2009年1月12日(月)
枯(11)
物語×41
(続き)
サクラの季節が終わる頃、ハルの心は一緒に潰えた。
決定的になったのは、ハルとスウコとの扱かわれ方の不公平さ。
ハルは、それまでアキのそばで大人しく仕事をしていたのに、リーダーは年度が替わったからと言って、勝手にアキから遠く離し取り囲む席替えをした。ハルの新しい席は、リーダーとハルヨとスウコに三方を囲まれて、心底居心地が悪かった。
居心地が悪い中でも仕事はきちんと気をぬかないでしなければならなかった。
また、よりによって、スウコはその日一日失敗ばかりしていた。朝から一日まともな仕事などしてもいなかった。
ミシンを使えば不注意から一本しか無い針を折り、まつりぬいの仕事を請け負えば、目を反対にしてつける。やり直しはハルもよく命じられたが、そのやり直しすら、スウコはミスにする。
計算してミスを引き起こしているのかと思うほど、ハルの想像通りにミスをする。
リーダーは度重なるミスに、慌てたような顔をしていたが、
「いいのよ、ゆっくりやって。」
と言い、スウコに背中を向けて、ハルヨのほうを向いて舌を出しスウコの様子に不愉快さをあらわしただけだった。
人は変わることができるというが、それは辛い。痛い。ハルだって痛い。
いや、痛かった、かつては。
だが今は体から痛いという感覚が消えてしまっていた。
刃物で指を裂いて、血を滴らせても、ハルの顔は無表情のまま。
痛くないのだ、今は。
痛いといえば面白がられるのだ、今は。
スウコは違う。
痛いのを、より痛いように演技して、真綿にくるまれてまどろんでいる。
その差を生み出したのはリーダーだ。
実は、社長以下の社員は程度の差こそあれ、ハルがいじめられている事を知っていた節がある。ハルが疲れきって帰宅すると、どこからともなく社長が現れ、リーダーや、ハルヨの仕事にチェックを入れ、激しくしかり続けることが何度かあった、とアキさんから聞かされたのだ。
でもそれは、余計にハルをいじめる原動力となったような気すらする。
その証拠に嫌がらせは止まることはなかった。
ハルは、スウコの仕事に取り組むだらしない姿を見て、やる気を失った。さすがに目の前であからさまに差別されていたのを見せ付けられたのは堪えた。
だけど仕事は好きだった。
教えてくれたアキさんや採用してくれた会社への恩返しがしたかった。
だから、一縷の望みをかけて、席替えをお願いできないかと、電話で、社員に申し出てみた。
しかし、社員は戸惑ったような、困ったような雰囲気を持って、
「自分で言えばいいじゃない」
となげやりに、すこし感情を高ぶらせて、言った。
自分で言えばいいじゃない?
自分で言って、聞いてくれる人たちじゃないからお願いしているのに。
それとも私は生贄?
・・いや、そうだ。生贄だ。結局は使い捨て。実際の仕事の様子など誰も見てはいやしない。言葉にしたことだけが真実。ここでは、発言できないもの、しないものは蔑みの対象。だから、ハルの頑張りは彼らにとってまったく必要のないもの。ハルが頑張っていたのは収入のため。賃金に見合う仕事ができるようになりたいと願っただけ。耐えたのは、自分が未熟だとわかっていたから。だが、そんなのはあまったるい理想。そんな理想など振り回されては、迷惑極まりないのだ、ここでは。
ハルの心のバランスは完全に崩れた。
席替えの相談を振られ、それでもなお仕事を諦め切れなかったハルは3日間、家で悲鳴を、奇声をあげ続けた。心の傷を見ないようにするには忘れようとするには、体に傷をつけんとばかりに、髪をむしり、床に柱に頭を打ち続けた。
