物語(41)


2009626(金)

紫の帯 (4)

物語×41

紫の帯 (4)

(続き)

 二人の暖かみは、マユコのおなかの痛みを思ったより早く消してくれました。
 とはいいましても、心の痛みは簡単に消えるものではありません。

 流産の後もマユコは着物で生活をしようとしていました。
ところが不思議なことに、それまで好んで身につけていた、黒地に赤の一本独鈷の帯を締めることができないのです。
 赤、がだめなのです、体が拒否をするのです。

 赤は人類が初めに意識した色です。太陽が沈んだ暗い恐怖の世界、太陽が昇ると一転して明るく安全な世界、それらを分かつためのアケルから赤、クレルから黒が生まれたといわれています。
 そして文明を発達させる元となった火や、体を流れる血潮も赤です。
 太陽が没すること、血を失うこと、つまり赤を失うことを恐れて余計に意識した太古の記憶なのかもしれません。

 とにかく今のマユコは、赤を見ることができません。

 困りました。
 着物を着るためには、帯は欠かせませんから。
 それに、今は、洋服のほとんどを捨ててしまっています。ほとんどが、若いころに着ていたもので、箪笥の肥やしになってしまっていましたから。
 だから、今着るものとなると、帯を求める以外考えられなかったのです。

 マユコは、帯を探しました。
 黒をベースにした、赤みの入っていないものを。

 最初はデパートの呉服店に行きました。
 ところが、きものにも流行というものがありまして、黒の帯は、喪服のきっちりしたものばかりで、喪に服したいと思ってもなお仰々しいくらいです。
 いまどき、ふだんぽい着物の上に黒一色の流水や雲取りなどの帯を締めている人などいません。そぐわないような仰々しさは望んではいません。むしろ周辺がいぶかしがるだけかもしれません。

・・・とはいいましても、着物の生活はすでに現代日本にはそぐわないでしょうが。

 それでも趣味性の強い呉服店に行けば、あるかもしれないと考えました。
 でも、かなりの額面を用意しなくてはならないだろうと思いますと、実際に行くことはためらわれました。

 着物は高価だけれど、文化としては万人の需要にこたえることはできないほど貧しくなっているのだなと思わざるを得ませんでした。

 最後にマユコはリサイクル店を回りました。
 質屋と違ってリサイクル店では、年をとって着られなくなったとか、もともと上質なものではないとか、しみや汚れがあるとか、古びてはいないけど何度も着用したから、というわけありも多く集まって、そういったものは気に入りさえすれば、お値打ちで手に入るのです。
 実際、気に入って付けていた黒に赤の一本独鈷の帯はリサイクル店で求めたものでした。

 これぞ、というものはありませんでしたが、めぼしいものは見つかりました。
 紫色の、紫といいましても青みの強い、茄子のような、ええ、それは茄子紺というのかもしれません、ごそっぽい手触りの、木春菊を薄い色で線描きした帯です。
 花があることにマユコは躊躇しました。ええ、花やかという言葉があるからです。

 ですが供養には菊の花を使いますし、むしろ周囲には流産したことがわかりにくいかもしれません。
 思いきってというほどに考え込まなくてもいい額面ですから、マユコはそれを買いもとめました。

 毎日その帯を締めました。流れてから49日間、マユコはその帯を締め続けました。
 帯はマユコのおなか周りをつつみ、ごそっぽさはすこしづつこなれ、やわらかく締めやすくなっていきました。
血で汚した着物も、洗って、再び着始めました。この二つの組み合わせはマユコの手持ちのなかで一番地味だったせいか、身につけることは、気持ちが落ち着いていくように感じました。

 49日がすぎて50日目にはいりますと、帯はすっかり体になじんでいました。
 それからしばらくして、ようやくあの気に入っていた黒と赤の帯を締めてみたくなったのでした。

 心の傷が癒えるには、49日かかる、ということなのかもしれないと、昔の言い伝えは人の心の動きをよく見ていたのだなあとマユコは思います。

 キョウが生まれたのは、その1年あまり後のことでした。ほとんどすぐ、といってもいいくらいです。元気な丈夫な、超がつくほど安産の、子どもでした。
 なくなった子供が守ったかのようです。

