったのは 長男が年中さんの時 それまで通っていたへき地保育所で お友達をかじったり 叩いたり 問題行動が多い中で
ことばの教室の先生に 「(家の学区は街の小学校なので)小学校に上がって いきなり集団に入ったら 圧迫感がすごい」と言われました
就学前の1年を街の保育所で過ごす事で
〇遊びを通して 集団に慣れる事が出来る
〇周りの子ども達(小学校でクラスメイトとなる子ども達)に 遊びを通して息子の特性を知ってもらい 関わり方を知ってもらう
というメリットがありました
やっぱり 子供にとって
『遊びを通して〇〇する』が 一番自然で 一番手っ取り早い方法です
そこで 保育所に面接に行ったワケですが 対応がイマイチでした
不安な中 幼稚園という選択肢を見つけ 面接
一目で気に入りました
でも 幼稚園ならお仕事出来ないけど…
ぃぃょ どうせ仕事してないんだし…
んじゃ幼稚園に決めた!!という事で 長男は年長さんから 次男は年少さんから 幼稚園児となったワケです
つづく
知的に遅れのない 人と関わるのが苦手なタイプの自閉症
気づいたのは保育所の先生
この子 目が合わない…
その頃の私 2人目を産んだばかりでした
確かに 長男の子育ては大変でした
毎日夕方になると泣いてばかり
夜泣きもひどくて 毎晩 抱っこして 階段を登ったり 降りたり…
疲れてる夫と同居の夫の両親を起こしてしまわないか 心配しながら
音にも敏感で 掃除機のスイッチを入れると ビクッとなり ピンポン♪のチャイムや 電話の音で泣いてました
実家の母に
「無音の静かな環境で育てると神経質になるから ラジオかテレビは必ずつけておきなさい」と言われたので いつもラジオをつけていたし 長男には たくさん言葉をかけたつもりだったんだけど
毎日夕方になると泣くので 先にごはん支度とかしておけば良かったんだろうけど そんな器用な事 段取り良く出来なくて
気持ちばかり焦っていました
出面さんは 夕方帰って来る度 赤ちゃんの泣き声がするから お母さんも泣いてるんじゃないかと 私の事を心配してくれていたそうです
車のおもちゃで遊ぶ時は横に寝そべって 車のタイヤの動きを見てるのが好きでした
ミニカーなど 縦列駐車で並べるのが好きでした
デスクチェアに乗って ぐるぐるといつまでも回転してるのが好きでした
つま先立ちで歩いてました
部屋のリモコン置き場が違うとか
玄関のくつの位置が違うとかんしゃくを起こし ひっくり返って泣いてました
1日に1時間かけて 畑をぐるっと回ってお散歩したり
そうかと思うと一歩も外に出たがらなかったり…
字に興味があり ひらがなや数字は4歳くらいで読めるようになったかな
着替えがキライで お遊戯会等は 衣装を嫌がりました
最初は先生も頑張ってくれてましたが 衣装は着てなくてもいいとお願いし それでも 出番いっぱいは出られない時もありました
だけど だんだん経験を重ね 練習は見て覚え だんだん衣装も着れるようになり 小学校では本番だけ衣装を着せて嫌がったので 次の年は 衣装が決まった段階で 練習から衣装を着せてもらい 練習と本番の『変化』を無くす工夫もしました
運動会も 走りたくない
みんなとやりたくない
それも だんだんこちらが受け入れて ダメなら休んでもいいから
とにかく 長い人生において 何度も経験しなければならない『運動会』というものをキライになってしまわないように…って思うようになりました
うちの子が幼稚園に通ったのは 長男が年中さんの時 それまで通っていたへき地保育所で お友達をかじったり 叩いたり 問題行動が多い中で
ことばの教室の先生に 「(家の学区は街の小学校なので)小学校に上がって いきなり集団に入ったら 圧迫感がすごい」と言われました
就学前の1年を街の保育所で過ごす事で
〇遊びを通して 集団に慣れる事が出来る
〇周りの子ども達(小学校でクラスメイトとなる子ども達)に 遊びを通して息子の特性を知ってもらい 関わり方を知ってもらう
というメリットがありました
やっぱり 子供にとって
『遊びを通して〇〇する』が 一番自然で 一番手っ取り早い方法です
そこで 保育所に面接に行ったワケですが 対応がイマイチでした
不安な中 幼稚園という選択肢を見つけ 面接
一目で気に入りました
でも 幼稚園ならお仕事出来ないけど…
ぃぃょ どうせ仕事してないんだし…
んじゃ幼稚園に決めた!!という事で 長男は年長さんから 次男は年少さんから 幼稚園児となったワケです
つづく