物語(41)
2008年10月17日(金)
専守防衛(8)
物語×41
(続き)
気が付いたら、朝だった。
異常なまでに興奮した脳は、すっかり疲れ、途切れるように眠りに落ちたのだ。
すでに朝の10時を過ぎていた。
サトルは、休日の朝だというのに、朝早く出かけてしまったようで、いなかった。
会社の友人と出かける約束をした、と一昨日に言っていたのを思い出す。
ちょっと先に起きた子ども達のために食事を用意し、自分ものろのろと食卓の椅子に腰掛けた。
「ここを出て行く勇気があればいいのかな。そのほうがいいのかな。でも出て行ってどこに行けばいいのかな?子ども達のゴハンはどうするの?家出するならどのくらいお金を持っていけばいいのかな?あーあ。でも家を出ても結局探してくれないんだろうな、・・・前だってそうだったし」
以前、家を勢いで飛び出したときの事をサユリは思い出した。
子ども部屋に2段ベッドがある。
上の子どもは使うに十分な年なので上に寝ていたのだが、下の子はそれをうらやましがった。
それではしごを昇った。
昇って、達成感に浸ってみたが、そこに飽きてみて、降りられないと判った。
降りられないと判ってようやく、下の子は困った。
その間、サユリとサトルは、同じ階の台所で、片づけをしていた。
間に合わせの食器棚から、そろそろいらなくなったミルクビンを捨て、代わりに出したり掃除をしたりなどをしていた。
親が見えなくても、そばにいるのだから、声なり出して呼べばよかったものを、下の子はなぜか、呼ばなかった。お姉ちゃんが上がり下りしているのを自分も出来ないはずがないと確信していたのかもしれない。
しかし体の大きさ、足の長さ、運動機能、どれをとっても8歳の子どもと1歳後半の子どもでは違いすぎた。
下の子は、どすん、と音をたてて落ちた。
その間、上の子は、下の子と遊ぶのに飽きて、マンガを読んでいた。
はしごに登ったときには、大人を呼ぶように言ってはあったが、友達から借りたものに夢中で、同じように下の子がベッドの上で遊ぶことに夢中な様子を見て、呼ばなかったらしい。両親が、がさごそと動いている音を聞いて、安心していたのかもしれない。
落ちて、親が何事かと駆けてきてから、上の子は、下の子が落ちたのに、気が付いたようだった。
サユリは慌てて下の子を抱き上げ、様子を見た。
大声で泣いてはいるが、骨が折れて痛いのか、までは、まだ判らない。
しばらくしてみると、特に骨も折れておらず、頭を打っても居ず、落ちたのも上からではなく、途中真ん中あたりからのようだと知って、ほっとした。
しかし、そうなると、同時に腹も立つものだ。
「何故教えてくれなかったの」とサユリは上の子を問い詰めた。
上の子は、今までの育ちからくる暢気さと、親はいつも絶えず子どもを見ているものだという気持ちがあった。それだけサユリたちは、上の子をしっかりと見ていたのだ。
だから上の子が、他人を見る必要などないと思うところがあったのだろう。
そんな部分が、暢気で他人事のような、何が起こったのかわからない、そう、ことの重大さを判っていないような表情を見せた。
言い聞かせてもわからないの?
サユリはつい手を挙げた。
手を挙げて、上の子は驚いて身をすくめた。
注意された理屈が判ったからではない。自分が叩かれるという恐怖と驚きだ。そこから身を守るための反射だ。
叩かれても、上の子は、何が悪かったのか判らない、という顔をしていた。
その間、サトルは、離れて、だまってそれを見ていた。
サユリが下の子が泣いているのを抱きかかえ、おろおろしているときにも、上の子に今の出来事を言い聞かせて、それでも話が通らないと手を挙げたときでも、ただ見ていた。
それは、子どもが泣けばすぐ母親に渡してきた報いでもあった。
突然、何事かが起こればサトルには何も出来ないのだ。わかりきっていた。おなかが空けば、おっぱいを与えるために母親に連れてきてくれるし、オムツが気持ち悪ければ換えてくれても、手早さはサユリに敵わない。
もたもたして余計に子どもは不安になってしまう。
それはサユリがサトルにあまり育児をさせてこなかったことの報いとも言えた。
サトルがだまって見ていたことに、サユリはまた腹が立った。
「サトルは私を尊重したいと言ったけど、これじゃ私だけが悪者じゃない!サトルは子どもに注意をしないじゃない!下の子どもが、何事もなかったからよかったようなものの、もし何かあったらどうするの!?病院に行くと言ったって電話するのも受付するのも卯tれていくのも経過を話すのも、結局は全部私がしているじゃない!なぜいつも、そんなにおろおろしているだけなの?」
怒りは上の子へのものと、サトルへのものがまぜこぜになった。矛先も変わって安定しなくなった。
「なんで私を止めないのよ、私が子供たちを殺しちゃったら、どうするのよ!何か、なにかあったら、私はどうしたらいいかわからない!!」
サトルを責めたって仕方無い部分もあるし、サユリにだって目を離したという責任はある、そんな自責も手伝って、サユリの怒りの矛先は自分に向いた。
「いつも遠くから眺めていないで、たまには直面して!」
怒りというよりは願いのようになったが、これは声にはならなかった。
言ったら、全てが壊れるんじゃないかとサユリはなぜか思うのだ、なぜか。
サユリはその場に居ることがやはり辛くなって、その場を逃げ去るかのようにかばんを掴み、着のみ着のまま家を飛び出した。
サトルが伸ばした手を振り払い、止める声も聞かず、文字通り、飛び出した。
このままではあの子達を殺してしまう。
そんなことはしないけど、死んでしまうんじゃないか。
その気持ちから逃げるかのようでもあった。
ただただ、怖かった。
(続き)
気が付いたら、朝だった。