そこまで痛めつけて、ようやく諦めも付いて、休み明けの火曜日に出向いて、辞めると社員に話した。
社員は止めもしなかった。
「そういうことなら」
すぐに専務のところに連れて行かれ、詳細を話し、やめると伝えた。
最後に挨拶を交わしたいばかりに、アキさんだけに来てもらった。
「まあま、どうしたの」
アキさんに抱きついて、ハルは泣いた。泣いて、泣いて、涙が止まらなかった。
いい年をして泣き続けるハルを見て、
専務は、
「泣いてもしょうがないじゃない」
という諦めを含んだ声を発したが、それすらハルにとって痛かった。
今までの酷い仕打ちではまだ足りずにさらに鞭打たれたような気がした。
(続く)
サクラの季節が終わる頃、ハルの心は一緒に潰えた。
決定的になったのは、ハルとスウコとの扱かわれ方の不公平さ。
ハルは、それまでアキのそばで大人しく仕事をしていたのに、リーダーは年度が替わったからと言って、勝手にアキから遠く離し取り囲む席替えをした。ハルの新しい席は、リーダーとハルヨとスウコに三方を囲まれて、心底居心地が悪かった。
居心地が悪い中でも仕事はきちんと気をぬかないでしなければならなかった。
また、よりによって、スウコはその日一日失敗ばかりしていた。朝から一日まともな仕事などしてもいなかった。
ミシンを使えば不注意から一本しか無い針を折り、まつりぬいの仕事を請け負えば、目を反対にしてつける。やり直しはハルもよく命じられたが、そのやり直しすら、スウコはミスにする。
計算してミスを引き起こしているのかと思うほど、ハルの想像通りにミスをする。
リーダーは度重なるミスに、慌てたような顔をしていたが、
「いいのよ、ゆっくりやって。」
と言い、スウコに背中を向けて、ハルヨのほうを向いて舌を出しスウコの様子に不愉快さをあらわしただけだった。
人は変わることができるというが、それは辛い。痛い。ハルだって痛い。
いや、痛かった、かつては。
だが今は体から痛いという感覚が消えてしまっていた。
刃物で指を裂いて、血を滴らせても、ハルの顔は無表情のまま。
痛くないのだ、今は。
痛いといえば面白がられるのだ、今は。
スウコは違う。
痛いのを、より痛いように演技して、真綿にくるまれてまどろんでいる。
その差を生み出したのはリーダーだ。
実は、社長以下の社員は程度の差こそあれ、ハルがいじめられている事を知っていた節がある。ハルが疲れきって帰宅すると、どこからともなく社長が現れ、リーダーや、ハルヨの仕事にチェックを入れ、激しくしかり続けることが何度かあった、とアキさんから聞かされたのだ。
でもそれは、余計にハルをいじめる原動力となったような気すらする。
その証拠に嫌がらせは止まることはなかった。
ハルは、スウコの仕事に取り組むだらしない姿を見て、やる気を失った。さすがに目の前であからさまに差別されていたのを見せ付けられたのは堪えた。
だけど仕事は好きだった。
教えてくれたアキさんや採用してくれた会社への恩返しがしたかった。
だから、一縷の望みをかけて、席替えをお願いできないかと、電話で、社員に申し出てみた。
しかし、社員は戸惑ったような、困ったような雰囲気を持って、
「自分で言えばいいじゃない」
となげやりに、すこし感情を高ぶらせて、言った。
自分で言えばいいじゃない?
自分で言って、聞いてくれる人たちじゃないからお願いしているのに。
それとも私は生贄?
