2011年2月19日(土)
遺された品。

多分、60年前のものだと思います。
父が使っていた ミノルタのカメラ、ドイツ語の辞書、初給料で買ったらしい時計。
私の手元にあります。

カメラは何度かフィルムを入れて 礼文島へ行った時などにモノクロ写真を撮りました。
時計はメンテナンスして 竜頭をまわせば ちゃんと時を刻みます。
写真の中の着物姿の若かりし父の腕に それはありました。
ドイツ語の辞書には ところどころに赤線が引かれています。皮の表紙で 裏表紙には万年筆で書かれた名前。
ドイツ語はチンプンカンプンですが 学校時代、ドイツ人のシスターの先生が何人かいらして ドイツの暮しなどよく話してくれ、親しみを持っています。

三歳の時に父は逝ってしまったので このような品々を手元に置き 彼の青春を想うのです。
時々 辞書を開いてみたり、時計を身につけたり・・・。しているからね、”おとうさん”。
そして ばあちゃんが編んだ毛糸の靴下。

下宿屋を長年営み、ご飯づくり以外の時間は ただひたすらに 大好きな編み物をして過ごした人。
今も ばあちゃんの 靴下 はいているからね。”ばあちゃん”
父が使っていた ミノルタのカメラ、ドイツ語の辞書、初給料で買ったらしい時計。
私の手元にあります。

カメラは何度かフィルムを入れて 礼文島へ行った時などにモノクロ写真を撮りました。
時計はメンテナンスして 竜頭をまわせば ちゃんと時を刻みます。
写真の中の着物姿の若かりし父の腕に それはありました。
ドイツ語の辞書には ところどころに赤線が引かれています。皮の表紙で 裏表紙には万年筆で書かれた名前。
ドイツ語はチンプンカンプンですが 学校時代、ドイツ人のシスターの先生が何人かいらして ドイツの暮しなどよく話してくれ、親しみを持っています。

三歳の時に父は逝ってしまったので このような品々を手元に置き 彼の青春を想うのです。
時々 辞書を開いてみたり、時計を身につけたり・・・。しているからね、”おとうさん”。
そして ばあちゃんが編んだ毛糸の靴下。

下宿屋を長年営み、ご飯づくり以外の時間は ただひたすらに 大好きな編み物をして過ごした人。
今も ばあちゃんの 靴下 はいているからね。”ばあちゃん”
コメント |
このブログはコメントを受け付けていません