20091113(金)

シスAB


うちの職場は、私以外は層々たる学歴の持ち主がいるというちょっと変わったところで、しかも理系だ。

理系の女性は、ちょっと変わっているということが世間一般の常識のようなので、こないだみんなでそれが本当か検証してみた。


・普段着でデートに行ってしまう。

・化粧が薄い

・興味のあることにはとことんまで食いついていくのに、そうでもないことには興味が薄い。

・独り言が多い。←没頭すればするほど、多くなる。


・・・。


うん、自分も結構こんな感じ。
だから彼女たちの中にいると、同一感がある。
むしろ変わっていると思えない、これ普通でしょ?って思う。

でもやっぱり、多くの友人たちの中においてしまうと、「変わってる」といわれる。


お昼ご飯を食べながら、耳垢遺伝子について語り合ったり、ちょっと前にはやった血液型の話をもっと掘り下げていく女の子たちと、出会ったことは、そこで一番長く生きている私でも、ない。

・・・うん、変わってるな・・・

(結構自分は好きなのだが)

いやたまには、嵐とか水島ヒロさんとか、唐沢寿明さんの話とか・・・出るよ。(汗

経済方面のグレシャムの法則とかも話題になるよ。

・・・・おいといて



こないだは、血液型のABの話がぶっとんで、トランスABとシスABの話になった。

まず遺伝子というのは、父親由来と母親由来のDNA2本で成り立っていることを頭に入れておいてほしい。

トランスABというのは、この遺伝子の一本づつにAとBが入ってる、いわゆる普通のAB型で、O型の人と子供をなした場合、子供血液型はA,B,ABの3つになり、O型は生まれてこない。

しかし、シスABは、一本の遺伝子の上にAとBをあらわす遺伝子がすでに乗っかっているため、同じようにO型と子をなしてもAB型が生まれてくる。
しかも、生まれてくるのはAB型のみ。
※遺伝子が2本並んでいる特性上、O型も生まれてくることがあるとのことです。(2010.01.07)


そういえば、こんな設定のドラマが昔あった。

「血液型が絶対出てこない子供が生まれたために「俺のこどもじゃない!」とお父さんがいぶかしがって、家庭崩壊になったけれど、実はお母さんがシスABだった。」

ひとつの殺人事件を通して、親子の情を描いたものだったような気がするし、たぶんメインはここだと思う。


しかし、私も含め、彼女たちは、ドラマの内容より、その血液型の起こした悲劇のほうに心を奪われてしまう。知らないということ、未知であるということは、対処法がなく大きな悲劇を起こすことがあると。

だから、彼女たちは、今日ももくもくと理系の仕事に励む。光明を見出すには、一足飛びはありえないことを重々知っているから。

けれど、報われないことのほうが圧倒的に多い・・・。
そんな彼女たちを、私はおそらく(意識したことはないが)尊敬している。






ところで。

・・・次に記事上げるとき、ボンベイO型の話したら、怒る??



20091110(火)

崩す。

考察×22

ネットサーフィン(と今でもいうのか??)をしていると、たまに、コメント欄が炎上に近くなって、その挙句「記事に反論するようなコメントを入れた人に対して、記事主「見るな」というコメントを返すことがある。

どうもそれって、あちこちであるらしい。

確かに正論なのだけど、言われたほうは戸惑う。

そこにある看板と同じで、たまたま目にしたら、自分にとって違和感があったのでつい、一言漏らしたということはどこでもあるからだ。

そんなことは一度もない、と断言する人がいたら、その人は間違いなくうそつきなので、いつかは酷い目にあわされることを覚悟していたほうがいい。

もうひとつ、違和感に思うのは、「見るな」という発言がどこから来たかということだ。

確かに不快に思うものを見なきゃいい、というのは簡単なのだし、対策としては、一番手っ取り早い。
この、手っ取り早いという効率を重視した点が、現代に向いているのだろう。

それに、見るなといわれれば、実際に見なくなる人もいるので、事象は沈静化する。
また、見るなということは、メタ思考、俯瞰にたって考えるといった視点から見ることもできるので、察しのいい賢い人はそうしてしまう。

メタ思考、俯瞰にたって考えるというのは、両方とも簡単にいうと上から目線だ。


しかし、何か事象を見て、コメントを出して、そのコメントを出した人に「見るな」というのは、本来なら次元が違う。

同じ次元でいうならば、本来は「言うな」である。

しかし「言うな」というのは、自分の意見が、反論に耐えうるものではなく、脆弱な独りよがりのものであると認めたということに他ならず、とどのつまりは帰納的根拠がないということと等しいと考えられる。