・・いや、そうだ。生贄だ。結局は使い捨て。実際の仕事の様子など誰も見てはいやしない。言葉にしたことだけが真実。ここでは、発言できないもの、しないものは蔑みの対象。だから、ハルの頑張りは彼らにとってまったく必要のないもの。ハルが頑張っていたのは収入のため。賃金に見合う仕事ができるようになりたいと願っただけ。耐えたのは、自分が未熟だとわかっていたから。だが、そんなのはあまったるい理想。そんな理想など振り回されては、迷惑極まりないのだ、ここでは。
ハルの心のバランスは完全に崩れた。
席替えの相談を振られ、それでもなお仕事を諦め切れなかったハルは3日間、家で悲鳴を、奇声をあげ続けた。心の傷を見ないようにするには忘れようとするには、体に傷をつけんとばかりに、髪をむしり、床に柱に頭を打ち続けた。
そこまで痛めつけて、ようやく諦めも付いて、休み明けの火曜日に出向いて、辞めると社員に話した。
社員は止めもしなかった。
「そういうことなら」
すぐに専務のところに連れて行かれ、詳細を話し、やめると伝えた。
最後に挨拶を交わしたいばかりに、アキさんだけに来てもらった。
「まあま、どうしたの」
アキさんに抱きついて、ハルは泣いた。泣いて、泣いて、涙が止まらなかった。
いい年をして泣き続けるハルを見て、
専務は、
「泣いてもしょうがないじゃない」
という諦めを含んだ声を発したが、それすらハルにとって痛かった。
今までの酷い仕打ちではまだ足りずにさらに鞭打たれたような気がした。
(続く)
2009年1月11日(日)
Climax Jump
2009年1月11日(日)
枯(10)
物語×41
(続き)
大人しく言う事を聞き、反抗の様子を見せてもすぐに仕事にかかるハルを、リーダーとハルヨは面白がっていじり続けた。
リーダーとハルヨの人を貶めるための会話を聞くと、やはり、ハルは胸が押しつぶされそうになった。
ある日、それらの話に耐え切れず、作業机の脚を蹴った。
衝動的に、だった。
どかっと大きい音がして机がずれ動き、皆が驚いた顔をしてハルをみたので、思わず、すいませんと言ってしまった。
その後少しの間、リーダーとハルヨの話題は別のことになったが、ハルは聞き逃さなかった。いや逃せなかった。ハルヨとリーダーの言葉を。
「最後の最後まで抵抗するのねぇ」
「やっぱり、わかってるんじゃないの?」
おしゃべりと手を動かすのと半々にしている彼女たちは、一番面倒な仕事を押し付け続け、時間がかかることを判っていながら、修理報酬が安すぎるからもっと早くして単価を稼げとか、賃金に対してする仕事時間の均衡が取れていないからもっとやってと要求ばかりを強くしてハルに嫌味を言い続けた。
自分に都合のいい要求をひたすら求めて、それでいて恵まれない、恵まれないと大騒ぎをしているようで、残酷な征服者のようでもあった。
ハルはひたすらに仕事に追われた。
作業場で流れているラジオから聞こえる音楽と、アキさんがそばで仕事をしているときがハルの救いであり、慰めだった。殻にこもるのが最大の避難だった。
リーダーの要求はエスカレートして、ハルとアキさんが、作業中に話をすることを禁じ、筆談ですませるようにと言った。
そのころから、短い期間内でハルはどんどん痩せて行った。
家から近いその職場で、皆と打ちとけるために一緒にお昼を取っていたけれど、居場所はどんどんなくなっていた。リーダーは自分の悪口を言われると思ったのか、最初の頃は家に戻っていたのに、最近は残って、その場を取り仕切りながら食べていた。
片時も気が抜けなかった。家に帰って昼を摂るようにした。実際は何も食べられない。おなかがすいたのがわからない。
それでも
「家に戻ってきます」
と明るく言った。
その後に、リーダーの
「もうもどってこなくていいよ」
という小さな声がみんなの声に混じって聞こえてきても。
呪われているようだった。
一時的に家に戻っても、ハルが書き溜めた修理メモを勝手に見られて取り上げられてしまうのではないかと、気が気でなかった。急いで作業場に戻って、一番にメモがあるのを確認して、安堵した。
風の冷たい中、体調を崩し気味だったときもハルは家に帰ったので、ハルは気管支炎をおこして2週間もの高熱で容赦なく苦しんだ。
