2012年3月15日(木)
卒業&(安堵)次のために
日々徒然×135
この画像は、word2010で加工しました。
本当に簡単になったねぇ。
ちょび男に了解を得て、掲載しています。
ちょび男が無事、卒業を迎えた。
明日は公立高校の合格発表。
まだ不安はありますが、まずは、卒業できたことがとてもうれしい。
帰宅後、友人が数名きて、おにぎりとラーメンを我が家で食べた。
その後、娘の友人も来て、一緒に食べ、教室は休みにしてあったので、教室は娘の友人と先輩。
茶の間は息子の友人たちのパラダイスになっていた。
そして、私は茶の間にいたのだが、
私が中学時代にはなかったやり取りを見ることができた。
「~~♪~~♪」とメールの着信音。
息子の携帯やら、友人の携帯やら。
「合格した!ありがとう!本当に楽しかった!一生忘れない!」
そういった内容が飛び交う。
私立の合格発表だったんだね。
そして、メールをもらったちょび男と友人たちはとてもうれしそう。
「おぉ!あいつ、受かったんだ!やった!!!」
と、自分のように喜ぶ。
そして、いつの間にか、茶の間はネットパラダイス(笑)
そして、いろいろな話をし始める。
解放感。
本当に頑張っていたもんね。でも、明日の不安もあるもんね。
まぁ、なるようになるって、周りも本人たちもきっと思っているだろう。
ただ、やっぱり不安はあると思う。
今までどんな葛藤をしたんだろうね。
ちょび男の葛藤すら、私はあまり向き合う時間がなかった。
そして、自分の過去を振り返る。
私はあまり良い中学時代の思い出はない。
今でいう、いじめにあっていた。
出席日数ギリギリでの卒業。
ましてや、友人も数名しかいなかったので、ちょび男のようなこともなく。
合格発表も自分ひとりで見に行った。
学校に行くのが怖かった。
地元の高校に行くと、また同じようにいじめられるのでは?
そうおもって、隣町の高校へ。
でも、地元の人間がきてしまい、結局学校へはいけなくなり、半年で中退。
30代半ばまで、この時期のことを引きずっていた。
だから、思春期に受けた心の傷が、どれぐらい長く引きずってしまうのか、自分が一番わかっている。
ちょび男のことが不安でたまらなかった。
でも、ちょび男はいつも自分のことを知っていて、
私のことも知っている。
やたらとみている。
いまだにフラフラってしているけど、大切なことをしっかりとわかっているらしい。
まだ、言葉にするほど経験値がないので、残念ながら、その話を聞き出すためには、あと数年先になってしまうけれど
大人として、ちょび男と話してみたい。
そのためには、私が大人になることと、私が母としてできることはするけれども、母のエゴを捨てなければいけないと思っている。
だから、あと数時間で、例の時間が来てしまう、その時から
私は息子の前では「母」という肩書を言わず、
「私」という言葉を使うようにするところから始めないとね。
道のりは長いね。
まだまだ不安定な15歳。
私が働き始めたのは、誕生日を迎えるちょっとまえだったから、・・・15歳と11か月。
あれから25年もたったんだな。
だけど、まだあのころの記憶と気持ちはしっかりと残っている。
残っててよかったなぁ。
30半ばまで引きずってて本当に良かった。
早くてあと丸三年経てば、もしかしたら、学生になっているかもしれないし、社会人になっているかもしれない。
その時に、私自身が恥ずかしい大人になっていたくない。
ちょび男が大人になった時に、
目標とできる大人にはなれなくていいから、
ちょび男や、ちょび男の友人、私の友人の子ども達が
大人になり、上司になるであろう年齢のときに、
私はきっとパートで雇ってもらう立場にいると思うから、
その時にしっかりと雇ってもらえるような人間でいたい。
それをこんな言葉として、自分に言い聞かせています。
「彼らが大人になった時、先に大人になった自分が恥ずかしい人間でいたくない」
それが、私が今の仕事を続けていられる
大切な言葉になっています。
私も「肩書き」から卒業。
母時々、一人の大人として、ちょび男のサポートする一人の人間になる予定です。
なれるのかなぁ?(笑)
