ちょっと聞いて!(40)
2016年1月14日(木)
地震、大きかったですね。
ちょっと聞いて!×40
こんにちは!
E-ori's5 NAILPRODUCE(イオリズファイブネイルプロデュース)です。
表彰式の時の様子
これまでのネイリスト技能検定試験官認定証
①2014秋期、2・1級
②2015春期、2級
➂2015夏期、3級
『最新』2015秋期、1級
★ネイリスト募集の詳細はこちらをクリックして下さい。
◆ネイリストの募集は締め切りました。募集の際はまた記載致しますのでよろしくお願い致します。
□E-ori's5 NAILSCHOOL(イオリズファイブネイルスクール)のご興味がある方はこちらをクリックして下さい。
スクールへの沢山のお問い合わせ、ありがとうございます。
ネイリストとして働きたい方から趣味でネイルを学びたい方まで、只今、生徒募集をしております。
入学希望生が多い場合は締め切らせて頂く場合があります、ご了承下さい。
当校は日本ネイリスト協会認定講師が直接指導するスクール展開を行っており、ジェルで特許商品を多く排出していますネイルメーカーGRACIAスタイリスト(認定講師)・ジェル検定試験で受験者が多く使用しているジェルメーカーBellaFormaのアシスタントインストラクターが在中しているネイルスクールですので、ジェルを特に学びたい方には選ばれているスクールです。
□開催予定のセミナー情報のページへは、
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◆◆よく、当スクールについてメールでご質問を頂くのですが、時々中に、返信用に入力して頂いているメールアドレスが間違えておられるのか、返信が出来ない方がおります。
1週間経ちましても当校から返信が来ない場合は、再度、ご連絡を下さい。
その際は、メールアドレスに間違いがないかご確認頂き、念の為に任意になっています、お電話番号までご記入される事をお勧め致します。◆◆
■◇■◇■■◇■◇■■◇■◇■■◇■◇■■◇■◇■■◇■◇■■◇■◇■■◇■◇
道内と東北にお住いの皆様、お昼頃の地震は大丈夫でしたでしょうか?
私のフューチャーフォンがけたたましく警報音をならすので、その物々しさに最初驚きました。
そして間もなく大きな揺れが始まったのですが、東日本大震災の時の、「もういい加減おさまって!」と思ってしまうほどの長さを経験していましたから、先程の揺れは私的には問題なかったのですが、マンションの家が心配です。
物が落ちたりしていなければいいのですが。。。
この後も、くれぐれもお気を付け下さいませ。
■◇■◇■■◇■◇■■◇■◇■■◇■◇■■◇■◇■■◇■◇■■◇■◇■■◇■◇
分からない事や気になる事などがありましたらお気軽にお問い合わせ下さいませ。
◆メールの場合。
◆お電話の場合。 0155-47-3315
E-ori's5 NAILPRODUCE(イオリズファイブネイルプロデュース)の公式ホームページはこちらをクリックして下さい。
ネイル以外のお話も沢山載せています☆
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※こちらのデザインは今月一杯までの特価となっております。
デザインがまだお決まりでない方など、大変お安いデザインとなっておりますのでお早目のご利用をおススメ致します。
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E-ori's5 NAILPRODUCE(イオリズファイブネイルプロデュース)厳選のセレクトショップグッズや、ネイルアートパーツなど、商品が掲載されている通販ショッピングページへは、こちらをクリックして下さい。
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11時~15時までのご来店でお得になります!
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ご予約をお入れされる前にこちらをクリック頂き、ご一読お願い致します。
長文の内容でご迷惑をお掛け致します。
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そして間もなく大きな揺れが始まったのですが、東日本大震災の時の、「もういい加減おさまって!」と思ってしまうほどの長さを経験していましたから、先程の揺れは私的には問題なかったのですが、マンションの家が心配です。
物が落ちたりしていなければいいのですが。。。
この後も、くれぐれもお気を付け下さいませ。
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2015年10月19日(月)
安い物には…。怖っ!!
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日中は陽が差してとても暖かでしたが陽が暮れてくるとやっぱり冷えてきますね。
紅葉もきれいですし、もう秋深し、、、ですねぇ。
一昨日、私のフェイスブックに来た記事、昨日はヤフーニュースにも上がっていましたね。
100均のネイル関連商品では、よくポリッシュリムーバーの事を聞かれることがありました。
消耗品は安く収めたいと思うものですよね。
ですが、やっぱり安いには人体に悪影響を及ぼす物も入っている恐ろしさも了承しなければならない事もあるのです。
詳細はこちらをクリックして下さい。
ネイルサロンのような技術をお売りする職業の価格の高低も、使用している材料を安く仕入れているものを使っている場合もあるようですし、
また技術や知識がないので価格を安くせざるを得ない、なども加味されています。
人体に使う物です、お爪は生え変わると楽観視せず、お爪の周りの皮膚や揮発して空気から吸い込んでしまう危険性、更にプロが使うプロダクツ(スカルプチュア製品・ジェル製品など)は化学薬品ですので少なからずアレルギー誘発剤が入っております。
その予備知識(アレルギーは1度出てしまうとその製品は使用できません)の有無とその対処法は持ち合わせたサロンなのか。
生え変わるとは言えお爪も傷めてしまうと生活に多大な影響が出ます!
