2009年1月8日(木)
枯(7)
物語×41
(続き)
ちゃんと仕事が出来ないと、修理部門の名を下げることになると思ったから、ハルは熱心にリーダーに尋ねた。ハルより一週間前に入ったスウコもいたから、実際指導期間でもあった。
最初、リーダーは修理で使用する運針のしかたを教えてくれた。しかし彼女はすぐに指導という行為に飽きて、
「自分で考えて」
と言い捨てるようになった。
修理にあたって、何も予備知識がないのに、しかも剣道防具に関してすら知らないのに、いきなり自分で考えてといわれれば、言われたほうは困る。もっとも修理方は確立されておらず、けっこういい加減なところもあったらしいが、出来上がったものを一目見て、
「それちがう」
「これはやり直し」
言われ続ければ、じゃあ先に基本を教えてください、と思う。
でもそれは彼女達は言わない。聞けば、運針だけ教える。運針を教えてもらいたいのではない、細かい気配りや要点を教えて欲しいのだ。いままでどうやっていたのか、ヒントが欲しいのだ。そして失敗すれば、聞かないで突っ走ったハルが悪いと言われて終わる。
目隠しをして、どこか知らないところに捨てられ、現地の人にそこがどこかを聞かずに戻って来い、サバイバルをしろと言うのにも今から思うと似ていた。
採用のとき、確かに「剣道経験者優遇」という条件はあったが、採用したのはリーダーではなく、会社の経営者だ。それともリーダーは、自分は何でも知っているから、頭を下げて頼みに来いと言いたかったのだろうか。でも、「仕事」と見てしまったハルはそんなこと思いも付かなかった。どうしていいかわからなかった。
知識を与えてもらうことに関して頭を下げる気持ちは大いにあるけれど、代わりに遣ってもらうことは全く考えていなかったから。
箱に入れて捨てられた子猫のように、ハルは一人不安を募らせた。
それでも、ハルは聞いた。スウコと一緒に進んで行けばよかったのだろうけど、スウコは勤務時間も短めで、しかも何かにつけて動作が遅かった。
質問もしなかった。理解して質問をしないのではなく、全てにおいてのろいので、いつまで経っても終わらないから進まない。スウコは何かにつけて本当に動作の遅い人だった。
自分から積極的に動かず、誰かが来て指示を出すまで何もしないで立っていた。
「手が小さいから、針が上手に扱えなくってー」
「金属製の指貫が細くて入らなくってー」
その理由は間違ってはいない。だがスウコは工夫もしない。
そういう意味ではハルは、確かに針には慣れていた。でも柔らかい布に針を通すのと、硬い皮に針をつきたてるのでは持ち方も加減も力の入れようも全く違う。
指貫にしても同じだ。ハルは怪我防止のために巻きつけた皮を一緒にはめていると、指貫ができないとすぐわかった。
それでアキさんにたずねて見せてもらったら、やっぱり輪は切られていて、ハルはそれにすぐに倣った。
ところが、スウコはそれを目の当たりにしていたはずなのに、3ヶ月を過ぎてもそのままにして、何もしなかった。ただできない、できない、を繰り返した。
もしずっと、そのままならば、仕事は続けられない。
見かねたアキさんが手を出し、金属の指貫はヤスリで切られ、スウコはやっと指貫を使えるようになった。スウコはその間も何もしないでただ見ていた。
「スウコさん指貫使えるようになったから」
というアキさんに、リーダーは
「そう、よかったね、指貫使えないと仕事にならないもんねー」
と言ったが、それをわかっていたはずなのに、放っておいたのはリーダーだ。
ハルの熱心さ、いやリーダーからはしつこさだったろうか。それに辟易して、メモを取るよう促したとき、スウコも一緒に用意した。ハルが一冊のノートにまとめている最中でも、スウコのメモは真っ白だった。そんなだから、必然的にハルのほうが進んでしまっていた。
でもスウコは、バカではなかった。取り入ること、顔色を窺うことは上手だった。ハルと話すときもリーダーとハルヨの顔色を窺いながら話していた。
アキさんと話すと、リーダーやハルヨがにらむので、ハルはそれ以外の近くの人にたずねたりもした。しかしそうやっていると必ず、ハルの周りから、上手な人は遠くに置かれた。
席替えはしょっちゅうだった。経験者だからと安心して聞いたら、実はそれが根本的に間違っていたこともあった。リーダーはそれを今まで正してこなかった。
経験者ですら修理の知識を互いに埋めてこなかったのだ。それなのに、影で腐す。
ハルは誰に尋ねたらいいのかは判る。アキさんとリーダーだ。だがアキさんはハルと同じように、部屋の片隅に追いやられ、ひとつの作業をするよう押し込められている。
リーダーに聞けば、
「人の仕事の手を止めないで、ちゃんと考えて」とすごい顔でいう。
その言葉は、「仕事の手を止めないで」は、ハルがハルヨに、漏らした言葉の裏返しだ。
「いつも忙しそうだから、聞くのが申し訳ないようで・・・」
といった自分の言葉だ。
思いやりを、とげにして返してくる、酷い人たちだった。
ハルは気が付かなかったが、ハルヨは、ハルに対して失敗を促したり、そのことでハルをいちいち激しく怒るように吹き込んでいたようだ。意図はわからないが、あの偉そうな態度から思うに、自分たちのほうが優れていると、上であると見せ付けたかったのだろう。
リーダーは、ハルヨの囁きに乗じ、面白がって、いろいろないびりとも取れる仕打ちをハルにした。
(続く)
ちゃんと仕事が出来ないと、修理部門の名を下げることになると思ったから、ハルは熱心にリーダーに尋ねた。ハルより一週間前に入ったスウコもいたから、実際指導期間でもあった。
