おにわ探訪記(4)
2017年1月6日(金)
京都 東福寺
おにわ探訪記×4
東福寺の方丈庭園、得に北斗七星や市松模様の庭は頻繁に目にする機会があって好きな庭だった。それを目の当たりにできる事になり純粋に心が踊った。作庭は昭和14年重森三玲による。
一言で言えばそのモダンなデザイン・発想が寺院庭園にいかにマッチングしているのかが知りたかった。
案内され、いきなり眼前に現れたのは
本坊庭園「南庭」だ。
本坊庭園は方丈(相見[応接]の間)を囲むように四方に庭が配され、「南庭」「西庭」「北庭」「東庭」となっている。
いきなり南庭の枯山水を真横から見せられる。
薄っぺらな尖った立石も、細長い寝そべった巨大な石にも違和感を感じる。
これまで見て来た枯山水の石組みと違う。
全景を見る。
この石組みの意味するところは後から知るが、なんか馴染めていない自分がいた事は憶えている。インパクトが大きすぎたのかなとも思う。
重森三玲の作庭を見たのは初めて。
石組みは古代中国でいう仙人の住む4つの島を表現している。
寝かせた6m程の石も特徴的だが、立石の使い方もまた特徴的で色々な種類の石材を使い分けていた。
この力強い石使いが三玲の特徴のひとつになっているという。
南庭の西側には苔で築山が築かれている。
京都五山を表現しているそうだ。
注目したのは築山の苔と白川砂の縁切りが方丈に対して斜めに直線的に仕切られているところ。この辺の斬新さは好きだな。デザインとして意図するところはわからないが、この環境で勇気がいるんじゃないかなと思った。
本坊庭園「西庭」
「井田の庭」と名付けられた西庭は苔とサツキの市松模様の刈り込みで構成される。よく見ると市松の刈り込みの足元は方形の縁石により仕切られている。この市松も向かって右側(北側)に斜を切って配置されていて南庭に通じ意図的な意匠を感じる。また、市松は北庭へとつながる。
後に取り上げる東福寺開山堂(普門院)前庭の市松模様の砂紋に影響を受けたのではないかと伺わせる。
本坊庭園「北庭」
「小市松の庭」と名付けられた庭園は美しい。大好きな庭のひとつだ。
規則正しい切り石と苔の市松模様が徐々に切り石の密度を粗にしてやがて消えて行くという表現手法になっている。釈迦の入滅までを表現していると後になって聞いたが、ベースに思想性があるという厚みは知らずに見ても感じ取れたとしても、予習をしてから観るのも良いと感じます。
日本の伝統文様の市松を庭に映す事によりモダンで強烈なインパクトを与え観る人を引き込みます。
背景のサツキの刈り込みは、現況のような姿を想定して植えられたものか少し疑問に思いました。
本坊庭園「東庭」
有名な「北斗七星の庭」
ここで使用されている円柱の石材、北庭の市松に使用されている切り石、西庭の市松の仕切りに使用されている縁石などはすべて東福寺の解体修理等で発生した廃材のリサイクルだという。禅寺の教えを作庭の条件に盛り込んでいたという。「一切の無駄をしない」という現在にも取り入れるべき理念を活かす工夫が参考となる。
ワクワクする世界観。哲学が見え隠れし、芸術性に溢れていて重森三玲が終世の目標としたという「永遠のモダン」がここにあると確かに感じる事ができる。
今になって思えば、東庭から北庭、西庭と逆回りに見て行ったら南庭の印象も大きく変わったかも知れない。
今回の目的のひとつである開山堂に案内される。
途中通天橋を歩いている時に後ろを振り返るように促された。
仏殿、方丈などの大屋根を望む。
この景観をつくるために樹木の間引きが行われたという。
開山堂の西側は、開山円爾(聖一国師)が常住した方丈と伝えられる普門院があり、そこにある市松の砂紋で表現された枯山水庭園は江戸中期の作庭だという。素晴らしい。
参道を挟んで池泉式の庭園もありますが、個人的にこの白川砂のみの空間に釘付けなのでありました。
とてもいい時間でした。
帰り際の臥雲橋から望む通天橋
ここは紅葉の時期大変に混雑するようです。
今回、重森三玲の作庭に初めて触れさせていただき、最初期の作庭であるという事から、他の中期から晩年の庭にも機会があれば訪れてみたいと感じました。