 そんな込み入った思い出の詰まった帯は、今でも箪笥の下のほうに収まっています。
 マユコはそれをもう締めないだろうなと思います。もともと欲しかったものではありませんでしたから、自分の好みと合っていないということもあります。

 でも、あの一言を今でも悔いています。
「本当は、本当に生まれてきてほしかったんだよ」
と、今でもいつも思っています。


 流れてしまった赤ん坊は、病院でさらにこそげられて、影も形も何も手元に残りません。

 箪笥の中を見て、マユコはときおり、わが子の冥福を祈っています。
 この親と子をつなぐ紫の帯を、そっと撫でながら。



(終)

参考文献:日本人の作った色(吉岡幸雄) NHK人間講座テキスト



2009625(木)

紫の帯 (3)

物語×41

紫の帯 (3)

(続き)

 失敗は教訓になるものです。

 マユコは、日常的に着物を着ていた時代の小説を読み漁りました。
 装い方やしぐさ、習慣、いわれ、なんでもいいから着物にかかわることなら何でも知りたかったのです。
だって、現代女性は着物については何もしらないのに等しいのだから。
 その中で、マユコは見つけました。

 結城紬は、丈夫なために、丁稚が作業着としてやわらかくしてから旦那が着ることがあったということを。

 結城紬は衣服としての寿命が長く、60年を経た結城紬を見たことがありますが、まるで大島紬のようなきらめいた光沢が生まれてしなやかで気持ちよさそうでした。
大島紬とは日本の紬の双璧のようなもので、沖縄の奄美大島で作られる反物です。

 それについてはまた別の機会にお話しましょう。

 さらに、結城縮(ちぢみ)といわれるものがあることも知りました。
 サッカー生地のような細かい膨れた部分があるので、涼しく、夏向けものとして、また、寝巻きにも好まれたのだそうです。

 素人考えとはまことに恐ろしいというか、あきれるほどにおかしいもので、マユコはその二つをごっちゃにして、堅い着物をやわらかくするために、その箪笥の奥にしまいこんだ、先にお話した着物を引っ張り出して、寝巻き代わりにして着たのです。

 寝るときになると、いそいそと着物を着て伊達締めと呼ばれる絹製の紐で押さえます。
 それから布団に入ります。

 最初のころは、着物がつっぱらかって、動きがままなりませんで、足も開けず寝返りを打つのも目を覚ましながらでした。

 そのころ、マユコは生理が遅れていることに気が付きました。
 もしやと思って病院にいくと待望の妊娠です。
 アンナを産んでしばらく、欲しい欲しいと望みながらできなかった二人目の子供です。

でも。

その子供は生まれてくることはありませんでした。

 理由はわかりません。ですが、その子を妊娠したときから体調が優れなかったのです。
 立てば変な汗が出ます。立っていられなく座っても腰がだるくてたまりません。

 流産する直前、マユコは洗濯をしていました。洗うのは洗濯機におまかせできますが、干すのは人の手を遣うしかありません。洗ったものを干している、その手を伸ばしながらの作業が、ただ辛くてたまりませんでした。

 夫は休みで家に居ましたから、洗濯ものを干すのを手伝って、と言えればよかったかもしれませんが、いえませんでした。
 専業主婦だし、夫は休みなのだし、ということが遠慮をよんだといえば聞こえはいいのですが、格好をつけてしまったのではないかと思います。
 ですが、心では感じていました。

 調子が悪いのをそばでみているはずだろうに、気の付いてくれないもどかしさ、寂しさ。

 ですから、マユコは
「あんまりにも辛いから、もう子供なんか要らない」
とつぶやいてしまったのです。

 それは、まだ生まれてもいない子供にたいする八つ当たりでしかなくて、馬鹿なことを言ったと思っています。
 けれど、その直後、体を休めるために床に潜り込んで一眠りしたら、まさか本当に流産するとは思ってもいませんでした。


 深みから浅瀬に浮かんできたようなほの明るさの中で、マユコは腰に何か巻きつけているような重たさを感じていました。海底の火山に沸き起こるような鈍い熱い痛み、それらの刺激で目を覚ましますと、ふとももの付け根は痛みでしびれています。
 でも、あの硬い硬い寝巻きを着ているから、足が開かず、じっと痛みに耐えられたような気がします。