最初、リーダーは修理で使用する運針のしかたを教えてくれた。しかし彼女はすぐに指導という行為に飽きて、
「自分で考えて」
と言い捨てるようになった。
修理にあたって、何も予備知識がないのに、しかも剣道防具に関してすら知らないのに、いきなり自分で考えてといわれれば、言われたほうは困る。もっとも修理方は確立されておらず、けっこういい加減なところもあったらしいが、出来上がったものを一目見て、
「それちがう」
「これはやり直し」
言われ続ければ、じゃあ先に基本を教えてください、と思う。
でもそれは彼女達は言わない。聞けば、運針だけ教える。運針を教えてもらいたいのではない、細かい気配りや要点を教えて欲しいのだ。いままでどうやっていたのか、ヒントが欲しいのだ。そして失敗すれば、聞かないで突っ走ったハルが悪いと言われて終わる。
目隠しをして、どこか知らないところに捨てられ、現地の人にそこがどこかを聞かずに戻って来い、サバイバルをしろと言うのにも今から思うと似ていた。
採用のとき、確かに「剣道経験者優遇」という条件はあったが、採用したのはリーダーではなく、会社の経営者だ。それともリーダーは、自分は何でも知っているから、頭を下げて頼みに来いと言いたかったのだろうか。でも、「仕事」と見てしまったハルはそんなこと思いも付かなかった。どうしていいかわからなかった。
知識を与えてもらうことに関して頭を下げる気持ちは大いにあるけれど、代わりに遣ってもらうことは全く考えていなかったから。
箱に入れて捨てられた子猫のように、ハルは一人不安を募らせた。
それでも、ハルは聞いた。スウコと一緒に進んで行けばよかったのだろうけど、スウコは勤務時間も短めで、しかも何かにつけて動作が遅かった。
質問もしなかった。理解して質問をしないのではなく、全てにおいてのろいので、いつまで経っても終わらないから進まない。スウコは何かにつけて本当に動作の遅い人だった。
自分から積極的に動かず、誰かが来て指示を出すまで何もしないで立っていた。
「手が小さいから、針が上手に扱えなくってー」
「金属製の指貫が細くて入らなくってー」
その理由は間違ってはいない。だがスウコは工夫もしない。
そういう意味ではハルは、確かに針には慣れていた。でも柔らかい布に針を通すのと、硬い皮に針をつきたてるのでは持ち方も加減も力の入れようも全く違う。
指貫にしても同じだ。ハルは怪我防止のために巻きつけた皮を一緒にはめていると、指貫ができないとすぐわかった。
それでアキさんにたずねて見せてもらったら、やっぱり輪は切られていて、ハルはそれにすぐに倣った。
ところが、スウコはそれを目の当たりにしていたはずなのに、3ヶ月を過ぎてもそのままにして、何もしなかった。ただできない、できない、を繰り返した。
もしずっと、そのままならば、仕事は続けられない。
見かねたアキさんが手を出し、金属の指貫はヤスリで切られ、スウコはやっと指貫を使えるようになった。スウコはその間も何もしないでただ見ていた。
「スウコさん指貫使えるようになったから」
というアキさんに、リーダーは
「そう、よかったね、指貫使えないと仕事にならないもんねー」
と言ったが、それをわかっていたはずなのに、放っておいたのはリーダーだ。
ハルの熱心さ、いやリーダーからはしつこさだったろうか。それに辟易して、メモを取るよう促したとき、スウコも一緒に用意した。ハルが一冊のノートにまとめている最中でも、スウコのメモは真っ白だった。そんなだから、必然的にハルのほうが進んでしまっていた。
でもスウコは、バカではなかった。取り入ること、顔色を窺うことは上手だった。ハルと話すときもリーダーとハルヨの顔色を窺いながら話していた。
アキさんと話すと、リーダーやハルヨがにらむので、ハルはそれ以外の近くの人にたずねたりもした。しかしそうやっていると必ず、ハルの周りから、上手な人は遠くに置かれた。
席替えはしょっちゅうだった。経験者だからと安心して聞いたら、実はそれが根本的に間違っていたこともあった。リーダーはそれを今まで正してこなかった。
経験者ですら修理の知識を互いに埋めてこなかったのだ。それなのに、影で腐す。
ハルは誰に尋ねたらいいのかは判る。アキさんとリーダーだ。だがアキさんはハルと同じように、部屋の片隅に追いやられ、ひとつの作業をするよう押し込められている。
リーダーに聞けば、
「人の仕事の手を止めないで、ちゃんと考えて」とすごい顔でいう。
その言葉は、「仕事の手を止めないで」は、ハルがハルヨに、漏らした言葉の裏返しだ。
「いつも忙しそうだから、聞くのが申し訳ないようで・・・」
といった自分の言葉だ。
思いやりを、とげにして返してくる、酷い人たちだった。
ハルは気が付かなかったが、ハルヨは、ハルに対して失敗を促したり、そのことでハルをいちいち激しく怒るように吹き込んでいたようだ。意図はわからないが、あの偉そうな態度から思うに、自分たちのほうが優れていると、上であると見せ付けたかったのだろう。
リーダーは、ハルヨの囁きに乗じ、面白がって、いろいろないびりとも取れる仕打ちをハルにした。
(続く)
2009年1月7日(水)
枯(6)
物語×41
(続き)
ここでハルが一番最初に指導を受けたのは、名前付けだった。それは商品をお買い上げいただいたサービスの一環として行なわれるもので、お金にはならなかったが、商品の付加価値を上げるものとして重要なものだったようだ。