異常なまでに興奮した脳は、すっかり疲れ、途切れるように眠りに落ちたのだ。
すでに朝の10時を過ぎていた。
サトルは、休日の朝だというのに、朝早く出かけてしまったようで、いなかった。
会社の友人と出かける約束をした、と一昨日に言っていたのを思い出す。
ちょっと先に起きた子ども達のために食事を用意し、自分ものろのろと食卓の椅子に腰掛けた。
「ここを出て行く勇気があればいいのかな。そのほうがいいのかな。でも出て行ってどこに行けばいいのかな?子ども達のゴハンはどうするの?家出するならどのくらいお金を持っていけばいいのかな?あーあ。でも家を出ても結局探してくれないんだろうな、・・・前だってそうだったし」
以前、家を勢いで飛び出したときの事をサユリは思い出した。
子ども部屋に2段ベッドがある。
上の子どもは使うに十分な年なので上に寝ていたのだが、下の子はそれをうらやましがった。
それではしごを昇った。
昇って、達成感に浸ってみたが、そこに飽きてみて、降りられないと判った。
降りられないと判ってようやく、下の子は困った。
その間、サユリとサトルは、同じ階の台所で、片づけをしていた。
間に合わせの食器棚から、そろそろいらなくなったミルクビンを捨て、代わりに出したり掃除をしたりなどをしていた。
親が見えなくても、そばにいるのだから、声なり出して呼べばよかったものを、下の子はなぜか、呼ばなかった。お姉ちゃんが上がり下りしているのを自分も出来ないはずがないと確信していたのかもしれない。
しかし体の大きさ、足の長さ、運動機能、どれをとっても8歳の子どもと1歳後半の子どもでは違いすぎた。
下の子は、どすん、と音をたてて落ちた。
その間、上の子は、下の子と遊ぶのに飽きて、マンガを読んでいた。
はしごに登ったときには、大人を呼ぶように言ってはあったが、友達から借りたものに夢中で、同じように下の子がベッドの上で遊ぶことに夢中な様子を見て、呼ばなかったらしい。両親が、がさごそと動いている音を聞いて、安心していたのかもしれない。
落ちて、親が何事かと駆けてきてから、上の子は、下の子が落ちたのに、気が付いたようだった。
サユリは慌てて下の子を抱き上げ、様子を見た。
大声で泣いてはいるが、骨が折れて痛いのか、までは、まだ判らない。
しばらくしてみると、特に骨も折れておらず、頭を打っても居ず、落ちたのも上からではなく、途中真ん中あたりからのようだと知って、ほっとした。
しかし、そうなると、同時に腹も立つものだ。
「何故教えてくれなかったの」とサユリは上の子を問い詰めた。
上の子は、今までの育ちからくる暢気さと、親はいつも絶えず子どもを見ているものだという気持ちがあった。それだけサユリたちは、上の子をしっかりと見ていたのだ。
だから上の子が、他人を見る必要などないと思うところがあったのだろう。
そんな部分が、暢気で他人事のような、何が起こったのかわからない、そう、ことの重大さを判っていないような表情を見せた。
言い聞かせてもわからないの?
サユリはつい手を挙げた。
手を挙げて、上の子は驚いて身をすくめた。
注意された理屈が判ったからではない。自分が叩かれるという恐怖と驚きだ。そこから身を守るための反射だ。
叩かれても、上の子は、何が悪かったのか判らない、という顔をしていた。
その間、サトルは、離れて、だまってそれを見ていた。
サユリが下の子が泣いているのを抱きかかえ、おろおろしているときにも、上の子に今の出来事を言い聞かせて、それでも話が通らないと手を挙げたときでも、ただ見ていた。
それは、子どもが泣けばすぐ母親に渡してきた報いでもあった。
突然、何事かが起こればサトルには何も出来ないのだ。わかりきっていた。おなかが空けば、おっぱいを与えるために母親に連れてきてくれるし、オムツが気持ち悪ければ換えてくれても、手早さはサユリに敵わない。
もたもたして余計に子どもは不安になってしまう。
それはサユリがサトルにあまり育児をさせてこなかったことの報いとも言えた。
サトルがだまって見ていたことに、サユリはまた腹が立った。
「サトルは私を尊重したいと言ったけど、これじゃ私だけが悪者じゃない!サトルは子どもに注意をしないじゃない!下の子どもが、何事もなかったからよかったようなものの、もし何かあったらどうするの!?病院に行くと言ったって電話するのも受付するのも卯tれていくのも経過を話すのも、結局は全部私がしているじゃない!なぜいつも、そんなにおろおろしているだけなの?」
怒りは上の子へのものと、サトルへのものがまぜこぜになった。矛先も変わって安定しなくなった。
「なんで私を止めないのよ、私が子供たちを殺しちゃったら、どうするのよ!何か、なにかあったら、私はどうしたらいいかわからない!!」
サトルを責めたって仕方無い部分もあるし、サユリにだって目を離したという責任はある、そんな自責も手伝って、サユリの怒りの矛先は自分に向いた。
「いつも遠くから眺めていないで、たまには直面して!」
怒りというよりは願いのようになったが、これは声にはならなかった。
言ったら、全てが壊れるんじゃないかとサユリはなぜか思うのだ、なぜか。
サユリはその場に居ることがやはり辛くなって、その場を逃げ去るかのようにかばんを掴み、着のみ着のまま家を飛び出した。
サトルが伸ばした手を振り払い、止める声も聞かず、文字通り、飛び出した。
このままではあの子達を殺してしまう。
そんなことはしないけど、死んでしまうんじゃないか。
その気持ちから逃げるかのようでもあった。
ただただ、怖かった。
(続き)
2008年10月14日(火)
専守防衛(7)
物語×41
(続き)
子どもが大きくなり、個の尊重を考え始めると、その部分が大きくのしかかってくるようになってきた。
