考察(22)


200995(土)

レモン市場

考察×22

レモン市場

「財やサービスの品質が、買い手にとって未知であるために、不良品ばかり出回ってしまう市場」

引用はウィキペディアから。

「レモン市場」で検索すれば出てくるので、あえてリンクは張りません。
不思議なことが、マイとかちではよくあるものだと思う。


帯広にきたらまずあそこのカレーだと、薦められたかどうかはわからないが、食べにいってみたら、思っていたものと違って、おそらく、あまりよくない方向に期待を裏ぎったのだろう。
がっかりした、という話があった。

その記事は、ものすごいコメントが付いた。

あまりにも付いていたので、今やすっかり覚えてもいないが、【たったひとつ食べただけで、すべてがわかったような言い方をするな】というのがおおよその言い分だったのではないかと私は推測する。

次に、似たようなことがまた起こった。

新しくオープンしたお店で、デフォ塩(デフォルトで塩という意味でしょうね?たぶん)を食べることにしているから、注文しようと思ったが、それが無く、かろうじて塩と謳っているものを注文したら、【異常なしょっぱさ】だったという話があがった。

こないだカレーの話の時には、死者に鞭打つような展開を見せたので、時期的に、またひと悶着起きるのか?と冷や汗をかいてしまった。

しかし、その話は、簡単に流れていった。特に憤りを顕著にするようなものは、つかなかったのだろうと簡単に想像がついた。

しかし、【たったひとつ食べただけですべてがわかったような言い方】というのは先の例も後の例も本質は同じで、なぜ前者はあそこまで追い詰められなければならなかったのか、と思うと、不憫でならない。

あまりにも胸にせまるものがあったので、メールを送って、しばらくやりとりしたほどだ。

そして新たに、しばらくはタブーなのではないかと思っていたカレーの話が出てきた。
その記事では、自分の感じたことを、十勝帯広にやってきて、郷に入れば郷にそまる経過とともに、変わっていく様子が記録されて好ましいと思って読んだ。

今度の場合は、ちょっと違って辛さについて言及していた部分があったのだけど、その辛さの部分にまた突込みコメントが付いた。


人の感覚は、成績をあらわすことに顕著であるように、正規分布であらわされるようなので、まずい、標準、うまい、と定義をすれば標準以上は、全体の半分以上をしめることになるので、基本的に、味覚はうまい方に傾くのではないかと思う。

それを前提としても、アナログ的に切れ目無くつながるグラフから見れば、ある一箇所に目をつけたとき、その隣のデータの数値は、印をつけた箇所の数値とは明らかに違う。

ということから考えると、個人の好みだって、いろいろあるだろう。いやあるはずだ。
育った環境、もともとの好み、そのとき一緒にいる人、または端から見ればつまらない理由でも本人にとっては重大な【何か】、で味わいなんか、結構変わったりする。

私など、ダンナとケンカした後には、普段おいしいものでも味がない。

味覚については、私のような分際は、何もいうことはない。いや言ってはいけない。
マイとかちで紹介されるお店には、私は遠方に住んでいる理由でいけないからである。

だから、そこに興味は、ない。

そんな私が興味を持ってみたのは、入るべきであろうと予測されるコメントが入ったり入らなかったりすることにある。

もし機械が判断するなら、おそらく、いくつかの複数の意見でも本質が同じと理解すれば(と仮定する)ひとつの見解しか与えられない、と思う。

つまり、入れられるべきコメントは当然入れられるし、入れられないコメントは間違いなく入らない。

しかし、入るべきだろうところにコメントが入らなかったり、入らなくてもいいようなところに入ったりするのは、明らかに何かのバイアスがかかるのだろうと思う。

人間らしいといえば人間らしい。

人間とは不完全なものである。
古来から、そのように定義されているので、私もそれに習うことにする。6000年の重みをもつものに反抗しても意味はない。
また、不完全なものは、未知の可能性を秘めてもいる。
そして、そのようなものが、人の世の中を、狭く言えば、このサイトを構築している。
もちろん正規分布に従えば、程度の差というものも存在する。