身を守る防具は、硬い。今はウレタンなどを圧縮しているが、古来のやりかたでは布をたくさん重ねて厚みを持たせ、刺し子をして丈夫にする。だから値段の張るものほど硬い傾向があり、名前を付けるために刺す針が曲がったり折れたりするのに気をつけねばならなかった。
ハルは連続3日間、練習用に渡されたものと格闘して、4日目からは、本番として名前を付けるように言われ、付けた。時間はかかったが、一つ一つリーダーに見せて、具合などを確かめた。だが、そのときはまだお互いに普通だった、と思う。
そして6日目。
ハルもリーダーも、
「これはきれいに出来た」
というものがあった。硬い素材の高級品だったから、時間より丁寧さを取って頑張ってみた。その日は、たまたま社長が作業場を覗きに来て、その仕事がたまたま目に付いたらしい。
社長はしげしげと見て、一言、
「お、綺麗だ」
と言った。
たいていの人は、引きが甘い、針目が悪いといわれたらしいが、ハルは褒められた。褒められれば誰だって嬉しい。もちろん仕事なのだから。思わずよかったと安心した。
そのままだったら、ハルはみんなから妬まれても仕方が無いかもしれない。
けれど、その後に社長は聞いた。
「何分でつけたんだ」
「20分です」
20分と言っても、片方だけをつけた時間ではない。両方だ。
「20分!こんなの5分でつけなくちゃダメだよ、じゃないとお金にならないよ!」
おそらく社長は、片方の時間だけだと思ったのだとは思うけれど。
ハルはそれでひるんだ。困った表情になったのかもしれない。実際に一週間やそこらで経験者と同じ高みを示されても困る。これから頑張っていくとしても、どのくらいでそうなるかすら、見当もつかないのだ。
社長はそれを見て取って、
「もちろん慣れたら、ね」
と付け加えた。
しかし驚いたのも事実で、ハルは思わずリーダーに聞いた。
「みんな5分でつけてしまうんですか」
「5分でつけられるならね~・・・・」
5分でつけられるなら。
言われた言葉はなんだったろう。でもハルは、決してフォローをされたのではないと、感じた。
「針使える人でよかったと思ったのに」
リーダーは落胆したような言葉を言った。
社長になのか、それともハルになのか、そこまではわからなかった。
家族経営の小さな会社。といっても、株式会社なのだ。立ち上げてから今まで、社長がどのくらい仕事の鬼となっていたか、かつて男社会のど真ん中で働いていたハルには、なんとなくだけどわかる気がした。
気がしただけなので、実際には誰にも言ってはいない。
並大抵のことではなかったはずだ。理不尽に頭を下げる苦労、無理にこたえなければならない苦労。
男社会で働いていたのはアキさんも同じだった。長いこと建築図面を引いてきた。ずっと図面を引いてきたのだが、お姑さんが寝たきりになったので介護をすることになり、その仕事はやめたと聞いた。
他の皆はどんなことをしていたか知らない。
ただ、アキさんとハルは仕事への挑み方が明らかに違った。もくもくと淡々と仕事をする。アキさんもハルも仕事には段取りと経験が必要だと知っていた。ただハルには、この仕事の経験はない。だが経験は少しづつ溜まっていくものだ。
ハルの待遇をもっと悪くしてしまったのは、ハルの見た目の可愛らしさだった。
物言いの大人しさ、うるさくなさ、仕事への熱意。そんなこんなもあって、社長に気に入られるたらしく、
「ハルちゃん」
と呼ばれるようになった。
もちろん、それにハルは、甘えはしなかった。
「以前は揃って『「おばさん方』」と呼んでいたのに、若い人が入ってきて、社長も嬉しいのかしらね。」
70間近のパート女性からそう聞いたのは、リーダーとハルヨが揃って子ども達の行事で居ない日のことだった。
ハルは、自分がリーダーより上だと何回も言わなければならなかった。
おばさんと言ってもらって、同じであると思って欲しかったから。
(続く)
ここでハルが一番最初に指導を受けたのは、名前付けだった。それは商品をお買い上げいただいたサービスの一環として行なわれるもので、お金にはならなかったが、商品の付加価値を上げるものとして重要なものだったようだ。
身を守る防具は、硬い。今はウレタンなどを圧縮しているが、古来のやりかたでは布をたくさん重ねて厚みを持たせ、刺し子をして丈夫にする。だから値段の張るものほど硬い傾向があり、名前を付けるために刺す針が曲がったり折れたりするのに気をつけねばならなかった。
ハルは連続3日間、練習用に渡されたものと格闘して、4日目からは、本番として名前を付けるように言われ、付けた。時間はかかったが、一つ一つリーダーに見せて、具合などを確かめた。だが、そのときはまだお互いに普通だった、と思う。
そして6日目。
ハルもリーダーも、
「これはきれいに出来た」
というものがあった。硬い素材の高級品だったから、時間より丁寧さを取って頑張ってみた。その日は、たまたま社長が作業場を覗きに来て、その仕事がたまたま目に付いたらしい。
社長はしげしげと見て、一言、
「お、綺麗だ」
と言った。
たいていの人は、引きが甘い、針目が悪いといわれたらしいが、ハルは褒められた。褒められれば誰だって嬉しい。もちろん仕事なのだから。思わずよかったと安心した。
そのままだったら、ハルはみんなから妬まれても仕方が無いかもしれない。
けれど、その後に社長は聞いた。
「何分でつけたんだ」
「20分です」
20分と言っても、片方だけをつけた時間ではない。両方だ。
「20分!こんなの5分でつけなくちゃダメだよ、じゃないとお金にならないよ!」
おそらく社長は、片方の時間だけだと思ったのだとは思うけれど。
