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2023527(土)

小樽内川のヘルべチアヒュッテと山菜採り


小樽内川のヘルべチアヒュッテと山菜採り

 一週間前だが友人達と定山渓の北側の「小樽内川付近」で山菜取りをした。付近には国際スキー場の他に北大の山小屋が2つあり その一つが「ヘルべチアヒュッテ」だ。これは約100年前(1927年)にスイス人教師グブラー(設計はパラダイスヒュッテと同じマックス・ヒンデル)が山スキーのために建てた小振りの山小屋だ。ドアの赤白のデザインはスイス地方の魔除けだそうだ。その後 北大に寄贈され山岳部が管理してきた。当時から この付近は山スキーの絶好のコースがあり 山岳部の友人が「山スキーのいいゲレンデを国際スキー場に取られた」と言っていたのを思い出す。
 私がここに最初に宿泊したのはもう半世紀も前のことだが 北海道に来たばかりの自分にとって 原点の一つになっている。ヒュッテの中は10人も泊まれば一杯になるが このサイズに好感を持った。実は「十勝ヒュッテ」を作る時のイメージ的モデルでもある。

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 前庭にあるエルムの木は立派で 高さはゆうに15メートルはあるだろう。半世紀前にもあったはずだが こんなに高い木の記憶がない。「ジブリの森」のような不思議な感覚だ。

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 で 肝心の山菜だが 近くの「夕日の沢」を「奥手稲山の家」の方に少し上がり 林道が広がったところでフキを採った。これがまた柔らかくておいしかった。「最適値は1分」と教わったが 実はゆですぎてしまったのだが。。

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 帰りがけに 豊羽本山の近くの林道に入りウドを採った。これもまたおいしかった。やはり経験者のいうことを聞けばおいしい山菜にありつける。
 なお 2枚の山菜の写真は友人のAさんのものだ。私は食べるのに夢中で撮影を忘れてしまった。



2023519(金)

手稲パラダイスヒュッテ 春の朝


手稲パラダイスヒュッテ 春の朝

 札幌圏の5月14日の日の出は午前4時13分だった。こうなるとどうしても早く目が覚めてしまう。(写真の二重窓は優秀で約30年たってもガタが無い)

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 仕方ないので朝の散歩をすることにした。外気温は5℃。

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 朝日が昇ってくる。なかなか爽やかだ。

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 ヒュッテの窓にも朝日が映っている。

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 手稲の山頂はもう完全に明るい。少し早ければきれいなモルゲンロートだったかも知れない。

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 回りの白樺林も明るくなってきた。山親父の心配もあるのであまり遠くには行かなかった。

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 散歩から戻り メールをチェックしてから朝食を作った。湯通し野菜と自然酵母パン・チーズ・玉子焼き それとコーヒー・オレンジジュース。これで十分だ。なおこのヒュッテでは冷蔵庫が無いのがちょっと残念。

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 補足だが 最近亡くなった愛犬シュバはこのヒュッテによく出入りさせてもらった。宿泊者もいなかったので 遺骨の記念写真を撮らせていただいた。感謝。



2023518(木)

手稲パラダイスヒュッテ 堅牢な作り


手稲パラダイスヒュッテ 堅牢な作り

 5/13-14は年一度のパラダイスヒュッテの小屋番だった。薪作りの場所から 午後1時ごろに手稲山に向かう。手稲山も北側から見ると荒々しい火山の面影がある。

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 初めて気が付いたが 国道から登り始めてすぐに北海道新幹線トンネル工事の現場があった。旧千尺ゲレンデの下方になる。(写真は帰り道に撮影)

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 駐車スペースからの山頂を望む。新緑前の時期でも木々の色は微妙に違うことに驚く。

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 一年ぶりのパラダイスヒュッテ。2代目は再建されてから30年も経過したが実にしっかりしている。
 約50年前に初代パラダイスヒュッテ(当時は築45年)に行った時 1階に寝かされたのだが 壁のログの隙間や床から外気が吹き込んで寒くて震えていたのを思い出す。それぐらい初代の建付けはひどかった。

