20101020(水)

思うこと、いろいろ

考察×22

思うこと、いろいろ

先日、小熊の射殺話があった。
その話は、ここでは単純にきっかけなので、深読みしないでください。

1)野生動物との話

その後ニュースを見ていると、今年は熊が人里に降りた話が結構流れている。その原因をいくつか、専門家でもない、乏しい知識で考えてみた。

食べ物がなくなった。
→猛暑のため植物の結実などが悪かったので、食べ物を求めて降りてきた。

なわばり争いにまけた。
→上といくらか関連するが、その条件で十分な食べ物を確保するためさまよっているうちに、他のなわばりに入り込み、追われた。もしその年の収穫によってなわばりが変動するなら、個々のなわばりを広くしなければならなくなり、なわばりからあぶれた個体が降りてきた。

個体数が増えた。
→自然環境保護の効果で、小熊の自然死がすくなくなり、そのため絶対数が増えた。

熊の舌が贅沢になった。
→ちょっとびっくりしたのだが、こういう考え方も世間にはあった。山すそで人の作った作物をこっそりうばっているうちに、その味に慣れ、時候柄たくさん食べなくてはならないからと降りてきた。

それに絡んで、この近所ではハクビシンが出るのだが、
画像
ハクビシン
画像の出先(八溝県立自然公園)外部リンク
畑のとうもろこしが、そろそろ食べられるな、と人が思ったころ、あっという間に食べていくのだそうだ。
・・・実際に近所で話してくれた人がいた。とするとあながち嘘とも言い切れなくなってくる。

野生のハクビシンが何を食べるか、私は知らないので、一応WIKiをはっておく。
ハクビシンWIKI外部リンク

興味があったら、のぞいてみてください。
検索をかけたら、ハクビシン駆除という広告がでるので、人の世界ではあまり良く思われていないようだと感じた。

さて。
先にも言ったが、乏しい知識では、結局何が真実かはわからない。また彼らと会話が出来るわけでもないので、やっぱりその判断は人の考えるところになってしまう。

どれが正解で、どれが間違っている、とかではなく、
どれも正解で、どれも間違っている可能性がある。

という極めてあいまいな話になってしまって、そこから先にすすめなくなった。


2)遺伝子操作をしたネズミ

理系の、特に生物を扱う実験をするところではネズミが飼われている(ことがある)。

さて、その実験用ネズミには、自然の遺伝子を持っているものと、遺伝子を人為的に欠損させたノックアウトマウスとがある。私はこのあたりがどのように区別されて用いられているかは実際に関わっていないので分からない。

ノックアウトマウスとは遺伝子操作でもともと欠損を施すようにしたネズミだ。
もともと肝臓がなければ、とか、もともとホルモンの分泌がなければ、など実験を成り立たせるのに有効な事があるので、作った人工受精卵だ。

しかし・・・生まれてくると普通になってしまう。
操作しないネズミと外見も、何もかわることはない。
生き物の遺伝子は欠損すると可能な限りそれを補うようになっているらしい。
このあたりの話は、生物と無生物の間(福岡伸一)外部リンクから読み取ったものである。

ここからいえるのは、遺伝子がいくらか違ってもネズミはネズミであり、人は人であり、それぞれの生き物がそれぞれである違いは、遺伝子といわれていても、その遺伝子すらはっきりと確たるものではないといえそうだ。
私は専門家ではないので、あくまで想像になってしまうけれど。

さて彼らはその後どうなるかというと、実験の終わり、またはその途中で訪れる死がある。
いろいろな話をじかに聞いているので、私は、彼らノックアウトマウスの死は、人の病気を治す薬の開発に貢献することが多いため、薬を飲んで永らえることは彼らの命を頂いていると考えている。

彼らは、たくさん栄養をもらっているので、まるまるとして可愛く、グレーと、茶色と、黒と3色の毛があって、グレーの毛の子が一番おっとりしているそうだ。(注2)


