2009年6月26日(金)
紫の帯 (4)
物語×41
(続き)
二人の暖かみは、マユコのおなかの痛みを思ったより早く消してくれました。
とはいいましても、心の痛みは簡単に消えるものではありません。
流産の後もマユコは着物で生活をしようとしていました。
ところが不思議なことに、それまで好んで身につけていた、黒地に赤の一本独鈷の帯を締めることができないのです。
赤、がだめなのです、体が拒否をするのです。
赤は人類が初めに意識した色です。太陽が沈んだ暗い恐怖の世界、太陽が昇ると一転して明るく安全な世界、それらを分かつためのアケルから赤、クレルから黒が生まれたといわれています。
そして文明を発達させる元となった火や、体を流れる血潮も赤です。
太陽が没すること、血を失うこと、つまり赤を失うことを恐れて余計に意識した太古の記憶なのかもしれません。
とにかく今のマユコは、赤を見ることができません。
困りました。
着物を着るためには、帯は欠かせませんから。
それに、今は、洋服のほとんどを捨ててしまっています。ほとんどが、若いころに着ていたもので、箪笥の肥やしになってしまっていましたから。
だから、今着るものとなると、帯を求める以外考えられなかったのです。
マユコは、帯を探しました。
黒をベースにした、赤みの入っていないものを。
最初はデパートの呉服店に行きました。
ところが、きものにも流行というものがありまして、黒の帯は、喪服のきっちりしたものばかりで、喪に服したいと思ってもなお仰々しいくらいです。
いまどき、ふだんぽい着物の上に黒一色の流水や雲取りなどの帯を締めている人などいません。そぐわないような仰々しさは望んではいません。むしろ周辺がいぶかしがるだけかもしれません。
・・・とはいいましても、着物の生活はすでに現代日本にはそぐわないでしょうが。
それでも趣味性の強い呉服店に行けば、あるかもしれないと考えました。
でも、かなりの額面を用意しなくてはならないだろうと思いますと、実際に行くことはためらわれました。
着物は高価だけれど、文化としては万人の需要にこたえることはできないほど貧しくなっているのだなと思わざるを得ませんでした。
最後にマユコはリサイクル店を回りました。
質屋と違ってリサイクル店では、年をとって着られなくなったとか、もともと上質なものではないとか、しみや汚れがあるとか、古びてはいないけど何度も着用したから、というわけありも多く集まって、そういったものは気に入りさえすれば、お値打ちで手に入るのです。
実際、気に入って付けていた黒に赤の一本独鈷の帯はリサイクル店で求めたものでした。
これぞ、というものはありませんでしたが、めぼしいものは見つかりました。
紫色の、紫といいましても青みの強い、茄子のような、ええ、それは茄子紺というのかもしれません、ごそっぽい手触りの、木春菊を薄い色で線描きした帯です。
花があることにマユコは躊躇しました。ええ、花やかという言葉があるからです。
ですが供養には菊の花を使いますし、むしろ周囲には流産したことがわかりにくいかもしれません。
思いきってというほどに考え込まなくてもいい額面ですから、マユコはそれを買いもとめました。
毎日その帯を締めました。流れてから49日間、マユコはその帯を締め続けました。
帯はマユコのおなか周りをつつみ、ごそっぽさはすこしづつこなれ、やわらかく締めやすくなっていきました。
血で汚した着物も、洗って、再び着始めました。この二つの組み合わせはマユコの手持ちのなかで一番地味だったせいか、身につけることは、気持ちが落ち着いていくように感じました。
49日がすぎて50日目にはいりますと、帯はすっかり体になじんでいました。
それからしばらくして、ようやくあの気に入っていた黒と赤の帯を締めてみたくなったのでした。
心の傷が癒えるには、49日かかる、ということなのかもしれないと、昔の言い伝えは人の心の動きをよく見ていたのだなあとマユコは思います。
キョウが生まれたのは、その1年あまり後のことでした。ほとんどすぐ、といってもいいくらいです。元気な丈夫な、超がつくほど安産の、子どもでした。
なくなった子供が守ったかのようです。
そんな込み入った思い出の詰まった帯は、今でも箪笥の下のほうに収まっています。
マユコはそれをもう締めないだろうなと思います。もともと欲しかったものではありませんでしたから、自分の好みと合っていないということもあります。
でも、あの一言を今でも悔いています。
「本当は、本当に生まれてきてほしかったんだよ」
と、今でもいつも思っています。
流れてしまった赤ん坊は、病院でさらにこそげられて、影も形も何も手元に残りません。
箪笥の中を見て、マユコはときおり、わが子の冥福を祈っています。
この親と子をつなぐ紫の帯を、そっと撫でながら。
(終)
参考文献:日本人の作った色(吉岡幸雄) NHK人間講座テキスト
