2009624(水)

紫の帯  (2)

物語×41

紫の帯  (2)

(続き)

 親元に冠婚葬祭用の式服は置いてありますが、手元に一枚しかなかった普段使いの着物は、そのころから、すこしずつ増えていきました。もちろん着物だけではありません、帯も増えました。

 着物というものは不思議なもので、同じ絹糸から作られるのに、正当な値段があってないようなものでして、馬鹿みたいに高いものもあれば、ブランド洋服よりずっと安いものもあったりするのです。さすがに仕立て上がりでしまむら価格というものは見かけたことはありませんが。

 着物がちょっとした余所行きとして需要のあった時代には、誰でも買えるような手ごろなものが多くあったのでしょう。しかし、そういったものはいくらか出来も劣りますし、現在の品質基準から見ますと、逸脱していたりすることがままあります。

 需要が少なくなって、実用品より、美術品としての着物ばかりが確立されていく中では、そういったものは、なにかのまがい物のようなものになってしまい、真っ当には売られなくなってしまうのです。

 売れなくなりますから、作られなくもなるという循環にもなっていきます。ですが、作り手は、いいえ、問屋は売りたいのです。売れないものを売りたいのですから、値段はおのずと下がって、安くなります。
 そういったものをマユコは見つけ、厳選し、手に入れていったのです。

 たとえば、結城紬と呼ばれる種類の着物があります。

 結城紬とは、茨城県結城市を中心として、鬼怒川沿いの町で生産される反物です。なかでも重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝の高い技術で織られたものは本場結城紬といいまして、しっかりした証紙が付いています。
その工程を簡単に言いますと、繭を茹で開いて真綿を作り、それを手で紡いで糸を作ります。その糸を経(たて)糸、緯(よこ)糸に絣柄ができるように糸括り(絣括りといいます)します。糸括りは、その後糸を染めてしまった後には取り外しますから、簡単に取れてしかも余分に色が染み付かないようにしっかりと固くしなければならないので力の強い、男性にしか出来ません。

 こうして染めた帯は、地機(ぢばた)と言う、織られた布を直に腰に巻きとる古式の機で織られます。これは女の仕事が多いようです。
 昔は、機は土間という地面の上に置かれていました。冷たい地面からの風を受けながら、腰で出来上がった反物を巻き取り調子を付けていましたから、それで腰を痛めるものが多く、歩くときに足を引きずって歩くようになる人も多かったので、居坐(いざり)機とも呼ばれます。
 居坐(いざり)は今は使われない差別用語ですが、結城紬の機に関しては、まだ言葉が残っています。

 しかし、この反物は先に言いましたように腰で調子をとりますから、糸の伸縮性を上手に生かし、糸に無理をさせずに織ることができますので、体にそう着物となるのです。
ですから、成り立ちは1000年以上前の常陸紬なのですが、戦国時代も過ぎて江戸時代に入るころにはすでに有名であり、大名同士の贈り物や、お金の余った豪商などが好んでいたそうです。

 また、結城紬はたくさん糊を使います。機械的にパタパタと追っていくのではなく腰を使いますからできるだけ織りやすいように織っては糊をつけ、織っては糊を付けを繰り返すのです。

 出来上がった反物は非常に固く仕上がりますので、湯とおしという作業を、これは文字通り反物をお湯でゆでて糊分を取り、伸子張りにして干し、反物を乾かします。

 その後に着物に仕立てあげます。

 こういった、本場結城紬は今なら80万くらいからになります。男物の地味な色でも、一匹(一反の長さの約2倍、男物は羽織も作るために長い)で1000万するものもあります。
 マユコが、結城紬会館で知った知識です。


 そんな折に、マユコは、緑がかった藍色地に薄い灰色か桜色かわからないほどの薄い色の、でも白ではない色の糸で幾何学文様を織り出した、いわゆる横総といわれる、横糸だけで文様を織り出した反物を見つけました。
 それには、つい最近行きました結城紬の産地で見かけたのと同じ証紙がついていたのです。

 女性が砧をたたいているような絵と、結城の文字。砧とは、布につやをだしたりやわらかくしたりするために布をのせて打つための木、または石の台です。
 憧れの結城紬を手に入れられると思いました。本場結城紬から見れば、価格はあってないようなものです。

 これは、一時代前のものだと思われます。横総の結城など今は存在しません。結城紬の廉価版というよりは、本当の本物の結城紬を作るための資本となるための別の種類の紬だったのでしょう。

 そして昔は今ほどに基準も厳しくありませんから、同じような証紙をくっつけて売ろうとしたのでしょう。それでも糸や絣のくくり方は、人間国宝ではないにしろ産地は同じです。機は、地機(ぢばた)ではなく高台かもしれません。でもその柄の付け方は、今はもうないことを考えると、正式なものを作るための習作であったかもしれません。
 なんといっても、反物の柄は最終的には、織り手に技量が求められるのですから。

