off time(165)
2014年8月18日(月)
私の ふるさと 美唄 ②
off time×165
アルテピアッツア美唄の中にある
炭鉱町の小学校として 1950年に開校した「美唄市立栄小学校」の古い校舎。
その一部が 保存されています。
今は 1階は 栄幼稚園として 使われています。
おもむきのある玄関を入ると
小さな靴 写真や 金魚の折り紙オーナメントが吊り下げてあリます。
ここの子どもたちの遊び場は
広いひろい 彫刻の広場や 大理石のプール^^
なんて 素敵な環境なんでしょう。。
2階へ上がると 教室がギャラリーになっています。
踊り場には 侃さんの彫刻が。
そして 「思い出の炭鉱写真展」がおこなわれていました。
閉山で 多くの人が仕事を求め この地を離れ
お盆や 夏休みに時期になると
お墓参りの帰りに家族で この地を訪ねる方が多いので
毎年 8月は「おかえりなさい」の気持ちをこめて
炭鉱の写真展を開催しているそうです。
今回の展示のテーマは「思い出地図」
会場に炭鉱で賑やかだったころの地図や住宅地などが
パネルで展示されていました。
私は小さな時に住んでいたところの地図に
メッセージを 残し貼ってきました。
ちょっと さみしくて せつない いろいろがごちゃ混ぜになった 気持ちになりました。
廊下に 谷川俊太郎さんが アルテピアッツアに寄せた詩が
ありました。
炭鉱夫や その家族を含め約10万人もの人が生活していたんですね。
炭鉱町で過ごした人の 故郷として
記憶や想いを 次の世代に語る場として 美唄の歴史を繋げていく場になっています。
3歳までしか 美唄には住んでいなかったけれど
炭鉱住宅は 壊されてしまったけれど
こんな場があって、
ありがとう・・・と 思いました。
芝生の上を 裸足で歩き
大理石の白い川を歩き
青空を 見あげました。
白い大理石の道の川の
向こうに ずんずん歩いていって 丘に行くと・・・
カフェ アルテがあります。
カフェの手前にはずっとミントが生えてるんです。
ここで お茶とタルトなどを頂いて
外の緑を眺めながら 今日という日を 感じてました。
事故で亡くなった父の無念さ
炭鉱で働いた方たち その家族たちの想い。
お盆に アン・サリーさんの歌声がこの地にひびき
この地に かえってきたご先祖に きっと 届いたにちがいない・・・と 思ったのでした。。
懐古と レクイエムの旅でした。
また きっと訪れたいと思います。
白い ころころ石の大理石はイタリアの採石場にて大きな石を採石されたあとのもので 川でしぜんに研磨され丸くなったものを運んできたそうです。
安田侃さんが 子どもたちが裸足になって大理石の質感を直に感じられるよう 肌から伝わる感覚を大事にしてほしいとの願いからこのような形になったと 聞きました。
カフェ アルテに併設された工房では 「こころを彫る授業」というのがあって 白大理石を自分で選んで彫る授業も日を決めてやっているようです。
安田侃さんが講師になって不定期におこなっているそうです。
炭鉱町の小学校として 1950年に開校した「美唄市立栄小学校」の古い校舎。
その一部が 保存されています。
今は 1階は 栄幼稚園として 使われています。
おもむきのある玄関を入ると
小さな靴 写真や 金魚の折り紙オーナメントが吊り下げてあリます。
ここの子どもたちの遊び場は
広いひろい 彫刻の広場や 大理石のプール^^
なんて 素敵な環境なんでしょう。。
2階へ上がると 教室がギャラリーになっています。
踊り場には 侃さんの彫刻が。
そして 「思い出の炭鉱写真展」がおこなわれていました。
閉山で 多くの人が仕事を求め この地を離れ
お盆や 夏休みに時期になると
お墓参りの帰りに家族で この地を訪ねる方が多いので
毎年 8月は「おかえりなさい」の気持ちをこめて
炭鉱の写真展を開催しているそうです。
今回の展示のテーマは「思い出地図」
会場に炭鉱で賑やかだったころの地図や住宅地などが
パネルで展示されていました。
私は小さな時に住んでいたところの地図に
メッセージを 残し貼ってきました。
ちょっと さみしくて せつない いろいろがごちゃ混ぜになった 気持ちになりました。
廊下に 谷川俊太郎さんが アルテピアッツアに寄せた詩が
ありました。
炭鉱夫や その家族を含め約10万人もの人が生活していたんですね。
炭鉱町で過ごした人の 故郷として
記憶や想いを 次の世代に語る場として 美唄の歴史を繋げていく場になっています。
