物語(41)


2009111(日)

枯(10)

物語×41

(続き)


 大人しく言う事を聞き、反抗の様子を見せてもすぐに仕事にかかるハルを、リーダーとハルヨは面白がっていじり続けた。

 リーダーとハルヨの人を貶めるための会話を聞くと、やはり、ハルは胸が押しつぶされそうになった。
 
 ある日、それらの話に耐え切れず、作業机の脚を蹴った。
衝動的に、だった。
どかっと大きい音がして机がずれ動き、皆が驚いた顔をしてハルをみたので、思わず、すいませんと言ってしまった。

 その後少しの間、リーダーとハルヨの話題は別のことになったが、ハルは聞き逃さなかった。いや逃せなかった。ハルヨとリーダーの言葉を。
「最後の最後まで抵抗するのねぇ」
「やっぱり、わかってるんじゃないの?」

 おしゃべりと手を動かすのと半々にしている彼女たちは、一番面倒な仕事を押し付け続け、時間がかかることを判っていながら、修理報酬が安すぎるからもっと早くして単価を稼げとか、賃金に対してする仕事時間の均衡が取れていないからもっとやってと要求ばかりを強くしてハルに嫌味を言い続けた。
 自分に都合のいい要求をひたすら求めて、それでいて恵まれない、恵まれないと大騒ぎをしているようで、残酷な征服者のようでもあった。

 ハルはひたすらに仕事に追われた。
 作業場で流れているラジオから聞こえる音楽と、アキさんがそばで仕事をしているときがハルの救いであり、慰めだった。殻にこもるのが最大の避難だった。
 リーダーの要求はエスカレートして、ハルとアキさんが、作業中に話をすることを禁じ、筆談ですませるようにと言った。

 そのころから、短い期間内でハルはどんどん痩せて行った。
 家から近いその職場で、皆と打ちとけるために一緒にお昼を取っていたけれど、居場所はどんどんなくなっていた。リーダーは自分の悪口を言われると思ったのか、最初の頃は家に戻っていたのに、最近は残って、その場を取り仕切りながら食べていた。

 片時も気が抜けなかった。家に帰って昼を摂るようにした。実際は何も食べられない。おなかがすいたのがわからない。
 それでも
「家に戻ってきます」
と明るく言った。

 その後に、リーダーの
「もうもどってこなくていいよ」
という小さな声がみんなの声に混じって聞こえてきても。

 呪われているようだった。
 一時的に家に戻っても、ハルが書き溜めた修理メモを勝手に見られて取り上げられてしまうのではないかと、気が気でなかった。急いで作業場に戻って、一番にメモがあるのを確認して、安堵した。
 風の冷たい中、体調を崩し気味だったときもハルは家に帰ったので、ハルは気管支炎をおこして2週間もの高熱で容赦なく苦しんだ。


 暖かさが徐々に積み重なっていき、サクラの季節の春を迎えた。
 復帰して、腕がおちたかと心配していたハルだったが、落ちてはいなかった。むしろ前より一層、冴え冴えとした手ごたえを感じるようになっていた。
 どこに皮を当てて、どこを直せばという判断もつくようになっていた。

ハルは安心した。
なんとかやっていけそうだと。

 しかし、ハルは毎年あれほどに心を奪われるサクラに見入る暇もなく、藍色の防具と向き合い、汗のこもった道具のむっとしたにおいをかいでいた。
 毎年綺麗に見えるサクラの風景が、狂ったような気がする。綺麗な花が綺麗に見えない。7分咲きなのか、満開なのかそれともすでに葉桜か。
 なにもわからない。
 家の窓から見える桜並木にも気が付かない。子ども達が花見に行こうと誘っても、サクラを見たいと思わない。ハルの価値観も、様子も、全てがおかしくなっていたことに、誰も、そう、ハル自身も、気が付かなかった。黙殺していたかもしれない。


 仕事中にお手洗いに行った。
 一体私は何をしにここへきているのだろうとふと思ったら、温かいものが目から落ちた。
 落ちたら、急に気持ち悪くなった。嗚咽が始まった。ひっくひっくとトイレで吐いた。吐きながら、泣いた。

 また嫌味を言われる、仕事に戻らなくちゃ。
涙を拭いても赤くなった目は簡単に戻らない。赤い目をしたまま戻ったけど、だれも―いや、アキさんは気がついていたが、言えばハルが困ると知っていた―何も、気が付かなかったように。

 その中でハルの白髪だけは確実に増えた。毎日の生活で鏡を見続けてはいたが、ある日突然それに気が付いて、心底驚いた。

(続く)