本当に簡単になったねぇ。
ちょび男に了解を得て、掲載しています。
ちょび男が無事、卒業を迎えた。
明日は公立高校の合格発表。
まだ不安はありますが、まずは、卒業できたことがとてもうれしい。
帰宅後、友人が数名きて、おにぎりとラーメンを我が家で食べた。
その後、娘の友人も来て、一緒に食べ、教室は休みにしてあったので、教室は娘の友人と先輩。
茶の間は息子の友人たちのパラダイスになっていた。
そして、私は茶の間にいたのだが、
私が中学時代にはなかったやり取りを見ることができた。
「~~♪~~♪」とメールの着信音。
息子の携帯やら、友人の携帯やら。
「合格した!ありがとう!本当に楽しかった!一生忘れない!」
そういった内容が飛び交う。
私立の合格発表だったんだね。
そして、メールをもらったちょび男と友人たちはとてもうれしそう。
「おぉ!あいつ、受かったんだ!やった!!!」
と、自分のように喜ぶ。
そして、いつの間にか、茶の間はネットパラダイス(笑)
そして、いろいろな話をし始める。
解放感。
本当に頑張っていたもんね。でも、明日の不安もあるもんね。
まぁ、なるようになるって、周りも本人たちもきっと思っているだろう。
ただ、やっぱり不安はあると思う。
今までどんな葛藤をしたんだろうね。
ちょび男の葛藤すら、私はあまり向き合う時間がなかった。
そして、自分の過去を振り返る。
私はあまり良い中学時代の思い出はない。
今でいう、いじめにあっていた。
出席日数ギリギリでの卒業。
ましてや、友人も数名しかいなかったので、ちょび男のようなこともなく。
合格発表も自分ひとりで見に行った。
学校に行くのが怖かった。
地元の高校に行くと、また同じようにいじめられるのでは?
そうおもって、隣町の高校へ。
でも、地元の人間がきてしまい、結局学校へはいけなくなり、半年で中退。
30代半ばまで、この時期のことを引きずっていた。
だから、思春期に受けた心の傷が、どれぐらい長く引きずってしまうのか、自分が一番わかっている。
ちょび男のことが不安でたまらなかった。
でも、ちょび男はいつも自分のことを知っていて、
私のことも知っている。
やたらとみている。
いまだにフラフラってしているけど、大切なことをしっかりとわかっているらしい。
まだ、言葉にするほど経験値がないので、残念ながら、その話を聞き出すためには、あと数年先になってしまうけれど
大人として、ちょび男と話してみたい。
そのためには、私が大人になることと、私が母としてできることはするけれども、母のエゴを捨てなければいけないと思っている。
だから、あと数時間で、例の時間が来てしまう、その時から
私は息子の前では「母」という肩書を言わず、
「私」という言葉を使うようにするところから始めないとね。
道のりは長いね。
まだまだ不安定な15歳。
私が働き始めたのは、誕生日を迎えるちょっとまえだったから、・・・15歳と11か月。
あれから25年もたったんだな。
だけど、まだあのころの記憶と気持ちはしっかりと残っている。
残っててよかったなぁ。
30半ばまで引きずってて本当に良かった。
早くてあと丸三年経てば、もしかしたら、学生になっているかもしれないし、社会人になっているかもしれない。
その時に、私自身が恥ずかしい大人になっていたくない。
ちょび男が大人になった時に、
目標とできる大人にはなれなくていいから、
ちょび男や、ちょび男の友人、私の友人の子ども達が
大人になり、上司になるであろう年齢のときに、
私はきっとパートで雇ってもらう立場にいると思うから、
その時にしっかりと雇ってもらえるような人間でいたい。
それをこんな言葉として、自分に言い聞かせています。
「彼らが大人になった時、先に大人になった自分が恥ずかしい人間でいたくない」
それが、私が今の仕事を続けていられる
大切な言葉になっています。
私も「肩書き」から卒業。
母時々、一人の大人として、ちょび男のサポートする一人の人間になる予定です。
なれるのかなぁ?(笑)
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