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2023519(金)

手稲パラダイスヒュッテ 春の朝


手稲パラダイスヒュッテ 春の朝

 札幌圏の5月14日の日の出は午前4時13分だった。こうなるとどうしても早く目が覚めてしまう。(写真の二重窓は優秀で約30年たってもガタが無い)

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 仕方ないので朝の散歩をすることにした。外気温は5℃。

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 朝日が昇ってくる。なかなか爽やかだ。

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 ヒュッテの窓にも朝日が映っている。

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 手稲の山頂はもう完全に明るい。少し早ければきれいなモルゲンロートだったかも知れない。

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 回りの白樺林も明るくなってきた。山親父の心配もあるのであまり遠くには行かなかった。

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 散歩から戻り メールをチェックしてから朝食を作った。湯通し野菜と自然酵母パン・チーズ・玉子焼き それとコーヒー・オレンジジュース。これで十分だ。なおこのヒュッテでは冷蔵庫が無いのがちょっと残念。

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 補足だが 最近亡くなった愛犬シュバはこのヒュッテによく出入りさせてもらった。宿泊者もいなかったので 遺骨の記念写真を撮らせていただいた。感謝。



2023518(木)

手稲パラダイスヒュッテ 堅牢な作り


手稲パラダイスヒュッテ 堅牢な作り

 5/13-14は年一度のパラダイスヒュッテの小屋番だった。薪作りの場所から 午後1時ごろに手稲山に向かう。手稲山も北側から見ると荒々しい火山の面影がある。

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 初めて気が付いたが 国道から登り始めてすぐに北海道新幹線トンネル工事の現場があった。旧千尺ゲレンデの下方になる。(写真は帰り道に撮影)

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 駐車スペースからの山頂を望む。新緑前の時期でも木々の色は微妙に違うことに驚く。

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 一年ぶりのパラダイスヒュッテ。2代目は再建されてから30年も経過したが実にしっかりしている。
 約50年前に初代パラダイスヒュッテ(当時は築45年)に行った時 1階に寝かされたのだが 壁のログの隙間や床から外気が吹き込んで寒くて震えていたのを思い出す。それぐらい初代の建付けはひどかった。

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 1階の居間・食堂にマックス・ヒンデルが1925年に描いた概念図(設計図)がある。初代の創建は1926年。

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もちろん 1994年建築の二代目でも玄関・ストーブ・台所などもそのまま再現されている。

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 2階は寝室で当初はベッドだった。30人は楽に宿泊できる。

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 初代は束石を使った構造で地下室は無かったが 2代目はコンクリートの基礎で その中に研修室と水洗トイレなど今流の設備が組み込まれて堅牢な作りだ。これは山スキーOBを主体とした再建委員会の尽力のおかげだろう。

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 この日は宿泊者もなかったので 夕食は極めて簡単。ラム肉をたっぷり入れた野菜炒めだ。山小屋では本来こういうシンプルな食事で十分なのだ。あとは薪ストーブの近くで読書と居眠り。小屋番として結構な幸せを味わった。



2023513(土)

友人のネパール土産


友人のネパール土産

 GWを挟んだ休暇を使って A氏を筆頭とする友人たちがネパール・ヒマラヤのトレッキングに出かけたようだ。それに夫妻で参加したT氏からお土産を頂いた。
 「ネパール・ヒマラヤの卓上カレンダー」は十勝ヒュッテで使うのにテーマもサイズも良く合っている。
 「民族スタイルの小銭入れ?」はとてもチャーミングだ。この刺繡は額に点があるのでブッダの顔だろうか。有り難く使わせて頂く。
 そういえば 約50年前の学生時代 身近な友人たちの間でインド旅行とかヒマラヤ遠征がはやっていた。ネパールに行ったら 皆が「ヤクの毛で織った肩掛けかばん」を買ってきて自慢げに使っていた。薄汚れたグレーの毛布のような生地で ヒラヒラの糸飾りがついていた。だから何だというわけではないが 今回のお土産を見てフと思い出した。半世紀の間にネパールのセンスは伝統を残しつつも確実に良くなっていると思う。



2023420(木)