 つと何かが流れ出したのを感じました。
 あわてて床から這い出て、トイレに行きました。
 そこでみたものは、衣服にまで寝具にまで及んだ量の血で、下着の上には、親指のつめくらいの大きさのビー玉のような血の塊が乗っかっていました。

 その日は、病院は休みでしたので、次の日、その塊をもってアンナを産んだ病院にいきますと、残念ながら流産と判明し、その日のうちに処置を行うことになりました。

 10ヶ月後に、分娩台に乗るはずだったマユコは、アンナを産んだ同じ部屋で手術台にのりました。点滴のように麻酔を入れて、数を数えていたら、いつのまにか意識はなく、気が付いたら、処置は終わっており、おなかの中に、こそげられたような痛みが残っていました。

 マユコはその痛みに思わず「痛い」とつぶやいて、はっとしました。この痛みは、生まれてこられなかった赤ん坊の名残なのだと。

「ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい!!」

 痛みと、悲しみでマユコは取り乱して、安静のために入れられた部屋で泣きました。

 夫とアンナは、じっとマユコを見ています。
 新しく増えるはずだった家族は、この中の3人の誰とも会うことはできなかったのです。

 おなかの痛みは、なかなか消えませんでした。
 寒い日でしたから、体は、ほんの短い間にかなり冷え込んだようです。冷たさは痛みを際立たせるようです。さらに、病院の寝具も冷たく、その冷たさはさらに痛みを強めました。

 痛い痛いと正直に言えればいいものを、言わなくてもいいことを言ってしまった後悔から痛いとも言えず、病室で待っていた夫は苦しそうな、辛そうな、泣き喚いているマユコをみて困っていました。
 困って話しかけても、妻は子供のように泣きじゃくるだけです。

 夫はふと思い立って、布団の中に手を入れると、マユコの、裸のおなかに手を当てました。

 暖かい手、でした。
 なんというあたたかさでしょう。体の芯までじんわりと伝わってくる暖かさ。
 氷が解けるように、痛みのするどさは和らいでいきます。
それを見て、アンナも手を当ててくれました。
 しばらく二人の暖かい手に触れられたマユコは、ようやく正気を取り戻していきました。


(続く)



2009624(水)

紫の帯  (2)

物語×41

紫の帯  (2)

(続き)

 親元に冠婚葬祭用の式服は置いてありますが、手元に一枚しかなかった普段使いの着物は、そのころから、すこしずつ増えていきました。もちろん着物だけではありません、帯も増えました。

 着物というものは不思議なもので、同じ絹糸から作られるのに、正当な値段があってないようなものでして、馬鹿みたいに高いものもあれば、ブランド洋服よりずっと安いものもあったりするのです。さすがに仕立て上がりでしまむら価格というものは見かけたことはありませんが。

 着物がちょっとした余所行きとして需要のあった時代には、誰でも買えるような手ごろなものが多くあったのでしょう。しかし、そういったものはいくらか出来も劣りますし、現在の品質基準から見ますと、逸脱していたりすることがままあります。

 需要が少なくなって、実用品より、美術品としての着物ばかりが確立されていく中では、そういったものは、なにかのまがい物のようなものになってしまい、真っ当には売られなくなってしまうのです。

 売れなくなりますから、作られなくもなるという循環にもなっていきます。ですが、作り手は、いいえ、問屋は売りたいのです。売れないものを売りたいのですから、値段はおのずと下がって、安くなります。
 そういったものをマユコは見つけ、厳選し、手に入れていったのです。

 たとえば、結城紬と呼ばれる種類の着物があります。

 結城紬とは、茨城県結城市を中心として、鬼怒川沿いの町で生産される反物です。なかでも重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝の高い技術で織られたものは本場結城紬といいまして、しっかりした証紙が付いています。
その工程を簡単に言いますと、繭を茹で開いて真綿を作り、それを手で紡いで糸を作ります。その糸を経(たて)糸、緯(よこ)糸に絣柄ができるように糸括り(絣括りといいます)します。糸括りは、その後糸を染めてしまった後には取り外しますから、簡単に取れてしかも余分に色が染み付かないようにしっかりと固くしなければならないので力の強い、男性にしか出来ません。

