帯広市内あちこち・記録用(73)


2016326(土)

夜の帯広空港に行ってきました!


夜の帯広空港に行ってきました!

 娘の迎えに行きました。まんまとアッシー君やらされてます。(笑)


画像



 空港に来たの何年振りだろう。記録用に撮影してみました。



2016313(日)

帯広のハルニレの木


帯広のハルニレの木

 先日、豊頃のハルニレの木を見てきましたが、「そう言えば、帯広のハルニレはどうなっているだろう」と思い立ち、20数年ぶりに会いに行ってきました。

 推定樹齢200年以上。相変わらず堂々として立派です!

 帯広市の保存樹木にも指定されていて、姿形・規模とも申し分ないのですが、惜しいことにロケーションに恵まれていません。残念です。

 葉が茂った頃、また撮影したいと思います。


・帯広のハルニレの木…稲田町東2線はるにれ公園(稲田浄水場付近)



20151224(木)

街中のイルミネーション~♪


街中のイルミネーション~♪

 先日、市中心部に出かける用事があったので、通りすがりに目に付いたものを撮影してきました。

画像


画像


画像


画像


画像


画像


画像


 大きな都市の無駄にド派手なものよりも、心に沁みいってくるような風情を感じます。



20151028(水)

帯広駅開業110年を祝して~♪


帯広駅開業110年を祝して~♪

 21日で開業110年となった帯広駅とその周辺を撮影してきました。

 駅舎としては、今のが4代目になるのかな。

 ↓ 駅北(トップ画像も)

画像


画像



 ↓ 駅南

画像


画像


画像



 「帯広の百年」から、鉄道開通の記事を抜粋してみました。(長文です)

 当時の交通事情や、情報網の少ない時代の様子がしのばれます。



 …旭川から十勝を経由して釧路に達する鉄道が、北海道開拓にとって急務であるとするのは、明治35年以来北海道庁が主張してきたところで、その路線調査も進められていた。

 (明治)二十九年、北海道鉄道敷設法が制定されると、この路線は第一期線に挙げられ、翌年旭川から、二年遅れて釧路から建設工事がはじまった。このふたつの鉄道工事は帯広で結合することになっており、旭川・帯広間を十勝線、釧路・帯広間を釧路線と名づけ、全線が開通すると、旭川・釧路間が釧路線になった。

 三十四年九月、旭川・落合間が開通した。
 帯広の住民は、石狩道路を馬車で西進し、新得からは馬または徒歩で狩勝国境を越え、汽車で旭川に出て乗替え、室蘭から本州行きの船に乗った。

 移民も、帯広以北に入地する者は、多くこのコースを反対にとってやってきた。
 町民は、予告された日になると石狩道路の五丁目のあたりに立ち、移住民が携えてくる故郷の便りを待った。

 十勝線の落合からこちらの工事は、一向にはかどらなかった。狩勝トンネルの難工事にぶつかったからであった。

 十勝線が十勝に入れないでいるうちに、釧路線の工事は進んで、三十六年夏には豊頃まで延び、三十八年十月二十一日、釧路・帯広間が開通、初列車が帯広停車場に滑り込んだ。

 十勝線は、トンネルの難工事のほかに日露戦争の影響もあって工期が伸び、四十九年九月八日、ようやく開通した。これにより、東西北海道は鉄路によって結びついたわけである。…



2015819(水)

大通り11丁目&名門通り界隈


大通り11丁目&名門通り界隈

 焼き肉~と言ったら、平和園! というほど、帯広・十勝の人間にはおなじみのお店ですね。こちらが本店です。壁面にサイロがあるの知らなかったな~(トップ画像)


 ↓ 大通り11丁目の交差点から南方向

画像


 ↓ 同じく北方向

画像


 ↓ 西(駅前)方向

画像


 ↓ 名門通り・11丁目から北方向

画像


 ↓ 同じく10丁目から北方向

画像


 ↓ 西1条10丁目界隈

画像



<<
>>




 ABOUT
食いしん坊主
日本全国を歩き回り、美しい風景を写真に撮り、美味しいものを食べ(特にラーメン・日本そばなどの麺類)、地酒を飲み、合間には山菜・キノコ採りを企んでいます。ちょっと欲張りかも…。

性別
エリア北海道
属性個人
 カウンター
2013-01-12から
2,378,299hit
今日:401
昨日:610


戻る