2015年8月17日(月)
終戦70年目の神社参り。
ちょっと聞いて!×41
こんばんは!
E-ori's5 NAILPRODUCE(イオリズファイブネイルプロデュース)です。
一昨日、昨日とお休みを頂きました。
お盆にお休みを頂く事になったのですが、今月は技術勉強会の為に2回東京へ行かなければいけない関係で、たまたまお盆の時期にお休みを頂く事になったのです。
そのたまたまが重なり、15日の終戦記念日に護国神社参りも叶いました。
神社参り、といえばお着物で♪
スティールグレイに蝶とカニの柄のお着物に、半衿は水色×ブルー×ホワイト×ブラウンのストライプ、伊達衿は終戦記念参りなのでブラックを入れました。
帯周りは、終戦参りとはいえあまり暗くなる色合いは嫌でしたのでピンクにゴールドの蝶が入っている帯に、ブラック×ホワイトの市松柄の帯揚げ、ターコイズグリーンとホワイトの帯締めを合わせました。
襦袢は夏用を着ましたが、もう全然汗はかかないくらいお着物を着るには良い気候になりましたね!
帯結びはペロンとて先が出ているのがかわいい銀座結びです。
そしてヘアスタイルは見ずらいですがギブソンタックにして、帯柄と同じ蝶のヘアクリップを飾りました。
帯広の護国神社前の横断歩道待ち中です。
このような立て看板がありました。
帯広の護国神社は初めて行きましたが紋柄は桜柄なんですね。
大東亜戦争時も、「桜のように潔く散れ」という教えがあったようですがそれに関連しているのでしょうか。
護国神社後に帯広神社も参拝しました。
午後に参拝へ行ったのですが護国神社にはちらほら参拝客がいました。
若い男性が1人で来ていたり。
終戦70年目にそれぞれが想う事は多種多様かと思いますが、でも平和を願う気持ちがあるからこそ参拝に足を向かせるのだと思うので、そんな皆さんの一念一願が世界平和に確実に繋がっていくといいな、と思わずにはいられません。
無事、参拝が終わった後、朝から何も食べてなくてランチタイムも過ぎてしまったので夕食時間にやっとその日最初のお食事をしに前から行ってみたかったこちらへ行きました。
’十勝おばんざい 天空’です。
帯広空港から近い場所にあるので少し私が住んでいる所から行くには少し離れていますが、ずっと行ってみたかったご飯屋さんでした。
リーズナブルなディナーセットをペロっと平らげてしまいました。
もちろん、15日はこの1食のみでしたけど!
とても美味しくて、ランチタイムはバイキング式になるらしいので、飛行場を使う時にランチを利用してみたいなと思いました。
さてさて、終戦記念の15日までの間、衛星放送も地上波もテレビ番組は大東亜戦争に関する番組が多くありましたね。
私は結構気付いたものは1つ1つ録画しており、保存しておきたい番組もありますのでダビング用のDVDを買おうと思います。
NHKでやっていた戦争関連番組やドキュメンタリー番組は録画しているので少しずつ見ているのですが、とても考えさせられます。
沖縄戦は勿論ですが地球上で初めて原爆が落とされた広島・長崎の被爆者の体験談など、戦後70年経ち安保法案など今、日本が変わろうとしている事もあり、また戦争体験者が少なくなっていくこれからの為に、家族にも言った事がない戦争体験を、「これっきり」と話してくれる方がテレビに映されていたりしました。
平和学習の語り部のお婆ちゃんは原爆の恐ろしい惨状を平和学習に来た学生達に話すと後日、
「子供が夜に眠れなくなった」
「ストレスを抱えるようになった」
「どう責任を取ってくれるんだ!」と言った苦情が入ったそうです。
