帯広市内あちこち・記録用(71)


20151224(木)

街中のイルミネーション~♪


街中のイルミネーション~♪

 先日、市中心部に出かける用事があったので、通りすがりに目に付いたものを撮影してきました。

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 大きな都市の無駄にド派手なものよりも、心に沁みいってくるような風情を感じます。



20151028(水)

帯広駅開業110年を祝して~♪


帯広駅開業110年を祝して~♪

 21日で開業110年となった帯広駅とその周辺を撮影してきました。

 駅舎としては、今のが4代目になるのかな。

 ↓ 駅北(トップ画像も)

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 ↓ 駅南

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 「帯広の百年」から、鉄道開通の記事を抜粋してみました。(長文です)

 当時の交通事情や、情報網の少ない時代の様子がしのばれます。



 …旭川から十勝を経由して釧路に達する鉄道が、北海道開拓にとって急務であるとするのは、明治35年以来北海道庁が主張してきたところで、その路線調査も進められていた。

 (明治)二十九年、北海道鉄道敷設法が制定されると、この路線は第一期線に挙げられ、翌年旭川から、二年遅れて釧路から建設工事がはじまった。このふたつの鉄道工事は帯広で結合することになっており、旭川・帯広間を十勝線、釧路・帯広間を釧路線と名づけ、全線が開通すると、旭川・釧路間が釧路線になった。

 三十四年九月、旭川・落合間が開通した。
 帯広の住民は、石狩道路を馬車で西進し、新得からは馬または徒歩で狩勝国境を越え、汽車で旭川に出て乗替え、室蘭から本州行きの船に乗った。

 移民も、帯広以北に入地する者は、多くこのコースを反対にとってやってきた。
 町民は、予告された日になると石狩道路の五丁目のあたりに立ち、移住民が携えてくる故郷の便りを待った。

 十勝線の落合からこちらの工事は、一向にはかどらなかった。狩勝トンネルの難工事にぶつかったからであった。

 十勝線が十勝に入れないでいるうちに、釧路線の工事は進んで、三十六年夏には豊頃まで延び、三十八年十月二十一日、釧路・帯広間が開通、初列車が帯広停車場に滑り込んだ。

 十勝線は、トンネルの難工事のほかに日露戦争の影響もあって工期が伸び、四十九年九月八日、ようやく開通した。これにより、東西北海道は鉄路によって結びついたわけである。…



2015819(水)

大通り11丁目&名門通り界隈


大通り11丁目&名門通り界隈

 焼き肉~と言ったら、平和園! というほど、帯広・十勝の人間にはおなじみのお店ですね。こちらが本店です。壁面にサイロがあるの知らなかったな~(トップ画像)


 ↓ 大通り11丁目の交差点から南方向

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 ↓ 同じく北方向

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 ↓ 西(駅前)方向

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 ↓ 名門通り・11丁目から北方向

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 ↓ 同じく10丁目から北方向

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 ↓ 西1条10丁目界隈

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2015815(土)

帯広駅前(北側)


帯広駅前(北側)

 天気が良くないので、撮影活動はあまりする気になりません。手近なところで、帯広駅前の様子です。


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2015625(木)

広小路&都通り


広小路&都通り

 トップ画像は広小路。大通側からの撮影です。

 たぬき屋さんの屋根に大きなたぬきがのっかっていたのが思い出されます。


 ↓ 都通り(西2条と3条の間の仲通り)

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 かつて映画館が林立していたのは、このあたりです。右側には金市館やホシ薬局、左側には東広園などもありました。

 ずいぶん変わりましたね。(しみじみ……。)



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食いしん坊主
日本全国を歩き回り、美しい風景を写真に撮り、美味しいものを食べ(特にラーメン・日本そばなどの麺類)、地酒を飲み、合間には山菜・キノコ採りを企んでいます。ちょっと欲張りかも…。

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