2009110(土)

枯(9)

物語×41

(続き)


 ハルは、アキさんの指導下に入って、束の間、ほっとした。とにかく、修理に一番多くやってくるもの、甲手をしっかり修理する方針でいくといわれた。
 アキさんの指導は厳しい反面、とてもわかりやすかったし、なにより親切で優しかった。

 リーダーはそれにもいちいち介入した。アキさんとハルをなんとか離そう離そうと毎日躍起になっていた。もちろんその裏には、ハルヨもいる。
 ハルヨはリーダーを影でけしかけ続けた。

 お昼休みにハルヨは携帯をいじっている。目の前で、リーダーの携帯の音がなる。
 そんなことをしょっちゅうやっていれば、何かやっているなと思うほうが当然といえよう。証拠を探すことはしなかったが、大体行動が一致しているのを見れば、つながっているとすぐわかる。
 ばれていないと思ってもばれているのだ。特によくないことは。

 ハルは、休日でも安心など出来なかった。彼女達は、休んだ人の仕事の仕上がり、出来上がりを事細かに観察して、重箱の隅をつつくようなミスを見つけてはヒステリーを起こした。そんなヒステリーに振り回されるたびハルは落ち込んで行った。

 アキさんはハルに練習を勧めた。
「なんとか、リーダーに聞かなくても修理を一通りこなせるようになるには数をこなすしかないから」
 質を量でカバーする作戦を持ってきた。ハルはそれに素直に従った。
 社員にお願いして、練習用として、針や糸や壊れた防具を貸してもらった。もちろんアキさん以外パート全員には絶対内緒で、と含めて。

 どうしたらいいのか、
 自分のどこが悪かったのか、
 自分を責めた。
 責めすぎて、涙をこぼしながら、指に針がささっても痛いとも騒がず、血が流れて服についているにも気がつかず、ただ練習を続けた。

 そばで見ていた夫は言った。
 泣きながら練習するハルを見るのは嫌だ、
 練習はいい、そういう前向きなハルは大好きだ。

 でも、何故泣くのだと。

 四六時中精神的に落ち着くことはなかったけれど、そんな練習の甲斐があって、ハルはアキさんの下でどんどん上達していった。あと2ヶ月もすれば、ハルはおそらく甲手に関しては、修理の殆どを賄えるようになるだろうと思われた。
 
 面と垂れの修理で一番長けているのはアキさんだったから、その部分に関われば、金輪際リーダーと関わらなくてもいいのだ。
 だがアキさんの指導は半端なく厳しかった。細かい部分を、ほとんどあら捜しするようなリーダー達の目を超えるには、完璧にするしかないのだ。アキさんもハルもそれを目指していて、きつかった。

「あの人たちは、あなたがいることが嫌なのよ。仕事は出来るのだから頑張って」

 そういわれて、二重につらかった。
 しかし、押さえ込んでひたすら耐えた。
 アキさんだって、私をかばって立っているのだから、と。

 そういった、好ましくない全ての条件が、ハルを異常に早いスピードで職人に近づけたのだが、そうなって初めてリーダー達はぎょっとしたらしかった。

 それまでは、ハルは仲間はずれにする形でいじめられたのだが、上手になって使えるようになってくると、下に入れと絡むようになった。まるで自分たちが育てたといわんばかり、大人しく言う事を聞かせて仕事を押し付けるために。

 リーダーたちの下で指導を受けているスウコは、いまだに全く仕事ができないと言って良いほど、できなかった。当たり前だ、スウコの指導すら、実はこっそりアキさんが教えていたのだから。でもスウコはきかない。リーダーがハルにヒステリーの目を向けている間、スウコはぬくぬくと、ただ太っていた。

 ハルは怒りたかった。だけど怒りをあらわに出来なかった。怒ると言う事が判らなくなっていた。ひとたび怒れば、爆発に近いくらいの大きさで怒鳴るかもしれない、そんな風に自分を見失うようなことをただ恐れた。
 
「同じステージになることはないよ」
とアキさんも言ったことが影響した。

 だが、限界はハルの知らないうちに、速度をあげて近づいてきていた。

(続く)



200919(金)

枯(8)

物語×41

(続き)


 新しい年が明け、パートのメンバーが全部出勤し始めた、始まりの騒々しさも落ち着き始めたころ、ハルは、初めて別の防具、面、の修理に携わった。
 まだそれを修理するには経験不足だなとはすぐに思った。