ハルはそれでひるんだ。困った表情になったのかもしれない。実際に一週間やそこらで経験者と同じ高みを示されても困る。これから頑張っていくとしても、どのくらいでそうなるかすら、見当もつかないのだ。
社長はそれを見て取って、
「もちろん慣れたら、ね」
と付け加えた。
しかし驚いたのも事実で、ハルは思わずリーダーに聞いた。
「みんな5分でつけてしまうんですか」
「5分でつけられるならね~・・・・」
5分でつけられるなら。
言われた言葉はなんだったろう。でもハルは、決してフォローをされたのではないと、感じた。
「針使える人でよかったと思ったのに」
リーダーは落胆したような言葉を言った。
社長になのか、それともハルになのか、そこまではわからなかった。
家族経営の小さな会社。といっても、株式会社なのだ。立ち上げてから今まで、社長がどのくらい仕事の鬼となっていたか、かつて男社会のど真ん中で働いていたハルには、なんとなくだけどわかる気がした。
気がしただけなので、実際には誰にも言ってはいない。
並大抵のことではなかったはずだ。理不尽に頭を下げる苦労、無理にこたえなければならない苦労。
男社会で働いていたのはアキさんも同じだった。長いこと建築図面を引いてきた。ずっと図面を引いてきたのだが、お姑さんが寝たきりになったので介護をすることになり、その仕事はやめたと聞いた。
他の皆はどんなことをしていたか知らない。
ただ、アキさんとハルは仕事への挑み方が明らかに違った。もくもくと淡々と仕事をする。アキさんもハルも仕事には段取りと経験が必要だと知っていた。ただハルには、この仕事の経験はない。だが経験は少しづつ溜まっていくものだ。
ハルの待遇をもっと悪くしてしまったのは、ハルの見た目の可愛らしさだった。
物言いの大人しさ、うるさくなさ、仕事への熱意。そんなこんなもあって、社長に気に入られるたらしく、
「ハルちゃん」
と呼ばれるようになった。
もちろん、それにハルは、甘えはしなかった。
「以前は揃って『「おばさん方』」と呼んでいたのに、若い人が入ってきて、社長も嬉しいのかしらね。」
70間近のパート女性からそう聞いたのは、リーダーとハルヨが揃って子ども達の行事で居ない日のことだった。
ハルは、自分がリーダーより上だと何回も言わなければならなかった。
おばさんと言ってもらって、同じであると思って欲しかったから。
(続く)
2009年1月6日(火)
枯(5)
物語×41
“ | 差別用語がひとつ存在します。 物語の進行上、取替えがきかないので、どうぞお許しいただけますようお願いいたします。 |
(続き)
パートのリーダーは個性の非常に強いハルより一歳年下の人だった。つまりハルの第一印象でみんなが年上に見えたのはまず間違いだった。彼女は自分の息子を、その職場で働いている男性が顧問を勤める剣道のクラブに入れていた。
あまりにもリーダーがハルの顔をみて話そうともしない人なので、ハルは、彼女の子供の頃を知っているだろう、親しい友人にも尋ねてみた。
初めは、
「あまり良く知らないの」
と答えられて、そうだよね、同じ学校だったからといって何でも知っているわけじゃないよねと納得していたが、そこをやめた後には、
「昔から強いものにはまかれて、弱いものをいじめる」
と聞かされた。
リーダーは自分が思い込んだことが全てで、客観性もなく他人ばかり非難し、調べるということや状況を聞くと言う事はしなかった。逆に言えば、人の顔色ばかり見ていたかもしれない。不機嫌な顔の他人を見ると、彼女もそれは面白くないのだ。
自分が何かしたかもしれないという、無意識の可責かもしれない。
そのせいかどうか知らないが、リーダーはハルヨという人といつもくっついていた。ハルヨは、ハルより4つ年上で背の高く、娘二人と息子一人が居て、息子は中学生、なかなかに腕の立つ剣士だそうだ。
ハルがまだそこに居ない、過去の話だが、リーダーに笑いながら平然と、
「針、さしてあげようか」
といったという神経の持ち主でもある彼女は、頬骨が鼻より出た、細い底意地の悪そうな目をしており、その彼女の顔をハルは心底恐ろしいと思った。
だが、物言いは柔らかかった。
「あら、今日からなのね、宜しくね」
と言って、ハルに作業道具を渡してくれたとき、自分の目が節穴だったと思わず恥じたほどに。
だが、実際には見た目どおりの人で、笑ってなんでも酷いことが言える人、できる人だった。
ここでは自らが剣道をしているものより、身内が剣道をしているものの方が、言い方は悪いが威張っていた。
リーダーとハルヨは、いつもおしゃべりしていた。
内容は、息子の剣道のこと、剣道をさせていて知り合った先生達のことだった。多くの内容は、あら捜し。たまに褒めることはあった。だが、ハルヨがちょっとでも褒めようならば、リーダーはそれをけなし、リーダーが好感的なことを言うと、ハルヨはトドメを刺す。噂の対象を持ち上げては落とし、持ち上げては落とし。本人がそこにいたら、決して出来ない話しを延々としていた。
対象にするのは、その場に居ない人なら、誰でもいいらしかった。社長への嫌味、専務への嫌味、他店の店長さんへの文句。おそらく居ないところではハル以下全員の文句が言われていただろうと想像するのは簡単だった。
それでも、仕事を一生懸命している、とアピールすることには非常に長けていた。
若い男性が多い職場でもあったので、若くて格好のいい社員の男の子達がたくさん出入りしていた。だから社員が来ると彼女達は甘い声を出して
「はい、承りました」
「はい、やっておきますね」
と優しく、優しく言った。