なにしろ、子どもの成長は早い。
大人にとって5年は日常の長さでしかないのに、子ども達にとっては全く違う。
その成長の速さと、家族の連携の遅さのつりあわないじれったさにサユリは歯がゆい思いを何度もした。
成長に合わせて、掃除や片づけなど身の回りのことをきちんと教えてあげたいけれど、やっぱりここでは、最初のころのような、間に合わせのやっつけに戻っていた。
戻らされていたかもしれない。
あちこちで子どもに「丁寧に」とか「一緒に片付けよう」などといわれても、当然あるべきはずのものがないのに、そこを切り離して何とかするという小器用なことはサユリには出来なかった。
一時が万事、行き届き過ぎる傾向のある母である。
「私はね、『どうしても実家に戻る』、とあなたが言うから、それでもいいと思ったのよ。でも、この台所に、以前使っていた食器棚が置けないの、もうすぐ子どもの学習机を用意しなくちゃならなくなるのに、どうしたらいい?・・・・そう、今の食器棚のある場所に置くつもりなのね?じゃあ、あの食器棚はどうするの?・・・・以前から、話していたでしょう?買い替えも考えたよね、けど、結局はこのままにしていたじゃない。間に合わせの、この食器置き場も、居酒屋みたいで嫌いではないけど、棚が少なすぎる。・・・・あなたは、ずっと放っておいたでしょう?小さい子供をあやしながら、『しなくちゃしなくちゃ』と言いながら、『手伝うよ手伝うよ』と言って、もう5年経つのよ?」
サユリが言っている間、サトルは下をみて返事に困っていた。
下手なことをいうと、サユリは突っかかってくる。
それがサトルには怖くてたまらなかった。
言葉の使い方を間違えて油を注いだ失敗はたくさんあった。
サユリの丁寧なところは好ましいけれど、過ぎて神経質になると、サトルには手も足も出ない。
やはり一時が万事、行き届き過ぎる傾向のある嫁でもあるのだ。
どこでやめさせたらいいのか、
やめるように言うべきか考えているうちに、サユリはひとり先走って、つっかかってくる。
サユリの不満は自分たちのことだけはない。
義両親の住まいにもあった。
「あのね、家を建てたローンだって、私たちは半分以上を払ってるよ?きちんと光熱費も折半で払ってる。あなたの親世帯と、私たちとでは、生活のリズムが違うから、台所が別っていうのは嬉しいよ?でも下はあんなに広くてゆったりしているのに、なんで私たちは汲々としているの?子どもたちに居場所を与えて私たちはどこに行くの?どうして私たちだけが我慢しなくちゃいけないの?」
私たちというのは、わかっていた。
よっぽどに広い賃貸でなければ、サトルが楽しむための部屋を取れない。
実際に賃貸のとき、サトルの部屋は無かった。
サユリは家にいて、家事をしたり、子どもの事をしたりするために畳1畳ほどの空間を確保しても、サトルには、決まった場所はなく、何かをするときは、開いた場所を使うのだ。
もちろん使うときには、すぐ空けられる様にしてはいたが、それは、なんだか、サトルの居場所が無いようで悲しくもあった。居場所がないんじゃないかと思うことがひたすらに悲しくてたまらなかった。
新しい自分の建て直した家に来ても、ちゃんとした部屋はあたらなかった。
でも人のいいサトルだから、将来人が少なくなったら、あたるだろうからと、それで満足なのだという。
世の中は、対等でもなく、平等でもない。
自分の居場所を確保するために声高に騒ぐ人もいる。そう思うと、サユリはサトルにも同じように、居場所を作りたい。
だからサユリは出来るだけサトルと話し合って、待てるところは待ってきたのだ。
とはいえ、さすがにサユリもの堪忍袋の尾も切れ掛かっていた。
兆候は以前から出ていた。
引っ越してすぐ、新しい家族との目に見えない何かプレッシャーなどを感じたりした。
それは期待というものではなく、変わらなければならない、義両親の思いのようなものだと今でも思う。
また、家を離れれば、児童を子どもをとりまく環境の激変や、以前とは違った、研究された幼児の子育て論を聞けば聞くほど、自分には親の資格がないと思えてくるのだ。
ほんの6年の間に、180度変わっているような話を聞くことさえあった。
それが出来ないのは、親で居られない、親ではないと宣告されているような気がするのだ。
人は勝手に、自分の思うところを言う。
それを頭ではわかっていても、「人の言う事を聞きなさい」と育てられたサユリには、そこに抵抗することがためらわれた。
そういった目に見えないものに押しつぶされて、突っかかる回数が増え、いいがかりではないけれど、口調のきつくなるときが増えた。
サトルはサユリをそのたびに、なだめてきたのだが、今回ばかりはダメだった。
なんとかしようという思いだけが上滑りし、空回りする。泣くでもなく怒るでもなくサユリは食卓の上に突っ伏している。
サトルは、もう見つめるしか出来なかった。
決して無視してきたわけではない。
でも、サトルはそのつもりでも、「結果的に無視だった」と思わされれば、かける言葉も見つからない。
水面に浮かんだ氷の7割が沈むように、見える部分は理解できても、見えない部分はもっと大きいのだろう、見える部分がこれだけのエネルギーを抱えているのなら、見えない部分はもっとすごいのだろう。
「何も出来ない」とサトルは押し込められたように思った。
サユリはそれが嫌だった。
「何も出来ない」と閉じこもらないで、なぜ「何もしなかった」と感じないのか。
出来ることとすること、サユリは必要十分条件であって、サトルには出来ることは十分条件なのだ。
その違いは、男女の、考え方の、見かたの、動き方の、さまざまな違いでどうにもならないのかと、これほどまでに相手のことを思っているのに、と一層サユリを打ちのめした。
