2008115(水)

木瓜


ひらがなで書くと、なんか刺されそうなので綺麗な文字にしておいた。(笑)


最近、もうだめだなと思うことがある。

キーボードの入力もあい変わらず速いのは速いのだが、打ち間違いが多くなり、副詞や接続詞を忘れたりする。

それ以外にも、日付を間違って覚えたり、
言い間違いも多くなった。

しかも今日は、チャーハンに砂糖をいれてしまったぞ!

味無い・・・けどうまいのはなぜ?
一生懸命考えていたら、砂糖と塩を間違っていたことに気が付いた。(笑)


白髪もなんだかここのところ増え、こないだの七五三の写真が出来上がって来て、開いて見た、写真に写った自分の髪の毛が、なんだか夫と色が違うのだ。

濃い銀の髪というか、ようするに白髪が思い切り増えたのだ。

ここ半年で白髪が増えたのだが、それは卵巣の働きが低下したことにもよるらしい。

病院のドクターが開口一番、

「ずいぶんストレスに晒されたんだね」
「今から卵胞ホルモンが無くなったら大変だ、骨粗しょう症になる確率が高くなる」
そして
「かわいそうになあ・・・」

先生、かわいそうになあって言われるの、ある意味非常にキツイです。(笑)

原因はわかっている。
一昨年と昨年の入り組んだ人間関係。
公私ともに非道い目にあった。
よく虐待を受けると、脳が変形して、障害が起こるというが、それか?
と思ったりする。

人とは、やっぱり自分が一番可愛く、少しでも同情の心を見せようものなら、キバを向いて襲い掛かってくるものかもしれない。信じられると思った人が実は信じてはいけない人だと悟ったときには、自分のあまりの愚かさに笑うしかなかった。
全てがそうとは言わないけれど、一昨年昨年は、そんな感じで年が過ぎて行った。


人生が80年の時代、もう十分だと思う私は、心の中は100歳を越えたかもしれない。(笑)







20081030(木)

忘れる。


ちょっとしたことを忘れる、言葉は悪いが「ぼけ」や「うっかり」ではなく、本当に忘れることが簡単に出来る人は天才だと、聞いたことがある。

酷い目にあわされたとか、話し合いたかったのに、それを拒否されてそのままとか、個人的なことはもちろん、盗難、天災、大きな事故、どうしようもなく避けることが出来なかったことなど、大きく辛かったことは簡単に忘れることはできない。

忘れることができるひとは、非常に少ない。

時は忘れる事を手伝ってくれる。
しかし、忘れるための時が、その人の寿命より多い場合、その忘れられない恨みはその後の世代に伝わっていく。

「忘れられない」というのは、「許さない」ということでもあるのだろうか。

だから、忘れるために人はいろいろなことをする。
されたことをぜんぜん別の人に返してみたり、まったく違うことで見返そうとしたり。
でも、よっぽど真剣になり夢中になり、それで十分満足したと感じなければ、いつまででもその恨みは火種となって残る。その間に、また新たな辛いことが起きて、火種を増やすことにもなりかねない。

抱えた問題の恨みを忘れるためには、その抱えた問題と同じ部分に真っ向から闘わなくては、忘れられない。恨みをもった相手にぶつけなくては意味がない。

何を言っているかと思うだろう、怖いと思うだろう。

人はたまに綺麗な事を語る。
だけど、その綺麗なことの裏には、きれいで無い思いが隠されていることがある。そのきれいで無い思いを「忘れる」ためにすることなら、忘れて何もなかったようにしたいと願っているのなら、それが反社会的なことでも、付き合うことがあるかもしれない。(反社会的=犯罪ではありません)

おそらく私は、つきあう。

だけれど、その恨みをますます強めていると感じたなら、断固として闘う。見極めは難しいが、人の恨みを貰って別の人にぶつけるなどばかばかしすぎる。
なぜなら、私たちは恨まれるために生まれてきたのはなく、愛されるためにこの世に出てきたのだから。