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一言で言えばそのモダンなデザイン・発想が寺院庭園にいかにマッチングしているのかが知りたかった。
案内され、いきなり眼前に現れたのは
本坊庭園「南庭」だ。
本坊庭園は方丈(相見[応接]の間)を囲むように四方に庭が配され、「南庭」「西庭」「北庭」「東庭」となっている。
いきなり南庭の枯山水を真横から見せられる。
薄っぺらな尖った立石も、細長い寝そべった巨大な石にも違和感を感じる。
これまで見て来た枯山水の石組みと違う。
全景を見る。
この石組みの意味するところは後から知るが、なんか馴染めていない自分がいた事は憶えている。インパクトが大きすぎたのかなとも思う。
重森三玲の作庭を見たのは初めて。
石組みは古代中国でいう仙人の住む4つの島を表現している。
寝かせた6m程の石も特徴的だが、立石の使い方もまた特徴的で色々な種類の石材を使い分けていた。
この力強い石使いが三玲の特徴のひとつになっているという。
南庭の西側には苔で築山が築かれている。
京都五山を表現しているそうだ。
注目したのは築山の苔と白川砂の縁切りが方丈に対して斜めに直線的に仕切られているところ。この辺の斬新さは好きだな。デザインとして意図するところはわからないが、この環境で勇気がいるんじゃないかなと思った。
本坊庭園「西庭」
「井田の庭」と名付けられた西庭は苔とサツキの市松模様の刈り込みで構成される。よく見ると市松の刈り込みの足元は方形の縁石により仕切られている。この市松も向かって右側(北側)に斜を切って配置されていて南庭に通じ意図的な意匠を感じる。また、市松は北庭へとつながる。
後に取り上げる東福寺開山堂(普門院)前庭の市松模様の砂紋に影響を受けたのではないかと伺わせる。
本坊庭園「北庭」
「小市松の庭」と名付けられた庭園は美しい。大好きな庭のひとつだ。
規則正しい切り石と苔の市松模様が徐々に切り石の密度を粗にしてやがて消えて行くという表現手法になっている。釈迦の入滅までを表現していると後になって聞いたが、ベースに思想性があるという厚みは知らずに見ても感じ取れたとしても、予習をしてから観るのも良いと感じます。
日本の伝統文様の市松を庭に映す事によりモダンで強烈なインパクトを与え観る人を引き込みます。
背景のサツキの刈り込みは、現況のような姿を想定して植えられたものか少し疑問に思いました。
本坊庭園「東庭」
有名な「北斗七星の庭」
ここで使用されている円柱の石材、北庭の市松に使用されている切り石、西庭の市松の仕切りに使用されている縁石などはすべて東福寺の解体修理等で発生した廃材のリサイクルだという。禅寺の教えを作庭の条件に盛り込んでいたという。「一切の無駄をしない」という現在にも取り入れるべき理念を活かす工夫が参考となる。
ワクワクする世界観。哲学が見え隠れし、芸術性に溢れていて重森三玲が終世の目標としたという「永遠のモダン」がここにあると確かに感じる事ができる。
今になって思えば、東庭から北庭、西庭と逆回りに見て行ったら南庭の印象も大きく変わったかも知れない。
今回の目的のひとつである開山堂に案内される。
途中通天橋を歩いている時に後ろを振り返るように促された。
仏殿、方丈などの大屋根を望む。
この景観をつくるために樹木の間引きが行われたという。
開山堂の西側は、開山円爾(聖一国師)が常住した方丈と伝えられる普門院があり、そこにある市松の砂紋で表現された枯山水庭園は江戸中期の作庭だという。素晴らしい。
参道を挟んで池泉式の庭園もありますが、個人的にこの白川砂のみの空間に釘付けなのでありました。
とてもいい時間でした。
帰り際の臥雲橋から望む通天橋
ここは紅葉の時期大変に混雑するようです。
今回、重森三玲の作庭に初めて触れさせていただき、最初期の作庭であるという事から、他の中期から晩年の庭にも機会があれば訪れてみたいと感じました。
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2016年10月25日(火)
鎌倉 瑞泉寺
おにわ探訪記×4
憧れの鎌倉瑞泉寺です。