サトルの居場所を守るために、自分の居場所をないがしろにしてきた思った瞬間、胸に激痛が走った。
その痛みから、サユリは、声にならない、恐怖を引き起こすような癇癪を興し、その場から逃げ、心配して追いかけてくるサトルを無視して、布団にもぐった。
こんなに不満が募って、始終面白くない気持ちになるのなら、義両親たちと仲たがいする覚悟で別棟にすべきだったと思う。
同時に、反目しながら暮らしたほうがよかったんだろうか、と打ち消す自分もいる。
いやそれより、いやそれより。
延々と続く変えられない過去を悔い、その気持ちに溺れきって疲れ、サユリの肉体としての脳が先に参ってしまっていった。
(続く)
子どもが大きくなり、個の尊重を考え始めると、その部分が大きくのしかかってくるようになってきた。
なにしろ、子どもの成長は早い。
大人にとって5年は日常の長さでしかないのに、子ども達にとっては全く違う。
その成長の速さと、家族の連携の遅さのつりあわないじれったさにサユリは歯がゆい思いを何度もした。
成長に合わせて、掃除や片づけなど身の回りのことをきちんと教えてあげたいけれど、やっぱりここでは、最初のころのような、間に合わせのやっつけに戻っていた。
戻らされていたかもしれない。
あちこちで子どもに「丁寧に」とか「一緒に片付けよう」などといわれても、当然あるべきはずのものがないのに、そこを切り離して何とかするという小器用なことはサユリには出来なかった。
一時が万事、行き届き過ぎる傾向のある母である。
「私はね、『どうしても実家に戻る』、とあなたが言うから、それでもいいと思ったのよ。でも、この台所に、以前使っていた食器棚が置けないの、もうすぐ子どもの学習机を用意しなくちゃならなくなるのに、どうしたらいい?・・・・そう、今の食器棚のある場所に置くつもりなのね?じゃあ、あの食器棚はどうするの?・・・・以前から、話していたでしょう?買い替えも考えたよね、けど、結局はこのままにしていたじゃない。間に合わせの、この食器置き場も、居酒屋みたいで嫌いではないけど、棚が少なすぎる。・・・・あなたは、ずっと放っておいたでしょう?小さい子供をあやしながら、『しなくちゃしなくちゃ』と言いながら、『手伝うよ手伝うよ』と言って、もう5年経つのよ?」
サユリが言っている間、サトルは下をみて返事に困っていた。
下手なことをいうと、サユリは突っかかってくる。
それがサトルには怖くてたまらなかった。
言葉の使い方を間違えて油を注いだ失敗はたくさんあった。
サユリの丁寧なところは好ましいけれど、過ぎて神経質になると、サトルには手も足も出ない。
やはり一時が万事、行き届き過ぎる傾向のある嫁でもあるのだ。
どこでやめさせたらいいのか、
やめるように言うべきか考えているうちに、サユリはひとり先走って、つっかかってくる。
サユリの不満は自分たちのことだけはない。
義両親の住まいにもあった。
「あのね、家を建てたローンだって、私たちは半分以上を払ってるよ?きちんと光熱費も折半で払ってる。あなたの親世帯と、私たちとでは、生活のリズムが違うから、台所が別っていうのは嬉しいよ?でも下はあんなに広くてゆったりしているのに、なんで私たちは汲々としているの?子どもたちに居場所を与えて私たちはどこに行くの?どうして私たちだけが我慢しなくちゃいけないの?」
私たちというのは、わかっていた。
よっぽどに広い賃貸でなければ、サトルが楽しむための部屋を取れない。
実際に賃貸のとき、サトルの部屋は無かった。
サユリは家にいて、家事をしたり、子どもの事をしたりするために畳1畳ほどの空間を確保しても、サトルには、決まった場所はなく、何かをするときは、開いた場所を使うのだ。
もちろん使うときには、すぐ空けられる様にしてはいたが、それは、なんだか、サトルの居場所が無いようで悲しくもあった。居場所がないんじゃないかと思うことがひたすらに悲しくてたまらなかった。
新しい自分の建て直した家に来ても、ちゃんとした部屋はあたらなかった。
でも人のいいサトルだから、将来人が少なくなったら、あたるだろうからと、それで満足なのだという。
世の中は、対等でもなく、平等でもない。
自分の居場所を確保するために声高に騒ぐ人もいる。そう思うと、サユリはサトルにも同じように、居場所を作りたい。
だからサユリは出来るだけサトルと話し合って、待てるところは待ってきたのだ。
とはいえ、さすがにサユリもの堪忍袋の尾も切れ掛かっていた。
兆候は以前から出ていた。
引っ越してすぐ、新しい家族との目に見えない何かプレッシャーなどを感じたりした。
それは期待というものではなく、変わらなければならない、義両親の思いのようなものだと今でも思う。
また、家を離れれば、児童を子どもをとりまく環境の激変や、以前とは違った、研究された幼児の子育て論を聞けば聞くほど、自分には親の資格がないと思えてくるのだ。
ほんの6年の間に、180度変わっているような話を聞くことさえあった。
それが出来ないのは、親で居られない、親ではないと宣告されているような気がするのだ。
人は勝手に、自分の思うところを言う。
それを頭ではわかっていても、「人の言う事を聞きなさい」と育てられたサユリには、そこに抵抗することがためらわれた。
そういった目に見えないものに押しつぶされて、突っかかる回数が増え、いいがかりではないけれど、口調のきつくなるときが増えた。
サトルはサユリをそのたびに、なだめてきたのだが、今回ばかりはダメだった。
なんとかしようという思いだけが上滑りし、空回りする。泣くでもなく怒るでもなくサユリは食卓の上に突っ伏している。
サトルは、もう見つめるしか出来なかった。
決して無視してきたわけではない。
