2010年10月10日(日)
感想文「アラバスター」
ゆとり×33
漫画である。
1970年12月から1971年6月まで週間少年チャンピオンに連載された、手塚治虫のダークな作品である。このたび、一巻にまとめられたものが発刊されたので、購入して読んでみた。
手塚治虫、といえば、私は彼の作品を親子2代して楽しんだほうで、たくさんの単行本をそろえた。
鉄腕アトム、火の鳥、ブッダ、七色いんこ、ブラックジャック、バンパイア、どろろ、ワンダー3、ミクロイドS、リボンの騎士、ユニコ(リリカ版)・・・。
大人向けの作品はないところが、なんだかミソではある。
アラバスターは、手塚先生本人が、単行本化を渋っていた作品だという。当時、虫プロダクションの経営がうまく行かないこと、クレオパトラのアニメ化で作者の意見が通らなかったことなどで内面に大きな憂いを抱え、それがあったがために出来上がった作品だと、全集を発刊するから、初めて単行本化になったのだとあとがきに書いてあった。
なかなか単行本にならなかったのは、その救いようのなさからである。
なんというかもう、そういう時代だったのだなと思うのだけど、あちこちに差別が象徴的に書かれている。
コーカソイドは、その他の人種を。
男は女を。
富めるものは貧しいものを。
国はその国民を。
力関係の上にいるものは、下にいるものが、どれだけ踏みにじられているか気にもとめない。そう「される」のが、当然だとでもいいたげだ。
特に、差別主義の象徴でもあるFBI捜査官ロック・ホームの考えや、彼が亜美に行ったしうちは、かなりひどい。
その中で、アラバスターの主題としているものは、美しいものと、醜いもの。
体が美しいといえば、その身体を醜くする。心が美しいと聞けば、その心を試して、わずかな醜さを見出しては、その心にふさわしいように、変える。
例の透明化の技をつかって。
大分あらすじを話してしまったので、これでお話が分かってしまうかもしれない。
海賊のむちうちという話をご存知だろうか。
敵の海賊船を捕らえて、その連中を痛い目に合わせるとき、彼らを丸く並べて、まず弱い力で目の前のものにむちを打たせる。うたれたものは、同じ力で前のものを叩く。それをずっとつなげていく。
それが次第にどんどん強くなって、皆が瀕死の状態になるというのだ。
実際にやってみれば、すべてが瀕死というのは、むちをたたくという行為があるため、そこまでは行かないだろうけど、その場にいた全員が、かなりいたい思いをするのは間違いない。
打つものは打たれるものの痛みは分からないし、打たれたものはうたれた以上の痛みを伝える。
今でも人は、小さな差を見つけ出し、差別をし続ける。その差別は少し大きくなって、また差別されているものにつながる。
そうしなければ生きられないとでもいいたげに。
その差別を止めるには、滅びるしかないようだ、とこの作品はそういう終わりを見せる。
そういった終焉にまさに救いはない。
1970年12月から1971年6月まで週間少年チャンピオンに連載された、手塚治虫のダークな作品である。このたび、一巻にまとめられたものが発刊されたので、購入して読んでみた。
手塚治虫、といえば、私は彼の作品を親子2代して楽しんだほうで、たくさんの単行本をそろえた。
鉄腕アトム、火の鳥、ブッダ、七色いんこ、ブラックジャック、バンパイア、どろろ、ワンダー3、ミクロイドS、リボンの騎士、ユニコ(リリカ版)・・・。
大人向けの作品はないところが、なんだかミソではある。
アラバスターは、手塚先生本人が、単行本化を渋っていた作品だという。当時、虫プロダクションの経営がうまく行かないこと、クレオパトラのアニメ化で作者の意見が通らなかったことなどで内面に大きな憂いを抱え、それがあったがために出来上がった作品だと、全集を発刊するから、初めて単行本化になったのだとあとがきに書いてあった。
なかなか単行本にならなかったのは、その救いようのなさからである。
ミュンヘンオリンピックで6つのメダルを獲得した、ニグロイドのジェームズ・ブロック。
彼は、オリンピックの活躍から、世界に注目されるようになった。そんな中、一人の女優、コーカソイドのスーザン・ロスの美貌にひかれて、彼女に手紙を出す。スーザンは、その手紙を受け取り、二人は頻繁に会うようになった。ジェームズは、スーザンにプロポーズをするが、スーザンは鼻で笑うように彼を退ける。起こったジェームズは、スーザンに対して暴力を働いてしまい、裁判となったが、ジェームズの話に耳を傾ける人は、いない。
彼がニグロイドだから。
刑務所に入れられた彼は、そこで、一人の科学者と出会う。
科学者の研究は、透明でないものを透明にすること。その実験は、ほぼ成功を収め、その装置も出来ていた。そのためにおきた人体実験により、逮捕されていた。ジェームズは、その装置を譲り受け、自分を透明にしようとする・・・。
ここにもう一人の主人公がいる。
亜美という名前の、コーカソイドの少女である。彼女は、その科学者の娘で胎児のときに母が透明化された。その影響で、生まれたときから透明化していき、幼稚園の頃には、すっかり透明になってしまった。
しかし、透明になっているだけで、そこにあるものがなくなったわけではない。
亜美は、おしろいをぬれば、化粧をすれば、可愛い姿でそこに見えるのだ。
その透明になることを、家族以外の他人に知られたことから、亜美とアラバスターは世界を敵に回していくことになる。
なんというかもう、そういう時代だったのだなと思うのだけど、あちこちに差別が象徴的に書かれている。
コーカソイドは、その他の人種を。
男は女を。
富めるものは貧しいものを。
国はその国民を。
力関係の上にいるものは、下にいるものが、どれだけ踏みにじられているか気にもとめない。そう「される」のが、当然だとでもいいたげだ。
特に、差別主義の象徴でもあるFBI捜査官ロック・ホームの考えや、彼が亜美に行ったしうちは、かなりひどい。
その中で、アラバスターの主題としているものは、美しいものと、醜いもの。
体が美しいといえば、その身体を醜くする。心が美しいと聞けば、その心を試して、わずかな醜さを見出しては、その心にふさわしいように、変える。
例の透明化の技をつかって。
大分あらすじを話してしまったので、これでお話が分かってしまうかもしれない。
海賊のむちうちという話をご存知だろうか。
敵の海賊船を捕らえて、その連中を痛い目に合わせるとき、彼らを丸く並べて、まず弱い力で目の前のものにむちを打たせる。うたれたものは、同じ力で前のものを叩く。それをずっとつなげていく。
それが次第にどんどん強くなって、皆が瀕死の状態になるというのだ。
実際にやってみれば、すべてが瀕死というのは、むちをたたくという行為があるため、そこまでは行かないだろうけど、その場にいた全員が、かなりいたい思いをするのは間違いない。
打つものは打たれるものの痛みは分からないし、打たれたものはうたれた以上の痛みを伝える。
今でも人は、小さな差を見つけ出し、差別をし続ける。その差別は少し大きくなって、また差別されているものにつながる。
そうしなければ生きられないとでもいいたげに。
その差別を止めるには、滅びるしかないようだ、とこの作品はそういう終わりを見せる。
そういった終焉にまさに救いはない。
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