暖かさが徐々に積み重なっていき、サクラの季節の春を迎えた。
復帰して、腕がおちたかと心配していたハルだったが、落ちてはいなかった。むしろ前より一層、冴え冴えとした手ごたえを感じるようになっていた。
どこに皮を当てて、どこを直せばという判断もつくようになっていた。
ハルは安心した。
なんとかやっていけそうだと。
しかし、ハルは毎年あれほどに心を奪われるサクラに見入る暇もなく、藍色の防具と向き合い、汗のこもった道具のむっとしたにおいをかいでいた。
毎年綺麗に見えるサクラの風景が、狂ったような気がする。綺麗な花が綺麗に見えない。7分咲きなのか、満開なのかそれともすでに葉桜か。
なにもわからない。
家の窓から見える桜並木にも気が付かない。子ども達が花見に行こうと誘っても、サクラを見たいと思わない。ハルの価値観も、様子も、全てがおかしくなっていたことに、誰も、そう、ハル自身も、気が付かなかった。黙殺していたかもしれない。
仕事中にお手洗いに行った。
一体私は何をしにここへきているのだろうとふと思ったら、温かいものが目から落ちた。
落ちたら、急に気持ち悪くなった。嗚咽が始まった。ひっくひっくとトイレで吐いた。吐きながら、泣いた。
また嫌味を言われる、仕事に戻らなくちゃ。
涙を拭いても赤くなった目は簡単に戻らない。赤い目をしたまま戻ったけど、だれも―いや、アキさんは気がついていたが、言えばハルが困ると知っていた―何も、気が付かなかったように。
その中でハルの白髪だけは確実に増えた。毎日の生活で鏡を見続けてはいたが、ある日突然それに気が付いて、心底驚いた。
(続く)
大人しく言う事を聞き、反抗の様子を見せてもすぐに仕事にかかるハルを、リーダーとハルヨは面白がっていじり続けた。
リーダーとハルヨの人を貶めるための会話を聞くと、やはり、ハルは胸が押しつぶされそうになった。
ある日、それらの話に耐え切れず、作業机の脚を蹴った。
衝動的に、だった。
どかっと大きい音がして机がずれ動き、皆が驚いた顔をしてハルをみたので、思わず、すいませんと言ってしまった。
その後少しの間、リーダーとハルヨの話題は別のことになったが、ハルは聞き逃さなかった。いや逃せなかった。ハルヨとリーダーの言葉を。
「最後の最後まで抵抗するのねぇ」
「やっぱり、わかってるんじゃないの?」
おしゃべりと手を動かすのと半々にしている彼女たちは、一番面倒な仕事を押し付け続け、時間がかかることを判っていながら、修理報酬が安すぎるからもっと早くして単価を稼げとか、賃金に対してする仕事時間の均衡が取れていないからもっとやってと要求ばかりを強くしてハルに嫌味を言い続けた。
自分に都合のいい要求をひたすら求めて、それでいて恵まれない、恵まれないと大騒ぎをしているようで、残酷な征服者のようでもあった。
ハルはひたすらに仕事に追われた。
作業場で流れているラジオから聞こえる音楽と、アキさんがそばで仕事をしているときがハルの救いであり、慰めだった。殻にこもるのが最大の避難だった。
リーダーの要求はエスカレートして、ハルとアキさんが、作業中に話をすることを禁じ、筆談ですませるようにと言った。
そのころから、短い期間内でハルはどんどん痩せて行った。
家から近いその職場で、皆と打ちとけるために一緒にお昼を取っていたけれど、居場所はどんどんなくなっていた。リーダーは自分の悪口を言われると思ったのか、最初の頃は家に戻っていたのに、最近は残って、その場を取り仕切りながら食べていた。
片時も気が抜けなかった。家に帰って昼を摂るようにした。実際は何も食べられない。おなかがすいたのがわからない。
それでも
「家に戻ってきます」
と明るく言った。
その後に、リーダーの
「もうもどってこなくていいよ」
という小さな声がみんなの声に混じって聞こえてきても。
呪われているようだった。
一時的に家に戻っても、ハルが書き溜めた修理メモを勝手に見られて取り上げられてしまうのではないかと、気が気でなかった。急いで作業場に戻って、一番にメモがあるのを確認して、安堵した。
風の冷たい中、体調を崩し気味だったときもハルは家に帰ったので、ハルは気管支炎をおこして2週間もの高熱で容赦なく苦しんだ。
暖かさが徐々に積み重なっていき、サクラの季節の春を迎えた。