でも、サトルはそのつもりでも、「結果的に無視だった」と思わされれば、かける言葉も見つからない。
水面に浮かんだ氷の7割が沈むように、見える部分は理解できても、見えない部分はもっと大きいのだろう、見える部分がこれだけのエネルギーを抱えているのなら、見えない部分はもっとすごいのだろう。
「何も出来ない」とサトルは押し込められたように思った。
サユリはそれが嫌だった。
「何も出来ない」と閉じこもらないで、なぜ「何もしなかった」と感じないのか。
出来ることとすること、サユリは必要十分条件であって、サトルには出来ることは十分条件なのだ。
その違いは、男女の、考え方の、見かたの、動き方の、さまざまな違いでどうにもならないのかと、これほどまでに相手のことを思っているのに、と一層サユリを打ちのめした。
サトルの居場所を守るために、自分の居場所をないがしろにしてきた思った瞬間、胸に激痛が走った。
その痛みから、サユリは、声にならない、恐怖を引き起こすような癇癪を興し、その場から逃げ、心配して追いかけてくるサトルを無視して、布団にもぐった。
こんなに不満が募って、始終面白くない気持ちになるのなら、義両親たちと仲たがいする覚悟で別棟にすべきだったと思う。
同時に、反目しながら暮らしたほうがよかったんだろうか、と打ち消す自分もいる。
いやそれより、いやそれより。
延々と続く変えられない過去を悔い、その気持ちに溺れきって疲れ、サユリの肉体としての脳が先に参ってしまっていった。
(続く)
2008年10月11日(土)
専守防衛(6)
物語×41
(続き)
ケンカの原因は、積み重なったものがあってこれとはっきりは判らない。
きっかけは、小さなことである。
新しい家の、サユリたちが主に居住する2階の台所の下に階段があった。はじめの設計では、この階段の上は天井まで吹き抜けだった。
新しい生活でも、当面は買い換えた食器棚と、冷蔵庫を並べて台所に置くつもりだったので、それでは、サユリたちの台所はずいぶん狭くなり、冷蔵庫以外の家電を置くには家具を買い換えなくてはいけなくなる。
食器棚は、使って4年しか経っていないために、捨てることはまだ考えられなかった。
あのときだって、家を建てたときのような熱心さで、使い勝手と価格の面で一番兼ね合いのいいものを厳選したものだから。
家を建て替えた直後で、他のものに回すお金のゆとりも考えられなかった。
そこで、サユリは、階段を上るときに圧迫感を感じない程度に吹き抜けをさえぎることを申し入れた。さえぎった裏側が台所のカウンターになってそこに家電を載せれば、狭い台所も有効に使えると思ったからだ。
それは役に立った、そこに不満はない。
不満なのは些細な部分だ。
食器棚と、冷蔵庫の寸法を測って、あわせてもらったが、そこにゆとりは無かった。
それは高齢の親と同居するために、いずれ手すりをつけられるようにと廊下を広く取ったためと、家のバランスから計算された通し柱があったからだった。
でも、ぎりぎりでも入ればいいと二人は快諾した。
しかし、出来上がってみれば、そのカウンター天板は、カウンターと言ってしまったばかりに、横へ5センチほどの張り出しが生まれていた。
引っ越す前に、切って貰うことはすぐ考えた。
けれど出来上がって直後の家に傷を付けることは、自分も含め皆嫌がった。
ぎりぎりだったために、食器棚と冷蔵庫を並べて置けなくなり、件の食器棚はテレビ横に一時的に本棚として置かれた。
引っ越しが終わったら、すぐ、一番最初に食器を出し、食事の支度をしたかった。
引越しの準備で子ども達にも自分もサトルも出来合いの食事ばかりが増えていた。
出来合いでは無い料理を食べたかった。
だけど、まずそれが来なかった。
あちこち駆けて歩く子どもがいるその頃のサユリには、誰かの手伝いが無ければ、長時間の買い物も出来なかった。一週間、台所に関しては何も出来なかった。
越して初めてのサトルの会社の休日、赤ん坊を背負って、二人でホームセンター行き、そこで柱材と、壊れたので捨てるつもりだった、組み立て家具の棚板を組み合わせ、間に合わせの食器置き場を用意した。
それは、居酒屋のような感じだったので、二人は面白がった。
そのうちに、なんとかしようと約束をして、それっきりになった。
(続く)
ケンカの原因は、積み重なったものがあってこれとはっきりは判らない。
きっかけは、小さなことである。
新しい家の、サユリたちが主に居住する2階の台所の下に階段があった。はじめの設計では、この階段の上は天井まで吹き抜けだった。
新しい生活でも、当面は買い換えた食器棚と、冷蔵庫を並べて台所に置くつもりだったので、それでは、サユリたちの台所はずいぶん狭くなり、冷蔵庫以外の家電を置くには家具を買い換えなくてはいけなくなる。
食器棚は、使って4年しか経っていないために、捨てることはまだ考えられなかった。
あのときだって、家を建てたときのような熱心さで、使い勝手と価格の面で一番兼ね合いのいいものを厳選したものだから。
家を建て替えた直後で、他のものに回すお金のゆとりも考えられなかった。
そこで、サユリは、階段を上るときに圧迫感を感じない程度に吹き抜けをさえぎることを申し入れた。さえぎった裏側が台所のカウンターになってそこに家電を載せれば、狭い台所も有効に使えると思ったからだ。
それは役に立った、そこに不満はない。
不満なのは些細な部分だ。
食器棚と、冷蔵庫の寸法を測って、あわせてもらったが、そこにゆとりは無かった。
それは高齢の親と同居するために、いずれ手すりをつけられるようにと廊下を広く取ったためと、家のバランスから計算された通し柱があったからだった。
でも、ぎりぎりでも入ればいいと二人は快諾した。