けれど、自分の発した意見が、ただの独り言であるとは自分でも認めたくない。
なので、開き直って、見るなというのである。

「行動が気に入らないから、さらに行動を規制してやる」といった応酬でしかないといえる・・・。

しかしここにも欠点はあって、開き直らないで、ちゃんと耳を傾けようとすると、それこそ、なんでもありかと思う人たちから、いろいろなものが飛び込んできて、事態は泥沼に入っていく。

それに「見るな」というのも自由なので、それを否定しようとは思っていない。
私は、ただ単にその下に沈んでいる(と思われる)ことを考えているだけなので。


見ざる・言わざる・聞かざるという三猿の教えがある。

それは、余計なものを見たり、言ったり、聞いたりしないということで、日本に広く浸透している。

しかし、そこにあるものが、余計なものだとしたらどうだろう。余計なものは、片付けるなり、捨てるなり、始末を考えなければならない。
もちろん豊かになった日本、昔ほどにストイックに始末を考えることもないけれど。

身奇麗にすることは、ある程度好ましいとされているのは変わらない。自分一人だけなら、別に身奇麗にする必要などないのだ。
そこには必ず、自分以外の他者がいると無意識でも自覚しているということがいえる。


ブログをはじめ、意見の交換は、自分ひとりで成り立っているのではなく、相手がいて初めて成立するのだと、殊更に思う。
なので、わかりやすい文章ですり合わせていくことが必要なのかと思う。時間はかかるが、解決に近道はない、ように。










2009118(日)

いらいら。

考察×22

ちょっと前に帰省したときに、お昼にカレーを食べようと両親が言ったので、インデアンカレーに行った。

おいしくいただきましたよ~。

ということで、味について語るわけでなし、値段について褒め称えるでもなし、ただ普通にお昼をいただいたのですが、そこには、私の、内地の家族がいたと思いねえ。


ぐるりと対面式で、一通りの顔が見える仕組み、それはいいのだが、私が、夫や子供たちに、小声で簡単に説明していたら、みんながじろじろこちらを見る。

初めて入ったお店なら、知っている人から知らない人に説明ぐらいするだろう。子供もいたのだから、こぼさないようにとか、大きな声は出さないように、って言い渡しておきたい。

特に文句を言われたわけではないのだけれど、通いなれているだろうと思われる(そういうお店なのだし)人たちから、あっちでじろり、こっちでじろりとされてはたまらない。

でも思い返してみると、自分も住まいのあるこっちでは、じろじろ見ていることがあると気がついた。

何で見ているかというと、本当にびっくりするくらい自分の常識を疑うことが起こるからだ。
もちろんしょっちゅうではないのだけど、お店中のお客さんすべての視線がそこに行くくらいの怒声とか、喧騒とか起きると、何が起こったのか??と思う。

悲しい性(というか、みっともない??)で、ついその原因はなんだったのかと聞き耳を立てると、箸が一膳足りなかったとか、お手拭がなかったとかそういうことだったりする。


お手拭といえば、帯広にいるとき、ある大手の居酒屋で、ひとつ足りなかったので、「すいません、お手拭いただけませんか?」と丁寧に言ったつもりだったのだが、怒った様子で投げてよこされた。

どうも、私の、そのせりふが、気にいらなかったらしい。
バカにしたと思ったらしい・・・。

後から後輩に言われた←後輩から言われる私って・・・(笑
「普通に、『ください』」って言えばよかったんでは?」。


どうも、人というものは、小バカにされることが一番腹に立つらしい。

先ほどのお店でのみんなの視線は、いっせいに注がれていることが私の感情をざらりとなぜたのだが、そこには、初めて来店したという、引け目がある。

後のおしぼりの店員さんは、本当はこんな職場ではたらきたくないのに!(想像)という気持ちが隠れていたのかもしれない。←もう20年近く前ですからね、ここ注意。


思いっきりバカにされるときは、自分もやっちまった!と思えるし、やり直すなり、謝るなりの判断に迷うこともないのだけど、小さくバカにされるときは、自分では、何が起こったのかわかってない。
わかっていないのだから判断して後に起こす行動には戸惑いがおきてしまう。

しかし、私が話した例は、考えようによっては小さいことだ。
結果として、カレーはおいしく食べているし、おしぼりは投げられたものの、手元にやってきた。


現実を見ればいい。
ファストフード店で注文を手間取っていれば、誰だってみんなどうしたことかと思う。

おしぼりが一個たりなかったのは、お店側の(担当者の)不手際だ。それに対して遠慮することはなかったのだ。

その現実を見たときに、今の結果を生んだ原因がわかり、物事は何事もなかったかのごとく流れていく。

イライラとは、現実と自分の思惑の違いに起因するのかもしれない。



2009116(金)