何かおかしいと思いました。
日本が描く大東亜戦争の映画などは、正直リアルさが伝わらないし本で知る限り、平和資料館などで見て、読んで知る限り、「こんなもんじゃなかったでしょう!」と言いたくなるものばかりです。
アメリカが作る方がかなり当時の現況を写していると思ってしまいます、残酷でむごたらしくて蛮行も正直に描いているから。
ザ・パシフィックはどこまで真実に描いているかは分かりませんがご覧になる事をオススメします。
日本の映画よりはるかに”戦争というものの恐ろしさ”が分かると思います。
私も中学生の時に長崎の平和公園に行きましたが、資料館の物々しい雰囲気と今でも覚えている独特の臭いが印象的ですが、少し前の日本に恐ろしく大変な歴史があったなんて想いを馳せながら見てなんてなかったです。
去年姪っ子を連れて両親と沖縄の平和の礎へ行った時平和資料館も見たのですが、証明を落として写真を見やすくしている展示場で、大きな自決している写真や殺されたご遺体がドッカーンと目に入っている見せ方をしている一角があったのですが、これぞ正に沖縄戦そのものかと思うのですが母は姪っ子を気にかけ、「これよ(姪っ子の事)感受性が強い子だからあんまり見せたくない」と言ったのですが、その時私も母の言葉で姪っ子をかばう気持ちが出ました。
学生が平和学習をする事ってこれから特に大切になってくる時代と思うのです。
ですが、その子の心の成長に併せて残酷な惨状を知っていく段階を踏んでいく教え方を考えるべきかと思います。
オブラートに包んでしまったのでは戦争の真実は伝わらないと思います。
かと言ってかつての私のように、’修学旅行=楽しい♪’が先行して原爆の恐ろしさや体験者の想いなんてこれっぽちも考えずに平和学習をしても意味がないと思うのです。
沖縄の平和学習を実際の壕内でされている方は、年々学校でも戦争の事を積極的に勉強する事は少なくなったように思う、と仰っていました。
これからの日本を担う子供ちゃん達には、綺麗な事、美しいもの、かわいいものばかりをあてがい見せるのではなく平和に繋がるこの’戦争’の凄まじさをしっかり確実に伝えていかなければいけないと思います。
その子の成長に合わせるのは何度も言いますが!
姪っ子ちゃんには、私だから伝えられる事を伝え、知っていって’正しいものを見る目’と’考える力’を養ってほしいなとおばちゃんは思います(笑)
その為には…
先月後半から新聞広告で販売された、『太平洋戦争』上下巻をプレゼントしてもらいましたので、時間を作ってしっかり考えながら見ようと思います。
今月私の誕生日なのですが、とても貴重で後世に残していきたいと思えるほどの大きな物を貰ったな、と思います。
戦争を考えるって、ダークなイメージがあると思います。
私もずっとそうでした。
私が生まれ育った沖縄こそ、最前線だった平和の礎がある辺りの事を大人達は腫れ物に触るようにしていましたし。
戦争の話は凄まじい体験をしてきた人こそ語らないし、触れないでオーラも出していました。
被爆者達は好奇な目で見られて、戦後もずっとケロイドになった体を隠し被爆者だと言う事も隠し生きてきたそうです。
…ダークなイメージになるのは当たり前ですよね。
戦争の事を話すと、変わっているね、と思われるかもしれませんが、わが国でほんの70年前に起きた恐ろしい出来事、
またこれからも美味しい物を食べたりオシャレをしたり、好きな人と一緒にいられる時間を共有できるためにも、今の平和を維持していく為に戦争を積極的に知る事はとても大切な事だと思いませんか?