3歳までしか 美唄には住んでいなかったけれど
炭鉱住宅は 壊されてしまったけれど
こんな場があって、
ありがとう・・・と 思いました。
芝生の上を 裸足で歩き
大理石の白い川を歩き
青空を 見あげました。
白い大理石の道の川の
向こうに ずんずん歩いていって 丘に行くと・・・
カフェ アルテがあります。
カフェの手前にはずっとミントが生えてるんです。
ここで お茶とタルトなどを頂いて
外の緑を眺めながら 今日という日を 感じてました。
事故で亡くなった父の無念さ
炭鉱で働いた方たち その家族たちの想い。
お盆に アン・サリーさんの歌声がこの地にひびき
この地に かえってきたご先祖に きっと 届いたにちがいない・・・と 思ったのでした。。
懐古と レクイエムの旅でした。
また きっと訪れたいと思います。
白い ころころ石の大理石はイタリアの採石場にて大きな石を採石されたあとのもので 川でしぜんに研磨され丸くなったものを運んできたそうです。
安田侃さんが 子どもたちが裸足になって大理石の質感を直に感じられるよう 肌から伝わる感覚を大事にしてほしいとの願いからこのような形になったと 聞きました。
カフェ アルテに併設された工房では 「こころを彫る授業」というのがあって 白大理石を自分で選んで彫る授業も日を決めてやっているようです。
安田侃さんが講師になって不定期におこなっているそうです。
この記事のURL|2014-08-18 19:41:52
2014年8月18日(月)
アルテピアッツァ美唄と 私のふるさと その①
off time×165
8.17(sunday),2014
昨日は 美唄に向けて車を走らせました。
アルテピアッツァ美唄に アン・サリーさんの「森のコンサート」を聴きに。。。
数日前に このコンサートがあることを知り すぐに申し込んだのですが、すでに満席とのこと・・・
そして ギリギリでキャンセルが出たとの連絡を頂き 嬉しくてうれしくて ハヤル気持ちで 行ってきました^^
ここは 美唄出身の彫刻家 安田 侃(やすだ かん)さんの野外彫刻公園のあるところです。
あちらこちらに
ポカッと出没する 彫刻たち。
ましろな 大理石だったり、ブロンズだったり・・・
青いソラに
浮かぶ 白い雲
吹く風が ホッぺに優しくて・・・^^
緑の芝生に
駈ける子どもたち お弁当を広げる家族
みんな それぞれの休日を 過ごしていました。
アルテピアッツァ美唄の中には 木造校舎(かつての栄小学校)や 体育館があります。
ドーム状の 古い体育館(アートスペース)でおこなわれたコンサートは 透明で 伸びやかな歌声のアン・サリーさんにピッタリの場所でした。
窓の外の木々の葉が そよぎ
一緒に うたっているように 心地よい風が
吹きぬけていました。
ここ美唄は かつて 炭鉱の街として賑わいました。
私は この炭鉱で生まれました。
祖父も 父も炭鉱夫。
昭和43年 美唄炭鉱のガス爆発事故で
父は亡くなりました。36歳でした。
私は その時 3歳で
ほとんど記憶が残っていません。
でも 美唄は たしかに 私のふるさと。
ここを訪れたのは 15年ほど まえ。
ちょっと その時とは
公園の雰囲気が かわっていたけど。
大好きな アン・サリーさんの コンサートが
自分のうまれた場所 美唄で
そこに 歌声が響くことが
なんだか とっても 嬉しかった。
そして 涙もこぼれたな・・
この小学校は
炭鉱のピーク時には1250人が在籍し
閉山により児童数が約60名まで減少しました。
1981年にこの 一階にある栄幼稚園の一部を残して
閉校しました。
この 続きは また次回に・・・
この曲も 唄ってくれました。
”時間旅行”
"のびろのびろだいすきな木”
美しい 唄 と かいて ビバイ。
その 名に そぐった 美しい唄こえが
広がりました。
ブロンズは
おひさまで あたためられ
耳を当てたら
ぼわーんと なにかが伝わってくる
音がきこえてきました。
昨日は 美唄に向けて車を走らせました。
アルテピアッツァ美唄に アン・サリーさんの「森のコンサート」を聴きに。。。
数日前に このコンサートがあることを知り すぐに申し込んだのですが、すでに満席とのこと・・・
そして ギリギリでキャンセルが出たとの連絡を頂き 嬉しくてうれしくて ハヤル気持ちで 行ってきました^^
ここは 美唄出身の彫刻家 安田 侃(やすだ かん)さんの野外彫刻公園のあるところです。
あちらこちらに
