20101026(火)

小さな世界のお話。


思うこと、いろいろの続きの話です。
後日談として軽く触れておくことが必要だと思ったからです。

時間がありましたらどうぞお付き合いください。

ツキノワグマについて 

本州でクマといえば、一般的にはツキノワグマです。足柄山の金太郎が馬の稽古をしたクマです。
国のレッドデータに「地域個体群として」載っています。が、県によっては絶滅危惧種ではありません。私の住む地域では現在200頭程度で絶滅危惧ですが、日本海側のある県では、違いました。

当県では保護です。ただし積極的に何かするということではなく、狩猟期間中での狩猟対象からはずせという程度です。しかし、個人の命に関わる場合には、当然発砲可能です。人里まで降りてきて安全を脅かしている場合も同じです。なので実質、保護されいているかどうかはわかりません。クマは言葉を話しませんから。
ただ狩猟期間は、クマが冬ごもりにに入った時期なので、遭遇する可能性は低いと思われます。
ツキノワグマの詳細外部リンク

ヒグマについて
北海道でクマといえば、ヒグマです。
ヒグマの詳細は同じくWIKIで。外部リンク

「地域個体群として」の絶滅危惧種となっています。

ヒグマの恐ろしさは、私には格別です。
私が小さい頃、伯母たちが、それはそれは怖い怪談を語ってくれました。
「玄関の開き戸の上のほうで何かがガタガタ鳴っていた。音が消えて静かになったかと思うと、くぐもった声のようなものが聞こえて、天井を壊しながら、けむくじゃらの大きな腕が入りこみ、一緒に何か長いものが落ちてそこに転がった。転がったものをみると、それは人間の腕で、上を見るとクマが、血の混じったよだれをたらしながら大きな口をあけようとしていた」
・・・とか語ってくれました。
大人になって記述してみたら、どんだけ大きいんだこのクマ。

これが苫前三毛別事件というものを下敷きにしていることは、最近知りました。世界の恐ろしい話というミステリーサイトがあって、そこで想像でまるで凄惨な現場を見たことがあるかのような臨場感で書いてあり、興味をもったのです。
大正時代、冬眠しそこなった大きく飢えたヒグマが、わずか15戸の開拓部落を襲い7人を食い殺し、3人に重症を負わせた恐ろしい事件です。
「ヒグマ+事件」で検索をかけると、いくらでも出てきます。興味があるという方に「ヒグマと事件」外部リンクという、そのままやんかというページをリンクしておきましょう。

ヒグマにはいくつか驚きもありました。
ワシントン条約外部リンク野生動植物の一定の種が過度に国際取引に利用されることのないようこれらの種を保護することを目的とした条約)で生体を扱ってはならないという項目に対象動物として乗っていることもひとつです。

ついでにと思ってみた漢方薬では熊の胆まで乗っていました。熊の胆は、胃腸薬、特に胆石の特効薬だそうです。今その主成分は化学合成できますが、なぜか人は天然ものという言葉に弱いので、今でもそれを欲している人がいます。
熊の胆のWIKI外部リンクでは恐ろしい話も書かれておりました。
クマの胆嚢に直接カテーテルを差し込んで強制的に採取するとか。

実はホッキョクグマとヒグマはDNAが近い外部リンクなどということも見つけました。

(このサイトのトップページはこちら外部リンク)ホッキョクグマといえば実は世界で一番獰猛な動物のひとつといわれています。ホッキョクグマの生息地では、逆に人が避難するところもあるそうです。ホッキョクグマは世界的な絶滅危惧種に指定されているので、保護対象だからです。

対策と取り組みについて
環境省で、「里山というものを作りますよ外部リンク」、という声かけが行われています。
里山は、山間部と、住区域(里)の間に横たわる、広い林、畑のような家の少ない地区です。資料などから想像したものでは、日本テレビで放映している番組のある村に似ています。昔はこういった地帯に、きこりや猟師、炭焼きを行う人が住まっていました。
具体的にいうと、きこりは木を切ります。伸びすぎた枝を払ったり、お互いがお互いの成長を妨げている木を間引いたり、時には、若い苗木を植え替えたりもしました。要するに、人にとって都合のいい使いやすい自然を知らず知らず整備していたのです。整備で出た木はただ捨てられるのではなく、燃料として炭に変えられたりしていました。
冬は里に移ることもあります。豪雪地帯では雪に閉じ込められてしまいますし。夏の間、山で蓄えたものをもってそれを里での生活資金にしたことと思います。
暖かくなったらまた山に仕事に戻ります。
猟師はもちろん狩りです。里山らしい風景が一番似合う時代は、あまり肉食は盛んではなかったと思いますが当然食べたはずですし、捉えた生き物の皮を里に下ろしたりしたことでしょう。

山から里山に下りてきた生き物は、人が刃物を持って追いかけてくるように見えたり、絶えずあがる炭焼きの煙を見て怖がったり、時には、銃を持った人に追われたり。住民の家からは用心のために火も煙も途絶えることはなかったでしょうから、これ以上は進めない、と本能的に悟ったのではないかと考えられています。
里山の発想は、そういった、人と野生の生き物の緩衝地域を設け、互いの距離を離そうという、発想です。

