2009年1月6日(火)
枯(4)
物語×41
(続き)
直前まで勤めていたハルの職場は剣道防具を販売し修理するところだった。
仕事は好きだった。針を使って、しっかりじっくりと防具のほつれや、甲手に張られた内皮の穴をふさいだり、また取り替えたりするのは楽しかった。
使って、使って、使いこなして、愛着も出て、それをなお使いたいと思う人の気持ちは、ハルには、永年のパートナーとの関係を、永く保とうともすることと似ていると思い、この仕事は、そのお手伝いだとも思った。だがそれは全てあまったるい理屈。続けていくことすらハルには困難なところだった。
面接のときに会った、社長と専務は
「仕事をしてもらう時間は自由に決めて構いません。パートのリーダーがいるから、言う事を聞いてやっていってください。」
家の近所にあったその場所で採用されてハルはほっとした。収入を得ることと、育児をすることとは背反するような世の中だから。今は子供のほうに手をかけたい。
わがままな望みかもしれないが、そのやりかたで仕事をしている人は、身近には少ないわけではなかったので、それは普通のこととして深くも考えなかった。
「ただ、個性の強い人が多いので何かあったら言ってきてください」
だから、その後に続いた言葉をハルはなんのことかと思った。
面接の後、作業場に行き皆さんを紹介してもらってハルは瞬間ぞっとした。みんなハルより年上に見えた。言い方は悪いがおばさんたちばかりが、辛気臭い感じで仕事をしていた。その中で一番どっしり構えていたのがアキさんで、第一印象は怖かった。皆が談笑している中でも、アキはひとり淡々と仕事をこなし、おしゃべりにも耳を貸さないでいたのでさらに印象は強かった。
ハルより10歳以上の年上で、背の高いすらりとした段位取得者。アキは剣道をしていて、その縁でここに来ていた。また彼女は、修理部門が設立された頃からいる人でもあって、垂れや面についている飾り紐も組みなおしたりできる人だった。アキさんの手にかかると、これがさっきまでボロだったもの?と思うものがゆっくりと、だが確実に綺麗に格好良く仕上がっていく。それをハルはとても嬉しいことだと思った。そしてアキさんのような仕事をしたいと、そんな風になりたいと思った。
ところが、人の評価とはそこでは違うものなのだ。
アキさんのように仕事をしたいと願うものは、同じ仕事を受け持つパート仲間からいじめられ、仲間にも入れてもらえないということでもあった。ハルは過去のそこでの経緯などまるで知らない。だから、そんなことに微塵も気がつかなかった。
アキさんは、ここでハルの性格と細やかさと才能を買ってくれたただ一人の人で、ずいぶん可愛がってくれたが、結局は裏切った形になってしまったことをハルは今でも悔いている。
修理部門は、会社にとって大きな利益をもたらす部門ではなかった。
一度買っていただいたお客様のアフターサービスのような部分がまだ大きかったからだと勤めているうちに理解したが、材料にもよるかもしれない。
個人で剣道をしている人は、子どもでも大人でも、質の良いものを持っていたりするので、修理にもお金を惜しまない傾向が強い。日本古来の伝統に従えば、防具のあちこちに使われている皮は合成皮革ではなく鹿の本革だ。けれど鹿が飼いならされていると、関東では聞いたこともない。でも、野生の鹿を取るばかりでは価格も非常に高いはずだろうと思う。実際、衣料品としての素材としての鹿皮は超高級品だと、東京西日暮里の繊維街に行ったときに知った。
しかしそういうものばかりではない。学校の備品なども来る。もともとの素材が良くない上に、子ども達の乱雑さでもまれ、また古いものも多く、修理は意外と難しく手の込んだものになるのに関わらず、費用は安かった。それでも、修理をするのは、修理の腕を見せ付けることで、次に新しいものを買っていただく基準のひとつとしてみてもらいたいという期待もこもっていた。
パートの先輩達がハルの入るそれまで、どんな風に仕事をしていたのか、ハルは知らない。というより知らされなかった。知らされても意味はないのかもしれないが、話ができなかった。仕事中にぺらぺら話すのは論外だとしても、お昼休みでさえも気が抜けない感じだった。
リーダーとハルはそりが合わなかったのだろう。それでも、仕事の仲間として入れてもらおうと努力はした。でも、実らなかった。正確に言えば、ハルは職場の仲間に敬意を払ったが、リーダーはハルを一切認めようとしなかった。
しかも、それを冗長させる人が二人もいた。
最初は、それほどでもなかったと思っている。
だが、女の嫉妬が、おそらく嫉妬のようなものが、ハルとリーダーをとりまく人たちとの関係を急速にこじらせて行った。
(続く)