【悪貨は良貨を駆逐する】という言葉がある。その言葉は経済用語であるが、転じて、治安の悪化や、軽佻浮薄な文化がはやる場合にも使われるらしい。

以前のマイとかちはもうすこし伸びやかなところだと思っていたが、ここ最近は、何か書くと掲示板で、いや掲示板の存在はなくなってしまったが、まるで【大声で影口を言われる】ような、小姑のいる嫁のような居心地の悪さがあって、めっきり窮屈になってしまった。←たとえが狭くてすみません。男性にはわかりがたいですねm(_)m

未知なものが作る世界では、流通する(出回る)という意味では、良いものより悪いものの方が突出する。
【憎まれっ子、世に憚る】ということわざをふと思い出した。

自分はどうだった?と考えると、答えはわからない。

こうやって記事を書いている以上、不良品(LEMON)かもしれない。
しかし突出することもないので、不良品でもちょっとはましかもしれない。

答えは、自分で見つけなければならないが、先に気が付くのは、自分以外の誰かであろう。

ぼんやり考える。


・・・。

まじめに考えてしまいすぎて、オチがつきませんでした(爆



2009823(日)

バレた。

考察×22

浮気、



ではありません。
最近、そういうことに縁がありすぎて、くどかれまくっていますがwww


先日、血液を検体として採取されました。
その結果によりますと、


私、酒に強いのだそうです。


体内に入ったアルコールは、まず脱水素酵素(ADH)によってアセトアルデヒドになります。

アセトアルデヒドは、シックハウスの原因になったりするものでもあり、毒性が強く、顔面の紅潮、頭痛、吐き気、頻尿を起こさせます。


アセトアルデヒドは、そののちアルデヒド脱水素酵素(ALDH)によって、酢酸に代わります。

ご存知のように酢酸は食用にもなるもので、無害です。


アルデヒド脱水素酵素(ALDH)には1型と2型があります。

そのうち2型は血中のアルコール濃度が低いときから動き始める酵素です。
ニグロイド(黒色人種)、コーカソイド(白色人種)に比べてモンゴロイド(黄色人種)はお酒に弱いのだそうで、日本人の40%はその働きが弱く、4%が不活性なのだそうです。

つまり単純に45%はお酒をあまり摂取できない、といえます。10人いたら、4.5人は飲酒に向いておらず、もっとわかりやすく言えば2人に一人程度は、飲酒に向いていないということになります。


参考文献はこちら
サントリーのアルコール関連問題の取り組み外部リンク


酵素を作成するのはつまり、大本をたどれば、DNAからの情報で成立します。

この酵素をつくる遺伝情報は、メンデルの法則でいますと、

A.のめない。

B.のめる(でものめない遺伝子を持っている)×2

C.のめる(のみまくり)


のめるということが劣勢遺伝子だったか優勢遺伝子だったかはちょっとうろ覚えなのですが・・
上の場合は、「のめる」が優勢遺伝子と考えています。

んん、でも酵素の種類が2個あって、不活性型があると飲めないと考えると、飲酒可能という事象は劣勢ホモか・・・?←ひとりごと

で、私の場合は、C.の、のめる(のみまくり)に該当したと結果が出ました。
おとうさん、おかあさんから、一本づつ、「のめる」遺伝子をもらってきたということです。

ありがとう!

といっていいんだか、悪いんだか。
でも素直に、嗜好の広がりを考えると、いいのかもしれませんね。

今まで、お酒はたしなむ程度、普通ですといい続けてきましたが、今回、遺伝子レベルでお酒に強いと判明いたしました(泣

おかげで、そのことを知った友人から薦められて困る困る。

もっとも、性格が遺伝情報より環境要因で形成されるほうが多いということを考えれば、のめる遺伝子を持っていれば、訓練しだいでお酒に強くなることは可能かと思います。

えー・・つまり酵素作成の働きを強めるという意味でね。

もちろん、その前に、アルコール中毒にならなければ、の場合ですが。


実は、引用させていただいたHPに自己診断がありましたので、やってみました。

飲酒状態の自己診断 KASTテスト外部リンク

飲酒状態の自己診断 CAGAテスト外部リンク

私、結果は、心配ありませんでした。

当たり前ですね、普段めったにのまないもの。(爆


でも心配してたんですよ~~。

お酒を飲むと、目つきが変わったり、言う事が矛盾に満ちていたり、ねちっこく絡んだりする人がいるでしょ?

