off time(165)
2015年1月1日(木)
2015年 はじまりましたね、初詣^^
2014年11月8日(土)
映画ぽっぽやの・・・駅
2014年10月21日(火)
北海道最古の・・・? 散策④
off time×165
網走にて 日曜日は 早朝から動き出したので
能取岬からはじまり 昼3時位の間までに あちらこちらで
充実の時を過ごしました^^
モヨロ貝塚館からの繋がりで
出向いたのは 「網走市立郷土博物館」です。
なんとここが 北海道最古の博物館建築なんです!
モヨロ貝塚の発見者で研究者の 米村喜男衛(よねむらきおえ)氏が長年にわたり 収集した考古・民族資料が3000点提供され、それが基礎になってるそうです。
桂ヶ丘公園の坂を登ると右手に見えてきます。
赤く染まった蔦が 白い桟と青空にとっても映えてました。
この建物は 昭和11年に”北見郷土館”として開館したものが 昭和23年に網走市に移管されたそうです。
フランク・ロイド・ライト氏に師事した田上義也氏の設計です。
網走まわりの豊かな自然、、沢山の棲息する動物たち海の生き物などが紹介されていたり オホーツク文化、開拓の歴史などの資料が展示されています。
玄関を入ると ガラス戸の小さな窓口で入場料を払います。
懐かしい 樟脳(しょうのう)の臭いが漂っています。
木にガラスが嵌め込まれた がっしりとした陳列ケース。
古き良き時代が 感じられました。
アブラが染み込んだ木の階段を上がると
色とりどりの 幾何学模様のステンドグラスが。
らせん階段があったり・・・
赤いドームの屋根が あったり・・・
とっても 静かな時間でした。
他に74歳のおばあちゃんが 娘さんとお孫さんと いらしてました。
子どもの頃 遠足で来たきり・・・ちっとも変ってない。。と 懐かしむ おばあちゃん。
少しお話しをして 私はカブチョと 公園を散歩しました。
博物館の手前には
メタセコイアの木が ありました。
そよそよ 揺れてました。
この種は 100万年前から存在する種だそうです。
比較的 暖地で育つので 網走やサハリン地方では珍しい木だそうです・・・と書いてあった・・な。
博物館の隣りには アイヌの砦(チャシ)跡・・・自然の
断崖を利用した壕をめぐらせています。
・・・・と こんな 謎めいた 網走散策でした。
え、、、ほんとは 博物館前に お腹がすいたので
寄り道 したんです・・・^^よ
食堂カフェ manmaさん
地元の野菜や食材を使った
玄米や キッズプレート、離乳食もある おうちご飯のメニューが豊富なお店です。
オープン時間すぐに入ったので
写真ではガラガラですが。。。
あっという間に 学生さんや家族連れなど すぐに店内は賑やかになりました。
ここ おすすめです^^
だって 自家精米機が入口に置いてあって ヌカはご自由にどうそ!って書いてあったし
スィーツも美味しかったです。
写真は 撮ってないけどね。
ここは・・・オホーツク文化交流センター内(エコーセンター2000)にあります。
大きな施設の中には
市立図書館やホール ギャラリーなどがあります。
このカフェからは 網走川が 見えます・・・
・・・と 大満足な網走散策でした。
その後 海から帰ってきた旦那さんと合流して
帰路につきました。
釣りの話しは 振らないでください・・・ね 笑
読んで頂き ありがとうございました。
能取岬からはじまり 昼3時位の間までに あちらこちらで
充実の時を過ごしました^^
モヨロ貝塚館からの繋がりで
出向いたのは 「網走市立郷土博物館」です。
なんとここが 北海道最古の博物館建築なんです!
