2008127(日)

もらったプリント

考察×22

昨日、子どもの通う幼稚園で保護者会があって、気になるプリントを頂いた。

ひところ、「友達親子」が理想とされるような風潮がありました。「大人と子どもは平等な存在であり、親が子どもに強制するのはよくない。子どもの自立や自己決定権を重視しよう」という考えが強くなってしまったのです。何でも話し合って、子どもの意見も尊重してみんなで決めるのがよい家庭だなんて、とんでもありません。このような考え方こそ、家庭における、「しつけ力」を低下させてしまった一因です。
 子どもは大人に、生きていくうえでの「基準」を求めています。「ダメなものはダメ!」「よそはよそ、うちはうち!」ときっぱり言ってほしいのです。それがその後の人生の軸になっていくのです。
 ところが今は「親子で嫌な思いをしたくない」という気持ちでいる大人が多いようで、親としてのけじめを見せられず、ずるずると物わかりよく許しているうちに、子どもは「自分が一番偉いんだ」という「幼児的万能感」をつぶすことができないまま成長してしまいます。
 20年後には、「自分の意見が通らない世の中はおかしい」「周りがアホだから働けない」というような、立派な引きこもり中年のできあがりです。
勉強ができるだけで褒められて育ち、社会に出てからしかられた途端に、ポキンと折れる・・・。自分の子供を、そんな付与わな人にしてはいけません。なんと言っても、いちばんかわいそうなのは本人だからです。
 風が吹いたら消えてしまう炎ではなく、吹き付ける風に逆に燃え上がる炭火のような魂をどう育てるかが、幼児期から児童期にかけての課題です

10歳までが勝負!「生きる力」をはぐくむ子育てより。
 高濱正伸著

これを書いた人は、周囲に、多くの
「自分の意見が通らない世の中はおかしい」
「周りがアホだから働けない」というような、立派な引きこもり中年をたくさん見てきたのだろう、と思われる。

書いている人自身もそういうことを言ったかもしれない。

「書いてあるもの」というのは、均等なものではない。

自分の思いを伝えるために、技巧に優れたものはレースをつけるかのように優雅に強調をしてくるし、優れないものはいきなり泥を投げつけてくるような恐ろしさがある。

私自身は、こういう書き物が好きでよく読むが、それが自分に当てはまるかというと、そうでもない。参考は参考としていただくが、目を光らせて子ども達を見ていれば、とんでもない事件が起こる前に、まず家の中で訓練できるし、実際起こらない。

ふっかけられて抑制が効かないということは子どもなのであるが・・・。(笑)

私はそれに直接は出て行かない。
しかし家の中ではすごいのだ、相手の悪口を言ったり怒ったり、けなしてみたり。
そうすると逆に子ども達はちゃんと相手のいいところを見つけてくる。

たまに見つけられない相手もいるようで、そのときは、一旦距離を置けと言い渡してきた。

来春小学校を卒業する娘は、おかげさまで学校ではトラブルに巻き込まれながらも、多くの人の関わりの中でそれなりに育ってきた。

今度は息子の番である。

彼はおそらく同じやりかたは通用しないだろう。
息子と娘は別の人間であり人格であるからだ。

育てる側が変化に柔軟に対応できること、それが一番だと思っている。
私が育ってきた軸は変わらないが、対応は変えられる。

過去は変えられないが、現在は変えられるのだ。

子どもに、自己コントロールする術を教えること。
一旦飲み込んでそこから行動するたくましさを育てること。
それが親の役割だと思っている。

そのためには、自分も同じ事をしなくてはならないときもあるだろう。

自分が変わらないのに、子どもばかり変えようとしたって、それはただの押し付けに過ぎず、ただ反発を生むだけなのだから。







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