(実際、E-ori's5 NAILPRODUCE(イオリズファイブネイルプロデュース)には他店で大きくお爪にダメージを受けて痛みを伴ったりされた事でご相談にご来店されたお客様もおります)
ぜひ、使用されるものは安心できるものなのか、考えてみて下さい!
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人体に使う物です、お爪は生え変わると楽観視せず、お爪の周りの皮膚や揮発して空気から吸い込んでしまう危険性、更にプロが使うプロダクツ(スカルプチュア製品・ジェル製品など)は化学薬品ですので少なからずアレルギー誘発剤が入っております。
その予備知識(アレルギーは1度出てしまうとその製品は使用できません)の有無とその対処法は持ち合わせたサロンなのか。
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2015年8月17日(月)
終戦70年目の神社参り。
ちょっと聞いて!×40
こんばんは!
E-ori's5 NAILPRODUCE(イオリズファイブネイルプロデュース)です。
一昨日、昨日とお休みを頂きました。
お盆にお休みを頂く事になったのですが、今月は技術勉強会の為に2回東京へ行かなければいけない関係で、たまたまお盆の時期にお休みを頂く事になったのです。
そのたまたまが重なり、15日の終戦記念日に護国神社参りも叶いました。
神社参り、といえばお着物で♪
スティールグレイに蝶とカニの柄のお着物に、半衿は水色×ブルー×ホワイト×ブラウンのストライプ、伊達衿は終戦記念参りなのでブラックを入れました。
帯周りは、終戦参りとはいえあまり暗くなる色合いは嫌でしたのでピンクにゴールドの蝶が入っている帯に、ブラック×ホワイトの市松柄の帯揚げ、ターコイズグリーンとホワイトの帯締めを合わせました。
襦袢は夏用を着ましたが、もう全然汗はかかないくらいお着物を着るには良い気候になりましたね!
帯結びはペロンとて先が出ているのがかわいい銀座結びです。
そしてヘアスタイルは見ずらいですがギブソンタックにして、帯柄と同じ蝶のヘアクリップを飾りました。
帯広の護国神社前の横断歩道待ち中です。
このような立て看板がありました。
帯広の護国神社は初めて行きましたが紋柄は桜柄なんですね。
大東亜戦争時も、「桜のように潔く散れ」という教えがあったようですがそれに関連しているのでしょうか。
護国神社後に帯広神社も参拝しました。
午後に参拝へ行ったのですが護国神社にはちらほら参拝客がいました。
若い男性が1人で来ていたり。
終戦70年目にそれぞれが想う事は多種多様かと思いますが、でも平和を願う気持ちがあるからこそ参拝に足を向かせるのだと思うので、そんな皆さんの一念一願が世界平和に確実に繋がっていくといいな、と思わずにはいられません。
無事、参拝が終わった後、朝から何も食べてなくてランチタイムも過ぎてしまったので夕食時間にやっとその日最初のお食事をしに前から行ってみたかったこちらへ行きました。
’十勝おばんざい 天空’です。
帯広空港から近い場所にあるので少し私が住んでいる所から行くには少し離れていますが、ずっと行ってみたかったご飯屋さんでした。
リーズナブルなディナーセットをペロっと平らげてしまいました。
もちろん、15日はこの1食のみでしたけど!
とても美味しくて、ランチタイムはバイキング式になるらしいので、飛行場を使う時にランチを利用してみたいなと思いました。
さてさて、終戦記念の15日までの間、衛星放送も地上波もテレビ番組は大東亜戦争に関する番組が多くありましたね。
私は結構気付いたものは1つ1つ録画しており、保存しておきたい番組もありますのでダビング用のDVDを買おうと思います。
NHKでやっていた戦争関連番組やドキュメンタリー番組は録画しているので少しずつ見ているのですが、とても考えさせられます。
沖縄戦は勿論ですが地球上で初めて原爆が落とされた広島・長崎の被爆者の体験談など、戦後70年経ち安保法案など今、日本が変わろうとしている事もあり、また戦争体験者が少なくなっていくこれからの為に、家族にも言った事がない戦争体験を、「これっきり」と話してくれる方がテレビに映されていたりしました。
平和学習の語り部のお婆ちゃんは原爆の恐ろしい惨状を平和学習に来た学生達に話すと後日、
「子供が夜に眠れなくなった」
「ストレスを抱えるようになった」
「どう責任を取ってくれるんだ!」と言った苦情が入ったそうです。
何かおかしいと思いました。
日本が描く大東亜戦争の映画などは、正直リアルさが伝わらないし本で知る限り、平和資料館などで見て、読んで知る限り、「こんなもんじゃなかったでしょう!」と言いたくなるものばかりです。
アメリカが作る方がかなり当時の現況を写していると思ってしまいます、残酷でむごたらしくて蛮行も正直に描いているから。
ザ・パシフィックはどこまで真実に描いているかは分かりませんがご覧になる事をオススメします。
日本の映画よりはるかに”戦争というものの恐ろしさ”が分かると思います。
私も中学生の時に長崎の平和公園に行きましたが、資料館の物々しい雰囲気と今でも覚えている独特の臭いが印象的ですが、少し前の日本に恐ろしく大変な歴史があったなんて想いを馳せながら見てなんてなかったです。
去年姪っ子を連れて両親と沖縄の平和の礎へ行った時平和資料館も見たのですが、証明を落として写真を見やすくしている展示場で、大きな自決している写真や殺されたご遺体がドッカーンと目に入っている見せ方をしている一角があったのですが、これぞ正に沖縄戦そのものかと思うのですが母は姪っ子を気にかけ、「これよ(姪っ子の事)感受性が強い子だからあんまり見せたくない」と言ったのですが、その時私も母の言葉で姪っ子をかばう気持ちが出ました。
学生が平和学習をする事ってこれから特に大切になってくる時代と思うのです。
ですが、その子の心の成長に併せて残酷な惨状を知っていく段階を踏んでいく教え方を考えるべきかと思います。
オブラートに包んでしまったのでは戦争の真実は伝わらないと思います。
かと言ってかつての私のように、’修学旅行=楽しい♪’が先行して原爆の恐ろしさや体験者の想いなんてこれっぽちも考えずに平和学習をしても意味がないと思うのです。
沖縄の平和学習を実際の壕内でされている方は、年々学校でも戦争の事を積極的に勉強する事は少なくなったように思う、と仰っていました。
これからの日本を担う子供ちゃん達には、綺麗な事、美しいもの、かわいいものばかりをあてがい見せるのではなく平和に繋がるこの’戦争’の凄まじさをしっかり確実に伝えていかなければいけないと思います。
その子の成長に合わせるのは何度も言いますが!