 なので、自分で出来そうなものを選ぼうとしたら、リーダーは
「納期があるので、順番どおり、入ってきたものから修理して」
と言った。

 ハルヨが修理の台帳を見て、その面が一番優先順位があると更に付け加えた。そこまで言われて断れば、じゃあ仕事やめれば、といわれそうでもあって怖かった。
だからハルは言われるままそれを取った。リーダーも他の誰も「無理じゃないかな」とは言わなかった。
 ただ一人アキさんを除いては。

「まだハルちゃんには無理だと思うよ、他の仕事を与えたら?」
「できるところだけやってくれてもいいから」
 そうなると、アキさんも言葉に詰まるのだ。出来ないところは仕方ないから認めるといっているようなものだから。

 その面の状態は酷かった。
 だが、もとは高価ないい品物だったろう。
 あごについている臆病垂れには皮にサクラ模様を型染めしたものが飾りとして使われていたし、面の内側は、ビロード貼りだった。
 今は塗料は剥げ、面の中の布はあちこち擦り切れ、あちこちからほつれた糸がぶら下がっていた。

 ハルは思う。
 無粋であろう武道にすら、こんなに綺麗な柄が施されたのはなぜかと。
 滑らかな柔らかな布を使っているのはなぜかと。
 実用、豪胆、一本気、それらのなかにも、やはりいろどりはあって、その彩が派手でなく控えめだから、余計に惹かれる。日本の美術のあり方は面白いと、いつもそこを見ていた。

 様々なものが持ち主によって使われ、使い込まれ、挙句くたびれ、藍も切れ、しらっ茶けても、まだやって行けるんだと、生まれ変われるんだと、また持ち主の役に立ちたいと、修理を待っている。

 だから、ハルは挑んでみた。アキさんが目の前にいて、ちょこちょこ口を出してくれてもいた。それも大いに助けになった。

 当然それをリーダーは制した。
 制した上で、作業をさせ、3時間もしないうちに、
「いつになったら出来るの、それ!!アキさんだって仕事抱えているのよ!!」
と激昂しながら言いだした。

 ハルはその言葉にむっとした。でも何も言わなかった。いえなかった。
 アキさんのアドバイスがなければ何も出来ないようなものだから。

 確かにハルはアキさんに聞いてばかりだったかもしれない。それでアキさんの仕事を遅らせたかもしれない。でもアキさんは
「聞いていいのよ」と言ってくれた。

 アキさんはいつも
「聞いてくれることで気分も変わってくるから」
と言ってくれた。

 結局その仕事は、別の経験者の手に渡っていった。しかし彼女も、結局一日半かけたにも関わらず仕上がらなかったので、結局はアキさんが仕上げた。

 仕組まれていた。
 
 アキさんはたまたま垂れの仕事を受け持っていた。それは見た目以上に手間のかかる修理が必要だった。本来なら、その問題の面はアキさんが受け持つはずだったのだが、手が空いていない以上、誰か他の人がするしかない。
 それをリーダー以下は、嫌がったのだ。
 だから、何も知らないハルに取らせた。
 修理できないと、泣きついてきたら、馬鹿にするつもりでいたのだ。しかしハルは黙って受け取って作業を始めてしまった。
 自分の思惑と違ったことが、余計にリーダーをいらいらさせたのだろう。

 この出来事は、社員を動員しての揉め事にあがった。次の日には、ひとりひとり面接を受け、ハルも言いたいことの半分程度は言ってみた。

 それ以来、リーダーはハルの問いかけに答えなくなった。

 以前から見かねきっていたアキさんが、社員に話し、ハルを彼女の手元で指導することとなった。

 しかし、ハルを困らせるための台帳の操作はしばらく続いた。

(続く)



200918(木)

枯(7)

物語×41

(続き)

 ちゃんと仕事が出来ないと、修理部門の名を下げることになると思ったから、ハルは熱心にリーダーに尋ねた。ハルより一週間前に入ったスウコもいたから、実際指導期間でもあった。

 最初、リーダーは修理で使用する運針のしかたを教えてくれた。しかし彼女はすぐに指導という行為に飽きて、
「自分で考えて」
と言い捨てるようになった。

 修理にあたって、何も予備知識がないのに、しかも剣道防具に関してすら知らないのに、いきなり自分で考えてといわれれば、言われたほうは困る。もっとも修理方は確立されておらず、けっこういい加減なところもあったらしいが、出来上がったものを一目見て、