 こうして染めた帯は、地機(ぢばた)と言う、織られた布を直に腰に巻きとる古式の機で織られます。これは女の仕事が多いようです。
 昔は、機は土間という地面の上に置かれていました。冷たい地面からの風を受けながら、腰で出来上がった反物を巻き取り調子を付けていましたから、それで腰を痛めるものが多く、歩くときに足を引きずって歩くようになる人も多かったので、居坐(いざり)機とも呼ばれます。
 居坐(いざり)は今は使われない差別用語ですが、結城紬の機に関しては、まだ言葉が残っています。

 しかし、この反物は先に言いましたように腰で調子をとりますから、糸の伸縮性を上手に生かし、糸に無理をさせずに織ることができますので、体にそう着物となるのです。
ですから、成り立ちは1000年以上前の常陸紬なのですが、戦国時代も過ぎて江戸時代に入るころにはすでに有名であり、大名同士の贈り物や、お金の余った豪商などが好んでいたそうです。

 また、結城紬はたくさん糊を使います。機械的にパタパタと追っていくのではなく腰を使いますからできるだけ織りやすいように織っては糊をつけ、織っては糊を付けを繰り返すのです。

 出来上がった反物は非常に固く仕上がりますので、湯とおしという作業を、これは文字通り反物をお湯でゆでて糊分を取り、伸子張りにして干し、反物を乾かします。

 その後に着物に仕立てあげます。

 こういった、本場結城紬は今なら80万くらいからになります。男物の地味な色でも、一匹(一反の長さの約2倍、男物は羽織も作るために長い)で1000万するものもあります。
 マユコが、結城紬会館で知った知識です。


 そんな折に、マユコは、緑がかった藍色地に薄い灰色か桜色かわからないほどの薄い色の、でも白ではない色の糸で幾何学文様を織り出した、いわゆる横総といわれる、横糸だけで文様を織り出した反物を見つけました。
 それには、つい最近行きました結城紬の産地で見かけたのと同じ証紙がついていたのです。

 女性が砧をたたいているような絵と、結城の文字。砧とは、布につやをだしたりやわらかくしたりするために布をのせて打つための木、または石の台です。
 憧れの結城紬を手に入れられると思いました。本場結城紬から見れば、価格はあってないようなものです。

 これは、一時代前のものだと思われます。横総の結城など今は存在しません。結城紬の廉価版というよりは、本当の本物の結城紬を作るための資本となるための別の種類の紬だったのでしょう。

 そして昔は今ほどに基準も厳しくありませんから、同じような証紙をくっつけて売ろうとしたのでしょう。それでも糸や絣のくくり方は、人間国宝ではないにしろ産地は同じです。機は、地機(ぢばた)ではなく高台かもしれません。でもその柄の付け方は、今はもうないことを考えると、正式なものを作るための習作であったかもしれません。
 なんといっても、反物の柄は最終的には、織り手に技量が求められるのですから。

 マユコは、その反物を買いました。

 もちろん、そこに仕立て代などをのせてしまうと、それなりの値段にはなりました。

 ところが、作った当時、湯とおしということをマユコは知りませんでしたので、出来上がった着物が非常に固く、一度袖を通してみて、言われているより、着心地のよくないものだと思って、箪笥の奥にしまいこんでしまいました。

(続く)



2009623(火)

紫の帯  (1)

物語×41

全4回の予定です。
紫の帯  (1)

 マユコは着物が好きです。

 好きといえば聞こえはいいと思いますが、マユコのそれは着物にとり憑かれたかのようでもあります。
若いころから日本の伝統の衣装に興味はありました。それはやはり着物をまとっていた祖母の面影もあったのかなと思います。まとっていたといっても絹物の上物ではなく灰色と青の、化繊の着物でしたが。

 マユコにとっては、祖母は母親以上でした。共稼ぎで働いていたマユコの母親の代わりになにくれとなく世話をしてくれたのです。そして、子供は、親がしていたことを自然に受け継ぐもののようです。
 それでマユコは着物というものにのめりこんでいたのではないかと自答しています。
のめりこみすぎて、一年あまりも毎日着物を着て暮らしてしまったことを思い返しますとマユコはちょっと可笑しくなることがあります。

 戦争が始まる前は、ほとんどの人が着物をきていたでしょうに、敗戦を迎えたとたん普段着としての着物は見なくなって、いまや、なんでもない日に着物を着ていますと、驚かれてしまったり、いちいち理由を聞かれたりするのですから。