姪っ子ちゃんには、私だから伝えられる事を伝え、知っていって’正しいものを見る目’と’考える力’を養ってほしいなとおばちゃんは思います(笑)
その為には…
先月後半から新聞広告で販売された、『太平洋戦争』上下巻をプレゼントしてもらいましたので、時間を作ってしっかり考えながら見ようと思います。
今月私の誕生日なのですが、とても貴重で後世に残していきたいと思えるほどの大きな物を貰ったな、と思います。
戦争を考えるって、ダークなイメージがあると思います。
私もずっとそうでした。
私が生まれ育った沖縄こそ、最前線だった平和の礎がある辺りの事を大人達は腫れ物に触るようにしていましたし。
戦争の話は凄まじい体験をしてきた人こそ語らないし、触れないでオーラも出していました。
被爆者達は好奇な目で見られて、戦後もずっとケロイドになった体を隠し被爆者だと言う事も隠し生きてきたそうです。
…ダークなイメージになるのは当たり前ですよね。
戦争の事を話すと、変わっているね、と思われるかもしれませんが、わが国でほんの70年前に起きた恐ろしい出来事、
またこれからも美味しい物を食べたりオシャレをしたり、好きな人と一緒にいられる時間を共有できるためにも、今の平和を維持していく為に戦争を積極的に知る事はとても大切な事だと思いませんか?
時々報道のあり方に疑問を感じる事があり、それは何かと言うと若くして散っていた特攻隊の方々を、’祖国の為に短く儚く散っていた命’を美化して描いているように思う事がありますが、それは違うと思うのです。
そんな悲しい目線ばかりで見ないでほしいと思います。
悲しい事ではありますが、年端もいかない少年少女たちが家族の為、祖国の為に背負わされた背景、儚く潔く散っていかざるを得なかった背景があり、それは何だったのか、そこに目を向けてほしいなと思います。
今年は靖国神社にも参拝できましたし、護国神社にも参拝に行けましたので有意義な1年になりました。
私なりに大東亜戦争の事を知り、せめて姪っ子たちには真実をきちんと伝えようと思います。
熱くなってしまいましたが、
長い文を読んで頂きありがとうございました☆
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一昨日、昨日とお休みを頂きました。
お盆にお休みを頂く事になったのですが、今月は技術勉強会の為に2回東京へ行かなければいけない関係で、たまたまお盆の時期にお休みを頂く事になったのです。
そのたまたまが重なり、15日の終戦記念日に護国神社参りも叶いました。
神社参り、といえばお着物で♪
スティールグレイに蝶とカニの柄のお着物に、半衿は水色×ブルー×ホワイト×ブラウンのストライプ、伊達衿は終戦記念参りなのでブラックを入れました。
帯周りは、終戦参りとはいえあまり暗くなる色合いは嫌でしたのでピンクにゴールドの蝶が入っている帯に、ブラック×ホワイトの市松柄の帯揚げ、ターコイズグリーンとホワイトの帯締めを合わせました。
襦袢は夏用を着ましたが、もう全然汗はかかないくらいお着物を着るには良い気候になりましたね!
帯結びはペロンとて先が出ているのがかわいい銀座結びです。
そしてヘアスタイルは見ずらいですがギブソンタックにして、帯柄と同じ蝶のヘアクリップを飾りました。
帯広の護国神社前の横断歩道待ち中です。
このような立て看板がありました。
帯広の護国神社は初めて行きましたが紋柄は桜柄なんですね。
大東亜戦争時も、「桜のように潔く散れ」という教えがあったようですがそれに関連しているのでしょうか。
護国神社後に帯広神社も参拝しました。
午後に参拝へ行ったのですが護国神社にはちらほら参拝客がいました。
若い男性が1人で来ていたり。
終戦70年目にそれぞれが想う事は多種多様かと思いますが、でも平和を願う気持ちがあるからこそ参拝に足を向かせるのだと思うので、そんな皆さんの一念一願が世界平和に確実に繋がっていくといいな、と思わずにはいられません。
無事、参拝が終わった後、朝から何も食べてなくてランチタイムも過ぎてしまったので夕食時間にやっとその日最初のお食事をしに前から行ってみたかったこちらへ行きました。
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帯広空港から近い場所にあるので少し私が住んでいる所から行くには少し離れていますが、ずっと行ってみたかったご飯屋さんでした。
リーズナブルなディナーセットをペロっと平らげてしまいました。
もちろん、15日はこの1食のみでしたけど!
