2012年1月19日(木)
タイタニック号のはなしと精密模型
1/1250模型×47
企画展『1:1250モデルシップの世界』から
本日は、展示中の『タイタニック号』のモデルを紹介しながら、『タイタニック号』について書いてみます。
その『タイタニック号』は、今年、処女航海から100年を迎えることになり、ジェームズキャメロン監督の映画『TITANIC』も再び3Dでの公開が予定されていますね。
3月には、当店でもタイタニック号の生い立ちを資料と模型でつづる企画展『タイタニック展』の開催を予定しています。
上の画像は『タイタニック』の1250分の1の精密模型です。一つの階層が2mm程度という非常に小さな縮尺ながら、手すりは勿論、細部にわたるまで精密に再現しています。
この『タイタニック号』。当時、船の内部を多くの区画に仕切りいくつかの区画に水が入り込んでも船は沈まないという画期的な技術の導入から不沈船と言われました。
しかし、その呼び名から来るおごりがこの悲劇を生んだ事も多くの方がご存知だと思います。
不沈船という認識から救命ボートの数が定員の半分しか助けられない数だったということがこの大きな海難事故を作り出したことは有名です。
区画構造の機能はそれなりに働いていて、事実沈没までには避難には十分な時間があったように思われます。ただ、逃げる場所(救命ボート)が無かったわけです。
近い場所に救助に駆けつけられる船がいなかったことも、悔やまれたでしょう。
建造中のタイタニック号(奥)とオリンピック号(手前)
ところで、タイタニック号には3隻の姉妹がいたことは、ご存知でしょうか?
タイタニック号の進水は1911年、処女航海が1912年でしたが、それ以前に運行を開始していた『オリンピック号』とタイタニック事故後に就航した『ブリタニック号』
『ブリタニック号』は、第一次世界大戦の暗雲の中病院船として完成、しかし程なくして機雷に触雷し沈没タイタニックと同じく短い生涯でした。
そして『オリンピック号』。この船はタイタニックより1年早い1911年に運航が始まったのですが、この船は『タイタニック号』『ブリタニック号』とは対照的に強運を持ち合わせた船でした。『オリンピック号』は当初タイタニック就航以前から多くの事故やトラブルに会っていたため、タイタニック号とのすり替え説が生まれるほど損傷修理を繰り返した船でした。しかし、第一次大戦でドイツ潜水艦の攻撃をかわしてそれを逆に沈めるなどの奇跡を起こしたり、持ち前の強運で、戦禍をかいくぐり24年という船寿を全うしました。この間大西洋を500回横断し、引退間近の晩年は“Old Reliable頼もしいおばあちゃん”というあだ名で親しみをこめて呼ばれました。
再び話を『タイタニック』にもどし、煙突部分をクローズアップしてみました。
『タイタニック』の煙突は、皆さんご存知の通り4本ありました。しかしタイタニックのエンジン(ボイラー)は3つで、ボイラーと直結しているのは前から3本目までの煙突でした。一番後ろの1本の煙突からは煙は出ませんでした。つまり、4本目の煙突は飾りだったのです。
当時、大西洋航路を往復する客船はスピードを競っていた時代で、早い船は機関を4基もち煙突もそれにあわせて4本ついていました。そのため4本煙突はある種ステータス。タイタニックは船の大きさこそ最大でしたが、機関の数からも分かるようにそれほど早い船ではありませんでした。しかしながら人気を得るためにダミーの煙突をつけて見栄えを良くしたのでした。
その後も見た目を重視したダミー煙突をつける船が多く作られルックスも船の設計の大事なポイントになったのでした。
今日は企画展『1:1250モデルシップの世界』からタイタニック号の模型の紹介とタイタニックについてのお話を少々させて頂きました。
模型の企画展『1:1250モデルシップの世界』を店内企画展示室で開催中!入場は無料です。
企画展『1:1250モデルシップの世界』は、2月12日(日)まで開催。開催期間中に是非一度ご覧下さい。
雑貨コーナーも新装で、新商品入荷中!こちらも是非ご覧下さい。
船の模型と海雑貨・・STAR SHIP MODELS
店舗情報はこちら→http://www.obnv.com/interior/475