復帰して、腕がおちたかと心配していたハルだったが、落ちてはいなかった。むしろ前より一層、冴え冴えとした手ごたえを感じるようになっていた。
どこに皮を当てて、どこを直せばという判断もつくようになっていた。
ハルは安心した。
なんとかやっていけそうだと。
しかし、ハルは毎年あれほどに心を奪われるサクラに見入る暇もなく、藍色の防具と向き合い、汗のこもった道具のむっとしたにおいをかいでいた。
毎年綺麗に見えるサクラの風景が、狂ったような気がする。綺麗な花が綺麗に見えない。7分咲きなのか、満開なのかそれともすでに葉桜か。
なにもわからない。
家の窓から見える桜並木にも気が付かない。子ども達が花見に行こうと誘っても、サクラを見たいと思わない。ハルの価値観も、様子も、全てがおかしくなっていたことに、誰も、そう、ハル自身も、気が付かなかった。黙殺していたかもしれない。
仕事中にお手洗いに行った。
一体私は何をしにここへきているのだろうとふと思ったら、温かいものが目から落ちた。
落ちたら、急に気持ち悪くなった。嗚咽が始まった。ひっくひっくとトイレで吐いた。吐きながら、泣いた。
また嫌味を言われる、仕事に戻らなくちゃ。
涙を拭いても赤くなった目は簡単に戻らない。赤い目をしたまま戻ったけど、だれも―いや、アキさんは気がついていたが、言えばハルが困ると知っていた―何も、気が付かなかったように。
その中でハルの白髪だけは確実に増えた。毎日の生活で鏡を見続けてはいたが、ある日突然それに気が付いて、心底驚いた。
(続く)
2009年1月10日(土)
枯(9)
物語×41
(続き)
ハルは、アキさんの指導下に入って、束の間、ほっとした。とにかく、修理に一番多くやってくるもの、甲手をしっかり修理する方針でいくといわれた。
アキさんの指導は厳しい反面、とてもわかりやすかったし、なにより親切で優しかった。
リーダーはそれにもいちいち介入した。アキさんとハルをなんとか離そう離そうと毎日躍起になっていた。もちろんその裏には、ハルヨもいる。
ハルヨはリーダーを影でけしかけ続けた。
お昼休みにハルヨは携帯をいじっている。目の前で、リーダーの携帯の音がなる。
そんなことをしょっちゅうやっていれば、何かやっているなと思うほうが当然といえよう。証拠を探すことはしなかったが、大体行動が一致しているのを見れば、つながっているとすぐわかる。
ばれていないと思ってもばれているのだ。特によくないことは。
ハルは、休日でも安心など出来なかった。彼女達は、休んだ人の仕事の仕上がり、出来上がりを事細かに観察して、重箱の隅をつつくようなミスを見つけてはヒステリーを起こした。そんなヒステリーに振り回されるたびハルは落ち込んで行った。
アキさんはハルに練習を勧めた。
「なんとか、リーダーに聞かなくても修理を一通りこなせるようになるには数をこなすしかないから」
質を量でカバーする作戦を持ってきた。ハルはそれに素直に従った。
社員にお願いして、練習用として、針や糸や壊れた防具を貸してもらった。もちろんアキさん以外パート全員には絶対内緒で、と含めて。
どうしたらいいのか、
自分のどこが悪かったのか、
自分を責めた。
責めすぎて、涙をこぼしながら、指に針がささっても痛いとも騒がず、血が流れて服についているにも気がつかず、ただ練習を続けた。
そばで見ていた夫は言った。
泣きながら練習するハルを見るのは嫌だ、
練習はいい、そういう前向きなハルは大好きだ。
でも、何故泣くのだと。
四六時中精神的に落ち着くことはなかったけれど、そんな練習の甲斐があって、ハルはアキさんの下でどんどん上達していった。あと2ヶ月もすれば、ハルはおそらく甲手に関しては、修理の殆どを賄えるようになるだろうと思われた。
面と垂れの修理で一番長けているのはアキさんだったから、その部分に関われば、金輪際リーダーと関わらなくてもいいのだ。
だがアキさんの指導は半端なく厳しかった。細かい部分を、ほとんどあら捜しするようなリーダー達の目を超えるには、完璧にするしかないのだ。アキさんもハルもそれを目指していて、きつかった。
「あの人たちは、あなたがいることが嫌なのよ。仕事は出来るのだから頑張って」
そういわれて、二重につらかった。