とても美味しくて、ランチタイムはバイキング式になるらしいので、飛行場を使う時にランチを利用してみたいなと思いました。
さてさて、終戦記念の15日までの間、衛星放送も地上波もテレビ番組は大東亜戦争に関する番組が多くありましたね。
私は結構気付いたものは1つ1つ録画しており、保存しておきたい番組もありますのでダビング用のDVDを買おうと思います。
NHKでやっていた戦争関連番組やドキュメンタリー番組は録画しているので少しずつ見ているのですが、とても考えさせられます。
沖縄戦は勿論ですが地球上で初めて原爆が落とされた広島・長崎の被爆者の体験談など、戦後70年経ち安保法案など今、日本が変わろうとしている事もあり、また戦争体験者が少なくなっていくこれからの為に、家族にも言った事がない戦争体験を、「これっきり」と話してくれる方がテレビに映されていたりしました。
平和学習の語り部のお婆ちゃんは原爆の恐ろしい惨状を平和学習に来た学生達に話すと後日、
「子供が夜に眠れなくなった」
「ストレスを抱えるようになった」
「どう責任を取ってくれるんだ!」と言った苦情が入ったそうです。
何かおかしいと思いました。
日本が描く大東亜戦争の映画などは、正直リアルさが伝わらないし本で知る限り、平和資料館などで見て、読んで知る限り、「こんなもんじゃなかったでしょう!」と言いたくなるものばかりです。
アメリカが作る方がかなり当時の現況を写していると思ってしまいます、残酷でむごたらしくて蛮行も正直に描いているから。
ザ・パシフィックはどこまで真実に描いているかは分かりませんがご覧になる事をオススメします。
日本の映画よりはるかに”戦争というものの恐ろしさ”が分かると思います。
私も中学生の時に長崎の平和公園に行きましたが、資料館の物々しい雰囲気と今でも覚えている独特の臭いが印象的ですが、少し前の日本に恐ろしく大変な歴史があったなんて想いを馳せながら見てなんてなかったです。
去年姪っ子を連れて両親と沖縄の平和の礎へ行った時平和資料館も見たのですが、証明を落として写真を見やすくしている展示場で、大きな自決している写真や殺されたご遺体がドッカーンと目に入っている見せ方をしている一角があったのですが、これぞ正に沖縄戦そのものかと思うのですが母は姪っ子を気にかけ、「これよ(姪っ子の事)感受性が強い子だからあんまり見せたくない」と言ったのですが、その時私も母の言葉で姪っ子をかばう気持ちが出ました。
学生が平和学習をする事ってこれから特に大切になってくる時代と思うのです。
ですが、その子の心の成長に併せて残酷な惨状を知っていく段階を踏んでいく教え方を考えるべきかと思います。
オブラートに包んでしまったのでは戦争の真実は伝わらないと思います。
かと言ってかつての私のように、’修学旅行=楽しい♪’が先行して原爆の恐ろしさや体験者の想いなんてこれっぽちも考えずに平和学習をしても意味がないと思うのです。
沖縄の平和学習を実際の壕内でされている方は、年々学校でも戦争の事を積極的に勉強する事は少なくなったように思う、と仰っていました。
これからの日本を担う子供ちゃん達には、綺麗な事、美しいもの、かわいいものばかりをあてがい見せるのではなく平和に繋がるこの’戦争’の凄まじさをしっかり確実に伝えていかなければいけないと思います。
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姪っ子ちゃんには、私だから伝えられる事を伝え、知っていって’正しいものを見る目’と’考える力’を養ってほしいなとおばちゃんは思います(笑)
その為には…
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戦争を考えるって、ダークなイメージがあると思います。
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戦争の事を話すと、変わっているね、と思われるかもしれませんが、わが国でほんの70年前に起きた恐ろしい出来事、
またこれからも美味しい物を食べたりオシャレをしたり、好きな人と一緒にいられる時間を共有できるためにも、今の平和を維持していく為に戦争を積極的に知る事はとても大切な事だと思いませんか?
時々報道のあり方に疑問を感じる事があり、それは何かと言うと若くして散っていた特攻隊の方々を、’祖国の為に短く儚く散っていた命’を美化して描いているように思う事がありますが、それは違うと思うのです。
そんな悲しい目線ばかりで見ないでほしいと思います。
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今年は靖国神社にも参拝できましたし、護国神社にも参拝に行けましたので有意義な1年になりました。
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何かあっけないなぁ。
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こんばんは!
