2008年10月24日(金)
専守防衛(12)
物語×41
(続き)
何故私は、あの二人がレジに並ぶと思ったのだろう。
売り場を曲がっていって姿が見えなくなっただけで、その先は、私は見ていないことなのに。
もしかしたら、女の子の気持ちを組むチャンスを上げて、またお菓子売り場に行ったかもしれないのに。
いや、あんまり我が強くなっても困ることになるから、今回はきちんと判らせるために心を鬼にして向き合って話しているかもしれないのに。
あるいは、今考えたとおりに、レジに行っているかもしれないのに。
なのに、何故私は、あの二人がレジに並ぶと思ったのだろう。
こういうとき、幼いころのサユリの言い分は、わがままとして一喝を受けた。
泣けば、泣いてばかりとまた責められた。
いつまでもいつまでも許されること叱責。言わなければよかったと、自らをなくしたほうがいいとさえ思わせるほどの責め苦だったのだろうか。
そうでもあるような、そうでもないような。正確にはどんなことがあったのかなんて覚えてもいやしない。でも、そのときに自分の中に湧き上がった何かは離れることもなく、染み付いているのだった。
「母親がレジにいく」と思ったのは、サユリの中にすでにある、出来上がった積みあがったパターンから起る動き、なのだ。
はじめて気が付いた。
そう思うと、サユリは多くのものにずいぶん縛り付けられているものだと思った。
夫に、夫の家族に、自分の家族に、子ども達に、家に、家そのものに。
自分の一番身近なところを探ってみても、あっというまにこれだけ思いつく。
いつだって人の選んだものを大人しく受け入れるよう飼いならされたのはなぜか、と自分に問うた。
大人しくて、言う事をよく聞いてきたのは、大きな声で怒鳴られたくないから。
我慢するのは、聞かないと、酷い目にあわされると思ったから。
だって、言う事を聞いてもこれだけ酷い目にあわされるのなら、聞かなければもっと酷い目に合わされるのではないか。
酷い目にあわされるかもしれない・こわい・あわされたくない・こわい。
こわさばかりだ。
だから、サユリはいやだと思うことも受け入れた。
でも、そのことで心を捻じ曲げたような気もした。
あなたはこうであるべきなの
親に従え、結婚しては夫に従え、老いては子に従え。
いつになったら、私は報われるの?
いつになったら、私の望んでいることは実るの?
いつになったら・・・・。
さっきのテレビの言葉がよみがえった。
「戦争のひどさもさることながら、戦争の後の酷さはもっと酷かった。一体誰がこんな風にしたんだ」
サトルとの間の、今の状態も酷いが、このままで行けば、もっと酷いことになるだろう。
誰がこんな風にしたのかと問われれば、サトルでありサユリであることには間違いないけれど、サユリとサトルそのものというよりは、変わって行くことを拒否した、過去のこだわりの部分に起因するような気がしてくるのだった。
こだわりとは何かといえば、サユリは実家に暮らすといわれたのに、7年近くも待った上、ようやく落ち着くかと思ったことが、全く落ち着かなかったこと。
サトルは長男だから、実家に戻らなくてはいけないと盲目的に思っていたこと。
その思いをどこかで断ち切れば、ここまで酷いことにならなくて済んだはずなのに、サユリはそれを無理して受け入れることで心を捻じ曲げ、サトルは、そのことに気が付かなかった。
捻じ曲がった気持ちは行動にも考えにもねじれをおこし、二人の間はますますねじれ。
工夫に工夫を重ねたけれど、根本的に解決しなかった、最初に聞いていなかった、あのカウンターの張り出し。もうサユリには耐え切れない。
些細なことかもしれないけれど、本当に些細なことなのだけど、それに心をとらわれている。忘れることも出来ないほどに強調してくる、そのあつかましさったらとんでもないとまるで憎んでいるかのようだ。
サユリが何かを要求しているといえば、その張り出しが要らないと言いたいのだ。
でも、要らないと言う事は難しい。あったっていいじゃない、といわれるのが常だ。
せっかく綺麗なのだから、せっかく作ってもらったのだから、せっかく、せっかく、と綺麗な言葉に騙されたような気持ちさえする。余計なものを背負い込んで、自分がおかしくなってしまえば、本末転倒なのに。
要らないというのに、どれだけ勇気がいるものかと思う。
些細な張り出し。
だけどその些細さが、ここまで苦しいことになると誰が思っただろう。些細だと皆が思ったからこそ、サユリは、言い出せなかった。引け目に思っていた。
引け目を感じたら、惨めになる。惨めだと助けて欲しくなる。いかにも私は辛いとアピールしたくなる。
でも惨めさを晒したところで、誰も助けてはくれない。惨めな気持ちでいるならば、そこから全ては離れていく。
現実を見たって、子どもだって付いてこないではないか。
自分を守るために、自分の弱さを晒す。
それは、とても楽であり、またたいした努力もしないで得たいものを得ることも出来る。
でも、弱さをさらけ出すというのは、相手に自分の身をゆだねる事だ。
ゆだねて、幸せであるうちはいい。
でも、不幸せになったらどうするのだ?どう感じたらいいのだ?
自分を棚上げにして、相手を責めてもいいのか、己の弱さを例えとして、正当化していいのか?
弱さとは何か?それでは強さとは何か?