モヨロ貝塚の発見者で研究者の 米村喜男衛(よねむらきおえ)氏が長年にわたり 収集した考古・民族資料が3000点提供され、それが基礎になってるそうです。
桂ヶ丘公園の坂を登ると右手に見えてきます。
赤く染まった蔦が 白い桟と青空にとっても映えてました。
この建物は 昭和11年に”北見郷土館”として開館したものが 昭和23年に網走市に移管されたそうです。
フランク・ロイド・ライト氏に師事した田上義也氏の設計です。
網走まわりの豊かな自然、、沢山の棲息する動物たち海の生き物などが紹介されていたり オホーツク文化、開拓の歴史などの資料が展示されています。
玄関を入ると ガラス戸の小さな窓口で入場料を払います。
懐かしい 樟脳(しょうのう)の臭いが漂っています。
木にガラスが嵌め込まれた がっしりとした陳列ケース。
古き良き時代が 感じられました。
アブラが染み込んだ木の階段を上がると
色とりどりの 幾何学模様のステンドグラスが。
らせん階段があったり・・・
赤いドームの屋根が あったり・・・
とっても 静かな時間でした。
他に74歳のおばあちゃんが 娘さんとお孫さんと いらしてました。
子どもの頃 遠足で来たきり・・・ちっとも変ってない。。と 懐かしむ おばあちゃん。
少しお話しをして 私はカブチョと 公園を散歩しました。
博物館の手前には
メタセコイアの木が ありました。
そよそよ 揺れてました。
この種は 100万年前から存在する種だそうです。
比較的 暖地で育つので 網走やサハリン地方では珍しい木だそうです・・・と書いてあった・・な。
博物館の隣りには アイヌの砦(チャシ)跡・・・自然の
断崖を利用した壕をめぐらせています。
・・・・と こんな 謎めいた 網走散策でした。
え、、、ほんとは 博物館前に お腹がすいたので
寄り道 したんです・・・^^よ
食堂カフェ manmaさん
地元の野菜や食材を使った
玄米や キッズプレート、離乳食もある おうちご飯のメニューが豊富なお店です。
オープン時間すぐに入ったので
写真ではガラガラですが。。。
あっという間に 学生さんや家族連れなど すぐに店内は賑やかになりました。
ここ おすすめです^^
だって 自家精米機が入口に置いてあって ヌカはご自由にどうそ!って書いてあったし
スィーツも美味しかったです。
写真は 撮ってないけどね。
ここは・・・オホーツク文化交流センター内(エコーセンター2000)にあります。
大きな施設の中には
市立図書館やホール ギャラリーなどがあります。
このカフェからは 網走川が 見えます・・・
・・・と 大満足な網走散策でした。
その後 海から帰ってきた旦那さんと合流して
帰路につきました。
釣りの話しは 振らないでください・・・ね 笑
読んで頂き ありがとうございました。
この記事のURL|2014-10-21 15:46:59
2014年10月20日(月)
縄文文化でもアイヌ文化でもない・・・オホーツク文化 散策③
off time×165
「モヨロ貝塚」の発見によって
縄文文化とも アイヌ文化とも異なる 独自の文化、
オホーツク文化が 6世紀~11世紀、500年ほどありました。
この貝塚を発見してから 60年にも渡り
研究をし続けた 米村喜男衛(よねむらきおえ)の お孫さんが館長をしている 「モヨロ貝塚館」にお邪魔しました。
「住居」や「墓」「貝塚」のテーマごとに展示・紹介されています。
復元された囲炉裏に 煮炊きする土器があったり
波形や魚、水鳥、カエルやクマの足跡などの 文様を施した独自の土器が多くみられました。
道南地方で発掘される土器の多くは 底が尖ってるものが殆どですが、ここでは底が平たいものが特徴です。
動物の骨や牙 角などを使って銛(もり)や 裁縫道具の針を作っていたり、装うための首飾りや耳飾りなどの 暮しの中の道具などが数多く展示されてます。
クマや アザラシ、オットセイなどの動物をかたどった土製品も出土していて どれも愛嬌あってカワイイです^^
住居内に クマの頭骸骨を祀ったり
動物を神様として扱うところは その後のアイヌもおんなじですね。
死者の埋装方法は独特で
頭に土器を被せます。
そこいらへんを紹介した展示物もありましたが、写真には収めませんでした。。
発掘された骨から推測すると
身長は160センチ位 手足が短く がっしりとした骨格だそうです。
え、私より背 高いし!!