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昨日遅くにネットニュースに飛び込んできた、’旭天鵬引退’の文字、
「早っ!」と同時に「とうとうこの日が来たのか」と思いました。
正直あっけない感じがしています。
何年も前から弟弟子のお相撲さんや後輩のお相撲さん達に接する応対が現役の先輩という接し方に加えて私にはどことなく”指導者”のように見える接し方をしていたので彼の中にはもうその頃から”指導者”としての資質や心持は備わっており、見据えていたのかなと思っていたのですが…
それにしてもこのあっけなさ。
引退する最後の場所は見に行かなきゃな、と思っていましたがまさか今場所になるなんて。
スポーツ選手の引き際とは、更には格闘技の場合はこんな風なんでしょうね、
心技体のバランスがとれなくなったら現役でいるのは難しく感じるんでしょうかね。
特に彼の場合は幕内の優勝経験があるから十両に落ちてまで、、、は引き際だったのでしょうね。
もう、ちょんまげに廻し姿の彼を見る事が出来ないんですね(泣)
髷を結っている姿も見せてもらったことがありますが、お相撲さんの象徴のような瓶付け油の香りも、彼からは近いうちに消えてしまうんですね。
何か、大相撲は元々大好きなのですが彼と知り合ってより一層応援に拍車がかかってのめり込んだので、彼が引退となると何だか拍子抜け気味になってしまっているのが正直なところです。
もう今までのように熱を帯びた応援はしないかもしれません。
でも、彼の引退と変わって来場所は、
彼の付け人としていつも支えていた、北海道旭川出身の旭大星、
来場所の十両昇進は濃厚らしいです。
現役を退いていく先人の後ろにはちゃんと未来を繋ぐ後継者が控えているんでしょうね!
これからは旭大星を応援しなきゃいけませんね。
こちらを読んで頂いております道内の皆様、旭大星が早く幕内に上がってくるように応援しましょう!
E-ori's5 NAILPRODUCE(イオリズファイブネイルプロデュース)です。
昨日遅くにネットニュースに飛び込んできた、’旭天鵬引退’の文字、
「早っ!」と同時に「とうとうこの日が来たのか」と思いました。
正直あっけない感じがしています。
何年も前から弟弟子のお相撲さんや後輩のお相撲さん達に接する応対が現役の先輩という接し方に加えて私にはどことなく”指導者”のように見える接し方をしていたので彼の中にはもうその頃から”指導者”としての資質や心持は備わっており、見据えていたのかなと思っていたのですが…
それにしてもこのあっけなさ。
引退する最後の場所は見に行かなきゃな、と思っていましたがまさか今場所になるなんて。
スポーツ選手の引き際とは、更には格闘技の場合はこんな風なんでしょうね、
心技体のバランスがとれなくなったら現役でいるのは難しく感じるんでしょうかね。
特に彼の場合は幕内の優勝経験があるから十両に落ちてまで、、、は引き際だったのでしょうね。
もう、ちょんまげに廻し姿の彼を見る事が出来ないんですね(泣)
髷を結っている姿も見せてもらったことがありますが、お相撲さんの象徴のような瓶付け油の香りも、彼からは近いうちに消えてしまうんですね。
何か、大相撲は元々大好きなのですが彼と知り合ってより一層応援に拍車がかかってのめり込んだので、彼が引退となると何だか拍子抜け気味になってしまっているのが正直なところです。
もう今までのように熱を帯びた応援はしないかもしれません。
でも、彼の引退と変わって来場所は、
彼の付け人としていつも支えていた、北海道旭川出身の旭大星、
来場所の十両昇進は濃厚らしいです。
現役を退いていく先人の後ろにはちゃんと未来を繋ぐ後継者が控えているんでしょうね!
これからは旭大星を応援しなきゃいけませんね。
こちらを読んで頂いております道内の皆様、旭大星が早く幕内に上がってくるように応援しましょう!
2015年6月23日(火)
6月23日。
ちょっと聞いて!×40
こんばんは!
E-ori's5 NAILPRODUCE(イオリズファイブネイルプロデュース)です。
6月23日の今日は、皆さん何の日かご存知ですか?