3)自分の家のハムスターの話

我が家もささやかながら、生き物を飼っている。
今1歳半を超えた、ジャンガリアンハムスターの女の子。

実は、彼女は左足首から下がない。

今年の夏、ケージのワイヤーの隙間に左足を突っ込んで、とれなくなり、そのままもがいているうちに骨折した(らしい)。

市販のハムスター用ケージで、2階建てのつくりになっていた。金網に登ってがりがりするのが好きだったので、好きにやらせていた。二代目のハムスターだったし、いわゆる寿命を全うした(注1)ので、飼い方は大丈夫だと思っていた。
そしたら、そういう事故が起きた。後から、何気なくハムスターの飼い方の本を読んでいたら、上り下りは上手でなくあまりお勧めできないと。

まさに飼い主の不徳のいたすところである。
大いに反省しているし、今は別のケースに入れて足首がないながらも元気にしているので、ハムスターファンはどうか勘弁してください。

さて、彼女が骨折した時の様子に戻す。話が残酷になるがそれはご容赦いただきたい。

ケージは、我が家のトイレのドアの傍に置かれていて、彼女は人が覗くと、巣箱に入っていれば顔を出すし、下のほうを歩いていれば、はしごや金網を上ってやってくるし、人懐っこい子だった。
それがこっちは可愛くておやつをあげたり、起きていたら声を掛けて名前を呼んだりしていた。

朝、トイレにおきた家族がいつものように覗くと、彼女は。
ケージの隅っこで宙吊りになっていた。
小さな体からは結構血が出たらしく、細い帯のようになって流れ、しかも底のほうでは固まっていた。
発見者は死んだと思って仰天し、悲鳴が聞こえた。
私は、文字通り飛び起きて、様子を見にいった。

さきに到着した夫が、引っかかっていた足をそっと滑らしてはずすと、ハムスターはキュッと鳴いた。
生きていてほっとした。
どさりと落ちた彼女は、すすすとケージの隅に移動して、足をなめはじめた。

取るものもとりあえず、病院に連れて行った。
子供たちの朝ごはんもほったらかしで連れて行った。

病院では骨折は直せないと言われた。
ハムスターを多く診ているその先生が言うには、足が細すぎて、骨折の骨を立てられないこと、縫合の糸を噛んで解いてしまうことが理由だ。

折れた部分から下は、もうぶらぶらしている。
その病院のもう一人の獣医さんは、そのうちに、ぽろっとおちるんじゃないかとも言った。
どうやっても彼女は足を失うらしかった。

今思うと、私たちのその時の行動の意味は、理由は良くわからない。

私たちは、彼女の足を手術で取ってもらうことにした。それは腐るかもしれないという思いからだ。人だっておできができて、膿んだ痛みは相当なものだから。
傷をそのままにしておくことは、なんだか怖かった。
麻酔で死ぬかもしれないと言われたが、そこにためらいはなかった。

幸いな事に彼女は生きて帰ってきた。
足首から下をとり、レーザーで傷口を焼いてもらった。
先生は、落とした足を見せてくれた。
彼女の身体は変わった。

しかし性格は変わらなかった。人間を嫌いになるかと思ったけど、それは感じなかった。もともとおっとりした子で、怪我したときも私が触ることを嫌がらなかった。診察の時にはつかめるかと確認され、容易に抱き上げて(というかつかみあげて?)足を見せることもできた。
手術のあと、獣医さんに背中を撫でられても嫌がらなかった。
彼女は人に慣れていた、イヤではなかった。・・・もちろんここはただの想像である。
思いがけず血がたくさん流れてぼうっとしてたのかもしれない。

それでも、その後の回復は早かったと思う。
抗生物質を処方されたのだけど、それを嫌がらないので(もしかして甘いのか?)炎症もなかったようだし・・・。
言葉が通じないから、様子を見るのが精一杯。
子供用の小さいバケツにキッチンペーパーを引いて、そこにえさと水と、かじって遊べるものをいれ、毎晩取替え、寝室まで連れて行って、様子を見つづけた。
この感じで3日が経った夜中、彼女はミニバケツからジャンプして脱走するという荒業を見せてくれて家族一同があきれたが、ほっとした。
当然今年の暑い夏はエアコンの効いた中に一緒にいた。