すみっこでの話。


読まれる前に言っときますが長い上に、難しい専門用語だらけで頭が痛くなるかもしれません。

でも、申し訳ありませんが、一切責任は負えません。

だって私も頭痛くなったんだものー!
以前、近所に移民の家族がいました。

海外から移り住んできて、日本の女性と結婚して、日本国籍を得たお父さん。
その後お父さんは離婚して、同じ祖国から来た女性と結婚。女性はここで日本国籍を得ます。
そして、二人の間には日本で生まれた子供。
もちろん日本国籍をもっています。

ある日、この子供より年かさの大きい一人の子供が現れました。
母親を頼って、祖国から一人出てきたのです。
敬虔なるカトリックの国で何があったのか、私にはわかりませんが、子供を置いて外国に働きに出なければいけないほど貧しいのでしょうか。

その子は年度初めから、学校に行くのだといって、学用品を買い与えられました。
ずっと外国で暮らしていたので、日本語はわかりませんが、夫婦の間に生まれた子供はずっと日本で暮らし、日本語も達者なので教えることができ、苦労はするだろうけど、何とかなるだろうと親は思ったようでした。

しかし、その子供は、学校に行く前にいなくなってしまいました。
突然いなくなったので、どうしたのかとそのお父さんの働いている職場の人とたまたま知り合いだったので聞いてみると、
「国籍がないので教育は受けられない、だから祖国へ返した」とのことでした。

正確に言えば、日本国籍を得ることはできるのです。
親はすでに得ているのだから。

しかし、その子は母国に籍すらないのでした。
この世に生まれてきたのに、いないことになっているのです。

その子供の国では、それでも生活することはできて、大人になっていける、でも日本では生きていけない、だから、返した、ということなのでした。


最近、ここマイとかちで義務と責任について、非常にわかりにくい形のものが声高にあがっているようです。
私の読解力が底辺にあるのかもしれません。ええ、そうなのだと思います。

ですので、調べてみました。
【国民の義務】には4種類あるようです。

一般義務規定:第一二条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。

教育の義務:第二六条
すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。

勤労の義務:第二七条
すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。

納税の義務:第三〇条
国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う。


何がなんだかさっぱりわかりません。頭がくらくらします。
このわけのわからない規定には「論点」があります。
以下に条文と論点を記述してさらに解釈をして見ましょう。


一般義務規定:第一二条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。

A 自由・権利保持の義務
誰でも自由は持っていると主張する権利があります。
B 自由・権利を濫用しない義務
→Aを矛盾させるような記述ですが、自由をむやみやたらに叫ばないということです。
C 自由・権利を公共の福祉のために利用する義務 
→公共の福祉とは、【社会一般の人々が満足すべき生活環境】、という意味です。

これは、人権の歴史的性格と、その保持のために必要な、国民の責務をうたったもので、国民にとっての精神的指針の意味合いが大きく、法的義務は課されてはいません。

教育の義務:第二六条
すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。
形式的には国家に対するものであるが、実質的には保護する子女に対するものである。
このあたりの記述に、どことなく明治の風格がありますね。保護する子女に対しての義務の発動、つまり、国民とされているのは子女以外のものであったのですね。

だから女はだめなんだ、といわれたら、だったら男がなんとかしなよ!と言い返してもよさそうです。

・・・まぁこの辺は、いくつか改正が必要なのかもしれません。

勤労の義務:第二七条
すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。
働く能力があり、働く機会もあるのに、働く意思を持たない者は、生存権の保障が及ばない。

生存権とは憲法25条に記述されていますが、その内容は、
1、すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2、国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

このうち1は大体わかりますよね。

2は、すべての生活において、社会的に満足できるか、社会的に、確かに大丈夫だと約束できるか、そして、その地域に住みその国家を形作っている人々の健康や衛生の向上と、それをより進めていくこと、ということになります。

働くこととは、国家を満足させるためにあるわけです。

納税の義務:第三〇条
国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う。
国民が主権となる国家では、国民が納める税金によってのみ国家の財政が維持され、国家の存立と国政の運営が可能となることから、国民の当然の義務と解される

今はじめて知りましたが、税金によってのみと限定しているのですね。でしたら国債の存在っていったい・・・?
まあ、抜け道はどこでもあるってことで。(笑

ということで、日本の義務について調べてみました。

私は、どっちかというと理系の頭なので、こういうことには、とんと向いていません。

国民の義務は3つだと思っていましたが、実は4つもあったなんて!