その変わりようは、好きな人にだけ好きな態度を取る、ハルには理解できなかった。
それをもしハルがやったら、色きちがいと言われてしまうだろうな、と子どものころの経験から感じていたからだ。
それでも、リーダーは、仕事は好きな人だった。丁寧で綺麗な仕事だった。
ハルヨはそうではなかった。自分に出来ること「だけ」をしているのに、さもなんでもできると言った態度で、しかも親切なふりをして、ハルの仕事のあら捜しや、アキさんの仕事の足を引っ張った。
そんな風に好き勝手に振舞っていても、二人はいつもかなりの不満を抱えていたようで、
「もうここ、やめちゃおうかなー」
と周囲が困るようなことをいつも言っていた。実際いきなり二人も抜けられたら困るのだ。
なにしろ、直前までアキさんほどに仕事をこなしていた女性は独立して行って、一時的にとはいえ、戦力は、がたがただったのだから。
(続く)
パートのリーダーは個性の非常に強いハルより一歳年下の人だった。つまりハルの第一印象でみんなが年上に見えたのはまず間違いだった。彼女は自分の息子を、その職場で働いている男性が顧問を勤める剣道のクラブに入れていた。
あまりにもリーダーがハルの顔をみて話そうともしない人なので、ハルは、彼女の子供の頃を知っているだろう、親しい友人にも尋ねてみた。
初めは、
「あまり良く知らないの」
と答えられて、そうだよね、同じ学校だったからといって何でも知っているわけじゃないよねと納得していたが、そこをやめた後には、
「昔から強いものにはまかれて、弱いものをいじめる」
と聞かされた。
リーダーは自分が思い込んだことが全てで、客観性もなく他人ばかり非難し、調べるということや状況を聞くと言う事はしなかった。逆に言えば、人の顔色ばかり見ていたかもしれない。不機嫌な顔の他人を見ると、彼女もそれは面白くないのだ。
自分が何かしたかもしれないという、無意識の可責かもしれない。
そのせいかどうか知らないが、リーダーはハルヨという人といつもくっついていた。ハルヨは、ハルより4つ年上で背の高く、娘二人と息子一人が居て、息子は中学生、なかなかに腕の立つ剣士だそうだ。
ハルがまだそこに居ない、過去の話だが、リーダーに笑いながら平然と、
「針、さしてあげようか」
といったという神経の持ち主でもある彼女は、頬骨が鼻より出た、細い底意地の悪そうな目をしており、その彼女の顔をハルは心底恐ろしいと思った。
だが、物言いは柔らかかった。
「あら、今日からなのね、宜しくね」
と言って、ハルに作業道具を渡してくれたとき、自分の目が節穴だったと思わず恥じたほどに。
だが、実際には見た目どおりの人で、笑ってなんでも酷いことが言える人、できる人だった。
ここでは自らが剣道をしているものより、身内が剣道をしているものの方が、言い方は悪いが威張っていた。
リーダーとハルヨは、いつもおしゃべりしていた。
内容は、息子の剣道のこと、剣道をさせていて知り合った先生達のことだった。多くの内容は、あら捜し。たまに褒めることはあった。だが、ハルヨがちょっとでも褒めようならば、リーダーはそれをけなし、リーダーが好感的なことを言うと、ハルヨはトドメを刺す。噂の対象を持ち上げては落とし、持ち上げては落とし。本人がそこにいたら、決して出来ない話しを延々としていた。
対象にするのは、その場に居ない人なら、誰でもいいらしかった。社長への嫌味、専務への嫌味、他店の店長さんへの文句。おそらく居ないところではハル以下全員の文句が言われていただろうと想像するのは簡単だった。
それでも、仕事を一生懸命している、とアピールすることには非常に長けていた。
若い男性が多い職場でもあったので、若くて格好のいい社員の男の子達がたくさん出入りしていた。だから社員が来ると彼女達は甘い声を出して
「はい、承りました」
「はい、やっておきますね」
と優しく、優しく言った。
その変わりようは、好きな人にだけ好きな態度を取る、ハルには理解できなかった。
それをもしハルがやったら、色きちがいと言われてしまうだろうな、と子どものころの経験から感じていたからだ。
それでも、リーダーは、仕事は好きな人だった。丁寧で綺麗な仕事だった。
ハルヨはそうではなかった。自分に出来ること「だけ」をしているのに、さもなんでもできると言った態度で、しかも親切なふりをして、ハルの仕事のあら捜しや、アキさんの仕事の足を引っ張った。
そんな風に好き勝手に振舞っていても、二人はいつもかなりの不満を抱えていたようで、
「もうここ、やめちゃおうかなー」
と周囲が困るようなことをいつも言っていた。実際いきなり二人も抜けられたら困るのだ。
なにしろ、直前までアキさんほどに仕事をこなしていた女性は独立して行って、一時的にとはいえ、戦力は、がたがただったのだから。
(続く)
2009年1月6日(火)
枯(4)
物語×41
(続き)
直前まで勤めていたハルの職場は剣道防具を販売し修理するところだった。
仕事は好きだった。針を使って、しっかりじっくりと防具のほつれや、甲手に張られた内皮の穴をふさいだり、また取り替えたりするのは楽しかった。
使って、使って、使いこなして、愛着も出て、それをなお使いたいと思う人の気持ちは、ハルには、永年のパートナーとの関係を、永く保とうともすることと似ていると思い、この仕事は、そのお手伝いだとも思った。だがそれは全てあまったるい理屈。続けていくことすらハルには困難なところだった。
面接のときに会った、社長と専務は
「仕事をしてもらう時間は自由に決めて構いません。パートのリーダーがいるから、言う事を聞いてやっていってください。」