ポカッと出没する 彫刻たち。
ましろな 大理石だったり、ブロンズだったり・・・
青いソラに
浮かぶ 白い雲
吹く風が ホッぺに優しくて・・・^^
緑の芝生に
駈ける子どもたち お弁当を広げる家族
みんな それぞれの休日を 過ごしていました。
アルテピアッツァ美唄の中には 木造校舎(かつての栄小学校)や 体育館があります。
ドーム状の 古い体育館(アートスペース)でおこなわれたコンサートは 透明で 伸びやかな歌声のアン・サリーさんにピッタリの場所でした。
窓の外の木々の葉が そよぎ
一緒に うたっているように 心地よい風が
吹きぬけていました。
ここ美唄は かつて 炭鉱の街として賑わいました。
私は この炭鉱で生まれました。
祖父も 父も炭鉱夫。
昭和43年 美唄炭鉱のガス爆発事故で
父は亡くなりました。36歳でした。
私は その時 3歳で
ほとんど記憶が残っていません。
でも 美唄は たしかに 私のふるさと。
ここを訪れたのは 15年ほど まえ。
ちょっと その時とは
公園の雰囲気が かわっていたけど。
大好きな アン・サリーさんの コンサートが
自分のうまれた場所 美唄で
そこに 歌声が響くことが
なんだか とっても 嬉しかった。
そして 涙もこぼれたな・・
この小学校は
炭鉱のピーク時には1250人が在籍し
閉山により児童数が約60名まで減少しました。
1981年にこの 一階にある栄幼稚園の一部を残して
閉校しました。
この 続きは また次回に・・・
この曲も 唄ってくれました。
”時間旅行”
"のびろのびろだいすきな木”
美しい 唄 と かいて ビバイ。
その 名に そぐった 美しい唄こえが
広がりました。
ブロンズは
おひさまで あたためられ
耳を当てたら
ぼわーんと なにかが伝わってくる
音がきこえてきました。
この記事のURL|2014-08-18 11:41:33
2014年8月5日(火)
手から手へ展 @ 北海道立文学館
off time×165
日曜日は 朝6時に帯広を出発。
車を走らせ(ひとりプチ旅~・高速道にて 帯広より札幌南インター片道2470円)
目指すは 札幌 中島公園「北海道立文学館」。
”手から手へ展”~絵本作家から子どもたちへ3.11後のメッセージ~ に行ってきました。
2011年の東日本大震災後、日本の絵本作家たちが中心となり「3.11後の世界から私たちの未来を考える」というテーマで世界の絵本作家に作品製作の呼びかけをしたそうです。
その結果 7カ国の絵本作家110人による絵とメッセージが集まり 展覧会が全国を巡回です。
多くの絵本作家の作品が堪能できて、
震災後の世界をいきていく子どもたちに対する想いやメッセージが つまった展覧会です。
2012年3月から ヨーロッパ巡会展がはじまったそうです。
イタリア、スロバキア、ポーランドなどなど。
その後 日本では 2013年春から 全国を巡っています。
「手から手へ展」@北海道立文学館/中島公園
2014年 7月19日(土)~8月24日(日)
午前9時30分~午後5時
休館日 月曜日
Pは7台有り
とてもじっくり観てきました。
人の力が及ばない 大地震 大津波、
人災でもある 原発事故。
その両方がいっぺんに起こってしまった、災害。
作品を通して 大切なメッセージをたくさん感じました。
子どもたちが安心して暮らせる社会になっていかなくてはなりません。
こころに残ったメッセージです。
”決して忘れては、いけないこと”(富安 陽子/児童文学作家)
忘れては、いけないこと。
ありふれた 日常の
その愛しさと、尊さ。
忘れては、いけないこと。
ありふれた日々を、ただ
あたりまえに繰り返す
その幸せ。
忘れては、いけないこと。
わたしたちの日常が、
どれほど、脆く(もろく)、儚く(はかなく)
失われてしまうかということ。
決してわすれてはいけないこと。
降矢奈々さんという ひとりの絵本作家の呼びかけからはじまった
この展覧会、是非 足を運んで感じていただけたら・・・
と思いました。
中島公園は 中学 高校をまたぐ3年ほど その近くに住んでいました。
その頃は 文学館もありませんでした。
それに似た 小さな古い建物があったような気がしますが・・・
地下鉄の駅までの通学道は 中島公園の並木を通っていきました。
どれくらいぶりだろう・・・
ここを歩くのは。
懐かしい道。
そして よく 池ではボートを漕いだっけ。
ボート小屋は 昔の雰囲気 残ってる、わぁ~なつかしい!