しかし、出来上がってみれば、そのカウンター天板は、カウンターと言ってしまったばかりに、横へ5センチほどの張り出しが生まれていた。
引っ越す前に、切って貰うことはすぐ考えた。
けれど出来上がって直後の家に傷を付けることは、自分も含め皆嫌がった。
ぎりぎりだったために、食器棚と冷蔵庫を並べて置けなくなり、件の食器棚はテレビ横に一時的に本棚として置かれた。
引っ越しが終わったら、すぐ、一番最初に食器を出し、食事の支度をしたかった。
引越しの準備で子ども達にも自分もサトルも出来合いの食事ばかりが増えていた。
出来合いでは無い料理を食べたかった。
だけど、まずそれが来なかった。
あちこち駆けて歩く子どもがいるその頃のサユリには、誰かの手伝いが無ければ、長時間の買い物も出来なかった。一週間、台所に関しては何も出来なかった。
越して初めてのサトルの会社の休日、赤ん坊を背負って、二人でホームセンター行き、そこで柱材と、壊れたので捨てるつもりだった、組み立て家具の棚板を組み合わせ、間に合わせの食器置き場を用意した。
それは、居酒屋のような感じだったので、二人は面白がった。
そのうちに、なんとかしようと約束をして、それっきりになった。
(続く)
2008年10月10日(金)
専守防衛(5)
物語×41
5(続き)
判ったつもりでも、その制約はやはり厳しかった。
神棚の上は誰も歩けないから物入れにするとか、
上下で住まいを分けたとき、階段の位置をどうするかとか、水回りの位置について、だとか。
やっぱりどうしようもないほど悩んだ。
親たちは実際に住んでいる、今の間取りで満足してまた同じ間取りにしようとしているが、その上に住む私たちは間取りを考えて決めなくてはならなかった。
折り合いをつけなくては、家は建たない。
モデルハウスを参考にしてみようと、話を聞いたら、モデルハウスはあくまで「見せる家」なので実際にすむとなると、ずいぶん不便な、金食い虫の面もありますよ、という話を聞いた。
家をつくるための本も参考になるかと思って、見た。
望みというのは、決まっているようで意外と漠然としているのだとサユリは思った。
できなかった部分ももちろんたくさんあったが、什器を決めるときや内装などに参考になった。
何度かにわたる打ち合わせの結果、決まった間取りは、一級建築士さんが、機能の割に部屋数もあるのに、ずいぶん総面積のすくない、最大限のコンパクトさだと、感心したほどに納まった。
何しろ義両親の居住面積の広さが半端じゃないから、私たちはコンパクトにするしかなかったのだ。
賃貸で暮らした経験の強みだとサユリは苦笑した。
間取りと平行して什器を決めていく。
殆どは現物がどんなものになるか、色はどうするかという確認のためなのだけど、サトルに任せておくと、家のなかで動くのは女だろうからと言って何も決まらない。
ほぼサユリの独断場でもあった。
工務店で用意してくれるものは、あくまでも最低限の使いよさなのだ。
親たちも、間取りはチェックしても、多彩すぎる什器には気がまわらないらしい。
井戸から水道に、かまどから電気炊飯器になった便利さ。
機能の面ではそのくらい違うのだけど、見た目は何も変わっていない難しさがあると思った。
サユリは工務店から渡されたカタログを見た。
台所、トイレ、お風呂、洗面台。
カタログを読み込むと、いろいろなオプションが見えてくる。
そのときほど家のことを勉強したことはないな、と思うほどカタログを見た。
見たというより読みこんで、一時的に什器メーカーの人より詳しくなった気さえした。
サユリはいつもサトルの身長が高いことを気にしていた。
顔を洗うと、腰を深く曲げることになるのだが、背が高い分どこかに無理がかかるらしく腰が痛いと笑っていた。
天井が低い前の家は、頭をぶつけそうになって猫背になっていた。
いつも見ていたので、サユリは洗面台の台座を高くした。子ども達にとっては高くて使いにくいかもしれなくなるが、子どもは伸びる。踏み台だってある。
蛇口が固定式だと掃除も大変なのでシャワー変換できる、伸びるものにした。
トイレも悩んだ。
洋式トイレが主流の現在、タンク一体型の手洗いはつねづね使いにくいと思っていたからだ。洗面台は踏み台を使えてもトイレで用を足した後に、トイレに昇って手を洗うのは、賃貸で子どもの様子をみていたサユリには違和感を持った。
それで、トイレの手洗いはタンクと別にした。
義両親もそれをならった。
カタログを見て気がついたことをくわしく話すと、困ることやそれでいいことの予想がつき、さらに展示会に足を運ぶとイメージが鮮明になるらしい。
私の考えていることは、コストがかかるのもありますよ、断ったけれど、やはり義両親も使い勝手がいいほうが良いのだなと思った。
それを嬉しいとは思ったけれど、ちょっと責任を問われるような気もしてサユリは気が抜けなかった。
その間にもおなかは日に日に大きくなった。
平らになって腕に小さい赤ん坊を抱えるようになってもしばらく、赤ん坊の首が座るまで、何度も打ち合わせをした。
カタログを見て、現物を見て、図面を見た。
配線を確かめて、高さを確かめて、内装を見た。
子どもの部屋だって、ぞんざいにはしなかった。
ほとんど全てに一番うるさかったサユリだったが、独りで決めることだけはしなかった。
サトルや義両親に相談し、意見を聞き、折れたり、折れてもらったりした。
その凄まじさをなんとかクリアして、古い家を解体し、基礎が始まり、着工に入り、家が建ち、越してきて、ついに5年目を迎えた年、サユリは爆発したのだった。
(続く)
判ったつもりでも、その制約はやはり厳しかった。
神棚の上は誰も歩けないから物入れにするとか、
上下で住まいを分けたとき、階段の位置をどうするかとか、水回りの位置について、だとか。
やっぱりどうしようもないほど悩んだ。