家の近所にあったその場所で採用されてハルはほっとした。収入を得ることと、育児をすることとは背反するような世の中だから。今は子供のほうに手をかけたい。
わがままな望みかもしれないが、そのやりかたで仕事をしている人は、身近には少ないわけではなかったので、それは普通のこととして深くも考えなかった。
「ただ、個性の強い人が多いので何かあったら言ってきてください」
だから、その後に続いた言葉をハルはなんのことかと思った。
面接の後、作業場に行き皆さんを紹介してもらってハルは瞬間ぞっとした。みんなハルより年上に見えた。言い方は悪いがおばさんたちばかりが、辛気臭い感じで仕事をしていた。その中で一番どっしり構えていたのがアキさんで、第一印象は怖かった。皆が談笑している中でも、アキはひとり淡々と仕事をこなし、おしゃべりにも耳を貸さないでいたのでさらに印象は強かった。
ハルより10歳以上の年上で、背の高いすらりとした段位取得者。アキは剣道をしていて、その縁でここに来ていた。また彼女は、修理部門が設立された頃からいる人でもあって、垂れや面についている飾り紐も組みなおしたりできる人だった。アキさんの手にかかると、これがさっきまでボロだったもの?と思うものがゆっくりと、だが確実に綺麗に格好良く仕上がっていく。それをハルはとても嬉しいことだと思った。そしてアキさんのような仕事をしたいと、そんな風になりたいと思った。
ところが、人の評価とはそこでは違うものなのだ。
アキさんのように仕事をしたいと願うものは、同じ仕事を受け持つパート仲間からいじめられ、仲間にも入れてもらえないということでもあった。ハルは過去のそこでの経緯などまるで知らない。だから、そんなことに微塵も気がつかなかった。
アキさんは、ここでハルの性格と細やかさと才能を買ってくれたただ一人の人で、ずいぶん可愛がってくれたが、結局は裏切った形になってしまったことをハルは今でも悔いている。
修理部門は、会社にとって大きな利益をもたらす部門ではなかった。
一度買っていただいたお客様のアフターサービスのような部分がまだ大きかったからだと勤めているうちに理解したが、材料にもよるかもしれない。
個人で剣道をしている人は、子どもでも大人でも、質の良いものを持っていたりするので、修理にもお金を惜しまない傾向が強い。日本古来の伝統に従えば、防具のあちこちに使われている皮は合成皮革ではなく鹿の本革だ。けれど鹿が飼いならされていると、関東では聞いたこともない。でも、野生の鹿を取るばかりでは価格も非常に高いはずだろうと思う。実際、衣料品としての素材としての鹿皮は超高級品だと、東京西日暮里の繊維街に行ったときに知った。
しかしそういうものばかりではない。学校の備品なども来る。もともとの素材が良くない上に、子ども達の乱雑さでもまれ、また古いものも多く、修理は意外と難しく手の込んだものになるのに関わらず、費用は安かった。それでも、修理をするのは、修理の腕を見せ付けることで、次に新しいものを買っていただく基準のひとつとしてみてもらいたいという期待もこもっていた。
パートの先輩達がハルの入るそれまで、どんな風に仕事をしていたのか、ハルは知らない。というより知らされなかった。知らされても意味はないのかもしれないが、話ができなかった。仕事中にぺらぺら話すのは論外だとしても、お昼休みでさえも気が抜けない感じだった。
リーダーとハルはそりが合わなかったのだろう。それでも、仕事の仲間として入れてもらおうと努力はした。でも、実らなかった。正確に言えば、ハルは職場の仲間に敬意を払ったが、リーダーはハルを一切認めようとしなかった。
しかも、それを冗長させる人が二人もいた。
最初は、それほどでもなかったと思っている。
だが、女の嫉妬が、おそらく嫉妬のようなものが、ハルとリーダーをとりまく人たちとの関係を急速にこじらせて行った。
(続く)
直前まで勤めていたハルの職場は剣道防具を販売し修理するところだった。
仕事は好きだった。針を使って、しっかりじっくりと防具のほつれや、甲手に張られた内皮の穴をふさいだり、また取り替えたりするのは楽しかった。
使って、使って、使いこなして、愛着も出て、それをなお使いたいと思う人の気持ちは、ハルには、永年のパートナーとの関係を、永く保とうともすることと似ていると思い、この仕事は、そのお手伝いだとも思った。だがそれは全てあまったるい理屈。続けていくことすらハルには困難なところだった。
面接のときに会った、社長と専務は
「仕事をしてもらう時間は自由に決めて構いません。パートのリーダーがいるから、言う事を聞いてやっていってください。」
家の近所にあったその場所で採用されてハルはほっとした。収入を得ることと、育児をすることとは背反するような世の中だから。今は子供のほうに手をかけたい。
わがままな望みかもしれないが、そのやりかたで仕事をしている人は、身近には少ないわけではなかったので、それは普通のこととして深くも考えなかった。
「ただ、個性の強い人が多いので何かあったら言ってきてください」
だから、その後に続いた言葉をハルはなんのことかと思った。
面接の後、作業場に行き皆さんを紹介してもらってハルは瞬間ぞっとした。みんなハルより年上に見えた。言い方は悪いがおばさんたちばかりが、辛気臭い感じで仕事をしていた。その中で一番どっしり構えていたのがアキさんで、第一印象は怖かった。皆が談笑している中でも、アキはひとり淡々と仕事をこなし、おしゃべりにも耳を貸さないでいたのでさらに印象は強かった。