TVでも取り上げられていますのでご存知の方もおられると思います。
6月23日は、「沖縄慰霊の日」です。
私の出身地沖縄は、今日が沖縄戦の終結日とされており、学校もお休みになります。
6月23日は沖縄では組織的戦闘が終結した日とされている日です。
戦後70年の今年、先ほどTVでも最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では午前11時50分から、「戦後70年沖縄全戦没者追悼式」が開かれましたが、遺族の高齢化が顕著ですよね。
沖縄県南部にある糸満市辺りには、沢山の戦跡、慰霊碑がありますが個人で建立された慰霊碑などはご遺族がご高齢になるにつれ訪れる人が少なくなり淋しくひっそり佇んでいる慰霊碑もあるようです。
70年目の節目の今年、私は沖縄に帰ろうと去年から決めていたのですが両親が「もったいないから」と言うのでやめました(苦笑)
それよりも、
私「今年戦後70年目だから6月23日帰ろうと思っているけど」
母「ん? そうなの? (電話の向こうにいるらしき父に向かって)そうなの? 23日慰霊の日?!」
と聞いている母。
6月23日が慰霊の日と気付かない日常の沖縄の今の暮らし。
沖縄の人って、特に戦争を体験されたおじぃちゃん、おばぁちゃん達はほとんどの方々が語ろうとしないのです。
私も小さい頃、沖縄戦を本で知りましたが私が生まれるもっともっと大昔の事と思って読んでいました。
当時はまだ数十年しか経っていないのに。
沖縄戦体験者の方は、子や孫に語り継ぐ事は殆どされていないのではないかと思います。
ですが、どうしてか、未だに掘り起こされる遺骨収集にご参加されている方の多くは沖縄県外の方のように思います。
数年前、あるブログ記事をきっかけに今も交流させて頂いている埼玉県在住のNさんという方がおりますが、その方はもう何十年も冬の沖縄にいらっしゃって、雨のぬかるんだ日でも、日照りの日も、ご自身の危険を承知の上、足場の悪いジャングルの奥地まで沖縄戦で亡くなったお遺骨を収集する事にご尽力されております。
Nさんを通して平和学習活動をされている沖縄の方に当時の壕を案内して頂き、当時この壕におられた方の体験談をうかがった事があります。
「壕の暗闇が我が子の死も見えないよう隠してくれたので悲しさはあまり無かった」
「壕の暗闇が周りで死体の山となっている惨状も見えないようにしてくれた」という言葉には胸が詰まりました。
そして壕の中で疑似体験という事で、「静かに目を瞑ってごらん」という言葉に、声も発さず物音も立てないよう、ひっそりと敵から身を隠して必死になって逃げている当時の人の追い込まれた状況が少し垣間見えたように思いました。
沖縄戦をテーマにした映画など多くありますが、実際はあんなもんじゃなかったと思います。
広島や長崎の原爆の悲惨さも、映画で写し出される何十倍も悲惨だったでしょう。
更に沖縄戦の体験者は大東亜戦争唯一の住民を巻き込んだ激しい地上戦が故の悲しいお話も沢山あります。
捕虜になる前に、自ら自身の家族を手にかける、崖から飛び降りて自決する…など。
撃たれて瀕死の状態になった友人や家族、恋人を見捨て立ち去らざるをえなかったあの当時は、口を閉じて生涯胸にしまいたくなると思います。
沖縄戦はこのようにして米軍が進出し、司令部があった首里を占拠された後、戦線は南下し糸満市摩文仁が最後の激戦地となりました。
小さい頃見ていた『これが沖縄戦だ!』というタイトルの本に掲載されていたこの子は、最近は動画もよく見るようになりましたよね。
病的に大きく震えるこの子の体を見た時、とてもショックだった事を覚えています。
沖縄戦では1/4の住人が亡くなったとされています。
私の実家のある豊見城市も同じく4人に1人の割合で亡くなったそうで、当時はどこもかしこも死体が転がっていたようです。
4人に1人の割合って高確率で戦死したんだと知った時、私の命はおじぃちゃんやおばぁちゃんが雨霰と降ってくる爆弾や艦砲撃の中必死で逃げ回り、更に戦後の貧しい沖縄で逞しく繋いでくれた命なんだと気付きました。
私の友人達や周囲の方々も、残されて繋いできた尊い命なんだと思うと友人や周囲の方々にも自然と愛情が湧いてきます。
さきほど話したお遺骨収集をされているNさんに何年か前に、「机上の話より未だに集骨されずに野ざらしになっている戦死者の骨を実際見る方が何十倍も心に強く残り感慨深いと思うよ」と促されて、うっそうと茂る山の中に入った事があります。
遺骨収集団と記録を取りながら集骨する為に前以て探索されるらしく、その日も前日に発見したというお遺骨を見せて頂きました。
戦後、何十年も経っているのに未だ亡くなったままの状態で放置され、野ざらしのままでお遺骨は時間の経過と共にコケを纏ってその辺の景色と同化していました。
Nさんは元自衛官という事もあり、また沢山の沖縄戦で亡くなったお遺骨を見てこられた経験から、
「下顎が無くなったこのお遺骨は、爆弾が直撃したか、あるいは近くで落ちた爆弾の破片が致命傷になったかもしれないね」と話していました。
その場で言葉を失った私は、これまで経験した事が無いほど胸が締め付けられる気持ちになりました。
Nさんが、「こんな所に1人で逃げて来たんだね。戦時中は沖縄は一体焼け野原になっているからこんな森や茂みも無かっただろうから、どんな想いでこの方はここで最期を遂げたんだろうね」と静かに話される言葉を涙を我慢して聞いていた覚えがあります。
どれくらいいたか分かりませんが、手を合わせて山を降りて車に乗った途端、大雨が降ってきたのですが、Nさんが、「見つけてくれてありがとうって言っている涙雨かもしれないね」と仰った時、私が小さい頃から知っていた以上の我がふるさとの沖縄戦を知ったように想いました。
そんな沖縄戦終焉の地の摩文仁の丘では今日、鎮魂の祈りが捧げられました。
私は去年の夏に初めて平和の礎を訪れました。
摩文仁の丘は木々の緑と海の碧が相俟った、とても綺麗な場所です。
沖縄戦の全戦没者の名前を刻んだ平和の礎を初めて見た時、圧巻でした。
家族で訪れたのですが、両親がふと刻まれた名前を指差しながら、「おじぃのお兄さんだよ」とか、「身内だよ」とかあまりにも沢山の身内が沖縄戦で亡くなっていると今更ながら知って実は唖然としました。
沖縄で生まれた沖縄っ子ですから、あんなに熾烈な沖縄戦で亡くなった身内はいるだろうと漠然と分かってはいましたが、礎に記載されている沖縄の住所毎に、亡くなった身内がいるんじゃないかと聞くのが怖くなりました。
こんなに綺麗な海が見えるここで、かつて激闘が行われ、沢山の死体が転がる恐ろしい場所だったと誰が想像できるでしょうか。
でもこの摩文仁の丘はまぎれもなく終焉の地であり、綺麗な碧い海はかつて艦砲の群がずっと向こうまで海が埋め尽くされるほど停泊していたそうです。
おびただしい数の艦砲から打ち落とされる砲弾は摩文仁の地形を変えたそうです。
そして前線となったこの場所に逃げていた住民は逃げ場を失い、この丘から身を投げる悲しい場所でもありました。
今では、ホエールウォッチングもできる綺麗な碧い海ですが。
そして今日、札幌でも慰霊の式典があったそうです。
沖縄戦には沢山の本土出身者が亡くなっており、摩文仁の丘にも全国の慰霊碑が建っておりますがその中でも北海道出身者の戦没者は多いそうです。
1ヶ月前、偶然に沖縄戦で亡くなった豊頃出身者の方の記事が出ていたので普段新聞は読まない私ですが買いました。
沖縄の住民も多く巻き込まれた戦争ですが、遠く故郷を離れて亡くなった北海道出身者もおられるのです。
戦争は悲しみだけしか残しませんし、またその悲しみも癒えずに永く残ってしまいます。
今日、沖縄は慰霊の日です。
今のこの平和は、当時の方の悲しみの上に成り立っているということに想いを馳せてみませんか?