それにしても 木々が大きくなったなぁ。。
紫陽花が満開でした。
沢山のホテルやマンションも建って
景色もずいぶん 変わっていました。
でも・・・
木々たちは 根をはって
そこに立っていました。
ありがとう。
そこに いてくれて。
そして 中島公園を あとにして
翌日が最終日という 丸井今井百貨店での”ムーミン展”に向かいました。
ムーミンの作者 トーべ・ヤンソンさんも
自然を見つめ 愛し 描いた尊敬する作家さんです。
弟さんと喧嘩して トイレの壁に描いたトロールの落書きが
ムーミンのはじまり・・・です。
インクで描かれた 白・黒の 繊細なタッチのムーミン谷の様子は
とっても美しかったです。
「ムーミンの世界展」~ヤンソンさんからの贈り物~
9月6日(土)~11月9日(日)まで
北海道立文学館にて開催されます。
これからの開催なので 丸井さんのに行きそびれた方は
チャンス!!です(^-^)/
トーべ・ヤンソン生誕100周年記念の行事が あちこちで
いっぱいですね。
帯広美術館でも・・・あるんですね。
秋だったかな。
雲が多くなってきました、ザーッと雨がくるのかな。。。
車を走らせ(ひとりプチ旅~・高速道にて 帯広より札幌南インター片道2470円)
目指すは 札幌 中島公園「北海道立文学館」。
”手から手へ展”~絵本作家から子どもたちへ3.11後のメッセージ~ に行ってきました。
2011年の東日本大震災後、日本の絵本作家たちが中心となり「3.11後の世界から私たちの未来を考える」というテーマで世界の絵本作家に作品製作の呼びかけをしたそうです。
その結果 7カ国の絵本作家110人による絵とメッセージが集まり 展覧会が全国を巡回です。
多くの絵本作家の作品が堪能できて、
震災後の世界をいきていく子どもたちに対する想いやメッセージが つまった展覧会です。
2012年3月から ヨーロッパ巡会展がはじまったそうです。
イタリア、スロバキア、ポーランドなどなど。
その後 日本では 2013年春から 全国を巡っています。
「手から手へ展」@北海道立文学館/中島公園
2014年 7月19日(土)~8月24日(日)
午前9時30分~午後5時
休館日 月曜日
Pは7台有り
とてもじっくり観てきました。
人の力が及ばない 大地震 大津波、
人災でもある 原発事故。
その両方がいっぺんに起こってしまった、災害。
作品を通して 大切なメッセージをたくさん感じました。
子どもたちが安心して暮らせる社会になっていかなくてはなりません。
こころに残ったメッセージです。
”決して忘れては、いけないこと”(富安 陽子/児童文学作家)
忘れては、いけないこと。
ありふれた 日常の
その愛しさと、尊さ。
忘れては、いけないこと。
ありふれた日々を、ただ
あたりまえに繰り返す
その幸せ。
忘れては、いけないこと。
わたしたちの日常が、
どれほど、脆く(もろく)、儚く(はかなく)
失われてしまうかということ。
決してわすれてはいけないこと。
降矢奈々さんという ひとりの絵本作家の呼びかけからはじまった
この展覧会、是非 足を運んで感じていただけたら・・・
と思いました。
中島公園は 中学 高校をまたぐ3年ほど その近くに住んでいました。
その頃は 文学館もありませんでした。
それに似た 小さな古い建物があったような気がしますが・・・
地下鉄の駅までの通学道は 中島公園の並木を通っていきました。
どれくらいぶりだろう・・・
ここを歩くのは。
懐かしい道。
そして よく 池ではボートを漕いだっけ。
ボート小屋は 昔の雰囲気 残ってる、わぁ~なつかしい!