ハルより10歳以上の年上で、背の高いすらりとした段位取得者。アキは剣道をしていて、その縁でここに来ていた。また彼女は、修理部門が設立された頃からいる人でもあって、垂れや面についている飾り紐も組みなおしたりできる人だった。アキさんの手にかかると、これがさっきまでボロだったもの?と思うものがゆっくりと、だが確実に綺麗に格好良く仕上がっていく。それをハルはとても嬉しいことだと思った。そしてアキさんのような仕事をしたいと、そんな風になりたいと思った。
ところが、人の評価とはそこでは違うものなのだ。
アキさんのように仕事をしたいと願うものは、同じ仕事を受け持つパート仲間からいじめられ、仲間にも入れてもらえないということでもあった。ハルは過去のそこでの経緯などまるで知らない。だから、そんなことに微塵も気がつかなかった。
アキさんは、ここでハルの性格と細やかさと才能を買ってくれたただ一人の人で、ずいぶん可愛がってくれたが、結局は裏切った形になってしまったことをハルは今でも悔いている。
修理部門は、会社にとって大きな利益をもたらす部門ではなかった。
一度買っていただいたお客様のアフターサービスのような部分がまだ大きかったからだと勤めているうちに理解したが、材料にもよるかもしれない。
個人で剣道をしている人は、子どもでも大人でも、質の良いものを持っていたりするので、修理にもお金を惜しまない傾向が強い。日本古来の伝統に従えば、防具のあちこちに使われている皮は合成皮革ではなく鹿の本革だ。けれど鹿が飼いならされていると、関東では聞いたこともない。でも、野生の鹿を取るばかりでは価格も非常に高いはずだろうと思う。実際、衣料品としての素材としての鹿皮は超高級品だと、東京西日暮里の繊維街に行ったときに知った。
しかしそういうものばかりではない。学校の備品なども来る。もともとの素材が良くない上に、子ども達の乱雑さでもまれ、また古いものも多く、修理は意外と難しく手の込んだものになるのに関わらず、費用は安かった。それでも、修理をするのは、修理の腕を見せ付けることで、次に新しいものを買っていただく基準のひとつとしてみてもらいたいという期待もこもっていた。
パートの先輩達がハルの入るそれまで、どんな風に仕事をしていたのか、ハルは知らない。というより知らされなかった。知らされても意味はないのかもしれないが、話ができなかった。仕事中にぺらぺら話すのは論外だとしても、お昼休みでさえも気が抜けない感じだった。
リーダーとハルはそりが合わなかったのだろう。それでも、仕事の仲間として入れてもらおうと努力はした。でも、実らなかった。正確に言えば、ハルは職場の仲間に敬意を払ったが、リーダーはハルを一切認めようとしなかった。
しかも、それを冗長させる人が二人もいた。
最初は、それほどでもなかったと思っている。
だが、女の嫉妬が、おそらく嫉妬のようなものが、ハルとリーダーをとりまく人たちとの関係を急速にこじらせて行った。
(続く)
2009年1月4日(日)
枯(3)
物語×41
“ | 2009.1.15記録) お話のなかに破砕血という単語が出てまいりますが、破綻出血の間違いです。 大変失礼いたしました。 |
(続き)
二回目の来院のとき答えはすぐに出た。
「ええとね。これは」
一旦記憶の底まで戻ったハルは、聞こえてきた先生のことばで現実に浮上した。
「血液検査の結果で診るとね、君、卵巣の働きが弱くなっているよ。これは破砕血といって、排卵を促すホルモンが少なくなっておこるんだ。排卵ホルモンが少ないといちいち卵巣を傷付けながら卵子が出てこようとするんだよ。ひんぱんにある出血はそのせいだ。」
諭すような優しい口調だ。
「あなた、いくつだった?」
こないだも聞かれたのに、と思いながらハルはまた、答えた。
「そうか、じゃあ、ホルモンが減ってしまうには、ずいぶん早い。まだ若い、いや、若すぎるよ。人生が80年の時代、今はね、できるだけ閉経を遅くしているんだよ。ホルモン投与をしたりして。君はようやく人生を折り返したばかりなのに。」
「・・・可哀想だ。ずいぶん可哀想だ」
可哀想だといわれて、ハルはぐっと胸を締め付けられる思いがし、目頭がじんじんしてきた。
「一体何があったの?」
そんな質問を受けても、ハルは上手に答えられない。ただ、初診のときと同じように、いろいろあったんだと思います、と答えるのが精一杯だった。
「義親と同居かい?」
「はい。でも特にもめたこともないですし、とてもよくしてもらっています。」
「仕事はしているのかい?」
「はい・・・多分そっちのほうだと思います。いろいろあったから・・・」
精神科ではないので、あまり話せない。どこから話せばいいのかもわからない。
ハルは気持ちが動揺してくるのがよく判っていたが、今は自分で自分を納得させるしかない。
「あなた、結構白髪が多いよね。いつごろから白髪が目立つようになった?」
「30過ぎ頃からぽつぽつとはありましたけど、昨年の暮れ頃に、ずいぶん増えたなと感じました」
祖母も母も白髪が出るのは早かった。だから気にもしていなかった。むしろ白髪になるものは薄くならないといわれて、よかったと思っていた。
祖母の綺麗に色の抜けた白い髪。それにハルは子供の頃、とてもとても憧れていた。だから白髪が増えたのはどこか嬉しかった。真っ白になる日を夢見ていたかもしれない。
だが、今から思えば、それは歪みでしか、ない。
若いふくよかな、きれいな顔のまま白髪になるのではないのだ。おそらくそのころの祖母の年は70間近だったはずだったから。