二人の暖かみは、マユコのおなかの痛みを思ったより早く消してくれました。
とはいいましても、心の痛みは簡単に消えるものではありません。
流産の後もマユコは着物で生活をしようとしていました。
ところが不思議なことに、それまで好んで身につけていた、黒地に赤の一本独鈷の帯を締めることができないのです。
赤、がだめなのです、体が拒否をするのです。
赤は人類が初めに意識した色です。太陽が沈んだ暗い恐怖の世界、太陽が昇ると一転して明るく安全な世界、それらを分かつためのアケルから赤、クレルから黒が生まれたといわれています。
そして文明を発達させる元となった火や、体を流れる血潮も赤です。
太陽が没すること、血を失うこと、つまり赤を失うことを恐れて余計に意識した太古の記憶なのかもしれません。
とにかく今のマユコは、赤を見ることができません。
困りました。
着物を着るためには、帯は欠かせませんから。
それに、今は、洋服のほとんどを捨ててしまっています。ほとんどが、若いころに着ていたもので、箪笥の肥やしになってしまっていましたから。
だから、今着るものとなると、帯を求める以外考えられなかったのです。
マユコは、帯を探しました。
黒をベースにした、赤みの入っていないものを。
最初はデパートの呉服店に行きました。
ところが、きものにも流行というものがありまして、黒の帯は、喪服のきっちりしたものばかりで、喪に服したいと思ってもなお仰々しいくらいです。
いまどき、ふだんぽい着物の上に黒一色の流水や雲取りなどの帯を締めている人などいません。そぐわないような仰々しさは望んではいません。むしろ周辺がいぶかしがるだけかもしれません。
・・・とはいいましても、着物の生活はすでに現代日本にはそぐわないでしょうが。
それでも趣味性の強い呉服店に行けば、あるかもしれないと考えました。
でも、かなりの額面を用意しなくてはならないだろうと思いますと、実際に行くことはためらわれました。
着物は高価だけれど、文化としては万人の需要にこたえることはできないほど貧しくなっているのだなと思わざるを得ませんでした。
最後にマユコはリサイクル店を回りました。
質屋と違ってリサイクル店では、年をとって着られなくなったとか、もともと上質なものではないとか、しみや汚れがあるとか、古びてはいないけど何度も着用したから、というわけありも多く集まって、そういったものは気に入りさえすれば、お値打ちで手に入るのです。
実際、気に入って付けていた黒に赤の一本独鈷の帯はリサイクル店で求めたものでした。
これぞ、というものはありませんでしたが、めぼしいものは見つかりました。
紫色の、紫といいましても青みの強い、茄子のような、ええ、それは茄子紺というのかもしれません、ごそっぽい手触りの、木春菊を薄い色で線描きした帯です。
花があることにマユコは躊躇しました。ええ、花やかという言葉があるからです。
ですが供養には菊の花を使いますし、むしろ周囲には流産したことがわかりにくいかもしれません。
思いきってというほどに考え込まなくてもいい額面ですから、マユコはそれを買いもとめました。
毎日その帯を締めました。流れてから49日間、マユコはその帯を締め続けました。
帯はマユコのおなか周りをつつみ、ごそっぽさはすこしづつこなれ、やわらかく締めやすくなっていきました。
血で汚した着物も、洗って、再び着始めました。この二つの組み合わせはマユコの手持ちのなかで一番地味だったせいか、身につけることは、気持ちが落ち着いていくように感じました。
49日がすぎて50日目にはいりますと、帯はすっかり体になじんでいました。
それからしばらくして、ようやくあの気に入っていた黒と赤の帯を締めてみたくなったのでした。
心の傷が癒えるには、49日かかる、ということなのかもしれないと、昔の言い伝えは人の心の動きをよく見ていたのだなあとマユコは思います。
キョウが生まれたのは、その1年あまり後のことでした。ほとんどすぐ、といってもいいくらいです。元気な丈夫な、超がつくほど安産の、子どもでした。
なくなった子供が守ったかのようです。
そんな込み入った思い出の詰まった帯は、今でも箪笥の下のほうに収まっています。
マユコはそれをもう締めないだろうなと思います。もともと欲しかったものではありませんでしたから、自分の好みと合っていないということもあります。
でも、あの一言を今でも悔いています。
「本当は、本当に生まれてきてほしかったんだよ」
と、今でもいつも思っています。
流れてしまった赤ん坊は、病院でさらにこそげられて、影も形も何も手元に残りません。
箪笥の中を見て、マユコはときおり、わが子の冥福を祈っています。
この親と子をつなぐ紫の帯を、そっと撫でながら。
(終)
参考文献:日本人の作った色(吉岡幸雄) NHK人間講座テキスト
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