今は歳をとったこともあるし、住まいを平屋にしたこともあって、眠っている時間のほうが長い。
フローリングの床を散歩させると、こつこつという音が響き、足を落としたことをかわいそうに思う。

足がなくても生きるほうがいいのか、足がなくなった時は死ぬ時なのか。
人間なら当然前者、家畜・ペットなら可能なら前者、しかし野生ならたぶん、後者なのか。

以前、病気のカラスの子供を保護したけど、親ガラスがその様子を見ていたところをみると、もうだめだったらしい。
獣医に連れて行く前に死んだ。

そろそろまとめねばならない。

野生の話、ノックアウトマウスの話、飼いハムスターの話。
生き物にはそれぞれにおかれた状況が違う。
一概に、ああだ、こうだと判で押したように同じではないと思う。

考えてみれば、生物が発生してから、現在に至るまで、種は生まれては滅び、生まれては滅び。
単細胞生物はすべて哺乳類に進化したわけでもなく、爬虫類はすべて絶滅したわけでもない。
恐竜の絶滅は原因は特定できないが、あっけなかった。

今は人間が名乗りを上げて地球を支配し任されているが、いつかはこの支配は終わるかもしれない。
強制的に?自滅的に?
それはやっぱりわからない。わからないことだらけだ。
知ろうとしないんじゃない。知ろうとしてもわからないのだ。

ただ人間は感情を持つ、それを動かすことのできる生き物だとも言われるらしい。いくら理性的に考えても、そこにかならず感情は入り込む。記憶が感情と結びついているように、感情なくして人の行動はありえない。
飼いハムスターの話を思い出している時は、時間が経っているのに、淡々と話しているはずなのに涙ぐんでしまった。

私がここで何をしたか。・・・思うまま、自分のメモリーをひけらかしただけだ。『思う』ことから発した感情と書くことがつながっている。

感情的で何がいけないのか。
感情的で何がいいのか。
どっちも行き過ぎれば、おかしくなる。
ならばそこまで行かないように、コントロールすべきなのではないか。
窮鼠猫をかむというように、追い詰められれば誰でもつらい。人同士でも、違う生き物でも、お互いの立場を考えてみることが出来はしないか。
共通の感覚はありはしないか。
お腹がすいた、寒い、暑い、苦しい、痛い。
共通するのは、そんなことばかりなのか。
地球について正確に知っている人はいないか。
誰か師はいないか。

結局感情的になった。
素人考え、個人の偏り。
ここから人は逃れられない。




注1)先代のハムスター、親子ではないが。
注2)この段落には「実験終了で最終的に生き残ったものは、希望すれば飼う事もできる」という記述があったが、それは私の思い違いでした。ごめんなさい。実際には法令で飼育禁止です。




20101013(水)

結納ショック

身内×11

身内が結婚する。

おめでとうと思った、

お祝いの金額をいくらにするかということでちょっと悩んだ。

式も披露宴もあげないで身内で食事会。

こちらは招待制ということを考えると、(もっとも会費制でも身内に対しては、金額は少なくないはずだが)金額は少なくないはずだ。


結納をしたのだろうか、などとふと考えた。


ここから狂気の時間が始まる

○・・・私
●・・・夫

○「ゆいのうショック!」
●「・・・で空が落ちてくる~♪」←忘れたらしい

(小声でずっと歌ってて、このあたりから裏声になってる)

●「おれとの愛を守るため~お前は旅立ち~」

●「明日を~見失った~ぁ!!」

○「微笑み忘れた顔など見たくはないさ~」

○●「愛をとりもどせ~~~~~!!」

駄洒落から北斗の拳の歌に二人してつながりました。




こんな私たちと親戚付き合いをするお嫁さんを、私たちはちょっと不憫だと、思いました・・・。



20101010(日)

