2009年5月26日(火)
こわいものみたさ。
考察×22
個人にとって一番怖いものとはなんだろうか。
お化けのように、自分に危害を加えようとする存在、はもちろん怖いが、間接的危害という意味では、放置されるのも怖い。
嫌われること、が怖くて一生懸命迎合している人たちが(おそらく自分もそういう一面はもっており)大勢いることもしっている。こびた態度でいる人もたくさんいる。
昨日から、「断る力(文春新書:勝間和代さん」という本を職場の人から借りて読んでいる。
本を貸してくれた彼女が言うには、働くお母さんの週末に起こる膨大な家事を軽減したいということからこの本を読んだそうだが、私は、この本を読んで、以前のいじめられた職場を思い出して、つい読みふけってしまった。
とは言ってもまだ途中(笑
でもあの体験がベースにある私は、この本がとても親身になった。体験的に感じていたことを文章化されてみて、理解を深めたように思ったからだ。
おそらく、著者自身も社会に喰われながら、生きてきたのだろう。
喰われる=ヒエラルキーの下=弱者という構造から一歩足を踏み出したからようやく息をつけたのだと思う。
息をついて、自分を取り囲む環境にすばやくフィードバックできる賢さが、もしくは、ヒエラルキーに嫌気がさし、そこから出ることを決めたから、今の彼女があるのだと思った。
さて、この本の中でちょっと面白いことが書かれていた。
それは「悪意」に関すること。
悪意は、妬みをベースに発生するものと考えられるが、ねたみは、人の向上心から生まれてくるものが多い。
ひたすらに向上を願えばいいのだけれど、そういう向上という努力を好む人もいれば好まない人もいる。この軽薄短小の世の中ならもっと努力をしない人が多いだろう。
この情報化社会の側面のひとつに匿名による悪意というものがある。2ちゃんねるに代表されるような、批判、誹謗掲示板。
著者もどうやらそれに悩まされてきたらしい。
でも、彼女のすごいところは、専門家に聞いたところ。
それによると、
悪意による増殖が一番活発になるのは、
悪意を持った人・・・5%
サポーター・・・・・2%
愉快犯・・・・・・・8%
見ているだけの人・85%
の割合のときなのだそう。
しかも批判されたほうや、一般からみると悪意があるように見えても、書き込んだ本人は真実・正義だと思っており、悪意はない可能性が大きいのだとか。
対応策としては、論理的に冷静になって悪意の底にある「背景」を理解すること。そして、その方法のひとつとしては、ほうっておくこともあると。なぜなら、労力を惜しまずに対応したとしても、その問題は実際どこまで影響を及ぼすかということを思うと、無駄骨かもしれないからだ。
人が人にたいして無関心になる、なられるというのは、結局は嫌われるということだ。反応が何もないというときは、嫌われているのと同じ。
私はそう思っている。
だから、マメでない人とは付き合えない。もっともこれもケータイが発達した今は過剰反応で弊害もあるだろうが・・・。
本書では、「批判するほうが、批判されるよりも優位である」ことを認めさせたいのだと触れていたが、私は、何かの形でもいいからかまってほしい、答えがほしい、こわいものにはふれたくない、という基本的欲求からきているのだと思う。
その望みが強ければ強いほど、むしろ苦しめられているからこそ、大騒ぎをする人はより大騒ぎをしてしまうのかもしれない。
さ、また読んでこよ。
お化けのように、自分に危害を加えようとする存在、はもちろん怖いが、間接的危害という意味では、放置されるのも怖い。
嫌われること、が怖くて一生懸命迎合している人たちが(おそらく自分もそういう一面はもっており)大勢いることもしっている。こびた態度でいる人もたくさんいる。
昨日から、「断る力(文春新書:勝間和代さん」という本を職場の人から借りて読んでいる。
本を貸してくれた彼女が言うには、働くお母さんの週末に起こる膨大な家事を軽減したいということからこの本を読んだそうだが、私は、この本を読んで、以前のいじめられた職場を思い出して、つい読みふけってしまった。
とは言ってもまだ途中(笑
でもあの体験がベースにある私は、この本がとても親身になった。体験的に感じていたことを文章化されてみて、理解を深めたように思ったからだ。
おそらく、著者自身も社会に喰われながら、生きてきたのだろう。
喰われる=ヒエラルキーの下=弱者という構造から一歩足を踏み出したからようやく息をつけたのだと思う。
息をついて、自分を取り囲む環境にすばやくフィードバックできる賢さが、もしくは、ヒエラルキーに嫌気がさし、そこから出ることを決めたから、今の彼女があるのだと思った。
さて、この本の中でちょっと面白いことが書かれていた。
それは「悪意」に関すること。
悪意は、妬みをベースに発生するものと考えられるが、ねたみは、人の向上心から生まれてくるものが多い。
ひたすらに向上を願えばいいのだけれど、そういう向上という努力を好む人もいれば好まない人もいる。この軽薄短小の世の中ならもっと努力をしない人が多いだろう。
この情報化社会の側面のひとつに匿名による悪意というものがある。2ちゃんねるに代表されるような、批判、誹謗掲示板。
著者もどうやらそれに悩まされてきたらしい。
でも、彼女のすごいところは、専門家に聞いたところ。
それによると、
悪意による増殖が一番活発になるのは、
悪意を持った人・・・5%
サポーター・・・・・2%
愉快犯・・・・・・・8%
見ているだけの人・85%
の割合のときなのだそう。
しかも批判されたほうや、一般からみると悪意があるように見えても、書き込んだ本人は真実・正義だと思っており、悪意はない可能性が大きいのだとか。
対応策としては、論理的に冷静になって悪意の底にある「背景」を理解すること。そして、その方法のひとつとしては、ほうっておくこともあると。なぜなら、労力を惜しまずに対応したとしても、その問題は実際どこまで影響を及ぼすかということを思うと、無駄骨かもしれないからだ。
人が人にたいして無関心になる、なられるというのは、結局は嫌われるということだ。反応が何もないというときは、嫌われているのと同じ。
私はそう思っている。
だから、マメでない人とは付き合えない。もっともこれもケータイが発達した今は過剰反応で弊害もあるだろうが・・・。
本書では、「批判するほうが、批判されるよりも優位である」ことを認めさせたいのだと触れていたが、私は、何かの形でもいいからかまってほしい、答えがほしい、こわいものにはふれたくない、という基本的欲求からきているのだと思う。
その望みが強ければ強いほど、むしろ苦しめられているからこそ、大騒ぎをする人はより大騒ぎをしてしまうのかもしれない。
さ、また読んでこよ。
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