2009年1月2日(金)
枯(1)
物語×41
“ | 創作です。 分割していますので、気長にお付き合いくださればありがたく思います。 |
花だけで出来た鞠(まり)。
江戸の末期に突然出来た染井吉野は、花びらだけでできた薬玉のように花を咲かせる。サクラの花の色目には濃い色もあれば、完全な白もあるけれど、ソメイヨシノはどちらかというと白に近い。カップ一杯のミルクの中にほんの一滴だけ食紅を入れたよう、とハルは思う。
サクラにはいろいろな種類がある。山桜、彼岸サクラ、大島桜・・・。野生種もあれば、園芸種もある。特にソメイヨシノは、街路樹や公園樹にも多く使われて、一番目に付くかもしれない。好き嫌いは別にして。
ソメイヨシノは、他のサクラと違って寿命が短いという。
成長が速い分、老化が早いのだとか、接木によって増やされるので、台木が腐り、それが寿命を縮めるのだとも言われているそう。
ハルは、それほどサクラが好きなわけではなかった、以前は。
サクラといえば、葉っぱと花が一緒にちまちまと出てきて、あっという間に葉っぱが茂り、夏になれば毛虫が糸にぶら下がる、嫌な木。その他には桜餅の葉、サクラ湯の中の塩漬けの花、滅多に口に入らない果物、さくらんぼ。
そんなことしかハルには思いつかなかった。
ハルが好きだったのはダケカンバ。山の斜面のごつごつした岩場に斜めに出て、上にまっすぐ伸びる、あの、たくましさが好きだった。
父の仕事のついでに遊びにつれて行って貰うとき、北海道の背骨のような山脈を通るときは砂利とトンネルばかりの道だった。つり橋もありそこを揺れながら通るときの怖さ、楽しさ。崖のすれすれを通るたびに、落ちるのではないかとひやひやし、怖さに耐えて窓から下を見れば、つり橋の下は、川が曲がりくねって流れていた。
そしてダケカンバは、崖を隠すように堂々と生えていた。夏には濃い緑の葉をつけ、その下はひんやりと涼しそうな、うっそうとした茂り方。
もしかしたら木の魅力そのものより、あの風景が好きだったのかもしれないと思う。
そんなだから、ハルは度肝を抜かれたのだった。
思わぬ縁で内地に嫁ぎ、迎えたはじめての春、実際にソメイヨシノをみた。近所の桜並木をみた。それまで桜並木を見たことがなかったわけではない。テレビで見たことはあった。
間近で見る本物の桜は、ソメイヨシノは、花だけがまず咲き揃い、ある意味異様ともいえる様子で、全てを桜色に染め、生き物がうきうきとした気持ちを抑えるのに苦労するような雰囲気がある。
もちろん人々の心をも桜色に染めて悩ませる、それほどの華やかさ、絢爛さ。
満開となって晴れた日には、桜の花の下は極楽と言えるような彩をもち、そのいろどりは夜になれば、漆黒の中に存在を際立たせるような妖しさを解き放つ。
淡い、白い炎を上げて燃え盛る、冷たい炎のような風情は、日本人に、老いも若きも、桜の花を愛で、歌につづり、物語に残した。
近所のサクラでも人を魅了してやまないのだから、名所といわれるところでは、もっとすごいのだろうと想像するのも易しかった。
そんな内地のサクラを見た初めての春、ハルの夫となった人は、
「ハルはサクラに似ている」
と言った。
目の当たりに美しい花を見て、それに例えられていることを、ハルはただうれしいと思った。
今日、ハルは、病院に来ていた。
受付を済ませて、プラ製のファイルケースに入った個人情報―中身は、いわゆるカルテだろうか―を受け取って、中待合室で診察の順番を待っていた。
名前を呼ばれ、ドアを開けて診察室に挨拶して入ると、先生は挨拶もそぞろに、驚いたように口を開いた。
「君、どうしちゃったの?一体何があったの?」
血液検査の結果が書かれた紙切れに目を遣りながら、定年はもう少し先の、年上の信頼できそうな先生はハルの顔をちらりと見て、たずねた。
先生ですら思いがけない患者なんだな、とハルは思わず苦笑いしないではいられない。
ハルは、いろいろあったんです、と答えながら、心を、意識を記憶の底のほうに沈めて行った。
永遠に光の当たらない深海のような、簡単には探りきれない記憶の中に。
(続く)