ところが、こういう話があります。
ツキノワグマ事件簿
http://tukinowaguma.net/
こちらのブログは動物写真家さんの、ライブ情報とも言える記録です。
アドレスは張っておきますが、リンクははりません。ライブ情報だけあって、気遣いはされていますが、死んでひどい状態になっている様子も掲載されているからです。

ここでは、ツキノワグマは実は増えている(?)と推測されています。(※1)
それを裏付けるかのような新世代クマという言葉の登場があります。人を恐れていないクマのことなのですが、実は2006年にも同じようにクマが里に降りてきたことがあって、その時すでにこの言葉はありました。

緩衝地帯を設ける発想は、おそらく全国どこでも有効でしょう。
しかし、問題はそこに誰が住むか、です。今クマが出ているところに、好きこのんで住もうと思う人は皆無に近いと思われます。それでなくとも、クマの出やすい地域は過疎地域です。人がそこに住み続けるのに不便だから移っていったのにいまさら戻れるのか?と思います。

真剣に調べては見ましたが、すべての資料が最新であるとは限りませんし、フィールド調査がすぐに反映されているわけでもないし、情報そのものが操作されていることもありますし、私のバイアスが無意識にかかっている可能性もあります。

私個人としては、クマが人の住むところまでやってきて安全を脅かしている、と思えば、殺すことはやむなしです。それは変わりません。
しかし、絶滅まで追い詰めていいものかどうかと考えると、そこにはまたいろいろ知っていかなければならないことがあります。クマが増えているという意見(私も仮説で入れています)もあれば、そうではないという意見もあります。

そんな中に、こういう話もあります。
地球という大きな枠、長い生物の歴史の中では、生物の絶滅は繰り返し、繰り返し行われています。5度の大量絶滅(オルドビス紀末、デボン紀末、ペルム紀末、三畳紀末、白亜期末と、それよりは若干規模の小さい絶滅が数度あった(2005年)といわれているそうです。つまり、人が活発に活動することで野生が滅びていくのは、地球の運命なんだという意見です。
人はそのもてる力、「道具を操る力」で地球の主となりました。環境破壊の面ばかりがクローズアップされていますが、緩衝地帯といわれる里山を作ったのもまた、過去の人達が作り出してきたものです。また、人間が作り出してきた物は、こまめな手入れを行うことによってやっと維持できるものです。
いくらか乱暴な気もしないではないですが、そう考える人がいるのも確かです。

じゃあどうしたらいいのか、と思いましたので、別の部分に入り込んでみることにしました。
これは有名な話なのでご存知の方も多いでしょう。

お釈迦様が、天国と地獄の様子をご覧になっています。地獄では、皆が痩せていて、気が立っております。天の様子もご覧になりました。そこでは、皆ふくよかで笑顔が絶えず、幸せそうな顔をしています。
「天も地獄も、食べる時間や食べるものは同じなのにどうしてこんなに違いが出るのだろう?」
不思議に思ったお釈迦様はそれぞれの食事の様子を見ることにしました。

天国も地獄も1m位の長い箸を使って食事をします。
地獄では我先に食べ物を自分の口に入れようと必死でした。箸が長いために隣の人とぶつかって、せっかくすくった食べ物を落としたり、食べ物が自分の口に入らないのはお前のせい、と喧嘩まで始めて、口はいるのはほとんど僅かでした。

一方、天国での食事は、長い箸で食べ物をつかむのは同じですが、箸先は自分の前に座っている人の口へ運ばれているのです。そうやってお互いにお腹いっぱい食べているのです。
お釈迦様はその様子をご覧になって、「なるほど」と納得されたのでした。

お互いを思いやる気持ちこそが何よりの『宝』だという話だそうですが、私は、人同士には適切な距離があって、その距離を近づけると悲惨なことになるという戒めも入っていると思います。

そしてこの適切な距離という概念は天文学にもあって、ロシュ限界外部リンクというものがあるんです。限界を超えたものは、崩壊、つまり負けたほうは壊れ砕けて滅びます。
土星の輪はそうやって出来たものだろうといわれています。あんなに、綺麗なのに。

結局は・・・・
種としての生き物同士の戦いに早急な解決方法はありません。こっちも向こうも必死です。取引もできません。また、人の「道具を操る力」は人の自然から与えられた力です。逆にいえば、人は道具を操ることしか出来ません。道具を操って環境を変える。過去の里山を思い出すとすべてがマイナスだったわけでもありません。
だから否定する気持ちもありません。野生と人のせめぎあいはこれからも続くことだと思います。

里山にこだわらなくても、互いの適切な距離を保ち続けることができれば、それでおおよそはうまくいくのではないかと思ったりもします。そのための具体策を示し、マニュアルを作り、仕事をつくる。色々条件や考慮しなければならないことや特例もあるでしょう。大きくまとまりとして考えたときには、個という自分を捨てなければならないこともあるでしょう。

具体的な対応はやはり行政にお任せするしかないと思います。私が出来るのは、その「行政」に、天の住人の気持ちを汲んで欲しいと願って行動することくらいです。行政に働きかけていくために、どのような視点をもって、誰を選ぶのか。
それがその地域の人にできることだと思います。


この日記を書くために、多くのかたにお話を伺うことができました。心からお礼申し上げます。また、人の繁栄の影で亡くなった、多くの生き物たちの冥福を祈ります。
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(※1)写真家さんが活動している地域






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