 マユコは、その反物を買いました。

 もちろん、そこに仕立て代などをのせてしまうと、それなりの値段にはなりました。

 ところが、作った当時、湯とおしということをマユコは知りませんでしたので、出来上がった着物が非常に固く、一度袖を通してみて、言われているより、着心地のよくないものだと思って、箪笥の奥にしまいこんでしまいました。

(続く)



2009623(火)

紫の帯  (1)

物語×41

全4回の予定です。
紫の帯  (1)

 マユコは着物が好きです。

 好きといえば聞こえはいいと思いますが、マユコのそれは着物にとり憑かれたかのようでもあります。
若いころから日本の伝統の衣装に興味はありました。それはやはり着物をまとっていた祖母の面影もあったのかなと思います。まとっていたといっても絹物の上物ではなく灰色と青の、化繊の着物でしたが。

 マユコにとっては、祖母は母親以上でした。共稼ぎで働いていたマユコの母親の代わりになにくれとなく世話をしてくれたのです。そして、子供は、親がしていたことを自然に受け継ぐもののようです。
 それでマユコは着物というものにのめりこんでいたのではないかと自答しています。
のめりこみすぎて、一年あまりも毎日着物を着て暮らしてしまったことを思い返しますとマユコはちょっと可笑しくなることがあります。

 戦争が始まる前は、ほとんどの人が着物をきていたでしょうに、敗戦を迎えたとたん普段着としての着物は見なくなって、いまや、なんでもない日に着物を着ていますと、驚かれてしまったり、いちいち理由を聞かれたりするのですから。

 マユコはアンナという娘とキョウという息子と、夫の4人家族です。アンナとキョウの間はなんと6歳も離れています。
 望んでも望んでもなかなか子供が出来なくて、ようよう出来た可愛い子供たちです。

 アンナが、幼稚園の年中さんのとき、夫が仕事で一ヶ月ほど外国に出かけました。その間、マユコは寂しくてたまりませんでした。いっそう寒さに向かう季節でした。東京の寒さは、北の雪の降る場所と違って、氷水の中に手を突っ込んでいるような、芯まで冷える寒さです。それで気が付いたら、たまたま手元にあった着物をまとっていたのです。

 結婚するから、
「一枚、つくって上げよう」
と両親からいわれて、買ってもらった着物です。

 うれしくなって、それなら普段着ていてもおかしくないのを、いつも祖母の着ていたような色合いを探しましたら、それは地味すぎると両親にも呉服店の店員さんにも反対されてしまいました。それで、祖母の着物を思わせるような縞の、赤みの入った紬を選ぶことになりました。

 マユコは箪笥を開けてその着物を引っ張り出して、昔着付け教室で習ったように着付けてみました。着てみると幾分不恰好ではありましたが、なぜか妙にうれしくなりました。

 絹物は、自分の体温が絹の中にうつりこみますと、誰かに抱きしめられているような感じになることがあるのです。特に夏物の絽の襦袢が汗でぬれてそれが肌に触ると官能的な感覚さえあるといいます。

 マユコは、きものに抱かれて安心したのかもしれません。
 遠い記憶の中にいる、祖母のような感じもしたのでしょうし、夫のような暖かさを感じたのかもしれません。
それに、着物は、すそから冷たい風が入りますが、実はおなか周りはあたたかくて、暑いくらいの感じにもなります。
特に着慣れてない者は、いろいろ補正のタオルや小道具を入れ込みますから余計に熱もこもります。

 ズボンとトレーナーのように、ウエストから上下をわけるようなことを感じなくもなり、上から下まで一体となった感覚が生まれます。
 それでいっそう、生身のマユコの体はほっとしたのかもしれません。


 それっきりマユコは、夫が帰ってきても、着物を着て通すことにしてしまって、その生活をしばらく続けました。
その中でキョウを身篭ることが出来、さらに彼が「はいはい」を始めるまで、ずっと着物で暮らすことさえできました。

 なぜやめてしまったかといいますと、男の子のキョウの動きは、女の子のアンナの動きやしぐさとはまったく比べ物にならないほど荒くて、おとなしげな所作の着物ではおっつかなかったからです。

 マユコは着物の面白みを知ってしまいました。そうすると、作務衣や二部式のような洋服と折衷のようなものを探してしまうのですが、そういったものは着物よりもっと流通が少なく、探しても気に入るものが見つからないほうが多いのです。

 ですから、自然と洋服に戻ってしまいました。とは言いましても、寝るときだけは浴衣を着る習慣は残ったままになっています。

(続く)




2009621(日)

鬼太郎


画像

「クルーの鬼太郎です!」

「マックへようこそ!」


ちょっと前のハッピーセットのおまけです。

ゲゲゲの鬼太郎、可愛いですね~。


ちょっと前だったせいで電池がなくなってきたようです。


スイッチを入れると、


「ブルーな鬼太郎です」

「マックへようこそ~(泣」


と聞こえます。


墓場の鬼太郎に変身しました。



2009615(月)

ダメダシダシタイ


今日、駅まで行くのに自転車にのっていると、


1.大きな交差点を斜めに突っ切る自転車

おーい、今全方向赤だから事故にはあわんですむやろけど、それ、道路交通法違反やろ?