江戸の末期に突然出来た染井吉野は、花びらだけでできた薬玉のように花を咲かせる。サクラの花の色目には濃い色もあれば、完全な白もあるけれど、ソメイヨシノはどちらかというと白に近い。カップ一杯のミルクの中にほんの一滴だけ食紅を入れたよう、とハルは思う。
サクラにはいろいろな種類がある。山桜、彼岸サクラ、大島桜・・・。野生種もあれば、園芸種もある。特にソメイヨシノは、街路樹や公園樹にも多く使われて、一番目に付くかもしれない。好き嫌いは別にして。
ソメイヨシノは、他のサクラと違って寿命が短いという。
成長が速い分、老化が早いのだとか、接木によって増やされるので、台木が腐り、それが寿命を縮めるのだとも言われているそう。
ハルは、それほどサクラが好きなわけではなかった、以前は。
サクラといえば、葉っぱと花が一緒にちまちまと出てきて、あっという間に葉っぱが茂り、夏になれば毛虫が糸にぶら下がる、嫌な木。その他には桜餅の葉、サクラ湯の中の塩漬けの花、滅多に口に入らない果物、さくらんぼ。
そんなことしかハルには思いつかなかった。
ハルが好きだったのはダケカンバ。山の斜面のごつごつした岩場に斜めに出て、上にまっすぐ伸びる、あの、たくましさが好きだった。
父の仕事のついでに遊びにつれて行って貰うとき、北海道の背骨のような山脈を通るときは砂利とトンネルばかりの道だった。つり橋もありそこを揺れながら通るときの怖さ、楽しさ。崖のすれすれを通るたびに、落ちるのではないかとひやひやし、怖さに耐えて窓から下を見れば、つり橋の下は、川が曲がりくねって流れていた。
そしてダケカンバは、崖を隠すように堂々と生えていた。夏には濃い緑の葉をつけ、その下はひんやりと涼しそうな、うっそうとした茂り方。
もしかしたら木の魅力そのものより、あの風景が好きだったのかもしれないと思う。
そんなだから、ハルは度肝を抜かれたのだった。
思わぬ縁で内地に嫁ぎ、迎えたはじめての春、実際にソメイヨシノをみた。近所の桜並木をみた。それまで桜並木を見たことがなかったわけではない。テレビで見たことはあった。
間近で見る本物の桜は、ソメイヨシノは、花だけがまず咲き揃い、ある意味異様ともいえる様子で、全てを桜色に染め、生き物がうきうきとした気持ちを抑えるのに苦労するような雰囲気がある。
もちろん人々の心をも桜色に染めて悩ませる、それほどの華やかさ、絢爛さ。
満開となって晴れた日には、桜の花の下は極楽と言えるような彩をもち、そのいろどりは夜になれば、漆黒の中に存在を際立たせるような妖しさを解き放つ。
淡い、白い炎を上げて燃え盛る、冷たい炎のような風情は、日本人に、老いも若きも、桜の花を愛で、歌につづり、物語に残した。
近所のサクラでも人を魅了してやまないのだから、名所といわれるところでは、もっとすごいのだろうと想像するのも易しかった。
そんな内地のサクラを見た初めての春、ハルの夫となった人は、
「ハルはサクラに似ている」
と言った。
目の当たりに美しい花を見て、それに例えられていることを、ハルはただうれしいと思った。
今日、ハルは、病院に来ていた。
受付を済ませて、プラ製のファイルケースに入った個人情報―中身は、いわゆるカルテだろうか―を受け取って、中待合室で診察の順番を待っていた。
名前を呼ばれ、ドアを開けて診察室に挨拶して入ると、先生は挨拶もそぞろに、驚いたように口を開いた。
「君、どうしちゃったの?一体何があったの?」
血液検査の結果が書かれた紙切れに目を遣りながら、定年はもう少し先の、年上の信頼できそうな先生はハルの顔をちらりと見て、たずねた。
先生ですら思いがけない患者なんだな、とハルは思わず苦笑いしないではいられない。
ハルは、いろいろあったんです、と答えながら、心を、意識を記憶の底のほうに沈めて行った。
永遠に光の当たらない深海のような、簡単には探りきれない記憶の中に。
(続く)
コメント(0件) | コメント欄はユーザー登録者のみに公開されます |
コメント欄はユーザー登録者のみに公開されています
ユーザー登録すると?
- ユーザーさんをお気に入りに登録してマイページからチェックしたり、ブログが投稿された時にメールで通知を受けられます。
- 自分のコメントの次に追加でコメントが入った際に、メールで通知を受けることも出来ます。