a 他トピック Others(208)
2023年8月12日(土)
コロナ感染 最近の事情
a 他トピック Others×208

ワクチンを6回も受けたのに コロナに感染してしまった。
10日ほど前 喉の状態が急に悪くなり 38℃の熱が出た。「いよいよ来たか!」と思ったが一晩で平熱レベルまで下がった。早速 検査キット(抗体検査)を入手して 使用書通りにやった(つもり)。写真のように陰性と出た。
一応は市販の解熱剤を飲んで安静にしていたが 咳は完治しなかった。「さては夏風邪かインフルだろう」と考え いつもの内科に行ったら「今週の発熱外来は全て埋まりました」とつれない。仕方がないので知り合いのクリニックに泣きついたら「屋外の発熱外来」で対応してくれた。
ファストフードのテクアウトのようなもので 防護をした検査員が現れて 喉の検体採取をしてくれた。写真はルームミラーで見た後続車の状況で左右逆転。患者は助手席にいて検体を採取してもらったようだ。
携帯にお医者さんから電話があり「やはり陽性でしたよ」「エッー」てな具合だ。「咳が残っているんですが」「薬を出します」「今後の対応は紙を渡すのでその通りやってください」とのこと。
診断書と請求書が来て 薬局から薬を渡された。ナニナニ「発症から5日間は外出自粛」「6日に解除で 10日まではマスク着用・ハイリスク者との接触を自粛」になってるんだ。
最近 コロナ感染は増えていて しかし皆んなワクチンを受けているので カッと熱が出るがすぐに症状が収まるんだそうだ。しかしあのガッツン感は並みの風邪やインフルとは違いますね。亡くなる方がいてもおかしくはない。莫大な国費を投じたワクチンの効果は確かにあることを実感した。
コロナが始まってほぼ3年半だ。医療側も患者側も今でこそ多少は慣れたが 最初の頃は本当に大変だったろうと思う。
10日ほど前 喉の状態が急に悪くなり 38℃の熱が出た。「いよいよ来たか!」と思ったが一晩で平熱レベルまで下がった。早速 検査キット(抗体検査)を入手して 使用書通りにやった(つもり)。写真のように陰性と出た。
一応は市販の解熱剤を飲んで安静にしていたが 咳は完治しなかった。「さては夏風邪かインフルだろう」と考え いつもの内科に行ったら「今週の発熱外来は全て埋まりました」とつれない。仕方がないので知り合いのクリニックに泣きついたら「屋外の発熱外来」で対応してくれた。

携帯にお医者さんから電話があり「やはり陽性でしたよ」「エッー」てな具合だ。「咳が残っているんですが」「薬を出します」「今後の対応は紙を渡すのでその通りやってください」とのこと。

最近 コロナ感染は増えていて しかし皆んなワクチンを受けているので カッと熱が出るがすぐに症状が収まるんだそうだ。しかしあのガッツン感は並みの風邪やインフルとは違いますね。亡くなる方がいてもおかしくはない。莫大な国費を投じたワクチンの効果は確かにあることを実感した。
コロナが始まってほぼ3年半だ。医療側も患者側も今でこそ多少は慣れたが 最初の頃は本当に大変だったろうと思う。
2023年8月11日(金)
カラスの事故・襲撃・困った
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昨日の夕刻 帰宅途中でハザードランプの車の後ろにたまたま付いてしまった。これがいつまでたっても動かない。イライラしていたらやっと動いた。で 前を見たら 「左車線の真ん中でカラスがよたよた」している。動いても車線からは出ていかない。
横の車線では別のカラスがシッカリと見張っていた。
そのうち前のカラスが見えなくなったので「車の下にもぐりこんだかな?」「鳥インフルで野鳥には触りたくない」「轢き殺すのはいやだな」と思いつつ確認しようと外に出たら 「バサッ」と頭を蹴られた。「これはヤバい」。あわてて戻って ドアを閉めた。
通りの人も遠巻きにして通ったり サッと頭をやられたりしている。これではどうにもならんので警察に電話した。「すぐ行かせますね」と言われたが なかなか来ない。
結局30分ほどでヘルメットの隊員の方2人が来てくれた。「あそこにいるんですが」と言ったら 「まだ生きているので我々も手出しができない」「気を付けて通ってくださいとしかいえないんですよ」「とにかく何とかしたいと思います」ということだった。
カラスと言えども轢き殺すわけにはいかないので 細心の注意で通り過ぎた。「困った・こわかった・ケガ無しで良かった・疲れた」で 45分もハザードランプをつけてしまった。




カラスと言えども轢き殺すわけにはいかないので 細心の注意で通り過ぎた。「困った・こわかった・ケガ無しで良かった・疲れた」で 45分もハザードランプをつけてしまった。
2023年8月10日(木)
十勝清水旭山で「シマエナガ」の小写真集
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シマエナガは北海道では12月~2月に人里に現れる冬の鳥で「雪の妖精」と呼ばれている。コットンのようなモフモフの外観とつぶらな瞳が可愛く その写真愛好家は多い。最近知り合になった写真家のOさんからシマエナガの小写真集を頂いたのでご紹介したい。
「シマエナガ」庭に来る雪の妖精 (しまうまプリント(https://www.n-pri.jp))自費出版だそうだ。
自宅庭にやってきたシマエナガを窓から撮影したとのこと。
いや~ 可愛いいし きれいだ。
雪上のシマエナガ。なお 夏は毛のふさふさがないので小振りのスズメに見えるらしい。
道道55から剣山神社に向かう分岐(旭山T字路)に旧旭山小学校が その隣に大矢商店がある。十年以上前に閉じたお店のスペースにこれらの写真作品が展示されていた。公開していないので 訪問時は左側の玄関から特別にお願いする必要がある。
「シマエナガ」庭に来る雪の妖精 (しまうまプリント(https://www.n-pri.jp))自費出版だそうだ。