親たちは実際に住んでいる、今の間取りで満足してまた同じ間取りにしようとしているが、その上に住む私たちは間取りを考えて決めなくてはならなかった。
折り合いをつけなくては、家は建たない。
モデルハウスを参考にしてみようと、話を聞いたら、モデルハウスはあくまで「見せる家」なので実際にすむとなると、ずいぶん不便な、金食い虫の面もありますよ、という話を聞いた。
家をつくるための本も参考になるかと思って、見た。
望みというのは、決まっているようで意外と漠然としているのだとサユリは思った。
できなかった部分ももちろんたくさんあったが、什器を決めるときや内装などに参考になった。
何度かにわたる打ち合わせの結果、決まった間取りは、一級建築士さんが、機能の割に部屋数もあるのに、ずいぶん総面積のすくない、最大限のコンパクトさだと、感心したほどに納まった。
何しろ義両親の居住面積の広さが半端じゃないから、私たちはコンパクトにするしかなかったのだ。
賃貸で暮らした経験の強みだとサユリは苦笑した。
間取りと平行して什器を決めていく。
殆どは現物がどんなものになるか、色はどうするかという確認のためなのだけど、サトルに任せておくと、家のなかで動くのは女だろうからと言って何も決まらない。
ほぼサユリの独断場でもあった。
工務店で用意してくれるものは、あくまでも最低限の使いよさなのだ。
親たちも、間取りはチェックしても、多彩すぎる什器には気がまわらないらしい。
井戸から水道に、かまどから電気炊飯器になった便利さ。
機能の面ではそのくらい違うのだけど、見た目は何も変わっていない難しさがあると思った。
サユリは工務店から渡されたカタログを見た。
台所、トイレ、お風呂、洗面台。
カタログを読み込むと、いろいろなオプションが見えてくる。
そのときほど家のことを勉強したことはないな、と思うほどカタログを見た。
見たというより読みこんで、一時的に什器メーカーの人より詳しくなった気さえした。
サユリはいつもサトルの身長が高いことを気にしていた。
顔を洗うと、腰を深く曲げることになるのだが、背が高い分どこかに無理がかかるらしく腰が痛いと笑っていた。
天井が低い前の家は、頭をぶつけそうになって猫背になっていた。
いつも見ていたので、サユリは洗面台の台座を高くした。子ども達にとっては高くて使いにくいかもしれなくなるが、子どもは伸びる。踏み台だってある。
蛇口が固定式だと掃除も大変なのでシャワー変換できる、伸びるものにした。
トイレも悩んだ。
洋式トイレが主流の現在、タンク一体型の手洗いはつねづね使いにくいと思っていたからだ。洗面台は踏み台を使えてもトイレで用を足した後に、トイレに昇って手を洗うのは、賃貸で子どもの様子をみていたサユリには違和感を持った。
それで、トイレの手洗いはタンクと別にした。
義両親もそれをならった。
カタログを見て気がついたことをくわしく話すと、困ることやそれでいいことの予想がつき、さらに展示会に足を運ぶとイメージが鮮明になるらしい。
私の考えていることは、コストがかかるのもありますよ、断ったけれど、やはり義両親も使い勝手がいいほうが良いのだなと思った。
それを嬉しいとは思ったけれど、ちょっと責任を問われるような気もしてサユリは気が抜けなかった。
その間にもおなかは日に日に大きくなった。
平らになって腕に小さい赤ん坊を抱えるようになってもしばらく、赤ん坊の首が座るまで、何度も打ち合わせをした。
カタログを見て、現物を見て、図面を見た。
配線を確かめて、高さを確かめて、内装を見た。
子どもの部屋だって、ぞんざいにはしなかった。
ほとんど全てに一番うるさかったサユリだったが、独りで決めることだけはしなかった。
サトルや義両親に相談し、意見を聞き、折れたり、折れてもらったりした。
その凄まじさをなんとかクリアして、古い家を解体し、基礎が始まり、着工に入り、家が建ち、越してきて、ついに5年目を迎えた年、サユリは爆発したのだった。
(続く)
2008年10月10日(金)
専守防衛(4)
物語×41
4(続き)
サトルの実家は、広い純然たる日本家屋の平屋で、二階をつくるという話は以前からあった。しかしすでに築50年、しかも現在の安全基準から見ると、柱が重さに耐えられない、と言われたらしい。
かといって増築するには、土地の問題があった。
市街地ならともかく、周辺に農地をたくさん抱えたこの地域は首都圏の食を賄う地域でもあるので調整区域となり、いちいち手続きが面倒なのだ。
家を建て替えること、それは嬉しかった。
ようやく落ち着けると思った。
母の世代がしていたようなレースや手芸のあふれた家を目指そうとは思わなかったけど、子供の作品を壁に飾るとき、躊躇することは少なくなると思った。
でも。
でも、なのだ。
その頃、サユリのおなかには、二人目の子どもが居た。
生まれてくる子どもの世話や、生まれた直後に小学校に上がる子どもがいることを考えると、気持ちはけして軽くはならなかった。
だから、もうすこし後でもいいですよと言ってもみた。
けれど、やっぱり勢いは止まらない。
勢いが出ると止まらないのは、運転と似ている、誰だって止めることは難しいのだな、と思った。
そういう自分だって「間に合わせ」を続けられなくなって引越ししたがったのだし。
もし、その引越しを止められていたら、神経症的なところはもっと酷くなっただろう。
事実、間に合わせから脱出した「安心」は副作用のように神経症の部分を表に出させて、サユリは1年以上通院しなくてはならなかったのだから。
サトルの親との同居は気が重くはなかった。
が軽いともいえなかった。
長男は親と同居する、そんな時代でもないだろうとは思ったが、本人がずっと望んできたことにいちいち反対する理由もない。
