2016年8月6日(土)
71年目の慰霊の日。
ちょっと聞いて!×40
こんばんは!
E-ori's5 NAILPRODUCE(イオリズファイブネイルプロデュース)です。
皆様、世界が奇しくも平和の祭典オリンピックの開会式で賑わっている今日、何の日かご存知でしょうか。
核兵器が初めて人類に投下され日本は唯一の被爆国となった日です。
8月6日、広島。
8月は自分の誕生日もある月なのですが私にとっての8月は、お線香臭いイメージがある月です。
数日後には長崎の慰霊の日が来ますし、お盆もやってきます。
8月は鎮魂の月と言っても過言ではない気がします。
去年の9月末に、広島平和記念公園を訪れました。
私の知っていたつもりの広島の原爆に関する知識の乏しさに驚かされ、改めて広島の人の地獄のような体験と戦後も続く苦しみを知り、言葉も出ず涙だけが出てくる状況でした。
去年、私がずっと訪れたかった写真の場所、’広島市立本川小学校’の平和資料館に行きました。
こちら本川小学校は昭和3年(1928年)、広島市内の公立小学校としては初の鉄筋コンクリート造3階建ての校舎として建設されたそうです。
爆心地から360mという至近距離で被爆したそうで、校長先生を始め教員、生徒の多くが亡くなっています。
皆様は、’はだしのゲン’という広島の原爆を描いた漫画はご存知ですか?
そこに出てくる「元川小学校」という学校は、この本川小学校がモデルになっているのです。
夢多き将来の担い手達を、若くして亡くしてしまう遺族の心境も、もちろん何が起きたか分からないまま死んでいってしまう本人達のいたたまれなさは、想像以上のものがあります。
原爆による熱射で炭化し跡形もなくなった人達の亡骸は校舎の一部を解体した時に砂利の中から、骨の欠片が沢山出てきたそうです。
きっと今でも校内の砂利に混じって存在しているかもしれません。
我が子の亡骸をも見つけられないご遺族たちは心の整理もつかず戦後長く過ごしたのだと思うと…、
辛過ぎますよね。
こちらの本川小学校の事を書いた掲示板です。
写真上でクリックしてお読み下さい。
そして爆弾が頭上で炸裂した島病院。
原爆ドームを目標に落とされた原子爆弾は風に流されこの病院の上で炸裂したそうです。
当時も病院として開業されており、幸い院長先生と1名の看護師さんは離れたところへ往診へ行っており難を逃れたそうです。
読めますでしょうか、是非ご一読下さい。
この説明書きは病院の横にあります。
元安橋から歩いてほんの数分、向かって左側に原爆ドームがあり写真中央より左側の大きな建物のすぐ後ろに先程ご紹介した島病院があります。
そして右の建物、こちら現役で使われている被爆した建物で、今は’広島市観光案内所(平和記念公園レストハウス)’となっております。
爆心地から極近にも拘わらず今も現存しているなんて本当に驚きですよね。
原爆投下の日、この建物には37名の方が勤務していたそうです。
たまたま地下の倉庫に書類を取りに行かれたお1人は、いつもはすぐに見つかる書類がこの日はいつもの場所になく探している時に爆弾が炸裂し、奇跡的に生き残ったそうです。
残りの方は原爆炸裂に伴う放射線と熱線・爆風のため、29名が即死し、即死を免れ建物を脱出できた8名はその後の消息は不明らしく、脱出後に急性放射線障害などで死亡したと推定されているそうです。
ガイドさんから教えて頂いたのですが、原爆死没者慰霊碑には7名、広島の原爆で亡くなっていない方のお名前が収められているんだそうです。
何でだか分りますか?!