感想文「アラバスター」


感想文「アラバスター」

漫画である。
1970年12月から1971年6月まで週間少年チャンピオンに連載された、手塚治虫のダークな作品である。このたび、一巻にまとめられたものが発刊されたので、購入して読んでみた。

手塚治虫、といえば、私は彼の作品を親子2代して楽しんだほうで、たくさんの単行本をそろえた。
鉄腕アトム、火の鳥、ブッダ、七色いんこ、ブラックジャック、バンパイア、どろろ、ワンダー3、ミクロイドS、リボンの騎士、ユニコ(リリカ版)・・・。
大人向けの作品はないところが、なんだかミソではある。

アラバスターは、手塚先生本人が、単行本化を渋っていた作品だという。当時、虫プロダクションの経営がうまく行かないこと、クレオパトラのアニメ化で作者の意見が通らなかったことなどで内面に大きな憂いを抱え、それがあったがために出来上がった作品だと、全集を発刊するから、初めて単行本化になったのだとあとがきに書いてあった。

なかなか単行本にならなかったのは、その救いようのなさからである。


ミュンヘンオリンピックで6つのメダルを獲得した、ニグロイドのジェームズ・ブロック。
彼は、オリンピックの活躍から、世界に注目されるようになった。そんな中、一人の女優、コーカソイドのスーザン・ロスの美貌にひかれて、彼女に手紙を出す。スーザンは、その手紙を受け取り、二人は頻繁に会うようになった。ジェームズは、スーザンにプロポーズをするが、スーザンは鼻で笑うように彼を退ける。起こったジェームズは、スーザンに対して暴力を働いてしまい、裁判となったが、ジェームズの話に耳を傾ける人は、いない。
彼がニグロイドだから。

刑務所に入れられた彼は、そこで、一人の科学者と出会う。
科学者の研究は、透明でないものを透明にすること。その実験は、ほぼ成功を収め、その装置も出来ていた。そのためにおきた人体実験により、逮捕されていた。ジェームズは、その装置を譲り受け、自分を透明にしようとする・・・。

ここにもう一人の主人公がいる。
亜美という名前の、コーカソイドの少女である。彼女は、その科学者の娘で胎児のときに母が透明化された。その影響で、生まれたときから透明化していき、幼稚園の頃には、すっかり透明になってしまった。
しかし、透明になっているだけで、そこにあるものがなくなったわけではない。
亜美は、おしろいをぬれば、化粧をすれば、可愛い姿でそこに見えるのだ。

その透明になることを、家族以外の他人に知られたことから、亜美とアラバスターは世界を敵に回していくことになる。


なんというかもう、そういう時代だったのだなと思うのだけど、あちこちに差別が象徴的に書かれている。

コーカソイドは、その他の人種を。
男は女を。
富めるものは貧しいものを。
国はその国民を。

力関係の上にいるものは、下にいるものが、どれだけ踏みにじられているか気にもとめない。そう「される」のが、当然だとでもいいたげだ。
特に、差別主義の象徴でもあるFBI捜査官ロック・ホームの考えや、彼が亜美に行ったしうちは、かなりひどい。

その中で、アラバスターの主題としているものは、美しいものと、醜いもの。
体が美しいといえば、その身体を醜くする。心が美しいと聞けば、その心を試して、わずかな醜さを見出しては、その心にふさわしいように、変える。
例の透明化の技をつかって。
大分あらすじを話してしまったので、これでお話が分かってしまうかもしれない。

海賊のむちうちという話をご存知だろうか。

敵の海賊船を捕らえて、その連中を痛い目に合わせるとき、彼らを丸く並べて、まず弱い力で目の前のものにむちを打たせる。うたれたものは、同じ力で前のものを叩く。それをずっとつなげていく。
それが次第にどんどん強くなって、皆が瀕死の状態になるというのだ。
実際にやってみれば、すべてが瀕死というのは、むちをたたくという行為があるため、そこまでは行かないだろうけど、その場にいた全員が、かなりいたい思いをするのは間違いない。
打つものは打たれるものの痛みは分からないし、打たれたものはうたれた以上の痛みを伝える。