そういう風にならないのが異常なのかと思っていたので。

のんでいたときのこと忘れるなんて聞いたら、
「ええっ!うらやましい」
なんておもっちゃったりして。

どんな恥ずかしいことしても酒席なら周囲も勘弁してくれますものね。

でも、そういう人は、実は、お酒に弱いのだともいえそうです。
アセトアルデヒドの毒で、一時的に脳みそ腐ってしまいそうになっているのかもしれません。

もちろん、強い人でものみすぎたら、同じことになります。

怖いですね。


お酒は適量、そんで楽しく飲みましょう。
正体なくすまで飲むと、大変なことになっちゃいます。



では、
カンペ~♪



2009812(水)

秩序が守られるためには常に破壊されなければならない

考察×22

本の話である。

ほかにネタはないのかと問われたら、あることはあるが、
下ネタマンセーの内容なので、お上品な人たちから大声で影口をたたかれそうなので、やめた(笑

タイトルの言葉は、「生物と無生物の間」という分子生物学分野の先生が書かれた本の中の一文で、

「生物の特性は、自己修復することである」と定義していることの真骨頂を現していると思う。

何しろ借りた本なので、今手元にないので、「そんなよーなこと言ってたな」程度で、本当に本当に紹介するなんて申し訳ないのだけど、生物が一見いつもと変わりないようなこの体を維持するために、DNAレベルでは常に激しいスピードで入れ替わっているということの隠喩なのだ。


元素には同位体というものがある。
元素を構成する原子の中に陽子と中性子があり、その双方はたいてい同じだけ原子のなかに存在しているのであるが、時折、中性子の数が1個だけ多かったりするもので、このような場合原子の質量が重くなる。
重水素、とか重窒素とか耳にしたことがある人もいるかもしれない。

それである。

この重窒素を使ってマウスの細胞の中にそれらが取り込まれる速さを調べたところ、取り込まれてすぐに変換が始まる結果が出たという。
なぜそんなことが起こるかというと、細胞の一箇所におきたたとえばDNAの複製異常は、エントロピー増大の法則とやらでその異常を全身に広めてしまうからだ。

それで、タイトルの言葉が出てくるわけ。

状態を保存するために、解体して組みなおしてということを生物は続ける。


昨日の自分と今日の自分は眠りという擬似的死により隔てられる。もはや精神論ではなく遺伝子レベルでは常に変化が起こっているということは証明されてしまった。

変わり続けていくことが自然な本来の姿であって、それらは方丈記のたとえでも見ることはできる。

だから、つまんないこだわりはささと水に流して、頭を切り替えることは非常に大事だなーと分子レベルで思った。


ついでに、この本、めちゃくちゃわかりやすくて面白いです。
やっぱねえ、わかりやすいように伝えるってことはお釈迦さまの時代からの伝統だね


自分にとって何が一番大きな収穫だったかというと、PCR(ポリメラーゼチェーンリアクション)の意味がわかったこと!
※微量な遺伝子を増幅する、(または増幅するための装置)、これが発明されるまでは大腸菌によって遺伝子を増やしていたが、その速度は圧倒的に異なる

いやあ~~コレで科捜研の女がより面白く見ることができるってもんですよ。

ありがとー♪

あっ。

ところで、科学的詳細の部分は本を読んで漠然と覚えているしかない部分なので、詳細について細かく説明および訂正してくださる方は大歓迎ですが、ツッコミは柔らか~~くお断りいたします。

どうぞよろしくお願い申し上げます。



200981(土)

定義と認識の限界

考察×22

定義と認識の限界

電車に乗って帰宅途中に、天井を見上げると、中吊り広告が私を呼び止めた。

「昭和妻は3度破綻する」

昭和妻、3度、破綻する。

この短い文章の中に、新語と繰り返しと、ショッキングな言葉を詰め込んである。

見事だと思った。←いや相手はそのプロだろうし

それにしても昭和妻とはなんぞや?