正直、これだけを抜書きしたって何がなんだかさっぱりわかりません。弁護士さんはすごいなあ。あの六法全書を暗記するくらい読み込むんだから。

納税の義務、勤労の義務、教育の義務は覚えていたのだけどなあ・・・。

ああ、話がそれました。

結局、その子供は、日本の国籍がないため、つまり義務が発生しないので、日本にいることはできないのだと思います。

日本って冷たい国ですね。

親と子供を強制的に離しておいて(正確には、一緒に暮らせないようにしておいて)何が公共の福祉だよ!


公共の福祉…社会一般の人々が満足すべき生活環境
↑しつこいようだが、ちょっと離れるだけでわからなくなっちゃうんだよー(核爆


そう思うのは私の読解力が低いせいでしょう。


さてもうひとつ話題にした、マイとかちの義務とはなんでしょうか?
具体的な条文は展開されていませんので、私にはわかりませんが、それに近いものはこれでしょうか。

オンラインマニュアル サイト規定マナー

こういうのを見ると、たまにあれ?あっどうしよう・・・違反しちゃってるかもと途方にくれてしまうんだけどね。

え??
これじゃない??

だったらマイとかちの義務ってどこにあるの??



2009114(水)

動物園にもいきました。


動物園にもいきました。

10月31日から3泊4日で帯広に行きました。

10月31日には、遅い時間からオフ会を開いていただき、おきがるさん
bonnhahaさんかんちゃんの御三人におあいできました。

もうお二人が記事にされていますので、何をいまさらという感がありますが、それはどうぞお許しください。

4人でもとてもにぎやかで楽しかったです。
ありがとうございました。

2日目は、十勝川温泉の第一ホテルにとまりました。

あれほどのサービスと料理を振舞われて、このお値段でよかとですか!?

と、びっくりしました。
シーズンオフだったのかもしれませんが、とても快適に過ごせました。ありがとうございます。

なぜ十勝川にいったかというと、両親が白鳥をみせたかったらしいからなのですが、白鳥は十勝川に浮いておらず、さきほどはいじ産業さんのブログで拝見しました。


3日目は、動物園に行きました。
風の強い日で、体感温度はものすごく低く感じました。

もちろんお目当てはピリカ。

画像

以前からきれいだなあと思ってはいたのですが、目の当たりにすると、やっぱりかわいい~。

熊も若さというものが影響するのでしょうか。
上野でみた白熊は威風堂々という感じで貫禄がありましたが、ピリカは華奢な感じがします。

このぶっとい足で華奢も何もないかもしれませんが・・・とにかくそんなことを思ったりなんかして。

小学生がバス学習できていて、彼らに混じってサルにえさを与えたりもしましたよ。

ここでちょっとしたクイズが出てなるほどなぁ~って思いました。
それをいってしまうのは、野暮ってもんなので伏せますよ。実際動物園行って知ったほうが面白いですもん。


寒いので、建物の中にたくさん入っていました。

それで、こんなの

画像
なぜか横並びになるモルモットたち

を見たり、こんなの

画像
かりかり音を立ててえさをいただくリス

を見たり。

サル舎だけでなく、多くの建物がきれいになり、サルたちも寒さを感じすぎることもなさそうで、昔に比べて快適そうな環境になったと思いました。

チンパンジーのところでは、飼育展示員さんのどなたかが手を振っていると、一緒になって手を振り返しているのを見られたり。
知能が人間の2歳くらいだというのを目の当たりにした気持ちです。

ちょっとこの日は退屈をもてあましていたそうで、ドッキリもありました。
そのドッキリは、そのときは何も感じなかったのですが後から思うと、サルの味覚はどうなっているのかな??と思ったり。

まーそんなことはいいですか。
そばにあるんですものね。

孔雀バトも、小鳥の部屋も、猛獣さんも、バイソンも、フラミンゴもかばもゾウもカンガルーもアシカもアザラシもちゃんと見たんですが。
あーもう思い出しきれません!


お土産に、絵葉書とピリカの温度計を買いました。
画像
ピリカの温度計

絵葉書は帯広動物園独自の動物がアピールされていて、素敵ですね。つい、あれもいい・・・これもいいと7枚も買ってしまいました(爆


そして、4日目・・・。

南町にできたというますやパン店「麦音」に行って、見事東京までお持ち帰りしました。

家に帰って、昔ながらの甘い、柔らかなパンをいただきました。本当に懐かしくおいしく、またうれしかったです。

袖摺りあう縁でしかないのかもしれませんが、家族で来ていたので楽しい旅になりました。

ありがとうございました。


今読み返してみたら、ありがとうが3回も出てました。
これって言いすぎですか??(笑


それにしても画像がピンボケですみません!!!!!!!



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