実際に義両親は、人のことに関心をもって束縛しないではいられないほど、暇でもなかった。
サトルが幼い頃から成人するまでお店を営んでいて、共働きだったので、いろいろ苦労もあったのだろう。
近所の話を聞くことも多々あって、いろいろな揉め事も耳にした。
いろいろな人がいろいろなことを話すのをみて、物事を客観的に見ることに訓練された人たちだった。
賢い、良い人たちでもあった。
それでもやはり、進むにつれて存在は重たくなった。
彼らの人柄そのものではなく、こういう風にして欲しいと望む、その建て換えに求めることから生じる、サトル夫婦の居住場所への制約だった。
まず、サトルの親たちは、今まで住んでいた間取りを参考にしたので、いまどき滅多に作らない和室が、とても大きくなった。
和室だけで合わせると20畳ある。それでも以前の和室より狭いのだ。
参考にした家は義両親が建てたのではない。
サトルのおじいちゃんが、日本の景気のいい時代に建てたものなのだ。
しかし、この家は、いずれ人が少なくなる。
老いれば死に、子どもはいずれ巣立つ。
巣立ったものが戻ってくるかということには、子どもの伴侶にもよって予想もつかない。
三十路なかば過ぎ、今だ未婚のサトルの弟だって、結婚すればやはり一緒に住むことは考えないだろう。
すこし考え直したほうがいいのではないかと、サユリは話した。
「私たちが年取って二人になって、家の端から相方を呼んで、返事が聞こえないと思ったら死んでいた、なんて洒落にならないよ」
と洒落めかしても見た。
「呼んでる方も大声で心臓に負担がかかるかも」
サトルは胸を手で押さえて、うっという表情を作った。
洒落めかすと、サトルの反応はいいのだ。
今回は珍しく、すぐ答えが帰ってきた。
「オヤジが、葬式を出すときに、家から出して欲しいんだろうよ。じいちゃんもそうだったし。家から逝きたいんだよ」
サユリにはそれ以上何も言えなかった。飲み込まざるを得なかった。
彼らの望みなのだ。
それが。
(続く)
サトルの実家は、広い純然たる日本家屋の平屋で、二階をつくるという話は以前からあった。しかしすでに築50年、しかも現在の安全基準から見ると、柱が重さに耐えられない、と言われたらしい。
かといって増築するには、土地の問題があった。
市街地ならともかく、周辺に農地をたくさん抱えたこの地域は首都圏の食を賄う地域でもあるので調整区域となり、いちいち手続きが面倒なのだ。
家を建て替えること、それは嬉しかった。
ようやく落ち着けると思った。
母の世代がしていたようなレースや手芸のあふれた家を目指そうとは思わなかったけど、子供の作品を壁に飾るとき、躊躇することは少なくなると思った。
でも。
でも、なのだ。
その頃、サユリのおなかには、二人目の子どもが居た。
生まれてくる子どもの世話や、生まれた直後に小学校に上がる子どもがいることを考えると、気持ちはけして軽くはならなかった。
だから、もうすこし後でもいいですよと言ってもみた。
けれど、やっぱり勢いは止まらない。
勢いが出ると止まらないのは、運転と似ている、誰だって止めることは難しいのだな、と思った。
そういう自分だって「間に合わせ」を続けられなくなって引越ししたがったのだし。
もし、その引越しを止められていたら、神経症的なところはもっと酷くなっただろう。
事実、間に合わせから脱出した「安心」は副作用のように神経症の部分を表に出させて、サユリは1年以上通院しなくてはならなかったのだから。
サトルの親との同居は気が重くはなかった。
が軽いともいえなかった。
長男は親と同居する、そんな時代でもないだろうとは思ったが、本人がずっと望んできたことにいちいち反対する理由もない。
実際に義両親は、人のことに関心をもって束縛しないではいられないほど、暇でもなかった。
サトルが幼い頃から成人するまでお店を営んでいて、共働きだったので、いろいろ苦労もあったのだろう。
近所の話を聞くことも多々あって、いろいろな揉め事も耳にした。
いろいろな人がいろいろなことを話すのをみて、物事を客観的に見ることに訓練された人たちだった。
賢い、良い人たちでもあった。
それでもやはり、進むにつれて存在は重たくなった。
彼らの人柄そのものではなく、こういう風にして欲しいと望む、その建て換えに求めることから生じる、サトル夫婦の居住場所への制約だった。
まず、サトルの親たちは、今まで住んでいた間取りを参考にしたので、いまどき滅多に作らない和室が、とても大きくなった。
和室だけで合わせると20畳ある。それでも以前の和室より狭いのだ。
参考にした家は義両親が建てたのではない。
サトルのおじいちゃんが、日本の景気のいい時代に建てたものなのだ。
しかし、この家は、いずれ人が少なくなる。
老いれば死に、子どもはいずれ巣立つ。
巣立ったものが戻ってくるかということには、子どもの伴侶にもよって予想もつかない。
三十路なかば過ぎ、今だ未婚のサトルの弟だって、結婚すればやはり一緒に住むことは考えないだろう。
すこし考え直したほうがいいのではないかと、サユリは話した。
「私たちが年取って二人になって、家の端から相方を呼んで、返事が聞こえないと思ったら死んでいた、なんて洒落にならないよ」
と洒落めかしても見た。
「呼んでる方も大声で心臓に負担がかかるかも」
サトルは胸を手で押さえて、うっという表情を作った。
洒落めかすと、サトルの反応はいいのだ。
今回は珍しく、すぐ答えが帰ってきた。
「オヤジが、葬式を出すときに、家から出して欲しいんだろうよ。じいちゃんもそうだったし。家から逝きたいんだよ」
サユリにはそれ以上何も言えなかった。飲み込まざるを得なかった。
彼らの望みなのだ。
それが。
(続く)