 マユコはアンナという娘とキョウという息子と、夫の4人家族です。アンナとキョウの間はなんと6歳も離れています。
 望んでも望んでもなかなか子供が出来なくて、ようよう出来た可愛い子供たちです。

 アンナが、幼稚園の年中さんのとき、夫が仕事で一ヶ月ほど外国に出かけました。その間、マユコは寂しくてたまりませんでした。いっそう寒さに向かう季節でした。東京の寒さは、北の雪の降る場所と違って、氷水の中に手を突っ込んでいるような、芯まで冷える寒さです。それで気が付いたら、たまたま手元にあった着物をまとっていたのです。

 結婚するから、
「一枚、つくって上げよう」
と両親からいわれて、買ってもらった着物です。

 うれしくなって、それなら普段着ていてもおかしくないのを、いつも祖母の着ていたような色合いを探しましたら、それは地味すぎると両親にも呉服店の店員さんにも反対されてしまいました。それで、祖母の着物を思わせるような縞の、赤みの入った紬を選ぶことになりました。

 マユコは箪笥を開けてその着物を引っ張り出して、昔着付け教室で習ったように着付けてみました。着てみると幾分不恰好ではありましたが、なぜか妙にうれしくなりました。

 絹物は、自分の体温が絹の中にうつりこみますと、誰かに抱きしめられているような感じになることがあるのです。特に夏物の絽の襦袢が汗でぬれてそれが肌に触ると官能的な感覚さえあるといいます。

 マユコは、きものに抱かれて安心したのかもしれません。
 遠い記憶の中にいる、祖母のような感じもしたのでしょうし、夫のような暖かさを感じたのかもしれません。
それに、着物は、すそから冷たい風が入りますが、実はおなか周りはあたたかくて、暑いくらいの感じにもなります。
特に着慣れてない者は、いろいろ補正のタオルや小道具を入れ込みますから余計に熱もこもります。

 ズボンとトレーナーのように、ウエストから上下をわけるようなことを感じなくもなり、上から下まで一体となった感覚が生まれます。
 それでいっそう、生身のマユコの体はほっとしたのかもしれません。


 それっきりマユコは、夫が帰ってきても、着物を着て通すことにしてしまって、その生活をしばらく続けました。
その中でキョウを身篭ることが出来、さらに彼が「はいはい」を始めるまで、ずっと着物で暮らすことさえできました。

 なぜやめてしまったかといいますと、男の子のキョウの動きは、女の子のアンナの動きやしぐさとはまったく比べ物にならないほど荒くて、おとなしげな所作の着物ではおっつかなかったからです。

 マユコは着物の面白みを知ってしまいました。そうすると、作務衣や二部式のような洋服と折衷のようなものを探してしまうのですが、そういったものは着物よりもっと流通が少なく、探しても気に入るものが見つからないほうが多いのです。

 ですから、自然と洋服に戻ってしまいました。とは言いましても、寝るときだけは浴衣を着る習慣は残ったままになっています。

(続く)




2009228(土)

結ぶ(後編)

物語×41

(続き)

それで、わたしはたまにこの真空になったところを歩くことがあります。

ラッシュのときなんかに、使うと便利なんですよ。
ホームの両側に人が満杯の状態で立っていたりするものですから、通り抜けることすら難しいのです。その間をくぐり抜けて歩けば、肩からかけたバッグは隙間にひっかかるは、足は間違って踏まれるは。
すいません、すいませんと声を掛けても、耳にイヤホンをかけて、周囲に何を聞いているかわかるほどにした人にとどくはずもありません。
そんなときに真空になったところを歩くと、誰にも何にもさえぎられるものがなくて、いらいらしないんです。

でも、白い線の外側は、正直、怖いです。

白い線から向こうの、さっきまで居たところは、平らかな人でごった返すところなのに、白い線からこちらは、切り立った断崖絶壁のよう。
もちろん、眺めても見えるのは海ではなく、敷石であり枕木であり、線路だけなのですけれど。
もしここでだれかに突き飛ばされたら、などと、そんな物騒なことを考えなくても、ふと、引き込まれそうになるときもあります。

そこから、だれかに呼ばれているような気がして、下を除いてみたい衝動に駆られたときは、気をつけなきゃいけないと思っていたりします。
きっと、覗いたら最後、わたしは引きずり込まれてしまうでしょうから。

