2009118(日)

いらいら。

考察×22

ちょっと前に帰省したときに、お昼にカレーを食べようと両親が言ったので、インデアンカレーに行った。

おいしくいただきましたよ~。

ということで、味について語るわけでなし、値段について褒め称えるでもなし、ただ普通にお昼をいただいたのですが、そこには、私の、内地の家族がいたと思いねえ。


ぐるりと対面式で、一通りの顔が見える仕組み、それはいいのだが、私が、夫や子供たちに、小声で簡単に説明していたら、みんながじろじろこちらを見る。

初めて入ったお店なら、知っている人から知らない人に説明ぐらいするだろう。子供もいたのだから、こぼさないようにとか、大きな声は出さないように、って言い渡しておきたい。

特に文句を言われたわけではないのだけれど、通いなれているだろうと思われる(そういうお店なのだし)人たちから、あっちでじろり、こっちでじろりとされてはたまらない。

でも思い返してみると、自分も住まいのあるこっちでは、じろじろ見ていることがあると気がついた。

何で見ているかというと、本当にびっくりするくらい自分の常識を疑うことが起こるからだ。
もちろんしょっちゅうではないのだけど、お店中のお客さんすべての視線がそこに行くくらいの怒声とか、喧騒とか起きると、何が起こったのか??と思う。

悲しい性(というか、みっともない??)で、ついその原因はなんだったのかと聞き耳を立てると、箸が一膳足りなかったとか、お手拭がなかったとかそういうことだったりする。


お手拭といえば、帯広にいるとき、ある大手の居酒屋で、ひとつ足りなかったので、「すいません、お手拭いただけませんか?」と丁寧に言ったつもりだったのだが、怒った様子で投げてよこされた。

どうも、私の、そのせりふが、気にいらなかったらしい。
バカにしたと思ったらしい・・・。

後から後輩に言われた←後輩から言われる私って・・・(笑
「普通に、『ください』」って言えばよかったんでは?」。


どうも、人というものは、小バカにされることが一番腹に立つらしい。

先ほどのお店でのみんなの視線は、いっせいに注がれていることが私の感情をざらりとなぜたのだが、そこには、初めて来店したという、引け目がある。

後のおしぼりの店員さんは、本当はこんな職場ではたらきたくないのに!(想像)という気持ちが隠れていたのかもしれない。←もう20年近く前ですからね、ここ注意。


思いっきりバカにされるときは、自分もやっちまった!と思えるし、やり直すなり、謝るなりの判断に迷うこともないのだけど、小さくバカにされるときは、自分では、何が起こったのかわかってない。
わかっていないのだから判断して後に起こす行動には戸惑いがおきてしまう。

しかし、私が話した例は、考えようによっては小さいことだ。
結果として、カレーはおいしく食べているし、おしぼりは投げられたものの、手元にやってきた。


現実を見ればいい。
ファストフード店で注文を手間取っていれば、誰だってみんなどうしたことかと思う。

おしぼりが一個たりなかったのは、お店側の(担当者の)不手際だ。それに対して遠慮することはなかったのだ。

その現実を見たときに、今の結果を生んだ原因がわかり、物事は何事もなかったかのごとく流れていく。

イライラとは、現実と自分の思惑の違いに起因するのかもしれない。






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