2009年9月5日(土)
レモン市場
考察×22
“ | レモン市場 「財やサービスの品質が、買い手にとって未知であるために、不良品ばかり出回ってしまう市場」 引用はウィキペディアから。 「レモン市場」で検索すれば出てくるので、あえてリンクは張りません。 |
不思議なことが、マイとかちではよくあるものだと思う。
帯広にきたらまずあそこのカレーだと、薦められたかどうかはわからないが、食べにいってみたら、思っていたものと違って、おそらく、あまりよくない方向に期待を裏ぎったのだろう。
がっかりした、という話があった。
その記事は、ものすごいコメントが付いた。
あまりにも付いていたので、今やすっかり覚えてもいないが、【たったひとつ食べただけで、すべてがわかったような言い方をするな】というのがおおよその言い分だったのではないかと私は推測する。
次に、似たようなことがまた起こった。
新しくオープンしたお店で、デフォ塩(デフォルトで塩という意味でしょうね?たぶん)を食べることにしているから、注文しようと思ったが、それが無く、かろうじて塩と謳っているものを注文したら、【異常なしょっぱさ】だったという話があがった。
こないだカレーの話の時には、死者に鞭打つような展開を見せたので、時期的に、またひと悶着起きるのか?と冷や汗をかいてしまった。
しかし、その話は、簡単に流れていった。特に憤りを顕著にするようなものは、つかなかったのだろうと簡単に想像がついた。
しかし、【たったひとつ食べただけですべてがわかったような言い方】というのは先の例も後の例も本質は同じで、なぜ前者はあそこまで追い詰められなければならなかったのか、と思うと、不憫でならない。
あまりにも胸にせまるものがあったので、メールを送って、しばらくやりとりしたほどだ。
そして新たに、しばらくはタブーなのではないかと思っていたカレーの話が出てきた。
その記事では、自分の感じたことを、十勝帯広にやってきて、郷に入れば郷にそまる経過とともに、変わっていく様子が記録されて好ましいと思って読んだ。
今度の場合は、ちょっと違って辛さについて言及していた部分があったのだけど、その辛さの部分にまた突込みコメントが付いた。
人の感覚は、成績をあらわすことに顕著であるように、正規分布であらわされるようなので、まずい、標準、うまい、と定義をすれば標準以上は、全体の半分以上をしめることになるので、基本的に、味覚はうまい方に傾くのではないかと思う。
それを前提としても、アナログ的に切れ目無くつながるグラフから見れば、ある一箇所に目をつけたとき、その隣のデータの数値は、印をつけた箇所の数値とは明らかに違う。
ということから考えると、個人の好みだって、いろいろあるだろう。いやあるはずだ。
育った環境、もともとの好み、そのとき一緒にいる人、または端から見ればつまらない理由でも本人にとっては重大な【何か】、で味わいなんか、結構変わったりする。
私など、ダンナとケンカした後には、普段おいしいものでも味がない。
味覚については、私のような分際は、何もいうことはない。いや言ってはいけない。
マイとかちで紹介されるお店には、私は遠方に住んでいる理由でいけないからである。
だから、そこに興味は、ない。
そんな私が興味を持ってみたのは、入るべきであろうと予測されるコメントが入ったり入らなかったりすることにある。
もし機械が判断するなら、おそらく、いくつかの複数の意見でも本質が同じと理解すれば(と仮定する)ひとつの見解しか与えられない、と思う。
つまり、入れられるべきコメントは当然入れられるし、入れられないコメントは間違いなく入らない。
しかし、入るべきだろうところにコメントが入らなかったり、入らなくてもいいようなところに入ったりするのは、明らかに何かのバイアスがかかるのだろうと思う。
人間らしいといえば人間らしい。
人間とは不完全なものである。
古来から、そのように定義されているので、私もそれに習うことにする。6000年の重みをもつものに反抗しても意味はない。
また、不完全なものは、未知の可能性を秘めてもいる。
そして、そのようなものが、人の世の中を、狭く言えば、このサイトを構築している。
もちろん正規分布に従えば、程度の差というものも存在する。
【悪貨は良貨を駆逐する】という言葉がある。その言葉は経済用語であるが、転じて、治安の悪化や、軽佻浮薄な文化がはやる場合にも使われるらしい。
以前のマイとかちはもうすこし伸びやかなところだと思っていたが、ここ最近は、何か書くと掲示板で、いや掲示板の存在はなくなってしまったが、まるで【大声で影口を言われる】ような、小姑のいる嫁のような居心地の悪さがあって、めっきり窮屈になってしまった。←たとえが狭くてすみません。男性にはわかりがたいですねm(_)m
未知なものが作る世界では、流通する(出回る)という意味では、良いものより悪いものの方が突出する。
【憎まれっ子、世に憚る】ということわざをふと思い出した。
自分はどうだった?と考えると、答えはわからない。
こうやって記事を書いている以上、不良品(LEMON)かもしれない。
しかし突出することもないので、不良品でもちょっとはましかもしれない。
答えは、自分で見つけなければならないが、先に気が付くのは、自分以外の誰かであろう。
