①メイン画像
一号棟の正面
★ネット検索で調べました
浦幌炭鉱の本格的な採炭は昭和8年に始まり、
同11年、三菱の傘下に入り、石炭は索道で尺別炭鉱へ輸送、
同17年には尺浦隧道が開通したが、
戦争の激化によって同19年休山。
戦後は昭和22年に人員が戻り、翌年出炭を再開、
最盛期(S.25)は730戸・3600人が住む炭鉱街が形成されたが、
朝鮮戦争後の反動不況で昭和29年10月に閉山となった。
②一号棟の裏側
③二号棟の正面
④二号棟の裏側
⑤三号棟の正面
⑥三号棟の裏側
フッキソウが広い範囲に咲いていました