2017年9月2日(土)
十勝鉄道&とてっぽ通
帯広市内あちこち・記録用×71
かつて、市中心部(帯広駅周辺)から川西方面に向かって鉄道が走っていました。
↓ 当時の鉄道路線図
↓ 現在の記念碑前の交差点(かつては、道路と鉄道が複雑に交差し、長~い遮断機がありました)
愛称「とてっぽ」として親しまれた十勝鉄道の跡地(一部)は、歩行者・自転車専用道路の「とてっぽ通」となっています。
西6条南17丁目から31丁目まで、総延長2キロほど。5つに区切られ、それぞれ、「出会いの小径」「想い出の小径」「せせらぎの小径」「ささやきの小径」「いこいの小径」と名付けられています。
想い出の小径には、当時、ビート(甜菜)を運んでいた蒸気機関車が展示されています。(トップ画像も)
ナナカマドの実が少~し色づいていました。
[十勝鉄道](帯広市史・平成15年編 P209)
北海道製糖株式会社の傍系に十勝鉄道株式会社があり、大正12年4月に創立された。原料ビート輸送に主目的があったが、一般の旅客貨物も扱い、帯広町と川西・芽室の日高山脈の麓を結ぶ交通路として、南十勝開発の動脈の機能を果たした。
しかし、戦後自動車輸送の発達に伴い昭和32年8月、字川西以南の営業線の大部分を廃止し、昭和34年11月には残る大通駅以南のすべての営業を廃止した。なお、この線路跡は道路として、また、市街地においてはトテッポ通りとして利用されている。
↓ 当時の鉄道路線図
↓ 現在の記念碑前の交差点(かつては、道路と鉄道が複雑に交差し、長~い遮断機がありました)
愛称「とてっぽ」として親しまれた十勝鉄道の跡地(一部)は、歩行者・自転車専用道路の「とてっぽ通」となっています。
西6条南17丁目から31丁目まで、総延長2キロほど。5つに区切られ、それぞれ、「出会いの小径」「想い出の小径」「せせらぎの小径」「ささやきの小径」「いこいの小径」と名付けられています。
想い出の小径には、当時、ビート(甜菜)を運んでいた蒸気機関車が展示されています。(トップ画像も)
ナナカマドの実が少~し色づいていました。
[十勝鉄道](帯広市史・平成15年編 P209)
北海道製糖株式会社の傍系に十勝鉄道株式会社があり、大正12年4月に創立された。原料ビート輸送に主目的があったが、一般の旅客貨物も扱い、帯広町と川西・芽室の日高山脈の麓を結ぶ交通路として、南十勝開発の動脈の機能を果たした。
しかし、戦後自動車輸送の発達に伴い昭和32年8月、字川西以南の営業線の大部分を廃止し、昭和34年11月には残る大通駅以南のすべての営業を廃止した。なお、この線路跡は道路として、また、市街地においてはトテッポ通りとして利用されている。
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