私は、意気地がなくて真っ向から闘うことが出来なかった。
しかも恨みをもらってぶつけることもできないお人よしだった。

食い尽くされた分、なかなか忘れることが、許すことが出来ない。

だから今は、許すために、忘れることを頑張っている。



20081028(火)

離れる。

伝言×12

私たちは自分をバカにする人に腹を立てる。そして時にバカにされて惨めに感じる。だが自分をバカにする人に対してイライラしたり、悔しい思いをすることはない。

 人は、自分を軽く扱った人を見返したいと思ってしまい、逆に執着することがある。それは自己蔑視する人たちである。自己蔑視する人は、自分が人から軽く扱われる事を心の奥底で受け入れている。だから自分を軽く扱う人を粗末に扱えない。なかなか「こんな奴ら」と思えない。

しかし、自分を軽く扱った人がいれば、当然、「この人たちとつきあってはいけない」と思わなければおかしい。「この人たちとは早くこの縁を切ろう」と思うのが自然である。

自分をあざけった人に執着してはいけない。自分を軽く扱う人は「切れ!」軽く扱われたことにイライラすることはない。
心理的に深く付き合っているから、腹が立ったり、悔しかったり、惨めだったりするのである。心のなかで切ってしまえば、彼らなど、どうということはない。

そして次に気が付く。

あなたをバカにする人の理由は、「それ」しかないということである。
学歴で人を馬鹿にする人は、学歴しか自慢することが無い人である。

自分をバカにする人などに執着しても、自分に何をしてくれるのか?そんな人は集まっても力にはならない。
そんなずるい人から離れれば、あなたに与える自信は計り知れない。

「心の休ませ方」加藤諦三著 より抜粋

ちょっと前のことですが、いやがらせをされたことがありました。

質問する時間は、あたえられない。
質問しても、まともな返事が返ってこない。
そのくせ与えられる仕事は、一番面倒。
きちんとこなせば、文句。ちょっとでも出来なければ、こんなこともできないのと頭ごなしに怒鳴る。

右に左に振り回されて、ぼろぼろになり結局そこから離れました。

人間扱いされないことを一度でも受け入れると、戻っていくのは、本当に大変です。
まだ心のリハビリをしています。

身近にいる、なにかにつけ人の悪口を言ったり、揚げ足をとらないでいられない人は、本当に、本当に可哀想な人です。
どんなことかは知りませんが、同じような目にあったことがあるのでしょう。

でも、そこから這い上がってくる気概も無い、臆病なずるい人でもあります。なにしろ、優位に立つための相手を探しているのだから・・・。

そんな人になりたくないから、心のリハビリを頑張っています。




20081026(日)

独り言。


世の中には勝てるケンカしかしない人がいる。

自分が起こした行動に責任を取らないで、相手の反応を見て、文句を言ってみたり、論点をすりかえてみたり・・・。

それでいて、相手が信念をもってきたら、無視する。

安全なところまでスタコラサッサと逃げたら、今度は猛烈な攻撃を仕掛けてくる。

それが悪いとは言わない・・・。

言わないが、そういう人に限って、合理化とか、それでいいのかとかいって、オレルールを押し付ける。

それが身近にいたりする。

自分が変わるのがいやなもんだから相手を変えようとしているようにしか見えなかったりする。

むしろ、同じ事を突き詰めてみたいもんだ。


八つ当たりは、えーかげんにせー。


これが、家族の話じゃないのが救いですわ・・・。(笑)



20081025(土)

子どもの七五三。


きょう、息子の5歳のお参りにいきました。

大安なので、祈祷を待っている人がたくさんいて、親子だけでなく、じーさんばーさんも一緒に来ている人たちもいるので、座りきれないほどでした。


宮司さんが祝詞(?)をあげて、そのあと、鈴?を頭の上で鳴らしてくれたのですが、その音がさらさらさらと流れるような、非常に気持ちのいい音でした。

優しさというか、

見守ってくださっているのが伝わったというか、

頭の中まですーっとしました。

しかも、左右に分かれて振ってくれたので、2回も聞け、ありがたくて涙が出そうになりました。

子ども達が健やかにそだちますように・・・。





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