白髪が増えたのは、仕事のせいだと確信していた。
「卵巣の働きが弱くなるとね、白髪が増えるんだよ。それからゆっくり老化して、腰が曲がって、顔の脂肪も落ちて皺だらけで、よぼよぼになっちゃう。」
先生はそう言って笑った。
いくつになっても女性には若々しく綺麗でいて欲しいし、またいるべきだと先生は願っているのだろう。だからそんなことを言っているのだろう。
でも今のハルには残酷な言葉だった。
まるで脅されているかのようだ。
その若々しく綺麗なこと、本当の年齢よりずっとずっと若く綺麗に見えることが、ハルを苦しめてきた原因のひとつでもあったのだから。
もちろんハルはそれを直に聞いたわけじゃない。だけど、言われたことされたこと、その他のことをすりあわせてみれば、それ以外には理由は見つからないのもまた事実だ。
先生の言葉もそぞろに、ハルは、こないだ辞めた職場の事をまた思い返していた。
電車で1時間かけて通っている今の新しい職場ではなく、その4ヶ月ほど前に務めていた、職場のこと。
その職場で見聞きしたこと、されたことを、ハルは未だに受け止めきれない。ちょっとでも思い出せば、何故あんなことに会ったのか、自分はなぜそうまでされなければならなかったのか、どうしてそこに居たのか、根底から混乱してくる。
混乱しているということは、感情や行動も、自分が考えているような動きは出来ないということだ。一貫していない矛盾。それに耐えてきたはずなのに、ちょっと思い出しただけでも背筋に悪寒が走る。
言えるのは、ハルは「彼女達と二度と会いたくない」ということだけだ。
(続く)
二回目の来院のとき答えはすぐに出た。
「ええとね。これは」
一旦記憶の底まで戻ったハルは、聞こえてきた先生のことばで現実に浮上した。
「血液検査の結果で診るとね、君、卵巣の働きが弱くなっているよ。これは破砕血といって、排卵を促すホルモンが少なくなっておこるんだ。排卵ホルモンが少ないといちいち卵巣を傷付けながら卵子が出てこようとするんだよ。ひんぱんにある出血はそのせいだ。」
諭すような優しい口調だ。
「あなた、いくつだった?」
こないだも聞かれたのに、と思いながらハルはまた、答えた。
「そうか、じゃあ、ホルモンが減ってしまうには、ずいぶん早い。まだ若い、いや、若すぎるよ。人生が80年の時代、今はね、できるだけ閉経を遅くしているんだよ。ホルモン投与をしたりして。君はようやく人生を折り返したばかりなのに。」
「・・・可哀想だ。ずいぶん可哀想だ」
可哀想だといわれて、ハルはぐっと胸を締め付けられる思いがし、目頭がじんじんしてきた。
「一体何があったの?」
そんな質問を受けても、ハルは上手に答えられない。ただ、初診のときと同じように、いろいろあったんだと思います、と答えるのが精一杯だった。
「義親と同居かい?」
「はい。でも特にもめたこともないですし、とてもよくしてもらっています。」
「仕事はしているのかい?」
「はい・・・多分そっちのほうだと思います。いろいろあったから・・・」
精神科ではないので、あまり話せない。どこから話せばいいのかもわからない。
ハルは気持ちが動揺してくるのがよく判っていたが、今は自分で自分を納得させるしかない。
「あなた、結構白髪が多いよね。いつごろから白髪が目立つようになった?」
「30過ぎ頃からぽつぽつとはありましたけど、昨年の暮れ頃に、ずいぶん増えたなと感じました」
祖母も母も白髪が出るのは早かった。だから気にもしていなかった。むしろ白髪になるものは薄くならないといわれて、よかったと思っていた。
祖母の綺麗に色の抜けた白い髪。それにハルは子供の頃、とてもとても憧れていた。だから白髪が増えたのはどこか嬉しかった。真っ白になる日を夢見ていたかもしれない。
だが、今から思えば、それは歪みでしか、ない。
若いふくよかな、きれいな顔のまま白髪になるのではないのだ。おそらくそのころの祖母の年は70間近だったはずだったから。
白髪が増えたのは、仕事のせいだと確信していた。
「卵巣の働きが弱くなるとね、白髪が増えるんだよ。それからゆっくり老化して、腰が曲がって、顔の脂肪も落ちて皺だらけで、よぼよぼになっちゃう。」
先生はそう言って笑った。
いくつになっても女性には若々しく綺麗でいて欲しいし、またいるべきだと先生は願っているのだろう。だからそんなことを言っているのだろう。
でも今のハルには残酷な言葉だった。
まるで脅されているかのようだ。
その若々しく綺麗なこと、本当の年齢よりずっとずっと若く綺麗に見えることが、ハルを苦しめてきた原因のひとつでもあったのだから。
もちろんハルはそれを直に聞いたわけじゃない。だけど、言われたことされたこと、その他のことをすりあわせてみれば、それ以外には理由は見つからないのもまた事実だ。
先生の言葉もそぞろに、ハルは、こないだ辞めた職場の事をまた思い返していた。
電車で1時間かけて通っている今の新しい職場ではなく、その4ヶ月ほど前に務めていた、職場のこと。
その職場で見聞きしたこと、されたことを、ハルは未だに受け止めきれない。ちょっとでも思い出せば、何故あんなことに会ったのか、自分はなぜそうまでされなければならなかったのか、どうしてそこに居たのか、根底から混乱してくる。
混乱しているということは、感情や行動も、自分が考えているような動きは出来ないということだ。一貫していない矛盾。それに耐えてきたはずなのに、ちょっと思い出しただけでも背筋に悪寒が走る。
言えるのは、ハルは「彼女達と二度と会いたくない」ということだけだ。
(続く)