直前まで勤めていたハルの職場は剣道防具を販売し修理するところだった。
仕事は好きだった。針を使って、しっかりじっくりと防具のほつれや、甲手に張られた内皮の穴をふさいだり、また取り替えたりするのは楽しかった。
使って、使って、使いこなして、愛着も出て、それをなお使いたいと思う人の気持ちは、ハルには、永年のパートナーとの関係を、永く保とうともすることと似ていると思い、この仕事は、そのお手伝いだとも思った。だがそれは全てあまったるい理屈。続けていくことすらハルには困難なところだった。
面接のときに会った、社長と専務は
「仕事をしてもらう時間は自由に決めて構いません。パートのリーダーがいるから、言う事を聞いてやっていってください。」
家の近所にあったその場所で採用されてハルはほっとした。収入を得ることと、育児をすることとは背反するような世の中だから。今は子供のほうに手をかけたい。
わがままな望みかもしれないが、そのやりかたで仕事をしている人は、身近には少ないわけではなかったので、それは普通のこととして深くも考えなかった。
「ただ、個性の強い人が多いので何かあったら言ってきてください」
だから、その後に続いた言葉をハルはなんのことかと思った。
面接の後、作業場に行き皆さんを紹介してもらってハルは瞬間ぞっとした。みんなハルより年上に見えた。言い方は悪いがおばさんたちばかりが、辛気臭い感じで仕事をしていた。その中で一番どっしり構えていたのがアキさんで、第一印象は怖かった。皆が談笑している中でも、アキはひとり淡々と仕事をこなし、おしゃべりにも耳を貸さないでいたのでさらに印象は強かった。
ハルより10歳以上の年上で、背の高いすらりとした段位取得者。アキは剣道をしていて、その縁でここに来ていた。また彼女は、修理部門が設立された頃からいる人でもあって、垂れや面についている飾り紐も組みなおしたりできる人だった。アキさんの手にかかると、これがさっきまでボロだったもの?と思うものがゆっくりと、だが確実に綺麗に格好良く仕上がっていく。それをハルはとても嬉しいことだと思った。そしてアキさんのような仕事をしたいと、そんな風になりたいと思った。
ところが、人の評価とはそこでは違うものなのだ。
アキさんのように仕事をしたいと願うものは、同じ仕事を受け持つパート仲間からいじめられ、仲間にも入れてもらえないということでもあった。ハルは過去のそこでの経緯などまるで知らない。だから、そんなことに微塵も気がつかなかった。
アキさんは、ここでハルの性格と細やかさと才能を買ってくれたただ一人の人で、ずいぶん可愛がってくれたが、結局は裏切った形になってしまったことをハルは今でも悔いている。
修理部門は、会社にとって大きな利益をもたらす部門ではなかった。
一度買っていただいたお客様のアフターサービスのような部分がまだ大きかったからだと勤めているうちに理解したが、材料にもよるかもしれない。
個人で剣道をしている人は、子どもでも大人でも、質の良いものを持っていたりするので、修理にもお金を惜しまない傾向が強い。日本古来の伝統に従えば、防具のあちこちに使われている皮は合成皮革ではなく鹿の本革だ。けれど鹿が飼いならされていると、関東では聞いたこともない。でも、野生の鹿を取るばかりでは価格も非常に高いはずだろうと思う。実際、衣料品としての素材としての鹿皮は超高級品だと、東京西日暮里の繊維街に行ったときに知った。
しかしそういうものばかりではない。学校の備品なども来る。もともとの素材が良くない上に、子ども達の乱雑さでもまれ、また古いものも多く、修理は意外と難しく手の込んだものになるのに関わらず、費用は安かった。それでも、修理をするのは、修理の腕を見せ付けることで、次に新しいものを買っていただく基準のひとつとしてみてもらいたいという期待もこもっていた。
パートの先輩達がハルの入るそれまで、どんな風に仕事をしていたのか、ハルは知らない。というより知らされなかった。知らされても意味はないのかもしれないが、話ができなかった。仕事中にぺらぺら話すのは論外だとしても、お昼休みでさえも気が抜けない感じだった。
リーダーとハルはそりが合わなかったのだろう。それでも、仕事の仲間として入れてもらおうと努力はした。でも、実らなかった。正確に言えば、ハルは職場の仲間に敬意を払ったが、リーダーはハルを一切認めようとしなかった。
しかも、それを冗長させる人が二人もいた。
最初は、それほどでもなかったと思っている。
だが、女の嫉妬が、おそらく嫉妬のようなものが、ハルとリーダーをとりまく人たちとの関係を急速にこじらせて行った。
(続く)
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