今日は長いお話になってしまいましたが、ぜひ私の出身地沖縄の事、沖縄戦の事、70年目の節目という事で、想いを書いてみました。
最後までお読み頂きありがとうございました。
お遺骨収集をされているNさんのブログはこちら⇒ 『遺骨収集の記録 南部戦跡に膝をつきて ― 沖縄本島南部戦跡における遺骨収集記録集 ― 』
E-ori's5 NAILPRODUCE(イオリズファイブネイルプロデュース)です。
6月23日の今日は、皆さん何の日かご存知ですか?
TVでも取り上げられていますのでご存知の方もおられると思います。
6月23日は、「沖縄慰霊の日」です。
私の出身地沖縄は、今日が沖縄戦の終結日とされており、学校もお休みになります。
6月23日は沖縄では組織的戦闘が終結した日とされている日です。
戦後70年の今年、先ほどTVでも最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では午前11時50分から、「戦後70年沖縄全戦没者追悼式」が開かれましたが、遺族の高齢化が顕著ですよね。
沖縄県南部にある糸満市辺りには、沢山の戦跡、慰霊碑がありますが個人で建立された慰霊碑などはご遺族がご高齢になるにつれ訪れる人が少なくなり淋しくひっそり佇んでいる慰霊碑もあるようです。
70年目の節目の今年、私は沖縄に帰ろうと去年から決めていたのですが両親が「もったいないから」と言うのでやめました(苦笑)
それよりも、
私「今年戦後70年目だから6月23日帰ろうと思っているけど」
母「ん? そうなの? (電話の向こうにいるらしき父に向かって)そうなの? 23日慰霊の日?!」
と聞いている母。
6月23日が慰霊の日と気付かない日常の沖縄の今の暮らし。
沖縄の人って、特に戦争を体験されたおじぃちゃん、おばぁちゃん達はほとんどの方々が語ろうとしないのです。
私も小さい頃、沖縄戦を本で知りましたが私が生まれるもっともっと大昔の事と思って読んでいました。
当時はまだ数十年しか経っていないのに。
沖縄戦体験者の方は、子や孫に語り継ぐ事は殆どされていないのではないかと思います。
ですが、どうしてか、未だに掘り起こされる遺骨収集にご参加されている方の多くは沖縄県外の方のように思います。
数年前、あるブログ記事をきっかけに今も交流させて頂いている埼玉県在住のNさんという方がおりますが、その方はもう何十年も冬の沖縄にいらっしゃって、雨のぬかるんだ日でも、日照りの日も、ご自身の危険を承知の上、足場の悪いジャングルの奥地まで沖縄戦で亡くなったお遺骨を収集する事にご尽力されております。
Nさんを通して平和学習活動をされている沖縄の方に当時の壕を案内して頂き、当時この壕におられた方の体験談をうかがった事があります。
「壕の暗闇が我が子の死も見えないよう隠してくれたので悲しさはあまり無かった」
「壕の暗闇が周りで死体の山となっている惨状も見えないようにしてくれた」という言葉には胸が詰まりました。
そして壕の中で疑似体験という事で、「静かに目を瞑ってごらん」という言葉に、声も発さず物音も立てないよう、ひっそりと敵から身を隠して必死になって逃げている当時の人の追い込まれた状況が少し垣間見えたように思いました。
沖縄戦をテーマにした映画など多くありますが、実際はあんなもんじゃなかったと思います。
広島や長崎の原爆の悲惨さも、映画で写し出される何十倍も悲惨だったでしょう。
更に沖縄戦の体験者は大東亜戦争唯一の住民を巻き込んだ激しい地上戦が故の悲しいお話も沢山あります。
捕虜になる前に、自ら自身の家族を手にかける、崖から飛び降りて自決する…など。
撃たれて瀕死の状態になった友人や家族、恋人を見捨て立ち去らざるをえなかったあの当時は、口を閉じて生涯胸にしまいたくなると思います。
沖縄戦はこのようにして米軍が進出し、司令部があった首里を占拠された後、戦線は南下し糸満市摩文仁が最後の激戦地となりました。
小さい頃見ていた『これが沖縄戦だ!』というタイトルの本に掲載されていたこの子は、最近は動画もよく見るようになりましたよね。
病的に大きく震えるこの子の体を見た時、とてもショックだった事を覚えています。
沖縄戦では1/4の住人が亡くなったとされています。
私の実家のある豊見城市も同じく4人に1人の割合で亡くなったそうで、当時はどこもかしこも死体が転がっていたようです。