2023年8月5日(土)
ボランティアの子ども食堂<タベルナ>
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中学時代の友人を数年ぶりに訪ねたら「今ボランティアに行くところだ 一緒に行こう 話は向こうでも出来る」と連れてかれてしまった。子ども食堂<タベルナ>キッズ王国というもので 初めて聞いた。
基本的にNPOが 主催して中学生以下のキッズと食べたりおしゃべりをするとのこと。<タベルナ>はギリシャ語で大衆食堂のことらしい。子供たちは屋外のテントで受付をする。
キッチンではボランティアが100個分の弁当を自作していた。なかなか立派な弁当で コンビニよりはいい。これを無料で配ると聞いて驚いてしまった。急遽参加の私は弁当の袋詰めを手伝うことになった。
出来た弁当は入口で配られ 室内で歓談しながら弁当を食べる。その後もゲームや短い講演などが催されていた。飛び入り参加の私としては 友人と十分に話は出来たし 皆様は忙しそうだったので 余分の弁当を頂いたのちに 引揚げさせてもらった。
単にボランティア活動というが「実にいろいろあるんだな」と驚き 「高齢者と子供の交流が計られている」ことに感心した。
基本的にNPOが 主催して中学生以下のキッズと食べたりおしゃべりをするとのこと。<タベルナ>はギリシャ語で大衆食堂のことらしい。子供たちは屋外のテントで受付をする。


単にボランティア活動というが「実にいろいろあるんだな」と驚き 「高齢者と子供の交流が計られている」ことに感心した。
2023年8月3日(木)
「植村冒険館」帯広との関係
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然別ネーチャーセンターに行った時に 植村冒険館が東京にあることを知った。最近 東京に出る機会があったので十勝ヒュッテに関係する友人Wさんに板橋区加賀の施設を案内してもらった。この冒険館は 元は板橋区蓮根にあったが 区立加賀スポーツセンター内に引っ越したらしい。
1階ロービーには 北極点到達の時のソリが展示されていた。復元かも知れない。
4階の会場には関係のパネルがたくさん展示されていた。
植村さんは犬ソリ北極点単独到達・グリーンランド縦断・世界五大陸最高峰登頂などで有名だが その冒険年表が目を引いた。中には「帯広冒険学校」の記述があったので 不思議に思い聞いたら「犬を帯広動物園に預かってもらた縁」だそうだ。
これはエベレスト登頂のものだ。
3階のギャラリーにも関係のパネル展示があった。犬ぞりの奮闘の様子がよくわかる。
彼は1984年(昭和59年)に国民栄誉賞を受けている。日本の素晴らしい冒険家であり 今後の若者に影響を与える人と思う。
各階段には彼の著書からの言葉がいくつか掲示されていた。中でもこの「準備、これがすべて」は名言と思う。
関連して気が付いたのは 手作りろ過器だ。なるほどと感心。
ロープの結び方の本もいくつか展示されていた。これは直接彼には関係はないのだろうが ここを利用する子供達への紹介だろう。結び方は勉強しなくてはと思いつつ 面倒で後回しになりがちだ。自分でも確認しておかねばと思っている。
植村さんは冒険学校に感心を持ち続けた方だそうだ。帯広郊外の八千代に帯広野外学校を作る時に尽力したとのこと。これはミネソタ野外学校で色々な基本を学んだことがその原点にあるらしい。
そういえばと思い出したことがある。30年ほど前 仕事の関係で米国ワシントン州に居住していた時に クラブの大先輩からメールで「山岳部の2名が今度行くので面倒見てやってくれ」と頼まれた。詳細は分からなかったが 何日かして仕事先に電話があり「今空港に着きました」とのこと。「どこの空港?」「シアトル!」「エッ!その空港は州の西側で 私のいるのは東側。300キロは離れているぞ。何で事前に詳細を連絡しなかったの!」 とにもかくにもルートを教え 翌日元気な若者2人がグレイハウンドの長距離バスで到着し 自宅に3泊して目的のミネソタの野外学校に旅立って行った。台風のような出来事だった。今からすれば この植村さんに影響を受けた若者達だったのだろう。









植村さんは冒険学校に感心を持ち続けた方だそうだ。帯広郊外の八千代に帯広野外学校を作る時に尽力したとのこと。これはミネソタ野外学校で色々な基本を学んだことがその原点にあるらしい。
そういえばと思い出したことがある。30年ほど前 仕事の関係で米国ワシントン州に居住していた時に クラブの大先輩からメールで「山岳部の2名が今度行くので面倒見てやってくれ」と頼まれた。詳細は分からなかったが 何日かして仕事先に電話があり「今空港に着きました」とのこと。「どこの空港?」「シアトル!」「エッ!その空港は州の西側で 私のいるのは東側。300キロは離れているぞ。何で事前に詳細を連絡しなかったの!」 とにもかくにもルートを教え 翌日元気な若者2人がグレイハウンドの長距離バスで到着し 自宅に3泊して目的のミネソタの野外学校に旅立って行った。台風のような出来事だった。今からすれば この植村さんに影響を受けた若者達だったのだろう。