20081014(火)

専守防衛(7)

物語×41

(続き)

子どもが大きくなり、個の尊重を考え始めると、その部分が大きくのしかかってくるようになってきた。
なにしろ、子どもの成長は早い。
大人にとって5年は日常の長さでしかないのに、子ども達にとっては全く違う。

その成長の速さと、家族の連携の遅さのつりあわないじれったさにサユリは歯がゆい思いを何度もした。

成長に合わせて、掃除や片づけなど身の回りのことをきちんと教えてあげたいけれど、やっぱりここでは、最初のころのような、間に合わせのやっつけに戻っていた。

戻らされていたかもしれない。

あちこちで子どもに「丁寧に」とか「一緒に片付けよう」などといわれても、当然あるべきはずのものがないのに、そこを切り離して何とかするという小器用なことはサユリには出来なかった。

一時が万事、行き届き過ぎる傾向のある母である。

「私はね、『どうしても実家に戻る』、とあなたが言うから、それでもいいと思ったのよ。でも、この台所に、以前使っていた食器棚が置けないの、もうすぐ子どもの学習机を用意しなくちゃならなくなるのに、どうしたらいい?・・・・そう、今の食器棚のある場所に置くつもりなのね?じゃあ、あの食器棚はどうするの?・・・・以前から、話していたでしょう?買い替えも考えたよね、けど、結局はこのままにしていたじゃない。間に合わせの、この食器置き場も、居酒屋みたいで嫌いではないけど、棚が少なすぎる。・・・・あなたは、ずっと放っておいたでしょう?小さい子供をあやしながら、『しなくちゃしなくちゃ』と言いながら、『手伝うよ手伝うよ』と言って、もう5年経つのよ?」

サユリが言っている間、サトルは下をみて返事に困っていた。
下手なことをいうと、サユリは突っかかってくる。
それがサトルには怖くてたまらなかった。
言葉の使い方を間違えて油を注いだ失敗はたくさんあった。
サユリの丁寧なところは好ましいけれど、過ぎて神経質になると、サトルには手も足も出ない。

やはり一時が万事、行き届き過ぎる傾向のある嫁でもあるのだ。

どこでやめさせたらいいのか、
やめるように言うべきか考えているうちに、サユリはひとり先走って、つっかかってくる。
サユリの不満は自分たちのことだけはない。
義両親の住まいにもあった。

「あのね、家を建てたローンだって、私たちは半分以上を払ってるよ?きちんと光熱費も折半で払ってる。あなたの親世帯と、私たちとでは、生活のリズムが違うから、台所が別っていうのは嬉しいよ?でも下はあんなに広くてゆったりしているのに、なんで私たちは汲々としているの?子どもたちに居場所を与えて私たちはどこに行くの?どうして私たちだけが我慢しなくちゃいけないの?」

私たちというのは、わかっていた。
よっぽどに広い賃貸でなければ、サトルが楽しむための部屋を取れない。

実際に賃貸のとき、サトルの部屋は無かった。

サユリは家にいて、家事をしたり、子どもの事をしたりするために畳1畳ほどの空間を確保しても、サトルには、決まった場所はなく、何かをするときは、開いた場所を使うのだ。

もちろん使うときには、すぐ空けられる様にしてはいたが、それは、なんだか、サトルの居場所が無いようで悲しくもあった。居場所がないんじゃないかと思うことがひたすらに悲しくてたまらなかった。

新しい自分の建て直した家に来ても、ちゃんとした部屋はあたらなかった。
でも人のいいサトルだから、将来人が少なくなったら、あたるだろうからと、それで満足なのだという。

世の中は、対等でもなく、平等でもない。
自分の居場所を確保するために声高に騒ぐ人もいる。そう思うと、サユリはサトルにも同じように、居場所を作りたい。
だからサユリは出来るだけサトルと話し合って、待てるところは待ってきたのだ。


とはいえ、さすがにサユリもの堪忍袋の尾も切れ掛かっていた。

兆候は以前から出ていた。
引っ越してすぐ、新しい家族との目に見えない何かプレッシャーなどを感じたりした。
それは期待というものではなく、変わらなければならない、義両親の思いのようなものだと今でも思う。

また、家を離れれば、児童を子どもをとりまく環境の激変や、以前とは違った、研究された幼児の子育て論を聞けば聞くほど、自分には親の資格がないと思えてくるのだ。
ほんの6年の間に、180度変わっているような話を聞くことさえあった。

それが出来ないのは、親で居られない、親ではないと宣告されているような気がするのだ。

人は勝手に、自分の思うところを言う。

それを頭ではわかっていても、「人の言う事を聞きなさい」と育てられたサユリには、そこに抵抗することがためらわれた。

そういった目に見えないものに押しつぶされて、突っかかる回数が増え、いいがかりではないけれど、口調のきつくなるときが増えた。

サトルはサユリをそのたびに、なだめてきたのだが、今回ばかりはダメだった。
なんとかしようという思いだけが上滑りし、空回りする。泣くでもなく怒るでもなくサユリは食卓の上に突っ伏している。
サトルは、もう見つめるしか出来なかった。
決して無視してきたわけではない。
でも、サトルはそのつもりでも、「結果的に無視だった」と思わされれば、かける言葉も見つからない。

水面に浮かんだ氷の7割が沈むように、見える部分は理解できても、見えない部分はもっと大きいのだろう、見える部分がこれだけのエネルギーを抱えているのなら、見えない部分はもっとすごいのだろう。

「何も出来ない」とサトルは押し込められたように思った。

サユリはそれが嫌だった。

「何も出来ない」と閉じこもらないで、なぜ「何もしなかった」と感じないのか。
出来ることとすること、サユリは必要十分条件であって、サトルには出来ることは十分条件なのだ。

その違いは、男女の、考え方の、見かたの、動き方の、さまざまな違いでどうにもならないのかと、これほどまでに相手のことを思っているのに、と一層サユリを打ちのめした。
サトルの居場所を守るために、自分の居場所をないがしろにしてきた思った瞬間、胸に激痛が走った。

その痛みから、サユリは、声にならない、恐怖を引き起こすような癇癪を興し、その場から逃げ、心配して追いかけてくるサトルを無視して、布団にもぐった。


こんなに不満が募って、始終面白くない気持ちになるのなら、義両親たちと仲たがいする覚悟で別棟にすべきだったと思う。
同時に、反目しながら暮らしたほうがよかったんだろうか、と打ち消す自分もいる。

いやそれより、いやそれより。

延々と続く変えられない過去を悔い、その気持ちに溺れきって疲れ、サユリの肉体としての脳が先に参ってしまっていった。

(続く)






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