2014年8月18日(月)
私の ふるさと 美唄 ②
off time×165
アルテピアッツア美唄の中にある
炭鉱町の小学校として 1950年に開校した「美唄市立栄小学校」の古い校舎。
その一部が 保存されています。
今は 1階は 栄幼稚園として 使われています。
おもむきのある玄関を入ると
小さな靴 写真や 金魚の折り紙オーナメントが吊り下げてあリます。
ここの子どもたちの遊び場は
広いひろい 彫刻の広場や 大理石のプール^^
なんて 素敵な環境なんでしょう。。
2階へ上がると 教室がギャラリーになっています。
踊り場には 侃さんの彫刻が。
そして 「思い出の炭鉱写真展」がおこなわれていました。
閉山で 多くの人が仕事を求め この地を離れ
お盆や 夏休みに時期になると
お墓参りの帰りに家族で この地を訪ねる方が多いので
毎年 8月は「おかえりなさい」の気持ちをこめて
炭鉱の写真展を開催しているそうです。
今回の展示のテーマは「思い出地図」
会場に炭鉱で賑やかだったころの地図や住宅地などが
パネルで展示されていました。
私は小さな時に住んでいたところの地図に
メッセージを 残し貼ってきました。
ちょっと さみしくて せつない いろいろがごちゃ混ぜになった 気持ちになりました。
廊下に 谷川俊太郎さんが アルテピアッツアに寄せた詩が
ありました。
炭鉱夫や その家族を含め約10万人もの人が生活していたんですね。
炭鉱町で過ごした人の 故郷として
記憶や想いを 次の世代に語る場として 美唄の歴史を繋げていく場になっています。
3歳までしか 美唄には住んでいなかったけれど
炭鉱住宅は 壊されてしまったけれど
こんな場があって、
ありがとう・・・と 思いました。
芝生の上を 裸足で歩き
大理石の白い川を歩き
青空を 見あげました。
白い大理石の道の川の
向こうに ずんずん歩いていって 丘に行くと・・・
カフェ アルテがあります。
カフェの手前にはずっとミントが生えてるんです。
ここで お茶とタルトなどを頂いて
外の緑を眺めながら 今日という日を 感じてました。
事故で亡くなった父の無念さ
炭鉱で働いた方たち その家族たちの想い。
お盆に アン・サリーさんの歌声がこの地にひびき
この地に かえってきたご先祖に きっと 届いたにちがいない・・・と 思ったのでした。。
懐古と レクイエムの旅でした。
また きっと訪れたいと思います。
白い ころころ石の大理石はイタリアの採石場にて大きな石を採石されたあとのもので 川でしぜんに研磨され丸くなったものを運んできたそうです。
安田侃さんが 子どもたちが裸足になって大理石の質感を直に感じられるよう 肌から伝わる感覚を大事にしてほしいとの願いからこのような形になったと 聞きました。
カフェ アルテに併設された工房では 「こころを彫る授業」というのがあって 白大理石を自分で選んで彫る授業も日を決めてやっているようです。
安田侃さんが講師になって不定期におこなっているそうです。
炭鉱町の小学校として 1950年に開校した「美唄市立栄小学校」の古い校舎。
その一部が 保存されています。
今は 1階は 栄幼稚園として 使われています。
おもむきのある玄関を入ると
小さな靴 写真や 金魚の折り紙オーナメントが吊り下げてあリます。
ここの子どもたちの遊び場は
広いひろい 彫刻の広場や 大理石のプール^^
なんて 素敵な環境なんでしょう。。
2階へ上がると 教室がギャラリーになっています。
踊り場には 侃さんの彫刻が。
そして 「思い出の炭鉱写真展」がおこなわれていました。
閉山で 多くの人が仕事を求め この地を離れ
お盆や 夏休みに時期になると
お墓参りの帰りに家族で この地を訪ねる方が多いので
毎年 8月は「おかえりなさい」の気持ちをこめて
炭鉱の写真展を開催しているそうです。
今回の展示のテーマは「思い出地図」
会場に炭鉱で賑やかだったころの地図や住宅地などが
パネルで展示されていました。
私は小さな時に住んでいたところの地図に
メッセージを 残し貼ってきました。
ちょっと さみしくて せつない いろいろがごちゃ混ぜになった 気持ちになりました。
廊下に 谷川俊太郎さんが アルテピアッツアに寄せた詩が
ありました。
炭鉱夫や その家族を含め約10万人もの人が生活していたんですね。
炭鉱町で過ごした人の 故郷として
記憶や想いを 次の世代に語る場として 美唄の歴史を繋げていく場になっています。
3歳までしか 美唄には住んでいなかったけれど
炭鉱住宅は 壊されてしまったけれど
こんな場があって、
ありがとう・・・と 思いました。
芝生の上を 裸足で歩き
大理石の白い川を歩き
青空を 見あげました。
白い大理石の道の川の
向こうに ずんずん歩いていって 丘に行くと・・・
カフェ アルテがあります。
カフェの手前にはずっとミントが生えてるんです。
ここで お茶とタルトなどを頂いて
外の緑を眺めながら 今日という日を 感じてました。
事故で亡くなった父の無念さ
炭鉱で働いた方たち その家族たちの想い。
お盆に アン・サリーさんの歌声がこの地にひびき
この地に かえってきたご先祖に きっと 届いたにちがいない・・・と 思ったのでした。。
懐古と レクイエムの旅でした。
また きっと訪れたいと思います。
白い ころころ石の大理石はイタリアの採石場にて大きな石を採石されたあとのもので 川でしぜんに研磨され丸くなったものを運んできたそうです。
安田侃さんが 子どもたちが裸足になって大理石の質感を直に感じられるよう 肌から伝わる感覚を大事にしてほしいとの願いからこのような形になったと 聞きました。
カフェ アルテに併設された工房では 「こころを彫る授業」というのがあって 白大理石を自分で選んで彫る授業も日を決めてやっているようです。
安田侃さんが講師になって不定期におこなっているそうです。
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