それにしても 木々が大きくなったなぁ。。
紫陽花が満開でした。
沢山のホテルやマンションも建って
景色もずいぶん 変わっていました。
でも・・・
木々たちは 根をはって
そこに立っていました。
ありがとう。
そこに いてくれて。
そして 中島公園を あとにして
翌日が最終日という 丸井今井百貨店での”ムーミン展”に向かいました。
ムーミンの作者 トーべ・ヤンソンさんも
自然を見つめ 愛し 描いた尊敬する作家さんです。
弟さんと喧嘩して トイレの壁に描いたトロールの落書きが
ムーミンのはじまり・・・です。
インクで描かれた 白・黒の 繊細なタッチのムーミン谷の様子は
とっても美しかったです。
「ムーミンの世界展」~ヤンソンさんからの贈り物~
9月6日(土)~11月9日(日)まで
北海道立文学館にて開催されます。
これからの開催なので 丸井さんのに行きそびれた方は
チャンス!!です(^-^)/
トーべ・ヤンソン生誕100周年記念の行事が あちこちで
いっぱいですね。
帯広美術館でも・・・あるんですね。
秋だったかな。
雲が多くなってきました、ザーッと雨がくるのかな。。。
この記事のURL|2014-08-05 07:57:32
2014年8月4日(月)
オブンガク堂cafe @ 水の神殿
off time×165
2014, 8/2 8/3
草木と土に囲まれた 風吹く水の神殿で
昔むかしの お月さまと王子と森の妖精の交流のお話しを
マリンバの音色の調べにのせて・・・
・・・・そして 物語の世界にちなんだ オヤツを頂く。
ブンガクと オンガクと オヤツを あわせた
ぞくぞく五感で楽しむ 不思議な空間「オブンガク堂cafe」を体感してきました。
水の神殿は ひんやりとして 風が通り抜け
そこに生演奏のマリンバの音色と水が流れる音、
そして 演者たちの声、 草履の砂の上を運ぶ音。
なんとも コトバでは言い現わせないような ユタカな豊かな
時間でした。
子どもたちには 何が目に映り どんな空気を感じたんだろう・・・
オトナもコドモも 共有できる場でした。
中音更の 大雪山麓の深層水が
浸み出すところ。
こんな 場所があったんだね。
また行ってみたいけど 辿りつけるかな・・・・
それは まるで ぽっかりと あらわれた 古墳のようでありましたから。。。^^
主催・・・とかちアーティスト・イン・レジデンス
唱と語り・・・佐藤 慶、本村 珠紀、室井 沙織、平野 麻樹子
音楽・・・マリンバ奏者 佐藤 優
オヤツ・・・アマムエクル
文学・・・”お月さまと、森の精” 豊島 与志雄原作「お月様の唱」より
草木と土に囲まれた 風吹く水の神殿で
昔むかしの お月さまと王子と森の妖精の交流のお話しを
マリンバの音色の調べにのせて・・・
・・・・そして 物語の世界にちなんだ オヤツを頂く。
ブンガクと オンガクと オヤツを あわせた
ぞくぞく五感で楽しむ 不思議な空間「オブンガク堂cafe」を体感してきました。
水の神殿は ひんやりとして 風が通り抜け
そこに生演奏のマリンバの音色と水が流れる音、
そして 演者たちの声、 草履の砂の上を運ぶ音。
なんとも コトバでは言い現わせないような ユタカな豊かな
時間でした。
子どもたちには 何が目に映り どんな空気を感じたんだろう・・・
オトナもコドモも 共有できる場でした。
中音更の 大雪山麓の深層水が
浸み出すところ。
こんな 場所があったんだね。
また行ってみたいけど 辿りつけるかな・・・・
それは まるで ぽっかりと あらわれた 古墳のようでありましたから。。。^^
主催・・・とかちアーティスト・イン・レジデンス
唱と語り・・・佐藤 慶、本村 珠紀、室井 沙織、平野 麻樹子
音楽・・・マリンバ奏者 佐藤 優
オヤツ・・・アマムエクル
文学・・・”お月さまと、森の精” 豊島 与志雄原作「お月様の唱」より