時々報道のあり方に疑問を感じる事があり、それは何かと言うと若くして散っていた特攻隊の方々を、’祖国の為に短く儚く散っていた命’を美化して描いているように思う事がありますが、それは違うと思うのです。
そんな悲しい目線ばかりで見ないでほしいと思います。
悲しい事ではありますが、年端もいかない少年少女たちが家族の為、祖国の為に背負わされた背景、儚く潔く散っていかざるを得なかった背景があり、それは何だったのか、そこに目を向けてほしいなと思います。
今年は靖国神社にも参拝できましたし、護国神社にも参拝に行けましたので有意義な1年になりました。
私なりに大東亜戦争の事を知り、せめて姪っ子たちには真実をきちんと伝えようと思います。
熱くなってしまいましたが、
長い文を読んで頂きありがとうございました☆
E-ori's5 NAILPRODUCE(イオリズファイブネイルプロデュース)です。
一昨日、昨日とお休みを頂きました。
お盆にお休みを頂く事になったのですが、今月は技術勉強会の為に2回東京へ行かなければいけない関係で、たまたまお盆の時期にお休みを頂く事になったのです。
そのたまたまが重なり、15日の終戦記念日に護国神社参りも叶いました。
神社参り、といえばお着物で♪
スティールグレイに蝶とカニの柄のお着物に、半衿は水色×ブルー×ホワイト×ブラウンのストライプ、伊達衿は終戦記念参りなのでブラックを入れました。
帯周りは、終戦参りとはいえあまり暗くなる色合いは嫌でしたのでピンクにゴールドの蝶が入っている帯に、ブラック×ホワイトの市松柄の帯揚げ、ターコイズグリーンとホワイトの帯締めを合わせました。
襦袢は夏用を着ましたが、もう全然汗はかかないくらいお着物を着るには良い気候になりましたね!
帯結びはペロンとて先が出ているのがかわいい銀座結びです。
そしてヘアスタイルは見ずらいですがギブソンタックにして、帯柄と同じ蝶のヘアクリップを飾りました。
帯広の護国神社前の横断歩道待ち中です。
このような立て看板がありました。
帯広の護国神社は初めて行きましたが紋柄は桜柄なんですね。
大東亜戦争時も、「桜のように潔く散れ」という教えがあったようですがそれに関連しているのでしょうか。
護国神社後に帯広神社も参拝しました。
午後に参拝へ行ったのですが護国神社にはちらほら参拝客がいました。
若い男性が1人で来ていたり。
終戦70年目にそれぞれが想う事は多種多様かと思いますが、でも平和を願う気持ちがあるからこそ参拝に足を向かせるのだと思うので、そんな皆さんの一念一願が世界平和に確実に繋がっていくといいな、と思わずにはいられません。
無事、参拝が終わった後、朝から何も食べてなくてランチタイムも過ぎてしまったので夕食時間にやっとその日最初のお食事をしに前から行ってみたかったこちらへ行きました。
’十勝おばんざい 天空’です。
帯広空港から近い場所にあるので少し私が住んでいる所から行くには少し離れていますが、ずっと行ってみたかったご飯屋さんでした。
リーズナブルなディナーセットをペロっと平らげてしまいました。
もちろん、15日はこの1食のみでしたけど!
とても美味しくて、ランチタイムはバイキング式になるらしいので、飛行場を使う時にランチを利用してみたいなと思いました。
さてさて、終戦記念の15日までの間、衛星放送も地上波もテレビ番組は大東亜戦争に関する番組が多くありましたね。
私は結構気付いたものは1つ1つ録画しており、保存しておきたい番組もありますのでダビング用のDVDを買おうと思います。
NHKでやっていた戦争関連番組やドキュメンタリー番組は録画しているので少しずつ見ているのですが、とても考えさせられます。
沖縄戦は勿論ですが地球上で初めて原爆が落とされた広島・長崎の被爆者の体験談など、戦後70年経ち安保法案など今、日本が変わろうとしている事もあり、また戦争体験者が少なくなっていくこれからの為に、家族にも言った事がない戦争体験を、「これっきり」と話してくれる方がテレビに映されていたりしました。
平和学習の語り部のお婆ちゃんは原爆の恐ろしい惨状を平和学習に来た学生達に話すと後日、
「子供が夜に眠れなくなった」
「ストレスを抱えるようになった」
「どう責任を取ってくれるんだ!」と言った苦情が入ったそうです。
何かおかしいと思いました。