「それちがう」
「これはやり直し」

 言われ続ければ、じゃあ先に基本を教えてください、と思う。
 でもそれは彼女達は言わない。聞けば、運針だけ教える。運針を教えてもらいたいのではない、細かい気配りや要点を教えて欲しいのだ。いままでどうやっていたのか、ヒントが欲しいのだ。そして失敗すれば、聞かないで突っ走ったハルが悪いと言われて終わる。

 目隠しをして、どこか知らないところに捨てられ、現地の人にそこがどこかを聞かずに戻って来い、サバイバルをしろと言うのにも今から思うと似ていた。

 採用のとき、確かに「剣道経験者優遇」という条件はあったが、採用したのはリーダーではなく、会社の経営者だ。それともリーダーは、自分は何でも知っているから、頭を下げて頼みに来いと言いたかったのだろうか。でも、「仕事」と見てしまったハルはそんなこと思いも付かなかった。どうしていいかわからなかった。
 知識を与えてもらうことに関して頭を下げる気持ちは大いにあるけれど、代わりに遣ってもらうことは全く考えていなかったから。
 箱に入れて捨てられた子猫のように、ハルは一人不安を募らせた。

 それでも、ハルは聞いた。スウコと一緒に進んで行けばよかったのだろうけど、スウコは勤務時間も短めで、しかも何かにつけて動作が遅かった。
 質問もしなかった。理解して質問をしないのではなく、全てにおいてのろいので、いつまで経っても終わらないから進まない。スウコは何かにつけて本当に動作の遅い人だった。
 自分から積極的に動かず、誰かが来て指示を出すまで何もしないで立っていた。

「手が小さいから、針が上手に扱えなくってー」
「金属製の指貫が細くて入らなくってー」

その理由は間違ってはいない。だがスウコは工夫もしない。

 そういう意味ではハルは、確かに針には慣れていた。でも柔らかい布に針を通すのと、硬い皮に針をつきたてるのでは持ち方も加減も力の入れようも全く違う。
 指貫にしても同じだ。ハルは怪我防止のために巻きつけた皮を一緒にはめていると、指貫ができないとすぐわかった。
 それでアキさんにたずねて見せてもらったら、やっぱり輪は切られていて、ハルはそれにすぐに倣った。

 ところが、スウコはそれを目の当たりにしていたはずなのに、3ヶ月を過ぎてもそのままにして、何もしなかった。ただできない、できない、を繰り返した。

 もしずっと、そのままならば、仕事は続けられない。
 見かねたアキさんが手を出し、金属の指貫はヤスリで切られ、スウコはやっと指貫を使えるようになった。スウコはその間も何もしないでただ見ていた。

「スウコさん指貫使えるようになったから」
というアキさんに、リーダーは
「そう、よかったね、指貫使えないと仕事にならないもんねー」

と言ったが、それをわかっていたはずなのに、放っておいたのはリーダーだ。

 ハルの熱心さ、いやリーダーからはしつこさだったろうか。それに辟易して、メモを取るよう促したとき、スウコも一緒に用意した。ハルが一冊のノートにまとめている最中でも、スウコのメモは真っ白だった。そんなだから、必然的にハルのほうが進んでしまっていた。

 でもスウコは、バカではなかった。取り入ること、顔色を窺うことは上手だった。ハルと話すときもリーダーとハルヨの顔色を窺いながら話していた。

 アキさんと話すと、リーダーやハルヨがにらむので、ハルはそれ以外の近くの人にたずねたりもした。しかしそうやっていると必ず、ハルの周りから、上手な人は遠くに置かれた。
 席替えはしょっちゅうだった。経験者だからと安心して聞いたら、実はそれが根本的に間違っていたこともあった。リーダーはそれを今まで正してこなかった。
 経験者ですら修理の知識を互いに埋めてこなかったのだ。それなのに、影で腐す。

 ハルは誰に尋ねたらいいのかは判る。アキさんとリーダーだ。だがアキさんはハルと同じように、部屋の片隅に追いやられ、ひとつの作業をするよう押し込められている。

リーダーに聞けば、
「人の仕事の手を止めないで、ちゃんと考えて」とすごい顔でいう。

 その言葉は、「仕事の手を止めないで」は、ハルがハルヨに、漏らした言葉の裏返しだ。
「いつも忙しそうだから、聞くのが申し訳ないようで・・・」
といった自分の言葉だ。
 思いやりを、とげにして返してくる、酷い人たちだった。

ハルは気が付かなかったが、ハルヨは、ハルに対して失敗を促したり、そのことでハルをいちいち激しく怒るように吹き込んでいたようだ。意図はわからないが、あの偉そうな態度から思うに、自分たちのほうが優れていると、上であると見せ付けたかったのだろう。