この記事のURL|2014-08-04 10:02:02
2014年7月28日(月)
巨木の木の下で アイヌのムックリ Ⅱ
off time×165
光の森には クロエゾマツや アカエゾマツ トドマツなどの針葉樹と シナノキや ミズナラ ハリギリ ハルニレなどの
広葉樹などが 混成しています。
森を歩きはじめると とっても甘い いい香りに包まれました。
シナノキの花の香りです。
シナノキはアイヌ語で ニぺシニ。
ニは 木の意味です。
繊維から糸を取り出し 漁網やロープ 袋物などの材料になります。
今年はとても花つきがいいようです。
少し歩いていくと
枝分かれした木がありました。
オオバボダイジュです。
アオジナとも呼ばれていて こちらも繊維がとれるそうです。
実はこの木のあたりで 映画「許されざるもの」のロケがおこなわれたそうです。
渡辺謙さん主演の明治時代の蝦夷地を舞台にした映画で この阿寒の森から撮影がはじまったそうです。
この映画は2013年公開になっています。
撮影は3年前、講師の本田先生はアイヌ語の指導で 渡辺謙さんや柄本明さん、柳楽優弥さんなどと共に この地に立ち合っていたそうです。
現場でのエピソードなどを話してくれました。
渡辺謙さんは頭の低い方で 先生の前を通る時には 前を失礼します・・・といって頭を下げて通られたそうです。
そして 柄本さんが顔を虫に刺され腫れあがり消沈している時はジョークで笑わせて気持ちを持ち上げていたそうです。さすが大物は やっぱり違いますね・・・とおっしゃってました(^v^)/
あたりには小川が流れていて シーンと静まり返り 苔むしています。
倒木更新の姿もみられます。
朽ちた木の上に新しい命が宿ります。
更にすすむと 大きなおおきな カツラ(ランコ)の木が在りました。
そして なんという演出でしょう^^
美しいアイヌの女性がムックリを奏でています。
自然の中に 美しい光景でした。
ちなみに左のアイヌの女性、先程の映画にも出演されてるそうです。
樹齢800年ともいわれる どっしりと カツラの木。
ランコの木はアイヌでもとても大事にされている木です。
丸木舟の材料や お盆 まな板など様々な生活道具の材料として重宝されます。
その木の下で 教わりながら皆で ムックリを鳴らしてみました。
大昔も こんなふう・・・だったのかな?
木は記憶する生き物と 以前 本で読んだことがあります。
太古の昔から 世の中を眺め 何を感じてきたのでしょう。
見あげると こずえの方までも まん丸い葉っぱが輝いていました。
とっても安らかな気持ちになって 守られているように感じました。
そして 帰り途に
湯気の立ち上がる 手塚ボッケ(ボッケ=煮え立つ)があり
硫黄のにおいが漂っていました。
イソツツジや
足もとにはヒメジソなどが 生えてました。
これは ハッカです。
とってもやんわりとした芳香でした。
2時間程の散策でしたが 様々な自然の姿をみることができる 光の森でした。
満ち足りた心になりました。
どうか このような森が 後世にも残っていきますように。
昼食後は 2人の講師の方たちの講演を聴きました。
30年近くも それぞれの講師の方は 専門の分野で研究を重ねてきたこと 感動しました。
このようなご縁に恵まれ
導いてくださった財団の山本さん、ありがとうございます。
来年になりますが 自然写真家でもある 山本さんと”阿寒の森”を表現したフェルトとのコラボ展を 阿寒のギャラリーで開催する構想が持ち上がっています。
阿寒の森を 肌で感じ これからの作品作りに 生かしていきたいなぁと思ってます。
山本光一さんの写真はネイチャー雑誌「faura」の最新号に白糠海岸のアオバトが紹介されています。
道の駅 恋問にて現在 アオバトのミニ写真展がおこなわれています。
阿寒湖畔の奏楽の森ギャラリーでも 山本さん阿寒の自然を撮った写真展が開かれています。