―モッパラ他カラノ侵入・奪取ヲ防ギ守ル事ヲ守ル―\r
(続く)
何故私は、あの二人がレジに並ぶと思ったのだろう。
売り場を曲がっていって姿が見えなくなっただけで、その先は、私は見ていないことなのに。
もしかしたら、女の子の気持ちを組むチャンスを上げて、またお菓子売り場に行ったかもしれないのに。
いや、あんまり我が強くなっても困ることになるから、今回はきちんと判らせるために心を鬼にして向き合って話しているかもしれないのに。
あるいは、今考えたとおりに、レジに行っているかもしれないのに。
なのに、何故私は、あの二人がレジに並ぶと思ったのだろう。
こういうとき、幼いころのサユリの言い分は、わがままとして一喝を受けた。
泣けば、泣いてばかりとまた責められた。
いつまでもいつまでも許されること叱責。言わなければよかったと、自らをなくしたほうがいいとさえ思わせるほどの責め苦だったのだろうか。
そうでもあるような、そうでもないような。正確にはどんなことがあったのかなんて覚えてもいやしない。でも、そのときに自分の中に湧き上がった何かは離れることもなく、染み付いているのだった。
「母親がレジにいく」と思ったのは、サユリの中にすでにある、出来上がった積みあがったパターンから起る動き、なのだ。
はじめて気が付いた。
そう思うと、サユリは多くのものにずいぶん縛り付けられているものだと思った。
夫に、夫の家族に、自分の家族に、子ども達に、家に、家そのものに。
自分の一番身近なところを探ってみても、あっというまにこれだけ思いつく。
いつだって人の選んだものを大人しく受け入れるよう飼いならされたのはなぜか、と自分に問うた。
大人しくて、言う事をよく聞いてきたのは、大きな声で怒鳴られたくないから。
我慢するのは、聞かないと、酷い目にあわされると思ったから。
だって、言う事を聞いてもこれだけ酷い目にあわされるのなら、聞かなければもっと酷い目に合わされるのではないか。
酷い目にあわされるかもしれない・こわい・あわされたくない・こわい。
こわさばかりだ。
だから、サユリはいやだと思うことも受け入れた。
でも、そのことで心を捻じ曲げたような気もした。
あなたはこうであるべきなの
親に従え、結婚しては夫に従え、老いては子に従え。
いつになったら、私は報われるの?
いつになったら、私の望んでいることは実るの?
いつになったら・・・・。
さっきのテレビの言葉がよみがえった。
「戦争のひどさもさることながら、戦争の後の酷さはもっと酷かった。一体誰がこんな風にしたんだ」
サトルとの間の、今の状態も酷いが、このままで行けば、もっと酷いことになるだろう。
誰がこんな風にしたのかと問われれば、サトルでありサユリであることには間違いないけれど、サユリとサトルそのものというよりは、変わって行くことを拒否した、過去のこだわりの部分に起因するような気がしてくるのだった。
こだわりとは何かといえば、サユリは実家に暮らすといわれたのに、7年近くも待った上、ようやく落ち着くかと思ったことが、全く落ち着かなかったこと。
サトルは長男だから、実家に戻らなくてはいけないと盲目的に思っていたこと。
その思いをどこかで断ち切れば、ここまで酷いことにならなくて済んだはずなのに、サユリはそれを無理して受け入れることで心を捻じ曲げ、サトルは、そのことに気が付かなかった。
捻じ曲がった気持ちは行動にも考えにもねじれをおこし、二人の間はますますねじれ。
工夫に工夫を重ねたけれど、根本的に解決しなかった、最初に聞いていなかった、あのカウンターの張り出し。もうサユリには耐え切れない。
些細なことかもしれないけれど、本当に些細なことなのだけど、それに心をとらわれている。忘れることも出来ないほどに強調してくる、そのあつかましさったらとんでもないとまるで憎んでいるかのようだ。
サユリが何かを要求しているといえば、その張り出しが要らないと言いたいのだ。
でも、要らないと言う事は難しい。あったっていいじゃない、といわれるのが常だ。
せっかく綺麗なのだから、せっかく作ってもらったのだから、せっかく、せっかく、と綺麗な言葉に騙されたような気持ちさえする。余計なものを背負い込んで、自分がおかしくなってしまえば、本末転倒なのに。
要らないというのに、どれだけ勇気がいるものかと思う。
些細な張り出し。
だけどその些細さが、ここまで苦しいことになると誰が思っただろう。些細だと皆が思ったからこそ、サユリは、言い出せなかった。引け目に思っていた。
引け目を感じたら、惨めになる。惨めだと助けて欲しくなる。いかにも私は辛いとアピールしたくなる。
でも惨めさを晒したところで、誰も助けてはくれない。惨めな気持ちでいるならば、そこから全ては離れていく。
現実を見たって、子どもだって付いてこないではないか。
自分を守るために、自分の弱さを晒す。
それは、とても楽であり、またたいした努力もしないで得たいものを得ることも出来る。
でも、弱さをさらけ出すというのは、相手に自分の身をゆだねる事だ。
ゆだねて、幸せであるうちはいい。
でも、不幸せになったらどうするのだ?どう感じたらいいのだ?
自分を棚上げにして、相手を責めてもいいのか、己の弱さを例えとして、正当化していいのか?
弱さとは何か?それでは強さとは何か?
―モッパラ他カラノ侵入・奪取ヲ防ギ守ル事ヲ守ル―\r
(続く)
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