2009625(木)

紫の帯 (3)

物語×41

紫の帯 (3)

(続き)

 失敗は教訓になるものです。

 マユコは、日常的に着物を着ていた時代の小説を読み漁りました。
 装い方やしぐさ、習慣、いわれ、なんでもいいから着物にかかわることなら何でも知りたかったのです。
だって、現代女性は着物については何もしらないのに等しいのだから。
 その中で、マユコは見つけました。

 結城紬は、丈夫なために、丁稚が作業着としてやわらかくしてから旦那が着ることがあったということを。

 結城紬は衣服としての寿命が長く、60年を経た結城紬を見たことがありますが、まるで大島紬のようなきらめいた光沢が生まれてしなやかで気持ちよさそうでした。
大島紬とは日本の紬の双璧のようなもので、沖縄の奄美大島で作られる反物です。

 それについてはまた別の機会にお話しましょう。

 さらに、結城縮(ちぢみ)といわれるものがあることも知りました。
 サッカー生地のような細かい膨れた部分があるので、涼しく、夏向けものとして、また、寝巻きにも好まれたのだそうです。

 素人考えとはまことに恐ろしいというか、あきれるほどにおかしいもので、マユコはその二つをごっちゃにして、堅い着物をやわらかくするために、その箪笥の奥にしまいこんだ、先にお話した着物を引っ張り出して、寝巻き代わりにして着たのです。

 寝るときになると、いそいそと着物を着て伊達締めと呼ばれる絹製の紐で押さえます。
 それから布団に入ります。

 最初のころは、着物がつっぱらかって、動きがままなりませんで、足も開けず寝返りを打つのも目を覚ましながらでした。

 そのころ、マユコは生理が遅れていることに気が付きました。
 もしやと思って病院にいくと待望の妊娠です。
 アンナを産んでしばらく、欲しい欲しいと望みながらできなかった二人目の子供です。

でも。

その子供は生まれてくることはありませんでした。

 理由はわかりません。ですが、その子を妊娠したときから体調が優れなかったのです。
 立てば変な汗が出ます。立っていられなく座っても腰がだるくてたまりません。

 流産する直前、マユコは洗濯をしていました。洗うのは洗濯機におまかせできますが、干すのは人の手を遣うしかありません。洗ったものを干している、その手を伸ばしながらの作業が、ただ辛くてたまりませんでした。

 夫は休みで家に居ましたから、洗濯ものを干すのを手伝って、と言えればよかったかもしれませんが、いえませんでした。
 専業主婦だし、夫は休みなのだし、ということが遠慮をよんだといえば聞こえはいいのですが、格好をつけてしまったのではないかと思います。
 ですが、心では感じていました。

 調子が悪いのをそばでみているはずだろうに、気の付いてくれないもどかしさ、寂しさ。

 ですから、マユコは
「あんまりにも辛いから、もう子供なんか要らない」
とつぶやいてしまったのです。

 それは、まだ生まれてもいない子供にたいする八つ当たりでしかなくて、馬鹿なことを言ったと思っています。
 けれど、その直後、体を休めるために床に潜り込んで一眠りしたら、まさか本当に流産するとは思ってもいませんでした。


 深みから浅瀬に浮かんできたようなほの明るさの中で、マユコは腰に何か巻きつけているような重たさを感じていました。海底の火山に沸き起こるような鈍い熱い痛み、それらの刺激で目を覚ましますと、ふとももの付け根は痛みでしびれています。
 でも、あの硬い硬い寝巻きを着ているから、足が開かず、じっと痛みに耐えられたような気がします。

 つと何かが流れ出したのを感じました。
 あわてて床から這い出て、トイレに行きました。
 そこでみたものは、衣服にまで寝具にまで及んだ量の血で、下着の上には、親指のつめくらいの大きさのビー玉のような血の塊が乗っかっていました。

 その日は、病院は休みでしたので、次の日、その塊をもってアンナを産んだ病院にいきますと、残念ながら流産と判明し、その日のうちに処置を行うことになりました。

 10ヶ月後に、分娩台に乗るはずだったマユコは、アンナを産んだ同じ部屋で手術台にのりました。点滴のように麻酔を入れて、数を数えていたら、いつのまにか意識はなく、気が付いたら、処置は終わっており、おなかの中に、こそげられたような痛みが残っていました。

 マユコはその痛みに思わず「痛い」とつぶやいて、はっとしました。この痛みは、生まれてこられなかった赤ん坊の名残なのだと。

「ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい!!」

 痛みと、悲しみでマユコは取り乱して、安静のために入れられた部屋で泣きました。

 夫とアンナは、じっとマユコを見ています。
 新しく増えるはずだった家族は、この中の3人の誰とも会うことはできなかったのです。

 おなかの痛みは、なかなか消えませんでした。
 寒い日でしたから、体は、ほんの短い間にかなり冷え込んだようです。冷たさは痛みを際立たせるようです。さらに、病院の寝具も冷たく、その冷たさはさらに痛みを強めました。

 痛い痛いと正直に言えればいいものを、言わなくてもいいことを言ってしまった後悔から痛いとも言えず、病室で待っていた夫は苦しそうな、辛そうな、泣き喚いているマユコをみて困っていました。
 困って話しかけても、妻は子供のように泣きじゃくるだけです。

 夫はふと思い立って、布団の中に手を入れると、マユコの、裸のおなかに手を当てました。

 暖かい手、でした。
 なんというあたたかさでしょう。体の芯までじんわりと伝わってくる暖かさ。
 氷が解けるように、痛みのするどさは和らいでいきます。
それを見て、アンナも手を当ててくれました。
 しばらく二人の暖かい手に触れられたマユコは、ようやく正気を取り戻していきました。


(続く)






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