202341(土)

恩師から頂いた絵 (2) 堀江道雄先生


恩師から頂いた絵 (2) 堀江道雄先生

 恩師の二人目は堀江道雄先生だ。1年目にドイツ語を教えて頂いた。度々教官室にお邪魔して 親しくお話を伺うこともあった。先生は山登りの愛好家で 身なりはあまり気にしないが清潔感のある大柄のイメージだった。初夏の頃 茨城の私の実家から送られてきたメロンを差し上げたら そのお礼で3メートル位の巻紙のお手紙を頂いて驚き恐縮した。内容はメロンの謝意とその頃に行った札幌岳近くのガマ沢川の沢登りの随想だった。約1/3はスケッチ風の水彩画で 先生は焚き火の横で 仲間はフキの葉屋根の仮小屋でくつろぐ様子が描かれていた。沢の流れと焚火の音が聞こえる絵だ。

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 当時はメロンは初夏にならないと出回らない貴重品ではあったが 部屋の中に広がるメロンの匂いは季語だったのかもしれない。

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 残念なことに保管が悪くて変色した部分もあるが その晩の夕食のメニューは イワナの塩焼き・羊肉の石焼き・焼きナスの沢水冷やし・ピーマンの串焼き・ブランデーティー とある。

 私にとっての堀江先生は 最近のWBCでの「村上選手・栗山監督の関係」に似ていたのかも知れない。当時の自分は勉強もしないでクラブにうつつを抜かすダメ学生で 語学では予習をしないのは話にならないのに それでも先生の部屋に出入りしていたのだからひどい鉄面皮だった。
 その講義のテキストは”Eis und Gletscher”(氷と氷河)だった。この主題もあってか 「次回はあなたに 一人でやってもらうから」と言われた。当日も予習をしないで出向き 丸一時間(90分)一人で逐語訳をやることになってしまった。もちろんシドロモドロになったが 先生は我慢強く続けてくれた。また この荒療治に付き合ってくれたクラスメイト達にも迷惑をかけた。これは先生が私を励ますためだったのは明らかで 「あきらめずに使い続けるのは村上・栗山の関係と同じ」だが 「最後までダメだったのは大きく違う」。本当に情けないことだった。
 その時以来 講義には出なくなってしまい 当然 ドイツ語は不可で 卒業まで再履修を受けることになった。この失敗はほぼ半世紀を経た今でも「大きな後悔」として残っている。あの時に一念発起していたら 私の人生もだいぶ変わったものになったと思う。
 先生の専門はドイツ文学だが 研究論文をたくさん書いて昇進するとかは無縁とお考えだったようで 「何が本質なのかを考えることが大切だ」 と常々言っておられた。その頃に伺ったことの一つ一つが自分の心の支えになり 恥ずかしい大失敗がその後の自分を鼓舞してくれたと思うし 今も続いている。先生とのかかわりを今流の教育論に変質させるつもりは全くなく ただただ先生のご配慮に感謝している。






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Elmtree
 もともとアウトドア大好き人間ですが 時間の制約から残念な思いをしてきました。2019年春に友人の協力を得て 十勝清水にMountain Cabinを自作するプロジェクトを始めました。若者を巻き込んで いつでもバトンタッチできる体制を心がけています。また近くの「遊び小屋コニファー」は アウトドアの大先輩としてリスペクトしています。なお 街・探検・文化については別ブログにしました。Elmtree2をご覧ください。

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