その様子をあっけに取られてみていると、


2.両手放しでしかも片手に携帯


一輪車みたいやな。ひゃーうまいもんや。でも携帯はまずいやろ??

感心しつつ、事故を起こさねばいいなと思いつつ、その場から移動すると、


3.大きなヘッドフォンをつけて自転車に乗っている



・・・・。

外の音が聞こえないと、危険極まりないと思うんやけど、どないやろ?
車だったら、その行為はやっぱりアカンはずやでー。



立て続けに、3人の驚くチャリダー。

しかも全員、若い男・・・・。


若い男、若い男、若い男



19歳以上23歳未満と見た。




・・・・。




あっ、私のこといやらしいと思ったでしょおぉ。

でも、ウマシカなお子ちゃまには興味はないのよ、わ・た・し。




・・・・。



なんか気持ち悪いオチですみません。


所詮この世は性悪説で成り立っているのやろか?


と梅雨空のように不透明な心持になった朝でした。



2009526(火)

こわいものみたさ。

考察×22

個人にとって一番怖いものとはなんだろうか。

お化けのように、自分に危害を加えようとする存在、はもちろん怖いが、間接的危害という意味では、放置されるのも怖い。

嫌われること、が怖くて一生懸命迎合している人たちが(おそらく自分もそういう一面はもっており)大勢いることもしっている。こびた態度でいる人もたくさんいる。


昨日から、「断る力(文春新書:勝間和代さん」という本を職場の人から借りて読んでいる。

本を貸してくれた彼女が言うには、働くお母さんの週末に起こる膨大な家事を軽減したいということからこの本を読んだそうだが、私は、この本を読んで、以前のいじめられた職場を思い出して、つい読みふけってしまった。
とは言ってもまだ途中(笑

でもあの体験がベースにある私は、この本がとても親身になった。体験的に感じていたことを文章化されてみて、理解を深めたように思ったからだ。

おそらく、著者自身も社会に喰われながら、生きてきたのだろう。
喰われる=ヒエラルキーの下=弱者という構造から一歩足を踏み出したからようやく息をつけたのだと思う。
息をついて、自分を取り囲む環境にすばやくフィードバックできる賢さが、もしくは、ヒエラルキーに嫌気がさし、そこから出ることを決めたから、今の彼女があるのだと思った。


さて、この本の中でちょっと面白いことが書かれていた。

それは「悪意」に関すること。
悪意は、妬みをベースに発生するものと考えられるが、ねたみは、人の向上心から生まれてくるものが多い。

ひたすらに向上を願えばいいのだけれど、そういう向上という努力を好む人もいれば好まない人もいる。この軽薄短小の世の中ならもっと努力をしない人が多いだろう。

この情報化社会の側面のひとつに匿名による悪意というものがある。2ちゃんねるに代表されるような、批判、誹謗掲示板。
著者もどうやらそれに悩まされてきたらしい。

でも、彼女のすごいところは、専門家に聞いたところ。

それによると、

悪意による増殖が一番活発になるのは、
 悪意を持った人・・・5%
 サポーター・・・・・2%
 愉快犯・・・・・・・8%
 見ているだけの人・85%
の割合のときなのだそう。

しかも批判されたほうや、一般からみると悪意があるように見えても、書き込んだ本人は真実・正義だと思っており、悪意はない可能性が大きいのだとか。

対応策としては、論理的に冷静になって悪意の底にある「背景」を理解すること。そして、その方法のひとつとしては、ほうっておくこともあると。なぜなら、労力を惜しまずに対応したとしても、その問題は実際どこまで影響を及ぼすかということを思うと、無駄骨かもしれないからだ。

人が人にたいして無関心になる、なられるというのは、結局は嫌われるということだ。反応が何もないというときは、嫌われているのと同じ。
私はそう思っている。
だから、マメでない人とは付き合えない。もっともこれもケータイが発達した今は過剰反応で弊害もあるだろうが・・・。

本書では、「批判するほうが、批判されるよりも優位である」ことを認めさせたいのだと触れていたが、私は、何かの形でもいいからかまってほしい、答えがほしい、こわいものにはふれたくない、という基本的欲求からきているのだと思う。

その望みが強ければ強いほど、むしろ苦しめられているからこそ、大騒ぎをする人はより大騒ぎをしてしまうのかもしれない。


さ、また読んでこよ。





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