正解は、広島の方が長崎の原子爆弾が投下された時に居合わせてしまい亡くなったので、同じ原子爆弾で亡くなられたからという事で慰霊碑にお名前を連ねているそうです。
長崎の原爆は、威力として広島型の1.5倍と言われており、また長崎型はプルトニウムの物性に由来する毒性の強い原爆と言われているそうです。
ですが長崎は周りが山で囲まれた特徴ある地形であったため、熱線や爆風が山によって遮断された結果、広島よりも被害は軽減されたという事です。
私は2008年に数ヶ月間アメリカのニューメキシコ州に住んでいました。
ニューメキシコ州はかつて一世を風靡した宮沢りえさんのヌード写真集サンタフェが撮影された、州都サンタフェがある所です。
ニューメキシコ州へは行って知ったのですが、ここは日本にとって大きなかかわりがある地でした。
写真は、オテロ郡にあるアラモゴードの南西およそ25 km (15 mi)、標高約1.200 m (4.000 ft) に位置する白い大砂丘地帯、アメリカ合衆国国定記念物に指定されている世界最大のアラバスター砂丘ホワイトサンズです。
一面見渡す限り白い砂だけで、「ヒョーヒョー」と風が吹く音しか聞こえない、視覚的にも聴覚的にも感覚的にも今まで体験した事がない異次元の世界が広がる砂丘でした。
こちら、世界初の核実験が行われたホワイトサンズ・ミサイル実験場や、NASAのスペースシャトル着陸用滑走路もあり、住民はほとんどこのエリアにはいないとされています。
ホワイトサンズで人類初の核実験が行われたトリニティ実験は、爆縮型プルトニウム原子爆弾の爆発実験で、同型の爆弾『ファットマン』が、後に日本の長崎に投下されました。
トリニティ実験の数週間後の広島・長崎への原子爆弾投下へとつながり、核の時代の幕開けとなっていくのです。
このホワイトサンズが核実験を行うのに広大で都合が良かったのだそう。
そして近隣にあるロスアラモスという所には、アトミックならぬ、サイエンスミュージアムがあります。
ここには一画に原子爆弾の事に触れた展示コーナーもありました。
広島に投下されたリトルボーイと、長崎に投下されたファットマンの模型です。
コーナーに原子爆弾に思う事を観覧者が思い思いに書けるノートが用意されていたのですが、中には『この爆弾があったからこそ日本は戦争を終結する事ができたから必要だった』と書いている方もおりました。
展示物には原子爆弾の威力は構造が多く解説されているだけで、
人類にどんな悲劇をもたらしその悲劇は長きに渡って続いていく事は一切触れられておりませんでした。
何の因果か分かりませんが、知らずに行ったニューメキシコ州は日本の歴史を大きく動かし、世界の原子爆弾の幕開けとなった地と知り、加害国・原子爆弾を始めて世界に広めた国側から原爆を見る事ができて、より被爆地の事を知りたいと思い拙い勉強法や情報をかき集めるやり方で詰め込んだアメリカの印象は、
『原爆は正義』なんですね。
あの時代、ある意味そう思わざるを得ないのだと思います。
皆、戦争に躍起になっていただろうし、何より日本も回天や桜花など、人柱になる特攻という戦い方を若い子達に強いていたわけですし。
今考えても非人道的で考えられないですよね。
でもそれを考えつく時代だったのですよ。
興味深い記事がありました。
『「原爆投下を正当化」 国立公園設立に被爆地の懸念』
ぜひ、読んで頂きたいです。
今日の広島は、71年前と同じ暑くて蝉が鳴く日だったんでしょうね。
悔やんでも悔やみきれない全ての被爆犠牲者に思いを馳せつつ、今日は過ごしたいと思います。
過去に書いたブログも併せてお読みください。
アルバカーキ ~(明けて)13日目!~
一面真っ白な景色!
中国地方の旅 ~2日目~
中国地方の旅 ~3日目~
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◆メールの場合。
◆お電話の場合。 0155-47-3315
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ネイル以外のお話も沢山載せています☆
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皆様、世界が奇しくも平和の祭典オリンピックの開会式で賑わっている今日、何の日かご存知でしょうか。
核兵器が初めて人類に投下され日本は唯一の被爆国となった日です。
8月6日、広島。
8月は自分の誕生日もある月なのですが私にとっての8月は、お線香臭いイメージがある月です。
数日後には長崎の慰霊の日が来ますし、お盆もやってきます。
8月は鎮魂の月と言っても過言ではない気がします。
去年の9月末に、広島平和記念公園を訪れました。
私の知っていたつもりの広島の原爆に関する知識の乏しさに驚かされ、改めて広島の人の地獄のような体験と戦後も続く苦しみを知り、言葉も出ず涙だけが出てくる状況でした。
去年、私がずっと訪れたかった写真の場所、’広島市立本川小学校’の平和資料館に行きました。
こちら本川小学校は昭和3年(1928年)、広島市内の公立小学校としては初の鉄筋コンクリート造3階建ての校舎として建設されたそうです。
爆心地から360mという至近距離で被爆したそうで、校長先生を始め教員、生徒の多くが亡くなっています。
皆様は、’はだしのゲン’という広島の原爆を描いた漫画はご存知ですか?
そこに出てくる「元川小学校」という学校は、この本川小学校がモデルになっているのです。
夢多き将来の担い手達を、若くして亡くしてしまう遺族の心境も、もちろん何が起きたか分からないまま死んでいってしまう本人達のいたたまれなさは、想像以上のものがあります。
原爆による熱射で炭化し跡形もなくなった人達の亡骸は校舎の一部を解体した時に砂利の中から、骨の欠片が沢山出てきたそうです。
きっと今でも校内の砂利に混じって存在しているかもしれません。
我が子の亡骸をも見つけられないご遺族たちは心の整理もつかず戦後長く過ごしたのだと思うと…、
辛過ぎますよね。
こちらの本川小学校の事を書いた掲示板です。
写真上でクリックしてお読み下さい。
そして爆弾が頭上で炸裂した島病院。
原爆ドームを目標に落とされた原子爆弾は風に流されこの病院の上で炸裂したそうです。
当時も病院として開業されており、幸い院長先生と1名の看護師さんは離れたところへ往診へ行っており難を逃れたそうです。
読めますでしょうか、是非ご一読下さい。
この説明書きは病院の横にあります。
元安橋から歩いてほんの数分、向かって左側に原爆ドームがあり写真中央より左側の大きな建物のすぐ後ろに先程ご紹介した島病院があります。
そして右の建物、こちら現役で使われている被爆した建物で、今は’広島市観光案内所(平和記念公園レストハウス)’となっております。
爆心地から極近にも拘わらず今も現存しているなんて本当に驚きですよね。
原爆投下の日、この建物には37名の方が勤務していたそうです。
たまたま地下の倉庫に書類を取りに行かれたお1人は、いつもはすぐに見つかる書類がこの日はいつもの場所になく探している時に爆弾が炸裂し、奇跡的に生き残ったそうです。
残りの方は原爆炸裂に伴う放射線と熱線・爆風のため、29名が即死し、即死を免れ建物を脱出できた8名はその後の消息は不明らしく、脱出後に急性放射線障害などで死亡したと推定されているそうです。
ガイドさんから教えて頂いたのですが、原爆死没者慰霊碑には7名、広島の原爆で亡くなっていない方のお名前が収められているんだそうです。
何でだか分りますか?!