手足短いのは 共感できる、できる・・・^^
海で獲物をとり
大陸から渡った 大麦や麻の実なども 畑で栽培(蒔いて)お粥のようなものを食べていた?ようです。
海辺で暮していたモヨロ人は
時代の流れと共に 新たな文化と融合し
山や川を中心とする暮しへ変わっていき
縄文人と交わり アイヌが生まれたとも推測されていると
お話しで聴きました。
”モヨロ”とは
米村氏が ここを発見した時に ここいら一帯の
”最寄(もよろ)村”から取り ここを「モヨロ遺跡」と名付けたそうです。
以前 二風谷のアイヌ資料館に行った際に
展示されていた アムール河流域に住む民族たちの手仕事のを見た時に 感じた
同じような ワクワクと ドキドキは
北方民族に流れる血に 私の何かが 反応しているのかもしれません。。。
そして これ!
モヨロ貝塚オリジナルグッズの ”モヨロくん”
なぜか 連れて帰ってきちゃいました。。
ふだん こういうのはまず買わないのですが・・・
案内してくれた貝塚館の お姉さんの手作りだそうです^^
長くなってしまいましたが、
網走市立郷土館へ 続きます。。
縄文文化とも アイヌ文化とも異なる 独自の文化、
オホーツク文化が 6世紀~11世紀、500年ほどありました。
この貝塚を発見してから 60年にも渡り
研究をし続けた 米村喜男衛(よねむらきおえ)の お孫さんが館長をしている 「モヨロ貝塚館」にお邪魔しました。
「住居」や「墓」「貝塚」のテーマごとに展示・紹介されています。
復元された囲炉裏に 煮炊きする土器があったり
波形や魚、水鳥、カエルやクマの足跡などの 文様を施した独自の土器が多くみられました。
道南地方で発掘される土器の多くは 底が尖ってるものが殆どですが、ここでは底が平たいものが特徴です。
動物の骨や牙 角などを使って銛(もり)や 裁縫道具の針を作っていたり、装うための首飾りや耳飾りなどの 暮しの中の道具などが数多く展示されてます。
クマや アザラシ、オットセイなどの動物をかたどった土製品も出土していて どれも愛嬌あってカワイイです^^
住居内に クマの頭骸骨を祀ったり
動物を神様として扱うところは その後のアイヌもおんなじですね。
死者の埋装方法は独特で
頭に土器を被せます。
そこいらへんを紹介した展示物もありましたが、写真には収めませんでした。。
発掘された骨から推測すると
身長は160センチ位 手足が短く がっしりとした骨格だそうです。
え、私より背 高いし!!
手足短いのは 共感できる、できる・・・^^
海で獲物をとり
大陸から渡った 大麦や麻の実なども 畑で栽培(蒔いて)お粥のようなものを食べていた?ようです。
海辺で暮していたモヨロ人は
時代の流れと共に 新たな文化と融合し
山や川を中心とする暮しへ変わっていき
縄文人と交わり アイヌが生まれたとも推測されていると
お話しで聴きました。
”モヨロ”とは
米村氏が ここを発見した時に ここいら一帯の
”最寄(もよろ)村”から取り ここを「モヨロ遺跡」と名付けたそうです。
以前 二風谷のアイヌ資料館に行った際に
展示されていた アムール河流域に住む民族たちの手仕事のを見た時に 感じた
同じような ワクワクと ドキドキは
北方民族に流れる血に 私の何かが 反応しているのかもしれません。。。
そして これ!
