2009年2月27日(金)
結ぶ(前編)
物語×41
お母さんが着物を着付けています。
わたしは、それを見るのが、好きです。
引きずりそうな長い裾をたくし上げ、紐で押さえ、胸のあたりであまった部分を畳み込む手つきはなんだか魔法のようです。
着物は、洋服のように、体に添うよう形が出来てシルエットが作られるのではなくて、おかあさんの体の線を、ある部分は強調し、ある部分はうまく隠すように出来ていると思います。
いつも家で家事をこなしたり、夜休む姿は、見慣れたジーンズ姿や、パジャマだったりするのに着物に着替えるおかあさんは、いつもより嬉しそうで、綺麗に見えます。
「そんなにじろじろ見ないでよ、間違っちゃうでしょ」
「だって魔法みたいなんだもん」
「着たいと思ったらいつでも教えてあげるわよ」
「うん、いつかね」
わたしは笑ってこたえました。
おかあさんは、帯の上で帯締めを結ぼうとしています。
帯締めを結び終わったら、ふわふわした帯揚げという名前の布を綺麗にまとめて終わりです。
着替えはもうすぐ終わるのだと、わたしはそこで見るのを一旦やめました。
今日はいとこのお兄さんの結婚式です。3年くらいお付き合いをして、お嫁さんになる人にプロポーズをして、受けてくれたのだそうです。
以前挨拶に来てくださったときは、うれしそうな明るい笑顔をしていました。
きっと素敵な夫婦になると思います。
私はふと思いついて、おかあさんが帯揚げを丁寧に直しているそばにいき、帯締めを一本とりました。
おかあさんの帯の上にあるような、きれいな二重の、のしめを作ってみたくて、見よう見まねで結んでみました。
あれ?
帯締めの結び目が綺麗にならない。
助けを求めておかあさんのほうに顔を向けると、おかあさんは、いままでの楽しそうな顔を吹き飛ばしてそこに立っていました。
「なんか変になっちゃった」
わたしは、おかあさんのその、不吉そうな顔をみなかったことにして、慌てて声をかけました。おかあさんの顔はまたさっきのにこやかな顔に戻りました。
「それはね縦結びっていうのよ。こうやって結ぶのはふじ結びっていうの。」
おかあさんは一旦結んだ結び目を解いて、わたしの目の前でもう一度結びました。
「これが本結び。本当はこれだけで十分なんだけど、おめでたい席にでるから、ちょっと華やかにしてみたのよ。振袖なんかにはよく見る形よね」
おかあさんは、へへへ、という顔をしてまた結びを解いてふじ結びにし、支度が済んだかと呼びに来たおとうさんと出かけていきました。
わたしは、招待を受けていたのだけれど、なぜか気乗りしなくて行きませんでした。
なんとなく。
なんとなくだけど、あまり行きたいと思わなかったのです。
そして、わたしの予感は当たってしまいました。
あの結婚のあと、一年もしないで、二人は別れてしまったのでした。
理由は、わたしにはよくわかりません。
でも、お兄さんの妹にあたるお姉さんから聞いた話は、悲しいな、と思いました。
「二人で働いてはいたのはわかっていたけど、新婚家庭に似あわないような、日ざしのよくない暗い家だったのよ」
と聞かされたからです。
子どもが生まれたらどうするんだろう、とも言っていました。
でも、二人の間に子供はできませんでした。
「運命の赤い糸はちゃんと結ばれていなかったのね」
わたしは、あの日におかあさんに教えてもらった縦結びのことを思い出して、後ろめたくなりました。もしかしたら、わたしが、お兄さん達の仲を割いたのかもしれない、などと考えて。
縦結びは、ほどけやすい結び方です。
つながると思われた縁は、切れて無くなってしまった。
まだまだ結婚する相手も見つからないのに、わたしはそれにどこか納得するものがあり、それが腑におちたように思いました。
あれから、わたしは成長して高校生になりました。
「・・・行き急行、3番線に参ります。黄色い線の内側まで下がってお待ちください。」
このアナウンスを聞くと、いつも不思議な気持ちになります。
黄色い線とは、視覚障害者のための、「とまれ」を意味する黄色いタイルのことです。
今は、どこにいっても、このタイルが、電車を待つときの安全地帯をわける目安になっているようです。
ええ、今は。
それまでは黄色い線ではなくてその先にある細い、白い線でした。
今でも黄色いタイルの向こうに白い線は見ることができます。
駅で電車を待つときに、黄色い線の上にたつ人もいなければ、当然その先を越えて電車に近い側で待つ人もいない。
黄色いタイルから、ホームの縁までは、いつも真空のように開いている場所なのです。
わたしは学校最寄駅の改札の関係で、いつも先頭車両にのります。
先頭車両に乗る位置まで行くのに、結構な距離があるものです。なにしろ各駅停車でも10両はあり、1両の長さも、10メートルくらいはあると思いますから。丁度真ん中からホームに入ったとしても、5掛ける10メートルは歩くことになるのです。
でも調べたら、電車の長さはいろいろあって、私がいつものるのは、18メートルくらい、となっていたので、18掛ける5で、90メートルは歩いているのだと言う事になります。
思ったより歩いているものですね。
あっ話がずれました。
(続く)