本日は、展示中の『タイタニック号』のモデルを紹介しながら、『タイタニック号』について書いてみます。
その『タイタニック号』は、今年、処女航海から100年を迎えることになり、ジェームズキャメロン監督の映画『TITANIC』も再び3Dでの公開が予定されていますね。
3月には、当店でもタイタニック号の生い立ちを資料と模型でつづる企画展『タイタニック展』の開催を予定しています。
上の画像は『タイタニック』の1250分の1の精密模型です。一つの階層が2mm程度という非常に小さな縮尺ながら、手すりは勿論、細部にわたるまで精密に再現しています。
この『タイタニック号』。当時、船の内部を多くの区画に仕切りいくつかの区画に水が入り込んでも船は沈まないという画期的な技術の導入から不沈船と言われました。
しかし、その呼び名から来るおごりがこの悲劇を生んだ事も多くの方がご存知だと思います。
不沈船という認識から救命ボートの数が定員の半分しか助けられない数だったということがこの大きな海難事故を作り出したことは有名です。
区画構造の機能はそれなりに働いていて、事実沈没までには避難には十分な時間があったように思われます。ただ、逃げる場所(救命ボート)が無かったわけです。
近い場所に救助に駆けつけられる船がいなかったことも、悔やまれたでしょう。
建造中のタイタニック号(奥)とオリンピック号(手前)
ところで、タイタニック号には3隻の姉妹がいたことは、ご存知でしょうか?
タイタニック号の進水は1911年、処女航海が1912年でしたが、それ以前に運行を開始していた『オリンピック号』とタイタニック事故後に就航した『ブリタニック号』
『ブリタニック号』は、第一次世界大戦の暗雲の中病院船として完成、しかし程なくして機雷に触雷し沈没タイタニックと同じく短い生涯でした。
そして『オリンピック号』。この船はタイタニックより1年早い1911年に運航が始まったのですが、この船は『タイタニック号』『ブリタニック号』とは対照的に強運を持ち合わせた船でした。『オリンピック号』は当初タイタニック就航以前から多くの事故やトラブルに会っていたため、タイタニック号とのすり替え説が生まれるほど損傷修理を繰り返した船でした。しかし、第一次大戦でドイツ潜水艦の攻撃をかわしてそれを逆に沈めるなどの奇跡を起こしたり、持ち前の強運で、戦禍をかいくぐり24年という船寿を全うしました。この間大西洋を500回横断し、引退間近の晩年は“Old Reliable頼もしいおばあちゃん”というあだ名で親しみをこめて呼ばれました。
再び話を『タイタニック』にもどし、煙突部分をクローズアップしてみました。
『タイタニック』の煙突は、皆さんご存知の通り4本ありました。しかしタイタニックのエンジン(ボイラー)は3つで、ボイラーと直結しているのは前から3本目までの煙突でした。一番後ろの1本の煙突からは煙は出ませんでした。つまり、4本目の煙突は飾りだったのです。
当時、大西洋航路を往復する客船はスピードを競っていた時代で、早い船は機関を4基もち煙突もそれにあわせて4本ついていました。そのため4本煙突はある種ステータス。タイタニックは船の大きさこそ最大でしたが、機関の数からも分かるようにそれほど早い船ではありませんでした。しかしながら人気を得るためにダミーの煙突をつけて見栄えを良くしたのでした。
その後も見た目を重視したダミー煙突をつける船が多く作られルックスも船の設計の大事なポイントになったのでした。
今日は企画展『1:1250モデルシップの世界』からタイタニック号の模型の紹介とタイタニックについてのお話を少々させて頂きました。
模型の企画展『1:1250モデルシップの世界』を店内企画展示室で開催中!入場は無料です。
企画展『1:1250モデルシップの世界』は、2月12日(日)まで開催。開催期間中に是非一度ご覧下さい。
雑貨コーナーも新装で、新商品入荷中!こちらも是非ご覧下さい。
船の模型と海雑貨・・STAR SHIP MODELS
店舗情報はこちら→http://www.obnv.com/interior/475
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