モヨロ貝塚オリジナルグッズの ”モヨロくん”
なぜか 連れて帰ってきちゃいました。。
ふだん こういうのはまず買わないのですが・・・
案内してくれた貝塚館の お姉さんの手作りだそうです^^
長くなってしまいましたが、
網走市立郷土館へ 続きます。。
この記事のURL|2014-10-20 20:39:35
2014年10月20日(月)
オホーツク文化・モヨロ貝塚遺跡 散策②
off time×165
能取岬で
ぽてぽて 散策して
海をボーっと眺めてたら・・気がつくと 2時間ほど
たっていました。。。
よっぽど ボーっとしていたんでしょうね・・^^
え、、前回の オホーツク散策で気になりながら
立ち寄れなかった”モヨロ貝塚”へ 今回は向かいましたよ。
網走川の河口にある・・・
この川の北側,
砂丘大地に貝塚とモヨロ貝塚館があります。
モヨロ貝塚は
1913年(大正2年)に網走を訪れた青森のアマチュアの考古学研究者・米村喜男衛(よねむらきおえ)が発見し、学界に報告した。
発見した土器から縄文文化ともアイヌ文化とも異なる文化の存在を知った米村は、網走に住むことを決めて米村理髪店を開業し、傍らで遺跡の調査と研究に携わった。
大正時代には、この遺跡の文化が北方的な独特のものであるということ以上はわからなかった。1933年(昭和8年)に、オホーツク海の南沿岸に広がるオホーツク沿岸文化が、同時代の北海道の文化と別個のものとみなされるようになった。今日いうオホーツク文化である。~ウィキペディアより~
今から約1300年前の網走に暮した
「モヨロ人」のムラのあとです。
サハリンなど 北の大陸からやってきて この地にムラを構えたそうです。
海洋狩猟民族「モヨロ人」の 暮しぶりがわかる
様々な出土した土器や 装飾品 道具や、竪穴式住居跡などが今から100年程前に 米村さんが発見し 私たちの目に触れることができます。
私・・・全然 そのこと 知らなかったので
驚きと ワクワクが入り混じったかんじで 散策しました。
住居跡や お墓跡など 暮しぶりがわかる貝塚館へ~
牡蠣などの貝殻や獲物の骨などが
層になって・・
六角形が特徴的な 住居跡。
今も 多くのモヨロ人が眠る 墓地。
土器の底が連なっている。
周辺には ニレの木や エゾイタヤの木がはえています。
ヒメリンゴの木もありました。
海に暮した先人モヨロの民の様子は 次に続きます。
なんでだろ・・・
ワクワクが とまらない。。
この貝塚を発見した 米村さんのことはこちらで詳しく 紹介されています。
興味深いです。
好きこそものの上手あれ・・・?
ちょっと違うか。。。
これ 合ってる?? ^^
ぽてぽて 散策して
海をボーっと眺めてたら・・気がつくと 2時間ほど
たっていました。。。
よっぽど ボーっとしていたんでしょうね・・^^
え、、前回の オホーツク散策で気になりながら
立ち寄れなかった”モヨロ貝塚”へ 今回は向かいましたよ。
網走川の河口にある・・・
この川の北側,
砂丘大地に貝塚とモヨロ貝塚館があります。
モヨロ貝塚は
1913年(大正2年)に網走を訪れた青森のアマチュアの考古学研究者・米村喜男衛(よねむらきおえ)が発見し、学界に報告した。
発見した土器から縄文文化ともアイヌ文化とも異なる文化の存在を知った米村は、網走に住むことを決めて米村理髪店を開業し、傍らで遺跡の調査と研究に携わった。
大正時代には、この遺跡の文化が北方的な独特のものであるということ以上はわからなかった。1933年(昭和8年)に、オホーツク海の南沿岸に広がるオホーツク沿岸文化が、同時代の北海道の文化と別個のものとみなされるようになった。今日いうオホーツク文化である。~ウィキペディアより~
今から約1300年前の網走に暮した
「モヨロ人」のムラのあとです。
サハリンなど 北の大陸からやってきて この地にムラを構えたそうです。
海洋狩猟民族「モヨロ人」の 暮しぶりがわかる
様々な出土した土器や 装飾品 道具や、竪穴式住居跡などが今から100年程前に 米村さんが発見し 私たちの目に触れることができます。
私・・・全然 そのこと 知らなかったので
驚きと ワクワクが入り混じったかんじで 散策しました。
住居跡や お墓跡など 暮しぶりがわかる貝塚館へ~
牡蠣などの貝殻や獲物の骨などが
層になって・・
六角形が特徴的な 住居跡。
今も 多くのモヨロ人が眠る 墓地。
土器の底が連なっている。
周辺には ニレの木や エゾイタヤの木がはえています。
ヒメリンゴの木もありました。
海に暮した先人モヨロの民の様子は 次に続きます。
なんでだろ・・・
ワクワクが とまらない。。
この貝塚を発見した 米村さんのことはこちらで詳しく 紹介されています。
興味深いです。
好きこそものの上手あれ・・・?
ちょっと違うか。。。
これ 合ってる?? ^^
この記事のURL|2014-10-20 10:09:36