ぼんやり考える。
・・・。
まじめに考えてしまいすぎて、オチがつきませんでした(爆
帯広にきたらまずあそこのカレーだと、薦められたかどうかはわからないが、食べにいってみたら、思っていたものと違って、おそらく、あまりよくない方向に期待を裏ぎったのだろう。
がっかりした、という話があった。
その記事は、ものすごいコメントが付いた。
あまりにも付いていたので、今やすっかり覚えてもいないが、【たったひとつ食べただけで、すべてがわかったような言い方をするな】というのがおおよその言い分だったのではないかと私は推測する。
次に、似たようなことがまた起こった。
新しくオープンしたお店で、デフォ塩(デフォルトで塩という意味でしょうね?たぶん)を食べることにしているから、注文しようと思ったが、それが無く、かろうじて塩と謳っているものを注文したら、【異常なしょっぱさ】だったという話があがった。
こないだカレーの話の時には、死者に鞭打つような展開を見せたので、時期的に、またひと悶着起きるのか?と冷や汗をかいてしまった。
しかし、その話は、簡単に流れていった。特に憤りを顕著にするようなものは、つかなかったのだろうと簡単に想像がついた。
しかし、【たったひとつ食べただけですべてがわかったような言い方】というのは先の例も後の例も本質は同じで、なぜ前者はあそこまで追い詰められなければならなかったのか、と思うと、不憫でならない。
あまりにも胸にせまるものがあったので、メールを送って、しばらくやりとりしたほどだ。
そして新たに、しばらくはタブーなのではないかと思っていたカレーの話が出てきた。
その記事では、自分の感じたことを、十勝帯広にやってきて、郷に入れば郷にそまる経過とともに、変わっていく様子が記録されて好ましいと思って読んだ。
今度の場合は、ちょっと違って辛さについて言及していた部分があったのだけど、その辛さの部分にまた突込みコメントが付いた。
人の感覚は、成績をあらわすことに顕著であるように、正規分布であらわされるようなので、まずい、標準、うまい、と定義をすれば標準以上は、全体の半分以上をしめることになるので、基本的に、味覚はうまい方に傾くのではないかと思う。
それを前提としても、アナログ的に切れ目無くつながるグラフから見れば、ある一箇所に目をつけたとき、その隣のデータの数値は、印をつけた箇所の数値とは明らかに違う。
ということから考えると、個人の好みだって、いろいろあるだろう。いやあるはずだ。
育った環境、もともとの好み、そのとき一緒にいる人、または端から見ればつまらない理由でも本人にとっては重大な【何か】、で味わいなんか、結構変わったりする。
私など、ダンナとケンカした後には、普段おいしいものでも味がない。
味覚については、私のような分際は、何もいうことはない。いや言ってはいけない。
マイとかちで紹介されるお店には、私は遠方に住んでいる理由でいけないからである。
だから、そこに興味は、ない。
そんな私が興味を持ってみたのは、入るべきであろうと予測されるコメントが入ったり入らなかったりすることにある。
もし機械が判断するなら、おそらく、いくつかの複数の意見でも本質が同じと理解すれば(と仮定する)ひとつの見解しか与えられない、と思う。
つまり、入れられるべきコメントは当然入れられるし、入れられないコメントは間違いなく入らない。
しかし、入るべきだろうところにコメントが入らなかったり、入らなくてもいいようなところに入ったりするのは、明らかに何かのバイアスがかかるのだろうと思う。
人間らしいといえば人間らしい。
人間とは不完全なものである。
古来から、そのように定義されているので、私もそれに習うことにする。6000年の重みをもつものに反抗しても意味はない。
また、不完全なものは、未知の可能性を秘めてもいる。
そして、そのようなものが、人の世の中を、狭く言えば、このサイトを構築している。
もちろん正規分布に従えば、程度の差というものも存在する。
【悪貨は良貨を駆逐する】という言葉がある。その言葉は経済用語であるが、転じて、治安の悪化や、軽佻浮薄な文化がはやる場合にも使われるらしい。
以前のマイとかちはもうすこし伸びやかなところだと思っていたが、ここ最近は、何か書くと掲示板で、いや掲示板の存在はなくなってしまったが、まるで【大声で影口を言われる】ような、小姑のいる嫁のような居心地の悪さがあって、めっきり窮屈になってしまった。←たとえが狭くてすみません。男性にはわかりがたいですねm(_)m
未知なものが作る世界では、流通する(出回る)という意味では、良いものより悪いものの方が突出する。
【憎まれっ子、世に憚る】ということわざをふと思い出した。
自分はどうだった?と考えると、答えはわからない。
こうやって記事を書いている以上、不良品(LEMON)かもしれない。
しかし突出することもないので、不良品でもちょっとはましかもしれない。
答えは、自分で見つけなければならないが、先に気が付くのは、自分以外の誰かであろう。
ぼんやり考える。
・・・。
まじめに考えてしまいすぎて、オチがつきませんでした(爆
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