正解は、広島の方が長崎の原子爆弾が投下された時に居合わせてしまい亡くなったので、同じ原子爆弾で亡くなられたからという事で慰霊碑にお名前を連ねているそうです。
長崎の原爆は、威力として広島型の1.5倍と言われており、また長崎型はプルトニウムの物性に由来する毒性の強い原爆と言われているそうです。
ですが長崎は周りが山で囲まれた特徴ある地形であったため、熱線や爆風が山によって遮断された結果、広島よりも被害は軽減されたという事です。
私は2008年に数ヶ月間アメリカのニューメキシコ州に住んでいました。
ニューメキシコ州はかつて一世を風靡した宮沢りえさんのヌード写真集サンタフェが撮影された、州都サンタフェがある所です。
ニューメキシコ州へは行って知ったのですが、ここは日本にとって大きなかかわりがある地でした。
写真は、オテロ郡にあるアラモゴードの南西およそ25 km (15 mi)、標高約1.200 m (4.000 ft) に位置する白い大砂丘地帯、アメリカ合衆国国定記念物に指定されている世界最大のアラバスター砂丘ホワイトサンズです。
一面見渡す限り白い砂だけで、「ヒョーヒョー」と風が吹く音しか聞こえない、視覚的にも聴覚的にも感覚的にも今まで体験した事がない異次元の世界が広がる砂丘でした。
こちら、世界初の核実験が行われたホワイトサンズ・ミサイル実験場や、NASAのスペースシャトル着陸用滑走路もあり、住民はほとんどこのエリアにはいないとされています。
ホワイトサンズで人類初の核実験が行われたトリニティ実験は、爆縮型プルトニウム原子爆弾の爆発実験で、同型の爆弾『ファットマン』が、後に日本の長崎に投下されました。
トリニティ実験の数週間後の広島・長崎への原子爆弾投下へとつながり、核の時代の幕開けとなっていくのです。
このホワイトサンズが核実験を行うのに広大で都合が良かったのだそう。
そして近隣にあるロスアラモスという所には、アトミックならぬ、サイエンスミュージアムがあります。
ここには一画に原子爆弾の事に触れた展示コーナーもありました。
広島に投下されたリトルボーイと、長崎に投下されたファットマンの模型です。
コーナーに原子爆弾に思う事を観覧者が思い思いに書けるノートが用意されていたのですが、中には『この爆弾があったからこそ日本は戦争を終結する事ができたから必要だった』と書いている方もおりました。
展示物には原子爆弾の威力は構造が多く解説されているだけで、
人類にどんな悲劇をもたらしその悲劇は長きに渡って続いていく事は一切触れられておりませんでした。
何の因果か分かりませんが、知らずに行ったニューメキシコ州は日本の歴史を大きく動かし、世界の原子爆弾の幕開けとなった地と知り、加害国・原子爆弾を始めて世界に広めた国側から原爆を見る事ができて、より被爆地の事を知りたいと思い拙い勉強法や情報をかき集めるやり方で詰め込んだアメリカの印象は、
『原爆は正義』なんですね。
あの時代、ある意味そう思わざるを得ないのだと思います。
皆、戦争に躍起になっていただろうし、何より日本も回天や桜花など、人柱になる特攻という戦い方を若い子達に強いていたわけですし。
今考えても非人道的で考えられないですよね。
でもそれを考えつく時代だったのですよ。
興味深い記事がありました。
『「原爆投下を正当化」 国立公園設立に被爆地の懸念』
ぜひ、読んで頂きたいです。
今日の広島は、71年前と同じ暑くて蝉が鳴く日だったんでしょうね。
悔やんでも悔やみきれない全ての被爆犠牲者に思いを馳せつつ、今日は過ごしたいと思います。
過去に書いたブログも併せてお読みください。
アルバカーキ ~(明けて)13日目!~
一面真っ白な景色!
中国地方の旅 ~2日目~
中国地方の旅 ~3日目~
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