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 1階の居間・食堂にマックス・ヒンデルが1925年に描いた概念図(設計図)がある。初代の創建は1926年。

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もちろん 1994年建築の二代目でも玄関・ストーブ・台所などもそのまま再現されている。

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 2階は寝室で当初はベッドだった。30人は楽に宿泊できる。

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 初代は束石を使った構造で地下室は無かったが 2代目はコンクリートの基礎で その中に研修室と水洗トイレなど今流の設備が組み込まれて堅牢な作りだ。これは山スキーOBを主体とした再建委員会の尽力のおかげだろう。

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 この日は宿泊者もなかったので 夕食は極めて簡単。ラム肉をたっぷり入れた野菜炒めだ。山小屋では本来こういうシンプルな食事で十分なのだ。あとは薪ストーブの近くで読書と居眠り。小屋番として結構な幸せを味わった。



2023513(土)

友人のネパール土産


友人のネパール土産

 GWを挟んだ休暇を使って A氏を筆頭とする友人たちがネパール・ヒマラヤのトレッキングに出かけたようだ。それに夫妻で参加したT氏からお土産を頂いた。
 「ネパール・ヒマラヤの卓上カレンダー」は十勝ヒュッテで使うのにテーマもサイズも良く合っている。
 「民族スタイルの小銭入れ?」はとてもチャーミングだ。この刺繡は額に点があるのでブッダの顔だろうか。有り難く使わせて頂く。
 そういえば 約50年前の学生時代 身近な友人たちの間でインド旅行とかヒマラヤ遠征がはやっていた。ネパールに行ったら 皆が「ヤクの毛で織った肩掛けかばん」を買ってきて自慢げに使っていた。薄汚れたグレーの毛布のような生地で ヒラヒラの糸飾りがついていた。だから何だというわけではないが 今回のお土産を見てフと思い出した。半世紀の間にネパールのセンスは伝統を残しつつも確実に良くなっていると思う。



2023420(木)

高齢者マークを付けることにした


高齢者マークを付けることにした

 「高齢者運転標識(もみじマーク)」は「色付きのよつ葉クローバでカッコ悪い」「歳は取りたくない」という潜在意識のためか ちゃんとしないで今まで来てしまった。調べてみると 義務・努力目標・罰則あり・なしなどの紆余曲折を経て 現在の道交法では「75歳以上は義務 70歳以上は努力義務で不掲示の罰則無し」だそうだ。もちろん マーク付きの車への「幅よせ・割り込みなどは違反で反則金(5000~7000円)あり」だ。

 ビッグホーンに乗っている時は (勿論ウインカーを付けて)右左に曲がるのに支障を感じたことは無かった。たが パジェロミニに切り替えた途端に 車線変更でクラクションを鳴らされることが何回もあった。ふと思ったのは 「軽自動車は甘く見られているのでは」ということ。腹は立たないが 「近頃の日本人は寛容性が無くなったな」と嘆いていた。とはいえ「年齢とともに出るモタモタ」の可能性もあり得る。

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 最近乗り換えたテリオスキッドはマニュアル車のため この傾向は強くなる恐れがある。他車への迷惑や安全性を考えると「いよいよ高齢者マークだろう」との結論に達した。ということで4月17日(愛犬の命日)から表示し始めた。マーク自体は百円ショップで一個100円だった。
 シルバーの車で黄色ナンバー それに高齢者マークの組み合わせはダサい極地だが仕方なし。もちろん 他者・自己の安全に一層注意したいと思う。

追記: 偶然だが あの池袋高齢者暴走事故(母娘死亡 9名負傷)は今日だったそうだ。もう4年もたつのか。自戒せねば。



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Elmtree
 もともとアウトドア大好き人間ですが 時間の制約から残念な思いをしてきました。2019年春に友人の協力を得て 十勝清水にMountain Cabinを自作するプロジェクトを始めました。若者を巻き込んで いつでもバトンタッチできる体制を心がけています。また近くの「遊び小屋コニファー」は アウトドアの大先輩としてリスペクトしています。なお 街・探検・文化については別ブログにしました。Elmtree2をご覧ください。

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