20141020(月)

 縄文文化でもアイヌ文化でもない・・・オホーツク文化 散策③


 縄文文化でもアイヌ文化でもない・・・オホーツク文化 散策③

「モヨロ貝塚」の発見によって

縄文文化とも アイヌ文化とも異なる 独自の文化、
オホーツク文化が 6世紀~11世紀、500年ほどありました。


この貝塚を発見してから 60年にも渡り
研究をし続けた 米村喜男衛(よねむらきおえ)の お孫さんが館長をしている 「モヨロ貝塚館」にお邪魔しました。


「住居」や「墓」「貝塚」のテーマごとに展示・紹介されています。

復元された囲炉裏に 煮炊きする土器があったり


     
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波形や魚、水鳥、カエルやクマの足跡などの 文様を施した独自の土器が多くみられました。

道南地方で発掘される土器の多くは 底が尖ってるものが殆どですが、ここでは底が平たいものが特徴です。


動物の骨や牙 角などを使って銛(もり)や 裁縫道具の針を作っていたり、装うための首飾りや耳飾りなどの 暮しの中の道具などが数多く展示されてます。


     
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クマや アザラシ、オットセイなどの動物をかたどった土製品も出土していて どれも愛嬌あってカワイイです^^


住居内に クマの頭骸骨を祀ったり
動物を神様として扱うところは その後のアイヌもおんなじですね。


死者の埋装方法は独特で

頭に土器を被せます。

そこいらへんを紹介した展示物もありましたが、写真には収めませんでした。。


     
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発掘された骨から推測すると
身長は160センチ位 手足が短く がっしりとした骨格だそうです。

え、私より背 高いし!!

手足短いのは 共感できる、できる・・・^^


海で獲物をとり

大陸から渡った 大麦や麻の実なども 畑で栽培(蒔いて)お粥のようなものを食べていた?ようです。


海辺で暮していたモヨロ人は

時代の流れと共に 新たな文化と融合し

山や川を中心とする暮しへ変わっていき 

縄文人と交わり アイヌが生まれたとも推測されていると

お話しで聴きました。



”モヨロ”とは 

米村氏が ここを発見した時に ここいら一帯の
”最寄(もよろ)村”から取り ここを「モヨロ遺跡」と名付けたそうです。


以前 二風谷のアイヌ資料館に行った際に

展示されていた アムール河流域に住む民族たちの手仕事のを見た時に 感じた

同じような ワクワクと ドキドキは

北方民族に流れる血に 私の何かが 反応しているのかもしれません。。。





そして これ!

モヨロ貝塚オリジナルグッズの ”モヨロくん”
なぜか 連れて帰ってきちゃいました。。

ふだん こういうのはまず買わないのですが・・・
案内してくれた貝塚館の お姉さんの手作りだそうです^^


     
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長くなってしまいましたが、

網走市立郷土館へ 続きます。。






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