高齢者マークを付けることにした


高齢者マークを付けることにした

 「高齢者運転標識(もみじマーク)」は「色付きのよつ葉クローバでカッコ悪い」「歳は取りたくない」という潜在意識のためか ちゃんとしないで今まで来てしまった。調べてみると 義務・努力目標・罰則あり・なしなどの紆余曲折を経て 現在の道交法では「75歳以上は義務 70歳以上は努力義務で不掲示の罰則無し」だそうだ。もちろん マーク付きの車への「幅よせ・割り込みなどは違反で反則金(5000~7000円)あり」だ。

 ビッグホーンに乗っている時は (勿論ウインカーを付けて)右左に曲がるのに支障を感じたことは無かった。たが パジェロミニに切り替えた途端に 車線変更でクラクションを鳴らされることが何回もあった。ふと思ったのは 「軽自動車は甘く見られているのでは」ということ。腹は立たないが 「近頃の日本人は寛容性が無くなったな」と嘆いていた。とはいえ「年齢とともに出るモタモタ」の可能性もあり得る。

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 最近乗り換えたテリオスキッドはマニュアル車のため この傾向は強くなる恐れがある。他車への迷惑や安全性を考えると「いよいよ高齢者マークだろう」との結論に達した。ということで4月17日(愛犬の命日)から表示し始めた。マーク自体は百円ショップで一個100円だった。
 シルバーの車で黄色ナンバー それに高齢者マークの組み合わせはダサい極地だが仕方なし。もちろん 他者・自己の安全に一層注意したいと思う。

追記: 偶然だが あの池袋高齢者暴走事故(母娘死亡 9名負傷)は今日だったそうだ。もう4年もたつのか。自戒せねば。



2023411(火)

八木健三先生の画文集「私のワンデリング」を見つけた


八木健三先生の画文集「私のワンデリング」を見つけた

 22年10月24日のマイ十勝に恩師の一人の八木健三先生から頂いた絵を紹介した。先生の画文集を持っていたのを思い出したが 残念ながら引越しで紛失したらしい。先週 古書ネットオークションで見かけたら 何と500円スタート。これは買わねばとポチしたら 幸運にもそのまま落札。福島県いわき市の阿武隈書房の出品だった。きれいに保管されていたものが到着。知人への献辞と先生の署名付だったのには驚いた。

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 この画文集 「私のワンデリング」は先生の退官記念事業として1978年7月に北大ワンゲル部・OB会から刊行され 親交のあった坂本直行さんが序文を寄せている。

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 内容はニセコが一番多い。これはクラブの冬合宿がニセコで行われていたためだろう。なお現在でもこの冬合宿は行われている

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 比羅夫から見た羊蹄山。地質学者らしく噴火口などが丁寧に描かれている。比羅夫スキー場から眺めるとここまで細かくは見えないので鳥観図的だと思う。

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 ニセコ五色温泉が定宿で 山スキーは自分には地獄だったが 夜は有名な露天風呂に入り極楽の毎日だった。先生は毎回3-4泊して 学生と一緒に山スキーをやられた。かなりの腕前だった。

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 札幌近郊の山々では奥手稲山の家も紹介。

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 これは手稲山の中腹にあった初代パラダイスヒュッテ。学生のスキー練習の場だったが 先生もよく来られた。

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 日高山脈も複数枚含まれている。

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 先生の仕事柄 海外の山も含まれ ヨーロッパアルプスやロッキー山脈のものが多い。
 改めて各ページを見直すと 先生の絵は「雰囲気は直行さんと似ているが 地質学者の野帳(フィールドノート)の延長」と思う。先生がお亡くなりになってもう十年近くたつ。画文集は今でも変わらずに当時を伝えてくれて いいものだ。

追記: 絵をブログに掲載するには版権者の承諾が必要だが 自分もその一員だし 本の紹介として容認頂けると思う。ただし このブログを引用する場合は直接原本からにして頂きたい。



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Elmtree
 もともとアウトドア大好き人間ですが 時間の制約から残念な思いをしてきました。2019年春に友人の協力を得て 十勝清水にMountain Cabinを自作するプロジェクトを始めました。若者を巻き込んで いつでもバトンタッチできる体制を心がけています。また近くの「遊び小屋コニファー」は アウトドアの大先輩としてリスペクトしています。なお 街・探検・文化については別ブログにしました。Elmtree2をご覧ください。

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