リーダーは、ハルヨの囁きに乗じ、面白がって、いろいろないびりとも取れる仕打ちをハルにした。

(続く)



200917(水)

枯(6)

物語×41

(続き)

ここでハルが一番最初に指導を受けたのは、名前付けだった。それは商品をお買い上げいただいたサービスの一環として行なわれるもので、お金にはならなかったが、商品の付加価値を上げるものとして重要なものだったようだ。

身を守る防具は、硬い。今はウレタンなどを圧縮しているが、古来のやりかたでは布をたくさん重ねて厚みを持たせ、刺し子をして丈夫にする。だから値段の張るものほど硬い傾向があり、名前を付けるために刺す針が曲がったり折れたりするのに気をつけねばならなかった。

ハルは連続3日間、練習用に渡されたものと格闘して、4日目からは、本番として名前を付けるように言われ、付けた。時間はかかったが、一つ一つリーダーに見せて、具合などを確かめた。だが、そのときはまだお互いに普通だった、と思う。

そして6日目。

ハルもリーダーも、
「これはきれいに出来た」
というものがあった。硬い素材の高級品だったから、時間より丁寧さを取って頑張ってみた。その日は、たまたま社長が作業場を覗きに来て、その仕事がたまたま目に付いたらしい。

社長はしげしげと見て、一言、
「お、綺麗だ」
と言った。

 たいていの人は、引きが甘い、針目が悪いといわれたらしいが、ハルは褒められた。褒められれば誰だって嬉しい。もちろん仕事なのだから。思わずよかったと安心した。
そのままだったら、ハルはみんなから妬まれても仕方が無いかもしれない。

けれど、その後に社長は聞いた。
「何分でつけたんだ」
「20分です」

 20分と言っても、片方だけをつけた時間ではない。両方だ。

「20分!こんなの5分でつけなくちゃダメだよ、じゃないとお金にならないよ!」

おそらく社長は、片方の時間だけだと思ったのだとは思うけれど。

ハルはそれでひるんだ。困った表情になったのかもしれない。実際に一週間やそこらで経験者と同じ高みを示されても困る。これから頑張っていくとしても、どのくらいでそうなるかすら、見当もつかないのだ。
社長はそれを見て取って、
「もちろん慣れたら、ね」
と付け加えた。

 しかし驚いたのも事実で、ハルは思わずリーダーに聞いた。
「みんな5分でつけてしまうんですか」
「5分でつけられるならね~・・・・」

5分でつけられるなら。

 言われた言葉はなんだったろう。でもハルは、決してフォローをされたのではないと、感じた。

「針使える人でよかったと思ったのに」

リーダーは落胆したような言葉を言った。
社長になのか、それともハルになのか、そこまではわからなかった。

家族経営の小さな会社。といっても、株式会社なのだ。立ち上げてから今まで、社長がどのくらい仕事の鬼となっていたか、かつて男社会のど真ん中で働いていたハルには、なんとなくだけどわかる気がした。
気がしただけなので、実際には誰にも言ってはいない。
並大抵のことではなかったはずだ。理不尽に頭を下げる苦労、無理にこたえなければならない苦労。

男社会で働いていたのはアキさんも同じだった。長いこと建築図面を引いてきた。ずっと図面を引いてきたのだが、お姑さんが寝たきりになったので介護をすることになり、その仕事はやめたと聞いた。

他の皆はどんなことをしていたか知らない。
ただ、アキさんとハルは仕事への挑み方が明らかに違った。もくもくと淡々と仕事をする。アキさんもハルも仕事には段取りと経験が必要だと知っていた。ただハルには、この仕事の経験はない。だが経験は少しづつ溜まっていくものだ。

ハルの待遇をもっと悪くしてしまったのは、ハルの見た目の可愛らしさだった。

物言いの大人しさ、うるさくなさ、仕事への熱意。そんなこんなもあって、社長に気に入られるたらしく、
「ハルちゃん」
と呼ばれるようになった。
もちろん、それにハルは、甘えはしなかった。


「以前は揃って『「おばさん方』」と呼んでいたのに、若い人が入ってきて、社長も嬉しいのかしらね。」

70間近のパート女性からそう聞いたのは、リーダーとハルヨが揃って子ども達の行事で居ない日のことだった。

 ハルは、自分がリーダーより上だと何回も言わなければならなかった。
おばさんと言ってもらって、同じであると思って欲しかったから。

(続く)



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