わたしは、それを見るのが、好きです。
引きずりそうな長い裾をたくし上げ、紐で押さえ、胸のあたりであまった部分を畳み込む手つきはなんだか魔法のようです。
着物は、洋服のように、体に添うよう形が出来てシルエットが作られるのではなくて、おかあさんの体の線を、ある部分は強調し、ある部分はうまく隠すように出来ていると思います。
いつも家で家事をこなしたり、夜休む姿は、見慣れたジーンズ姿や、パジャマだったりするのに着物に着替えるおかあさんは、いつもより嬉しそうで、綺麗に見えます。
「そんなにじろじろ見ないでよ、間違っちゃうでしょ」
「だって魔法みたいなんだもん」
「着たいと思ったらいつでも教えてあげるわよ」
「うん、いつかね」
わたしは笑ってこたえました。
おかあさんは、帯の上で帯締めを結ぼうとしています。
帯締めを結び終わったら、ふわふわした帯揚げという名前の布を綺麗にまとめて終わりです。
着替えはもうすぐ終わるのだと、わたしはそこで見るのを一旦やめました。
今日はいとこのお兄さんの結婚式です。3年くらいお付き合いをして、お嫁さんになる人にプロポーズをして、受けてくれたのだそうです。
以前挨拶に来てくださったときは、うれしそうな明るい笑顔をしていました。
きっと素敵な夫婦になると思います。
私はふと思いついて、おかあさんが帯揚げを丁寧に直しているそばにいき、帯締めを一本とりました。
おかあさんの帯の上にあるような、きれいな二重の、のしめを作ってみたくて、見よう見まねで結んでみました。
あれ?
帯締めの結び目が綺麗にならない。
助けを求めておかあさんのほうに顔を向けると、おかあさんは、いままでの楽しそうな顔を吹き飛ばしてそこに立っていました。
「なんか変になっちゃった」
わたしは、おかあさんのその、不吉そうな顔をみなかったことにして、慌てて声をかけました。おかあさんの顔はまたさっきのにこやかな顔に戻りました。
「それはね縦結びっていうのよ。こうやって結ぶのはふじ結びっていうの。」
おかあさんは一旦結んだ結び目を解いて、わたしの目の前でもう一度結びました。
「これが本結び。本当はこれだけで十分なんだけど、おめでたい席にでるから、ちょっと華やかにしてみたのよ。振袖なんかにはよく見る形よね」
おかあさんは、へへへ、という顔をしてまた結びを解いてふじ結びにし、支度が済んだかと呼びに来たおとうさんと出かけていきました。
わたしは、招待を受けていたのだけれど、なぜか気乗りしなくて行きませんでした。
なんとなく。
なんとなくだけど、あまり行きたいと思わなかったのです。
そして、わたしの予感は当たってしまいました。
あの結婚のあと、一年もしないで、二人は別れてしまったのでした。
理由は、わたしにはよくわかりません。
でも、お兄さんの妹にあたるお姉さんから聞いた話は、悲しいな、と思いました。
「二人で働いてはいたのはわかっていたけど、新婚家庭に似あわないような、日ざしのよくない暗い家だったのよ」
と聞かされたからです。
子どもが生まれたらどうするんだろう、とも言っていました。
でも、二人の間に子供はできませんでした。
「運命の赤い糸はちゃんと結ばれていなかったのね」
わたしは、あの日におかあさんに教えてもらった縦結びのことを思い出して、後ろめたくなりました。もしかしたら、わたしが、お兄さん達の仲を割いたのかもしれない、などと考えて。
縦結びは、ほどけやすい結び方です。
つながると思われた縁は、切れて無くなってしまった。
まだまだ結婚する相手も見つからないのに、わたしはそれにどこか納得するものがあり、それが腑におちたように思いました。
あれから、わたしは成長して高校生になりました。
「・・・行き急行、3番線に参ります。黄色い線の内側まで下がってお待ちください。」
このアナウンスを聞くと、いつも不思議な気持ちになります。
黄色い線とは、視覚障害者のための、「とまれ」を意味する黄色いタイルのことです。
今は、どこにいっても、このタイルが、電車を待つときの安全地帯をわける目安になっているようです。
ええ、今は。
それまでは黄色い線ではなくてその先にある細い、白い線でした。
今でも黄色いタイルの向こうに白い線は見ることができます。
駅で電車を待つときに、黄色い線の上にたつ人もいなければ、当然その先を越えて電車に近い側で待つ人もいない。
黄色いタイルから、ホームの縁までは、いつも真空のように開いている場所なのです。
わたしは学校最寄駅の改札の関係で、いつも先頭車両にのります。
先頭車両に乗る位置まで行くのに、結構な距離があるものです。なにしろ各駅停車でも10両はあり、1両の長さも、10メートルくらいはあると思いますから。丁度真ん中からホームに入ったとしても、5掛ける10メートルは歩くことになるのです。
でも調べたら、電車の長さはいろいろあって、私がいつものるのは、18メートルくらい、となっていたので、18掛ける5で、90メートルは歩いているのだと言う事になります。
思ったより歩いているものですね。
あっ話がずれました。
(続く)
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