しかし、押さえ込んでひたすら耐えた。
アキさんだって、私をかばって立っているのだから、と。
そういった、好ましくない全ての条件が、ハルを異常に早いスピードで職人に近づけたのだが、そうなって初めてリーダー達はぎょっとしたらしかった。
それまでは、ハルは仲間はずれにする形でいじめられたのだが、上手になって使えるようになってくると、下に入れと絡むようになった。まるで自分たちが育てたといわんばかり、大人しく言う事を聞かせて仕事を押し付けるために。
リーダーたちの下で指導を受けているスウコは、いまだに全く仕事ができないと言って良いほど、できなかった。当たり前だ、スウコの指導すら、実はこっそりアキさんが教えていたのだから。でもスウコはきかない。リーダーがハルにヒステリーの目を向けている間、スウコはぬくぬくと、ただ太っていた。
ハルは怒りたかった。だけど怒りをあらわに出来なかった。怒ると言う事が判らなくなっていた。ひとたび怒れば、爆発に近いくらいの大きさで怒鳴るかもしれない、そんな風に自分を見失うようなことをただ恐れた。
「同じステージになることはないよ」
とアキさんも言ったことが影響した。
だが、限界はハルの知らないうちに、速度をあげて近づいてきていた。
(続く)
ハルは、アキさんの指導下に入って、束の間、ほっとした。とにかく、修理に一番多くやってくるもの、甲手をしっかり修理する方針でいくといわれた。
アキさんの指導は厳しい反面、とてもわかりやすかったし、なにより親切で優しかった。
リーダーはそれにもいちいち介入した。アキさんとハルをなんとか離そう離そうと毎日躍起になっていた。もちろんその裏には、ハルヨもいる。
ハルヨはリーダーを影でけしかけ続けた。
お昼休みにハルヨは携帯をいじっている。目の前で、リーダーの携帯の音がなる。
そんなことをしょっちゅうやっていれば、何かやっているなと思うほうが当然といえよう。証拠を探すことはしなかったが、大体行動が一致しているのを見れば、つながっているとすぐわかる。
ばれていないと思ってもばれているのだ。特によくないことは。
ハルは、休日でも安心など出来なかった。彼女達は、休んだ人の仕事の仕上がり、出来上がりを事細かに観察して、重箱の隅をつつくようなミスを見つけてはヒステリーを起こした。そんなヒステリーに振り回されるたびハルは落ち込んで行った。
アキさんはハルに練習を勧めた。
「なんとか、リーダーに聞かなくても修理を一通りこなせるようになるには数をこなすしかないから」
質を量でカバーする作戦を持ってきた。ハルはそれに素直に従った。
社員にお願いして、練習用として、針や糸や壊れた防具を貸してもらった。もちろんアキさん以外パート全員には絶対内緒で、と含めて。
どうしたらいいのか、
自分のどこが悪かったのか、
自分を責めた。
責めすぎて、涙をこぼしながら、指に針がささっても痛いとも騒がず、血が流れて服についているにも気がつかず、ただ練習を続けた。
そばで見ていた夫は言った。
泣きながら練習するハルを見るのは嫌だ、
練習はいい、そういう前向きなハルは大好きだ。
でも、何故泣くのだと。
四六時中精神的に落ち着くことはなかったけれど、そんな練習の甲斐があって、ハルはアキさんの下でどんどん上達していった。あと2ヶ月もすれば、ハルはおそらく甲手に関しては、修理の殆どを賄えるようになるだろうと思われた。
面と垂れの修理で一番長けているのはアキさんだったから、その部分に関われば、金輪際リーダーと関わらなくてもいいのだ。
だがアキさんの指導は半端なく厳しかった。細かい部分を、ほとんどあら捜しするようなリーダー達の目を超えるには、完璧にするしかないのだ。アキさんもハルもそれを目指していて、きつかった。
「あの人たちは、あなたがいることが嫌なのよ。仕事は出来るのだから頑張って」
そういわれて、二重につらかった。
しかし、押さえ込んでひたすら耐えた。
アキさんだって、私をかばって立っているのだから、と。
そういった、好ましくない全ての条件が、ハルを異常に早いスピードで職人に近づけたのだが、そうなって初めてリーダー達はぎょっとしたらしかった。