今でも人は、小さな差を見つけ出し、差別をし続ける。その差別は少し大きくなって、また差別されているものにつながる。
そうしなければ生きられないとでもいいたげに。

その差別を止めるには、滅びるしかないようだ、とこの作品はそういう終わりを見せる。

そういった終焉にまさに救いはない。



2010108(金)

感想文「白夜行」


ほんの少しだけ内容をうかがい知れる箇所があります。

どうぞご注意ください。
職場の人から貸してもらって、読んだ。

2002年に文庫版が出されて、2006年にはドラマ化もされているという、東野圭吾の作品である。
名前はよく聞くが、実は彼の作品を読んだのは初めてだったり(汗
何をいまさらといわれるかもしれない。

ちょっとした辞書かと思うほど厚い文庫本。その厚さに始めは驚いた。
本は好きなのだが、長編は苦手なのだ。読めるかどうか不安だったが、昨日今日と2日間、時間で合計したら、6時間くらいで読めた。
連載時は短編で、刊行するためにそれをまとめたそうだから、いっきに読めたのかもしれない。


「昭和49年、大阪の廃墟ビルで一人の質屋が殺された。容疑者は浮かぶが、どれも確証に欠け、結局事件は迷宮入りに」
その殺人事件の被害者と容疑者の子供たちが成長していく19年の間の話。まったく別々の道を進んだにも関わらず、二人の周囲にはいくつもの犯罪が立ち込める。

作中、桐原亮司は、「俺の人生は白夜を歩いているようなものやからな」とつぶやいている。

白夜。北緯66.6度(90度-23.4度)以北の北極圏、または南緯66.6度以南の地方を南極圏の夏に起こる。太陽が地平線ぎりぎりで沈まないので、真夜中になっても薄明るいという。反対に、冬には、太陽はまったく昇らない。
タイトルは、おそらくここからついたのだと思った。

さて、読み終わってみると、このお話は、現代(昭和49年から平成5年あたり)のはずなのに、どうも背景としては、吉原を思い出してならない。

並外れて美しい西本雪穂は、貧しい母子家庭だったが、母親が死んでからは、教養の高い女性の養女となり、茶道、華道、英会話などを学び、学業にもまい進する、優秀な女性。
大学を出てから一度結婚したが、主婦業の傍ら株で資産を増やし、仕事をはじめ、それを軌道にのせ社長になり、海外を飛び回り、みっつの店を経営する。一度目の結婚はうまくいかなかったが、再婚相手は、製薬会社の重役・・・。
しかし、彼女の周りでは、誰かが少なからず不幸に見舞われる。

もちろん、これだけでは結びつかない。
彼女が、なぜこのように成り上がっていったかという過程を見ると、いくらかネタばれに触れてしまうが、彼女は幼い頃、その美貌ゆえ魂を失うような体験をしている。
くいものにされた経験が隙のなさを産み、誰かを食い物にしてもかまわなくなった。
女郎が、手練手管と美貌で稼ぐのとどこか似ている。だからこそ結びついた。
地方から売られた貧しい娘がその美貌と店の仕込みで、花魁、太夫と登りつめ、豪商や大名のところに身請けされたみたいに見えるのだ。

もちろん、これは私個人の感想である。強いファンでもないので読み込みが浅いのかもしれない。

手練手管は桐原亮司も同じ。まだ誰も気がついていない、最先端技術の片隅でたえず、犯罪に手を染めて金を巻き上げる。

さまざまな技術が発展し繁栄を見せていながら、人の心だけが取り残されたように変わらない。いや、小説の中では、桐原亮司と、西本瑞穂の心の描写は一切ないための錯覚かもしれない。

ただふと思った。
人の心は、昔からあまり変わっていない。
変わりにくいからこそ、壊れやすいのかもしれない。



2010102(土)