4人に1人の割合って高確率で戦死したんだと知った時、私の命はおじぃちゃんやおばぁちゃんが雨霰と降ってくる爆弾や艦砲撃の中必死で逃げ回り、更に戦後の貧しい沖縄で逞しく繋いでくれた命なんだと気付きました。
私の友人達や周囲の方々も、残されて繋いできた尊い命なんだと思うと友人や周囲の方々にも自然と愛情が湧いてきます。
さきほど話したお遺骨収集をされているNさんに何年か前に、「机上の話より未だに集骨されずに野ざらしになっている戦死者の骨を実際見る方が何十倍も心に強く残り感慨深いと思うよ」と促されて、うっそうと茂る山の中に入った事があります。
遺骨収集団と記録を取りながら集骨する為に前以て探索されるらしく、その日も前日に発見したというお遺骨を見せて頂きました。
戦後、何十年も経っているのに未だ亡くなったままの状態で放置され、野ざらしのままでお遺骨は時間の経過と共にコケを纏ってその辺の景色と同化していました。
Nさんは元自衛官という事もあり、また沢山の沖縄戦で亡くなったお遺骨を見てこられた経験から、
「下顎が無くなったこのお遺骨は、爆弾が直撃したか、あるいは近くで落ちた爆弾の破片が致命傷になったかもしれないね」と話していました。
その場で言葉を失った私は、これまで経験した事が無いほど胸が締め付けられる気持ちになりました。
Nさんが、「こんな所に1人で逃げて来たんだね。戦時中は沖縄は一体焼け野原になっているからこんな森や茂みも無かっただろうから、どんな想いでこの方はここで最期を遂げたんだろうね」と静かに話される言葉を涙を我慢して聞いていた覚えがあります。
どれくらいいたか分かりませんが、手を合わせて山を降りて車に乗った途端、大雨が降ってきたのですが、Nさんが、「見つけてくれてありがとうって言っている涙雨かもしれないね」と仰った時、私が小さい頃から知っていた以上の我がふるさとの沖縄戦を知ったように想いました。
そんな沖縄戦終焉の地の摩文仁の丘では今日、鎮魂の祈りが捧げられました。
私は去年の夏に初めて平和の礎を訪れました。
摩文仁の丘は木々の緑と海の碧が相俟った、とても綺麗な場所です。
沖縄戦の全戦没者の名前を刻んだ平和の礎を初めて見た時、圧巻でした。
家族で訪れたのですが、両親がふと刻まれた名前を指差しながら、「おじぃのお兄さんだよ」とか、「身内だよ」とかあまりにも沢山の身内が沖縄戦で亡くなっていると今更ながら知って実は唖然としました。
沖縄で生まれた沖縄っ子ですから、あんなに熾烈な沖縄戦で亡くなった身内はいるだろうと漠然と分かってはいましたが、礎に記載されている沖縄の住所毎に、亡くなった身内がいるんじゃないかと聞くのが怖くなりました。
こんなに綺麗な海が見えるここで、かつて激闘が行われ、沢山の死体が転がる恐ろしい場所だったと誰が想像できるでしょうか。
でもこの摩文仁の丘はまぎれもなく終焉の地であり、綺麗な碧い海はかつて艦砲の群がずっと向こうまで海が埋め尽くされるほど停泊していたそうです。
おびただしい数の艦砲から打ち落とされる砲弾は摩文仁の地形を変えたそうです。
そして前線となったこの場所に逃げていた住民は逃げ場を失い、この丘から身を投げる悲しい場所でもありました。
今では、ホエールウォッチングもできる綺麗な碧い海ですが。
そして今日、札幌でも慰霊の式典があったそうです。
沖縄戦には沢山の本土出身者が亡くなっており、摩文仁の丘にも全国の慰霊碑が建っておりますがその中でも北海道出身者の戦没者は多いそうです。
1ヶ月前、偶然に沖縄戦で亡くなった豊頃出身者の方の記事が出ていたので普段新聞は読まない私ですが買いました。
沖縄の住民も多く巻き込まれた戦争ですが、遠く故郷を離れて亡くなった北海道出身者もおられるのです。
戦争は悲しみだけしか残しませんし、またその悲しみも癒えずに永く残ってしまいます。
今日、沖縄は慰霊の日です。
今のこの平和は、当時の方の悲しみの上に成り立っているということに想いを馳せてみませんか?
今日は長いお話になってしまいましたが、ぜひ私の出身地沖縄の事、沖縄戦の事、70年目の節目という事で、想いを書いてみました。
最後までお読み頂きありがとうございました。
お遺骨収集をされているNさんのブログはこちら⇒ 『遺骨収集の記録 南部戦跡に膝をつきて ― 沖縄本島南部戦跡における遺骨収集記録集 ― 』
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