日本が描く大東亜戦争の映画などは、正直リアルさが伝わらないし本で知る限り、平和資料館などで見て、読んで知る限り、「こんなもんじゃなかったでしょう!」と言いたくなるものばかりです。
アメリカが作る方がかなり当時の現況を写していると思ってしまいます、残酷でむごたらしくて蛮行も正直に描いているから。
ザ・パシフィックはどこまで真実に描いているかは分かりませんがご覧になる事をオススメします。
日本の映画よりはるかに”戦争というものの恐ろしさ”が分かると思います。
私も中学生の時に長崎の平和公園に行きましたが、資料館の物々しい雰囲気と今でも覚えている独特の臭いが印象的ですが、少し前の日本に恐ろしく大変な歴史があったなんて想いを馳せながら見てなんてなかったです。
去年姪っ子を連れて両親と沖縄の平和の礎へ行った時平和資料館も見たのですが、証明を落として写真を見やすくしている展示場で、大きな自決している写真や殺されたご遺体がドッカーンと目に入っている見せ方をしている一角があったのですが、これぞ正に沖縄戦そのものかと思うのですが母は姪っ子を気にかけ、「これよ(姪っ子の事)感受性が強い子だからあんまり見せたくない」と言ったのですが、その時私も母の言葉で姪っ子をかばう気持ちが出ました。
学生が平和学習をする事ってこれから特に大切になってくる時代と思うのです。
ですが、その子の心の成長に併せて残酷な惨状を知っていく段階を踏んでいく教え方を考えるべきかと思います。
オブラートに包んでしまったのでは戦争の真実は伝わらないと思います。
かと言ってかつての私のように、’修学旅行=楽しい♪’が先行して原爆の恐ろしさや体験者の想いなんてこれっぽちも考えずに平和学習をしても意味がないと思うのです。
沖縄の平和学習を実際の壕内でされている方は、年々学校でも戦争の事を積極的に勉強する事は少なくなったように思う、と仰っていました。
これからの日本を担う子供ちゃん達には、綺麗な事、美しいもの、かわいいものばかりをあてがい見せるのではなく平和に繋がるこの’戦争’の凄まじさをしっかり確実に伝えていかなければいけないと思います。
その子の成長に合わせるのは何度も言いますが!
姪っ子ちゃんには、私だから伝えられる事を伝え、知っていって’正しいものを見る目’と’考える力’を養ってほしいなとおばちゃんは思います(笑)
その為には…
先月後半から新聞広告で販売された、『太平洋戦争』上下巻をプレゼントしてもらいましたので、時間を作ってしっかり考えながら見ようと思います。
今月私の誕生日なのですが、とても貴重で後世に残していきたいと思えるほどの大きな物を貰ったな、と思います。
戦争を考えるって、ダークなイメージがあると思います。
私もずっとそうでした。
私が生まれ育った沖縄こそ、最前線だった平和の礎がある辺りの事を大人達は腫れ物に触るようにしていましたし。
戦争の話は凄まじい体験をしてきた人こそ語らないし、触れないでオーラも出していました。
被爆者達は好奇な目で見られて、戦後もずっとケロイドになった体を隠し被爆者だと言う事も隠し生きてきたそうです。
…ダークなイメージになるのは当たり前ですよね。
戦争の事を話すと、変わっているね、と思われるかもしれませんが、わが国でほんの70年前に起きた恐ろしい出来事、
またこれからも美味しい物を食べたりオシャレをしたり、好きな人と一緒にいられる時間を共有できるためにも、今の平和を維持していく為に戦争を積極的に知る事はとても大切な事だと思いませんか?
時々報道のあり方に疑問を感じる事があり、それは何かと言うと若くして散っていた特攻隊の方々を、’祖国の為に短く儚く散っていた命’を美化して描いているように思う事がありますが、それは違うと思うのです。
そんな悲しい目線ばかりで見ないでほしいと思います。
悲しい事ではありますが、年端もいかない少年少女たちが家族の為、祖国の為に背負わされた背景、儚く潔く散っていかざるを得なかった背景があり、それは何だったのか、そこに目を向けてほしいなと思います。
今年は靖国神社にも参拝できましたし、護国神社にも参拝に行けましたので有意義な1年になりました。
私なりに大東亜戦争の事を知り、せめて姪っ子たちには真実をきちんと伝えようと思います。
熱くなってしまいましたが、
長い文を読んで頂きありがとうございました☆
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