日が短くなりましたね。

考察×22

10月に入り、昼の長さがこれからは一日一日短くなっていくわけですが、朝の日の出の時間もずいぶん遅くなりました。

特に今年は・・・一番暑い時期に20日も入院しましたので、あっというまに日が短くなった気がします。


最近の朝のことですが、パステル色のタオルを探している時に、色の区別がつかないことに気がつきました。
あれ?と思ってみると、部屋全体がグレー一色。
そこにあるオレンジのゴミ箱も、木目の美しい床も、コントラストの違うグレー一色。

たぶん、目に入る光の量が足りなくなり、明るさだけを感知していたのだと思います。一度気がつくと、あきらかに色のない世界だとわかるのです。
しかし、いつも見慣れた風景だから、脳が色を覚えていて、しっかり変換しているようなのです。

ドアを開けて光の量を多くすると、色彩がよみがえり、グレーの世界は、鮮やかな色のある世界に戻ります。



別の話もあります。

あ、ここからは、想像するとかなり痛い話になりますので、それが苦手な人は読まないほうがいいです。


入院していたのは、腰椎の一部が分離し、そのため狭窄がおき神経を圧迫して激しい痛みを起こしたからです。

今まで、手に油がかかったやけど、出産など、結構強い痛みを体験することはありましたが・・・この痛みは激しいですねえ・・・。

特に腰が痛くなったので、痛みをとるためブロック注射をしました。その時、身体を丸くするのですが、その時に足の筋をひねった気がしました。今回のことは、足にも影響したみたいです。

腰の痛みは徐々におさまりましたが、足は激痛に見舞われました。イタイイタイと、そんな名前の病気がありますが、本当にそれしか言葉が出ないくらいに痛いのです。
痛み止めの点滴も、座薬も、飲み薬もぜんぜん効きません。

例えようがないです。
あまりにもすごくて。

それでも強いていえば、虫に刺されて足が腫れて、膿んで、その痛みが太ももから足首まであるのに、ひざ周りを太い紐で強く縛られているような感じかなあ・・・・看護師さんに「腐ってませんか?」とたずねたくらい。


入院中には、痛みをとるために、レントゲンもMRIも撮りました。浅くですが、圧迫されている箇所はありました。

しかし、そこの圧迫は、痛みを訴えている箇所と神経のつながりが薄いのだそうです。そのために、内科も、もしかすると婦人科かも、ということでろくに歩けもしないうちに退院して、別の病院で検査をしました。

そこで婦人科の先生がおっしゃったのは、
「脳は痛みを覚えている」
という言葉。

脳の認識は、シナプスという神経回路の接続で行われますが、強い刺激で起こったことや、何回も繰り返し行われたことは、その神経回路を強めてしまい、それほどの刺激でもないのに、同じ回路を通して強い痛みがあるように誤解を起こすことがある・・・らしいのです。

最初に話した、うす暗い部屋での色の認識も、その働きによるものでしょう。


認識って、実は過去におきたことをなぞっただけの思い込みなのかもしれません。

もし、あなたが、

それでも強いていえば、虫に刺されて足が腫れて、膿んで、その痛みが太ももから足首まであるのに、ひざ周りを太い紐で強く縛られているような感じかなあ・・・・

で本当に痛くなったような気がしたら、それが脳の思い込みを体験した瞬間です。

実際の痛みは、体験したものしか知りえない、非常に共有しにくい感覚です。
でも、その思い込みは、時に共有しにくい感覚を共有しうることも出来るものでもあるようです。

それは、とてもありがたいことだと思います。
もっとも、勘違いという言葉もありますが・・・(笑


さて、私の足は今でもいきなり痛み出すことがあります。
しかし、これがまた面白いことに、ハイソックスや、レギンスや、または包帯を軽く巻いておくと、痛みが少なくなります。
痛覚と一緒に、圧覚を刺激することで、脳が混乱しているようで、実際は痛いのに、痛くないのです。
これもまた勘違い。

脳って不思議ですね。



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