どちらも拝見しましたが 素晴らしかったです。(^u^)
Ⅰ、Ⅱを 読んでいただき ありがとうございました。
広葉樹などが 混成しています。
森を歩きはじめると とっても甘い いい香りに包まれました。
シナノキの花の香りです。
シナノキはアイヌ語で ニぺシニ。
ニは 木の意味です。
繊維から糸を取り出し 漁網やロープ 袋物などの材料になります。
今年はとても花つきがいいようです。
少し歩いていくと
枝分かれした木がありました。
オオバボダイジュです。
アオジナとも呼ばれていて こちらも繊維がとれるそうです。
実はこの木のあたりで 映画「許されざるもの」のロケがおこなわれたそうです。
渡辺謙さん主演の明治時代の蝦夷地を舞台にした映画で この阿寒の森から撮影がはじまったそうです。
この映画は2013年公開になっています。
撮影は3年前、講師の本田先生はアイヌ語の指導で 渡辺謙さんや柄本明さん、柳楽優弥さんなどと共に この地に立ち合っていたそうです。
現場でのエピソードなどを話してくれました。
渡辺謙さんは頭の低い方で 先生の前を通る時には 前を失礼します・・・といって頭を下げて通られたそうです。
そして 柄本さんが顔を虫に刺され腫れあがり消沈している時はジョークで笑わせて気持ちを持ち上げていたそうです。さすが大物は やっぱり違いますね・・・とおっしゃってました(^v^)/
あたりには小川が流れていて シーンと静まり返り 苔むしています。
倒木更新の姿もみられます。
朽ちた木の上に新しい命が宿ります。
更にすすむと 大きなおおきな カツラ(ランコ)の木が在りました。
そして なんという演出でしょう^^
美しいアイヌの女性がムックリを奏でています。
自然の中に 美しい光景でした。
ちなみに左のアイヌの女性、先程の映画にも出演されてるそうです。
樹齢800年ともいわれる どっしりと カツラの木。
ランコの木はアイヌでもとても大事にされている木です。
丸木舟の材料や お盆 まな板など様々な生活道具の材料として重宝されます。
その木の下で 教わりながら皆で ムックリを鳴らしてみました。
大昔も こんなふう・・・だったのかな?
木は記憶する生き物と 以前 本で読んだことがあります。
太古の昔から 世の中を眺め 何を感じてきたのでしょう。
見あげると こずえの方までも まん丸い葉っぱが輝いていました。
とっても安らかな気持ちになって 守られているように感じました。
そして 帰り途に
湯気の立ち上がる 手塚ボッケ(ボッケ=煮え立つ)があり
硫黄のにおいが漂っていました。
イソツツジや
足もとにはヒメジソなどが 生えてました。
これは ハッカです。
とってもやんわりとした芳香でした。
2時間程の散策でしたが 様々な自然の姿をみることができる 光の森でした。
満ち足りた心になりました。
どうか このような森が 後世にも残っていきますように。
昼食後は 2人の講師の方たちの講演を聴きました。
30年近くも それぞれの講師の方は 専門の分野で研究を重ねてきたこと 感動しました。
このようなご縁に恵まれ
導いてくださった財団の山本さん、ありがとうございます。
来年になりますが 自然写真家でもある 山本さんと”阿寒の森”を表現したフェルトとのコラボ展を 阿寒のギャラリーで開催する構想が持ち上がっています。
阿寒の森を 肌で感じ これからの作品作りに 生かしていきたいなぁと思ってます。
山本光一さんの写真はネイチャー雑誌「faura」の最新号に白糠海岸のアオバトが紹介されています。
道の駅 恋問にて現在 アオバトのミニ写真展がおこなわれています。
阿寒湖畔の奏楽の森ギャラリーでも 山本さん阿寒の自然を撮った写真展が開かれています。
どちらも拝見しましたが 素晴らしかったです。(^u^)
Ⅰ、Ⅱを 読んでいただき ありがとうございました。
この記事のURL|2014-07-28 23:22:07