帯広市内あちこち・記録用(71)
2014年7月21日(月)
8haの芝生の広場・グリーンパーク
帯広市内あちこち・記録用×71
帯広駅南口からまっすぐに延びた公園大通り(↓)を、のんびり歩いて行くと…
…グリーンパークにつきあたります。
ギネスブックにも掲載されたことのある400メートルベンチのある芝生の広場です。
400m×200mで8haの広さがあります。
今時期の芝生が一番きれいかもしれませんね。
…グリーンパークにつきあたります。
ギネスブックにも掲載されたことのある400メートルベンチのある芝生の広場です。
400m×200mで8haの広さがあります。
今時期の芝生が一番きれいかもしれませんね。
2014年5月8日(木)
帶廣発祥の地
帯広市内あちこち・記録用×71
先日、五十番さんにお邪魔したついでに思い立って、記録用に撮影してきました。
まじまじと近寄って見たのは、仕事の関係でずいぶん前に一度あったので、これが2度目です。
場所は、水光園の手前、国道と電信通りが合流する三角地です。
お菓子の名前の由来でもある、「開墾のはじめは 豚と一つ鍋」の文字が刻まれています。
『晩成社と開拓移民』(市勢要覧より抜粋)
…帯広の本格的な開拓は、依田勉三と鈴木銃太郎が調査に入った翌年の明治(1883)16年5月に、依田勉三率いる「晩成社(明治15年1月、現在の静岡県松崎町で結成)」一行27人が、下帯広村に入植したことから始まります。
…晩成社が帯広に入植した10年後の明治26年には、現在の国道38号沿いに集落が形成されました。その後明治28(1895)年、北海道集治監十勝分監の開庁とともに、受刑者によって大通(当時は監獄道路と呼ばれた)が整備され、市街地誕生の基礎となりました。…
帯広・十勝の開拓は、北海道に多く見られる官主導の屯田兵によるものではなく、晩成社をはじめとする本州からの民間の開拓移民により進められたのですね。
まじまじと近寄って見たのは、仕事の関係でずいぶん前に一度あったので、これが2度目です。
場所は、水光園の手前、国道と電信通りが合流する三角地です。
お菓子の名前の由来でもある、「開墾のはじめは 豚と一つ鍋」の文字が刻まれています。
『晩成社と開拓移民』(市勢要覧より抜粋)
…帯広の本格的な開拓は、依田勉三と鈴木銃太郎が調査に入った翌年の明治(1883)16年5月に、依田勉三率いる「晩成社(明治15年1月、現在の静岡県松崎町で結成)」一行27人が、下帯広村に入植したことから始まります。
…晩成社が帯広に入植した10年後の明治26年には、現在の国道38号沿いに集落が形成されました。その後明治28(1895)年、北海道集治監十勝分監の開庁とともに、受刑者によって大通(当時は監獄道路と呼ばれた)が整備され、市街地誕生の基礎となりました。…
帯広・十勝の開拓は、北海道に多く見られる官主導の屯田兵によるものではなく、晩成社をはじめとする本州からの民間の開拓移民により進められたのですね。
2014年4月12日(土)
西2条を北上しました&鈴蘭公園
帯広市内あちこち・記録用×71
トップ画像は、東大雪の山々です。この日は、ホントにきれいに見えていました。
西2条通りを北上します。
6丁目あたりです。
5丁目。
4丁目です。
ついでに、鈴蘭公園からも…
西2条通りを北上します。
6丁目あたりです。
5丁目。
4丁目です。
ついでに、鈴蘭公園からも…
2014年3月7日(金)
帯広神社とその周辺の風景
帯広市内あちこち・記録用×71
私にとってこの辺りは、ホームグラウンドと言ってもいいくらいのところ。風景の変わり方も、市内では比較的少ない方かもしれません。
いろいろな碑が、立ち並んでいます。包丁塚もあるんですね。知らなかった~。
振り返って…南方向です。
市制記念の碑。なぜ、馬なんだろう。
鳥居越しに見る十勝支庁、じゃなくて今は十勝振興局。かつては、この場所に三条高校がありました。
帯広柏葉高校。すっかり新しくなって、昔の面影はまったくありません。
中島公園の依田勉三翁の像。雪があった方が似合ってますね。
国道38号線、東方向。
鎮橋から南方向。
帯広神社西側から大川町方向。かつて、川向辺りには「軍官舎」と言われる大きな建物が建っていた、と爺やが申しております。(笑)
東地区は帯広発祥の地でもあり、古くからの建物や史跡なども数多く見られます。
街並みが比較的落ち着いた感じがするのでホッとします。
いろいろな碑が、立ち並んでいます。包丁塚もあるんですね。知らなかった~。
振り返って…南方向です。
市制記念の碑。なぜ、馬なんだろう。
鳥居越しに見る十勝支庁、じゃなくて今は十勝振興局。かつては、この場所に三条高校がありました。
帯広柏葉高校。すっかり新しくなって、昔の面影はまったくありません。
中島公園の依田勉三翁の像。雪があった方が似合ってますね。
国道38号線、東方向。
鎮橋から南方向。
帯広神社西側から大川町方向。かつて、川向辺りには「軍官舎」と言われる大きな建物が建っていた、と爺やが申しております。(笑)
東地区は帯広発祥の地でもあり、古くからの建物や史跡なども数多く見られます。
街並みが比較的落ち着いた感じがするのでホッとします。