それまでは、ハルは仲間はずれにする形でいじめられたのだが、上手になって使えるようになってくると、下に入れと絡むようになった。まるで自分たちが育てたといわんばかり、大人しく言う事を聞かせて仕事を押し付けるために。
リーダーたちの下で指導を受けているスウコは、いまだに全く仕事ができないと言って良いほど、できなかった。当たり前だ、スウコの指導すら、実はこっそりアキさんが教えていたのだから。でもスウコはきかない。リーダーがハルにヒステリーの目を向けている間、スウコはぬくぬくと、ただ太っていた。
ハルは怒りたかった。だけど怒りをあらわに出来なかった。怒ると言う事が判らなくなっていた。ひとたび怒れば、爆発に近いくらいの大きさで怒鳴るかもしれない、そんな風に自分を見失うようなことをただ恐れた。
「同じステージになることはないよ」
とアキさんも言ったことが影響した。
だが、限界はハルの知らないうちに、速度をあげて近づいてきていた。
(続く)
2009年1月9日(金)
枯(8)
物語×41
(続き)
新しい年が明け、パートのメンバーが全部出勤し始めた、始まりの騒々しさも落ち着き始めたころ、ハルは、初めて別の防具、面、の修理に携わった。
まだそれを修理するには経験不足だなとはすぐに思った。
なので、自分で出来そうなものを選ぼうとしたら、リーダーは
「納期があるので、順番どおり、入ってきたものから修理して」
と言った。
ハルヨが修理の台帳を見て、その面が一番優先順位があると更に付け加えた。そこまで言われて断れば、じゃあ仕事やめれば、といわれそうでもあって怖かった。
だからハルは言われるままそれを取った。リーダーも他の誰も「無理じゃないかな」とは言わなかった。
ただ一人アキさんを除いては。
「まだハルちゃんには無理だと思うよ、他の仕事を与えたら?」
「できるところだけやってくれてもいいから」
そうなると、アキさんも言葉に詰まるのだ。出来ないところは仕方ないから認めるといっているようなものだから。
その面の状態は酷かった。
だが、もとは高価ないい品物だったろう。
あごについている臆病垂れには皮にサクラ模様を型染めしたものが飾りとして使われていたし、面の内側は、ビロード貼りだった。
今は塗料は剥げ、面の中の布はあちこち擦り切れ、あちこちからほつれた糸がぶら下がっていた。
ハルは思う。
無粋であろう武道にすら、こんなに綺麗な柄が施されたのはなぜかと。
滑らかな柔らかな布を使っているのはなぜかと。
実用、豪胆、一本気、それらのなかにも、やはりいろどりはあって、その彩が派手でなく控えめだから、余計に惹かれる。日本の美術のあり方は面白いと、いつもそこを見ていた。
様々なものが持ち主によって使われ、使い込まれ、挙句くたびれ、藍も切れ、しらっ茶けても、まだやって行けるんだと、生まれ変われるんだと、また持ち主の役に立ちたいと、修理を待っている。
だから、ハルは挑んでみた。アキさんが目の前にいて、ちょこちょこ口を出してくれてもいた。それも大いに助けになった。
当然それをリーダーは制した。
制した上で、作業をさせ、3時間もしないうちに、
「いつになったら出来るの、それ!!アキさんだって仕事抱えているのよ!!」
と激昂しながら言いだした。
ハルはその言葉にむっとした。でも何も言わなかった。いえなかった。
アキさんのアドバイスがなければ何も出来ないようなものだから。
確かにハルはアキさんに聞いてばかりだったかもしれない。それでアキさんの仕事を遅らせたかもしれない。でもアキさんは
「聞いていいのよ」と言ってくれた。
アキさんはいつも
「聞いてくれることで気分も変わってくるから」
と言ってくれた。
結局その仕事は、別の経験者の手に渡っていった。しかし彼女も、結局一日半かけたにも関わらず仕上がらなかったので、結局はアキさんが仕上げた。
仕組まれていた。
アキさんはたまたま垂れの仕事を受け持っていた。それは見た目以上に手間のかかる修理が必要だった。本来なら、その問題の面はアキさんが受け持つはずだったのだが、手が空いていない以上、誰か他の人がするしかない。
それをリーダー以下は、嫌がったのだ。
だから、何も知らないハルに取らせた。
修理できないと、泣きついてきたら、馬鹿にするつもりでいたのだ。しかしハルは黙って受け取って作業を始めてしまった。
