2008年12月13日(土)
80S インディーズ・シーン
ひとりごと×61
今回だけ・・・あぁ~今回だけ・・多分
99%の方が意味不明な事を語らせて下さい。
しかも、ほとんどが私の 曖昧な記憶に基く お話しなので審議の程はご容赦お願いします。
非常に長文のため興味のある方だけ、お付合い下さい。
みなさんスマナンダ~。
まず、赤い矢印のバンドがお分かりでしょうか?
『 X JAPAN 』の前身『X』である。
そう、この時 彼らのレコードは まだ1バンドだけでは、思うようなセールスを上げれずにいた。
当時のインディーズは今と違い、メジャーとは完全な線引きの元に、実に誇り高いバンドが多かった。
当時、インディーズ・レーベルの最大手「ナゴムレコード」の社長であったケラ(有頂天Vo)がNHKの取材に対し
「ノー! メジャー イカナ~イ!」
と英語ちょうの、バリバリの日本語で答えている。
当時のインディーズ・バンドは皆、口を揃えてそう言い、彼らは野音(日比谷野外大音楽堂)を聖地とし武道館を忌み嫌った。
なぜか? それはファンがそれを望まなかったからである。
もっと言うと最高の箱は「新宿LOFT」であった。
ファンは小さな箱で一緒に盛り上がる一体感、そう、ライブよりギクを求めていたからだろう。
確か『サザン・オール・スターズ』等も「新宿LOFT」出身。
メジャーへの転向を表明する事は、今までのファンを失う事を意味していた。
しかしバンド側は、もっと大きなキャパで活動してみたいという当然の欲求がある。
そんな、空気の中、一つのバンドがメジャーデビューを表明する。
『ラフィン・ノーズ』である。
『X』とは確か、同時期だったように記憶しているが、この辺は曖昧。
それに触発され『ザ・ストリート・スライダーズ』が武道館ライブを発表する。
この宣伝文句の中に当時の苦悩を見て取れる。
やはり、彼らにとって危険な賭けであったと思う。
時を同じくして、当時『ラフィン・ノーズ』と共にインディーズ界の人気を二分していた『ザ・ウィラード』までもがメジャー転向を表明。
「あのビートルズやピストルズと同じ、東芝EMIだから・・・」と言い訳をしながらのデビューだった。
夜のヒットスタジオに出演した直後に札幌で行われたライブを見に行ったとき、ステージでファンに「スマナンダ~」と言っていた。
翌日の「札幌ペニーレーン」で行われたシークレット・ギグはインディーズの匂いをプンプンさせた最高のものだった。
結果、ドル箱スターを失った「ナゴムレコード」社長のバンド『有頂天』も引きずられる様にメジャーデビューをする。
実際には、メジャーとインディーズの両方から曲をリリースしている柔軟な『ザ・スターリン』なども居るのだが、当時どうしても形に拘るバンドが大多数だった。
しかし、そんな中 レコードもカセットも出さず、ひたすらライブに拘り続けて、ついに豊島公会堂を たった一バンドで一杯にするバンドが現れる。
まさに彗星の様に現れ、インディーズ・レーベルのバンドを嘲笑うかのように、メジャー・デビューを果し、一気にスターダムを駆け上がっていく。
『ザ・ブルー・ハーツ』である。
バンド結成2年目、この時の持ち歌は、たった25曲であった。
インディーズの形に拘り(囚われ)、すぐに消えていった多くのバンドの中
形を変えて、今も歌い続けている 数少ないアーティストだと思う。
99%の方が意味不明な事を語らせて下さい。
しかも、ほとんどが私の 曖昧な記憶に基く お話しなので審議の程はご容赦お願いします。
非常に長文のため興味のある方だけ、お付合い下さい。
みなさんスマナンダ~。
まず、赤い矢印のバンドがお分かりでしょうか?
『 X JAPAN 』の前身『X』である。
そう、この時 彼らのレコードは まだ1バンドだけでは、思うようなセールスを上げれずにいた。
当時のインディーズは今と違い、メジャーとは完全な線引きの元に、実に誇り高いバンドが多かった。
当時、インディーズ・レーベルの最大手「ナゴムレコード」の社長であったケラ(有頂天Vo)がNHKの取材に対し
「ノー! メジャー イカナ~イ!」
と英語ちょうの、バリバリの日本語で答えている。
当時のインディーズ・バンドは皆、口を揃えてそう言い、彼らは野音(日比谷野外大音楽堂)を聖地とし武道館を忌み嫌った。
なぜか? それはファンがそれを望まなかったからである。
もっと言うと最高の箱は「新宿LOFT」であった。
ファンは小さな箱で一緒に盛り上がる一体感、そう、ライブよりギクを求めていたからだろう。
確か『サザン・オール・スターズ』等も「新宿LOFT」出身。
メジャーへの転向を表明する事は、今までのファンを失う事を意味していた。
しかしバンド側は、もっと大きなキャパで活動してみたいという当然の欲求がある。
そんな、空気の中、一つのバンドがメジャーデビューを表明する。
『ラフィン・ノーズ』である。
『X』とは確か、同時期だったように記憶しているが、この辺は曖昧。
それに触発され『ザ・ストリート・スライダーズ』が武道館ライブを発表する。
この宣伝文句の中に当時の苦悩を見て取れる。
やはり、彼らにとって危険な賭けであったと思う。
時を同じくして、当時『ラフィン・ノーズ』と共にインディーズ界の人気を二分していた『ザ・ウィラード』までもがメジャー転向を表明。
「あのビートルズやピストルズと同じ、東芝EMIだから・・・」と言い訳をしながらのデビューだった。
夜のヒットスタジオに出演した直後に札幌で行われたライブを見に行ったとき、ステージでファンに「スマナンダ~」と言っていた。
翌日の「札幌ペニーレーン」で行われたシークレット・ギグはインディーズの匂いをプンプンさせた最高のものだった。
結果、ドル箱スターを失った「ナゴムレコード」社長のバンド『有頂天』も引きずられる様にメジャーデビューをする。
実際には、メジャーとインディーズの両方から曲をリリースしている柔軟な『ザ・スターリン』なども居るのだが、当時どうしても形に拘るバンドが大多数だった。
しかし、そんな中 レコードもカセットも出さず、ひたすらライブに拘り続けて、ついに豊島公会堂を たった一バンドで一杯にするバンドが現れる。
まさに彗星の様に現れ、インディーズ・レーベルのバンドを嘲笑うかのように、メジャー・デビューを果し、一気にスターダムを駆け上がっていく。
『ザ・ブルー・ハーツ』である。
バンド結成2年目、この時の持ち歌は、たった25曲であった。
インディーズの形に拘り(囚われ)、すぐに消えていった多くのバンドの中
形を変えて、今も歌い続けている 数少ないアーティストだと思う。
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