というのは、たまに、ほんとうにごくたまに、ホームの下めがけて人が飛び込んでしまうことがあるからです。電車に轢かれる瞬間を、幸いにもわたしはまだ見たことはありません。ですが、毎日、どこかで、人身事故の話は出てきます。

「人身事故のために遅れが出ています」

とアナウンスされると、たいてい、飛び込みだったりするのです。

さらに
「車両点検をしています」

などとアナウンスが出たりすると、いよいよもって・・・と背筋が凍ります。

その、なくなった人たちが、私を呼んでいる。
そんな気持ちになるから滅多に近寄れませんし、近寄りません。

一度こんなこともありました。
真空地帯を歩きぬけ、いつもわたしが立つ場所の黄色い線の内側に入ったときに電車が通過していったのです。
もちろん、通貨電車があるときには、

「黄色い線の内側お待ちください」

というアナウンスがあります。
でも、そのときの私は聞き逃していたみたいです。

通過だから、電車の速度はあまり緩めません。
電車の顔が、空気を押してきて、風が吹きます。
空気でっぽうでコルクの栓を押し出すような感覚なのでしょうか。
そのときにふく風の音(ね)は、鬼の咆哮のようでもあります。
気合で喝を言われたときの感覚にも似ているかも知れません。

私はたまたま背中を向けていたから、ごうう、というその時の風は、髪の毛をめちゃくちゃにしただけでしたが、前を向いていたら、いくらかのショックがあるだろうなと思います。
いえ、たいていアナウンスで気が付くのだから、これはなにかが耳をさえぎったのかもしれません。
などと考えてしまうのです。

私はよく不思議な夢を見ます。
目が覚めると、天井から自分を見下ろしているのです。
頭のところとお腹のところには、光る糸のようなものが、ねじれを伴いながら、くっついています。
わたしと、下で寝ているわたしは、そのひかる糸で結ばれているようです。
その結び方は、どんな結び目なのか。
わたしの興味はそこにあるのです。だから目を凝らしてそこを見ようとします。
でも、いつも、そこで目が覚めます。

天井を見上げているので、あっ夢だったんだなと思うのです。

そういったことは、みんなうすうす感じているのかもしれません。それで、みんな黄色い線の内側で待っているのだと思います。

だから、私も真空地帯を歩くときは、滅多にありません。



「メトロ線乗り入れ各駅停車、・・・・行き参ります。」

アナウンスがまた聞こえました。
これで何本の電車を通過させたことでしょう。
今日は、交際を申し込まれた同級生と初めてディズニーランドに行くのです。
いまどきディズニーなんて幼いでしょうか。
でも行ってみたかったのです。

一緒に遊びに行こうよといわれて、何故か、夢と魔法の国に行ってみたくなったのです。
夢と魔法と現実の世界を結ぶものは何か。

多分わたしの興味は結ぶところにあるのです。

デートなんて、初めてだから緊張して眠れませんでした。晩生なんていわないでください。
誰だって初めての相手の前では緊張するでしょう?

思わず早起きして、勢いで駅に来てしまったのですが、早すぎたようです。

「あっいた!ごめんね、待たせた??」
右側から呼びかけられました。
彼は、今発車した、各駅の電車にのっていたみたいです。

「いえ、まだ待ち合わせ時間を過ぎたばかりだし・・・」

本当は、ここでずいぶん待っていたから、手が冷たくなりました。それを隠すようにわたしは、ポケットに手を入れようとしました。

彼は、その様子を見たのか見なかったのか、わかりません。

でも、わたしに近づいてきて、ポケットに入れようとした手を握り締めました。

「さあ、JRの改札に急ごう!電車一本遅れても、あっというまに並んじゃうからね!」

そういって彼は私を引っ張って早足になりました。


わたしは、引っ張られている間中、つながれた手のほうに意識を向けていました。

いつもつなぐ女の子の手と違う、骨っぽさ。
その手の温かさ、力強さ。
その力強さと熱さ、手の平の厚さに、めまいを起こしそうです。

いつか、わたしは、この人と結ばれるかもしれない。
そう思ったら、手から赤い糸が伸びて彼につながっているように見えました。

・・・願わくば、本結びでありますように。



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気になったことを調べたり、何かを作ってみたり、趣味を発表する場に使おうと思います。

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