2009年6月23日(火)
紫の帯 (1)
物語×41
“ | 全4回の予定です。 |
マユコは着物が好きです。
好きといえば聞こえはいいと思いますが、マユコのそれは着物にとり憑かれたかのようでもあります。
若いころから日本の伝統の衣装に興味はありました。それはやはり着物をまとっていた祖母の面影もあったのかなと思います。まとっていたといっても絹物の上物ではなく灰色と青の、化繊の着物でしたが。
マユコにとっては、祖母は母親以上でした。共稼ぎで働いていたマユコの母親の代わりになにくれとなく世話をしてくれたのです。そして、子供は、親がしていたことを自然に受け継ぐもののようです。
それでマユコは着物というものにのめりこんでいたのではないかと自答しています。
のめりこみすぎて、一年あまりも毎日着物を着て暮らしてしまったことを思い返しますとマユコはちょっと可笑しくなることがあります。
戦争が始まる前は、ほとんどの人が着物をきていたでしょうに、敗戦を迎えたとたん普段着としての着物は見なくなって、いまや、なんでもない日に着物を着ていますと、驚かれてしまったり、いちいち理由を聞かれたりするのですから。
マユコはアンナという娘とキョウという息子と、夫の4人家族です。アンナとキョウの間はなんと6歳も離れています。
望んでも望んでもなかなか子供が出来なくて、ようよう出来た可愛い子供たちです。
アンナが、幼稚園の年中さんのとき、夫が仕事で一ヶ月ほど外国に出かけました。その間、マユコは寂しくてたまりませんでした。いっそう寒さに向かう季節でした。東京の寒さは、北の雪の降る場所と違って、氷水の中に手を突っ込んでいるような、芯まで冷える寒さです。それで気が付いたら、たまたま手元にあった着物をまとっていたのです。
結婚するから、
「一枚、つくって上げよう」
と両親からいわれて、買ってもらった着物です。
うれしくなって、それなら普段着ていてもおかしくないのを、いつも祖母の着ていたような色合いを探しましたら、それは地味すぎると両親にも呉服店の店員さんにも反対されてしまいました。それで、祖母の着物を思わせるような縞の、赤みの入った紬を選ぶことになりました。
マユコは箪笥を開けてその着物を引っ張り出して、昔着付け教室で習ったように着付けてみました。着てみると幾分不恰好ではありましたが、なぜか妙にうれしくなりました。
絹物は、自分の体温が絹の中にうつりこみますと、誰かに抱きしめられているような感じになることがあるのです。特に夏物の絽の襦袢が汗でぬれてそれが肌に触ると官能的な感覚さえあるといいます。
マユコは、きものに抱かれて安心したのかもしれません。
遠い記憶の中にいる、祖母のような感じもしたのでしょうし、夫のような暖かさを感じたのかもしれません。
それに、着物は、すそから冷たい風が入りますが、実はおなか周りはあたたかくて、暑いくらいの感じにもなります。
特に着慣れてない者は、いろいろ補正のタオルや小道具を入れ込みますから余計に熱もこもります。
ズボンとトレーナーのように、ウエストから上下をわけるようなことを感じなくもなり、上から下まで一体となった感覚が生まれます。
それでいっそう、生身のマユコの体はほっとしたのかもしれません。
それっきりマユコは、夫が帰ってきても、着物を着て通すことにしてしまって、その生活をしばらく続けました。
その中でキョウを身篭ることが出来、さらに彼が「はいはい」を始めるまで、ずっと着物で暮らすことさえできました。
なぜやめてしまったかといいますと、男の子のキョウの動きは、女の子のアンナの動きやしぐさとはまったく比べ物にならないほど荒くて、おとなしげな所作の着物ではおっつかなかったからです。
マユコは着物の面白みを知ってしまいました。そうすると、作務衣や二部式のような洋服と折衷のようなものを探してしまうのですが、そういったものは着物よりもっと流通が少なく、探しても気に入るものが見つからないほうが多いのです。
ですから、自然と洋服に戻ってしまいました。とは言いましても、寝るときだけは浴衣を着る習慣は残ったままになっています。
(続く)