自分の思惑と違ったことが、余計にリーダーをいらいらさせたのだろう。
この出来事は、社員を動員しての揉め事にあがった。次の日には、ひとりひとり面接を受け、ハルも言いたいことの半分程度は言ってみた。
それ以来、リーダーはハルの問いかけに答えなくなった。
以前から見かねきっていたアキさんが、社員に話し、ハルを彼女の手元で指導することとなった。
しかし、ハルを困らせるための台帳の操作はしばらく続いた。
(続く)
新しい年が明け、パートのメンバーが全部出勤し始めた、始まりの騒々しさも落ち着き始めたころ、ハルは、初めて別の防具、面、の修理に携わった。
まだそれを修理するには経験不足だなとはすぐに思った。
なので、自分で出来そうなものを選ぼうとしたら、リーダーは
「納期があるので、順番どおり、入ってきたものから修理して」
と言った。
ハルヨが修理の台帳を見て、その面が一番優先順位があると更に付け加えた。そこまで言われて断れば、じゃあ仕事やめれば、といわれそうでもあって怖かった。
だからハルは言われるままそれを取った。リーダーも他の誰も「無理じゃないかな」とは言わなかった。
ただ一人アキさんを除いては。
「まだハルちゃんには無理だと思うよ、他の仕事を与えたら?」
「できるところだけやってくれてもいいから」
そうなると、アキさんも言葉に詰まるのだ。出来ないところは仕方ないから認めるといっているようなものだから。
その面の状態は酷かった。
だが、もとは高価ないい品物だったろう。
あごについている臆病垂れには皮にサクラ模様を型染めしたものが飾りとして使われていたし、面の内側は、ビロード貼りだった。
今は塗料は剥げ、面の中の布はあちこち擦り切れ、あちこちからほつれた糸がぶら下がっていた。
ハルは思う。
無粋であろう武道にすら、こんなに綺麗な柄が施されたのはなぜかと。
滑らかな柔らかな布を使っているのはなぜかと。
実用、豪胆、一本気、それらのなかにも、やはりいろどりはあって、その彩が派手でなく控えめだから、余計に惹かれる。日本の美術のあり方は面白いと、いつもそこを見ていた。
様々なものが持ち主によって使われ、使い込まれ、挙句くたびれ、藍も切れ、しらっ茶けても、まだやって行けるんだと、生まれ変われるんだと、また持ち主の役に立ちたいと、修理を待っている。
だから、ハルは挑んでみた。アキさんが目の前にいて、ちょこちょこ口を出してくれてもいた。それも大いに助けになった。
当然それをリーダーは制した。
制した上で、作業をさせ、3時間もしないうちに、
「いつになったら出来るの、それ!!アキさんだって仕事抱えているのよ!!」
と激昂しながら言いだした。
ハルはその言葉にむっとした。でも何も言わなかった。いえなかった。
アキさんのアドバイスがなければ何も出来ないようなものだから。
確かにハルはアキさんに聞いてばかりだったかもしれない。それでアキさんの仕事を遅らせたかもしれない。でもアキさんは
「聞いていいのよ」と言ってくれた。
アキさんはいつも
「聞いてくれることで気分も変わってくるから」
と言ってくれた。
結局その仕事は、別の経験者の手に渡っていった。しかし彼女も、結局一日半かけたにも関わらず仕上がらなかったので、結局はアキさんが仕上げた。
仕組まれていた。
アキさんはたまたま垂れの仕事を受け持っていた。それは見た目以上に手間のかかる修理が必要だった。本来なら、その問題の面はアキさんが受け持つはずだったのだが、手が空いていない以上、誰か他の人がするしかない。
それをリーダー以下は、嫌がったのだ。
だから、何も知らないハルに取らせた。
修理できないと、泣きついてきたら、馬鹿にするつもりでいたのだ。しかしハルは黙って受け取って作業を始めてしまった。
自分の思惑と違ったことが、余計にリーダーをいらいらさせたのだろう。
この出来事は、社員を動員しての揉め事にあがった。次の日には、ひとりひとり面接を受け、ハルも言いたいことの半分程度は言ってみた。
それ以来、リーダーはハルの問いかけに答えなくなった。
以前から見かねきっていたアキさんが、社員に話し、ハルを彼女の手元で指導することとなった。
しかし、ハルを困らせるための台帳の操作はしばらく続いた。
(続く)