その新しい言葉が気になって、思わず中吊り広告はどこのものかを見た。

「AERA 09,8,3」である。

表紙はやはり著作権に抵触するだろうと目次を画像に収めさせてもらった。



昭和妻とは大雑把に言えば、「高度経済成長期と団塊の世代と、家電による重労働からの解放によってうまれた専業主婦」

・・・であるらしい。←かなり大雑把である

とはいえ、完全な専業主婦ではなく、パート主婦も含まれるのだが・・・。

まあ、記事のほうは、皆さんが読んでみればいろいろ思うことがあるだろうからいわないですが、私の感じたことといえば。


昭和妻が家計のリスクだという論点があるのだが、それに関して言えば、

「ふざけんじゃねーよ(笑)」

だ。

ふざけんじゃねーよといいたいのは表紙も同じで、レディーガガのヌードなのである。
レディーガガのヌードはいいとしても、なぜ社会誌の表紙にするのかわからない

とはいえ、ヌードをおかしく思えど、私はフェミニズムではない。

むしろ好きなほう←それなんか違う論点だし


そもそもこの記事にぶち当たる前に、私は岸田秀の「性的唯言論」を読んでしまっている。

キリスト教社会からの文化の流入は、家庭概念もキリスト教化していった。
それによると婚姻とは、神の前では罪にあたる性行為を、特例として認めたというだけのことだ。

性行為は、生殖だけのものとする、人間の向上を目指す宗教としては、非常に動物的な理由であると思わされた。

とはいえ、別にキリスト社会を責めたいわけではない。


私の若いころ、結婚といえば、「家は女が守るもの!」という大義名分で、寿退社する人が多かった。
会社のほうも、高い給料を払って、女子を採用し続けるなんてことは少なかった。もちろんないとは言わないけど、少なかった。

女は家に入って好きなことをしていればいいという意識が男性のほうにありありだった。
専業主婦は家畜だと豪語している女性もいる←私は著書をよんでへこみました。

しかし時代が下って、世界的な不況を何度も味わうと、そんな男性も息が切れてくる。

そして、そろって周囲に「自分をわかってくれない」と嘆く・・・。

ま、男性を責めるわけでもない。


 鯉の泳いでいる池にえさをぽんと投げ込むと、鯉はわれもわれもとよってたかって口をあける。
その鯉も生息数が少なければ、かわいらしく面白いものだけど、黒光りのする鯉が白い目をぎょろぎょろさせながら、ほかの個体の上に乗っかってくる姿はグロテスクだ。

昭和妻という言葉は、そういう「鯉」と同義であるような気がする。

風評に流されず、確固とした芯を、思い込みや妄想ではなく原因と結果を見つめる方法で育てる。

人である以上、必ず、思い込みも妄想が出る。
それを認められない人は永遠に妄想を繰り返すのかもしれない。

かくいうに昭和妻とは増大した妄想の産物なのであろうか。
一体誰の妄想なのか、そこを問うてみたい。



2009719(日)

悲しいこと。

考察×22

誰かと誰かが始めて文章の世界で出会って、理解できあえると思ったとき、

人はお互いを求めて本当に出会う。

・・・事がある。


ところが、出会った後でも、お互いを知る努力をしないと続かないのに、とたんに打って変わって、相手にひどい仕打ちをしても平気になる。

・・・人もいる。

そのスパンが異常に早いのが、ネットの世界だと思う。


最近、「甘え」の構造という本を購入した。

まだ全部読みきっていないのだが、20年前の本の加筆修正をしたものだということなので、20年前に読んだことのある人がいるかもしれない。

甘ったれる、甘やかすという言葉で甘えるということが駆逐されていると、著書は訴える。

甘ったれるとは、どういうことだろうか

また

甘やかすとはどういうことだろうか。


これから私はその本を読むので答えを得ることができるかもしれない。

しかし、悲しい思いをしたことは、簡単には忘れられないのである。

忘れることができたら、本当にいいのにね。



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