好きといえば聞こえはいいと思いますが、マユコのそれは着物にとり憑かれたかのようでもあります。
若いころから日本の伝統の衣装に興味はありました。それはやはり着物をまとっていた祖母の面影もあったのかなと思います。まとっていたといっても絹物の上物ではなく灰色と青の、化繊の着物でしたが。
マユコにとっては、祖母は母親以上でした。共稼ぎで働いていたマユコの母親の代わりになにくれとなく世話をしてくれたのです。そして、子供は、親がしていたことを自然に受け継ぐもののようです。
それでマユコは着物というものにのめりこんでいたのではないかと自答しています。
のめりこみすぎて、一年あまりも毎日着物を着て暮らしてしまったことを思い返しますとマユコはちょっと可笑しくなることがあります。
戦争が始まる前は、ほとんどの人が着物をきていたでしょうに、敗戦を迎えたとたん普段着としての着物は見なくなって、いまや、なんでもない日に着物を着ていますと、驚かれてしまったり、いちいち理由を聞かれたりするのですから。
マユコはアンナという娘とキョウという息子と、夫の4人家族です。アンナとキョウの間はなんと6歳も離れています。
望んでも望んでもなかなか子供が出来なくて、ようよう出来た可愛い子供たちです。
アンナが、幼稚園の年中さんのとき、夫が仕事で一ヶ月ほど外国に出かけました。その間、マユコは寂しくてたまりませんでした。いっそう寒さに向かう季節でした。東京の寒さは、北の雪の降る場所と違って、氷水の中に手を突っ込んでいるような、芯まで冷える寒さです。それで気が付いたら、たまたま手元にあった着物をまとっていたのです。
結婚するから、
「一枚、つくって上げよう」
と両親からいわれて、買ってもらった着物です。
うれしくなって、それなら普段着ていてもおかしくないのを、いつも祖母の着ていたような色合いを探しましたら、それは地味すぎると両親にも呉服店の店員さんにも反対されてしまいました。それで、祖母の着物を思わせるような縞の、赤みの入った紬を選ぶことになりました。
マユコは箪笥を開けてその着物を引っ張り出して、昔着付け教室で習ったように着付けてみました。着てみると幾分不恰好ではありましたが、なぜか妙にうれしくなりました。
絹物は、自分の体温が絹の中にうつりこみますと、誰かに抱きしめられているような感じになることがあるのです。特に夏物の絽の襦袢が汗でぬれてそれが肌に触ると官能的な感覚さえあるといいます。
マユコは、きものに抱かれて安心したのかもしれません。
遠い記憶の中にいる、祖母のような感じもしたのでしょうし、夫のような暖かさを感じたのかもしれません。
それに、着物は、すそから冷たい風が入りますが、実はおなか周りはあたたかくて、暑いくらいの感じにもなります。
特に着慣れてない者は、いろいろ補正のタオルや小道具を入れ込みますから余計に熱もこもります。
ズボンとトレーナーのように、ウエストから上下をわけるようなことを感じなくもなり、上から下まで一体となった感覚が生まれます。
それでいっそう、生身のマユコの体はほっとしたのかもしれません。
それっきりマユコは、夫が帰ってきても、着物を着て通すことにしてしまって、その生活をしばらく続けました。
その中でキョウを身篭ることが出来、さらに彼が「はいはい」を始めるまで、ずっと着物で暮らすことさえできました。
なぜやめてしまったかといいますと、男の子のキョウの動きは、女の子のアンナの動きやしぐさとはまったく比べ物にならないほど荒くて、おとなしげな所作の着物ではおっつかなかったからです。
マユコは着物の面白みを知ってしまいました。そうすると、作務衣や二部式のような洋服と折衷のようなものを探してしまうのですが、そういったものは着物よりもっと流通が少なく、探しても気に入るものが見つからないほうが多いのです。
ですから、自然と洋服に戻ってしまいました。とは言いましても、寝るときだけは浴衣を着る習慣は残ったままになっています。
(続く)
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