何が見たかったか。見たいと言うよりその場の空気に包まれてみたい。という方が的確かも知れない。
夢窓国師が作庭した瑞泉寺庭園は、鎌倉に残る鎌倉時代唯一の庭園として有名。
参道を進みます。
モミジの大きさは目を見張る物があります。
紅葉の時期は見事なことでしょう。
途中で二方に分かれる参道は写真の鎌倉石でつくられた年季を感じる旧道と新たにつくられた新道があります。
当然旧道を進みました。
山門をくぐり最初に目に飛び込むのが玉砂利が敷かれた枯山水でした。
なんだか目新しく感じました。
程なく本堂に着きます。
周囲の植栽は「花の寺」と称されるように花木や草本が多く植えられていました。
写真右のお堂は「どこもく地蔵」が安置されています。
有名な逸話があるので調べてみて下さい。
さてさて、そこを抜けるといきなり目に飛び込んできます。
池の向こうの岩肌に大きくくり抜かれた穴。
しばし目を奪われます。
「天女洞」(水月観道場)と呼ばれる窟で座禅を組んで修行したそうです。
荘厳至極。
手前の池は「貯清池」、奥に見える石段も岩を削り上げて作庭されたそうです。
この十八曲を登り切ると「徧界一覧亭」に辿り着きますが、現在は行けません。
ただただこの岩をくり抜いて造られた庭園を目の当たりにし、究極の禅宗様庭園を感じようとしていた自分でした。
貴重な経験になりました。
『前もまた 重なる山の 庵にて 梢に続く 庭の白雲』
夢窓国師が偏界一覧亭で詠んだそうです。
夢窓国師の手掛けた庭園は数多く、西芳寺や天龍寺などは世界遺産となっています。
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何が見たかったか。見たいと言うよりその場の空気に包まれてみたい。という方が的確かも知れない。
夢窓国師が作庭した瑞泉寺庭園は、鎌倉に残る鎌倉時代唯一の庭園として有名。
参道を進みます。
モミジの大きさは目を見張る物があります。
紅葉の時期は見事なことでしょう。
途中で二方に分かれる参道は写真の鎌倉石でつくられた年季を感じる旧道と新たにつくられた新道があります。
当然旧道を進みました。
山門をくぐり最初に目に飛び込むのが玉砂利が敷かれた枯山水でした。
なんだか目新しく感じました。
程なく本堂に着きます。
周囲の植栽は「花の寺」と称されるように花木や草本が多く植えられていました。
写真右のお堂は「どこもく地蔵」が安置されています。
有名な逸話があるので調べてみて下さい。
さてさて、そこを抜けるといきなり目に飛び込んできます。
池の向こうの岩肌に大きくくり抜かれた穴。
しばし目を奪われます。
「天女洞」(水月観道場)と呼ばれる窟で座禅を組んで修行したそうです。
荘厳至極。
手前の池は「貯清池」、奥に見える石段も岩を削り上げて作庭されたそうです。
この十八曲を登り切ると「徧界一覧亭」に辿り着きますが、現在は行けません。
ただただこの岩をくり抜いて造られた庭園を目の当たりにし、究極の禅宗様庭園を感じようとしていた自分でした。
貴重な経験になりました。
『前もまた 重なる山の 庵にて 梢に続く 庭の白雲』
夢窓国師が偏界一覧亭で詠んだそうです。
夢窓国師の手掛けた庭園は数多く、西芳寺や天龍寺などは世界遺産となっています。
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2016年7月25日(月)
無鄰庵(むりんあん)
おにわ探訪記×4
一度訪れてみたかった無鄰庵です。
無鄰菴(むりんあん)は山縣有朋(やまがたありとも)の別邸。
作庭は七代目小川治兵衛(おがわ じへえ)。
琵琶湖疏水を引き込んだ池泉廻遊式庭園で、南禅寺界隈の別荘群の一角にある。この別荘群界隈も歩くと名だたる名士が名を連ね圧巻される。
琵琶湖疎水は当初工業用水として多額の税金をつぎ込んで完成されたもので庭園用に引き込む事は想定されていなかったが、「防火用水」として引き込み庭園に利用したと聞いた。この無鄰庵をはじまりとして、周辺の別荘地にも利用され、その多くを七代目小川治兵衛が手掛けたという。
周辺を歩くと「小川治兵衛作」という表示を数カ所で目にする事ができた。
治兵衛は京都御苑や桂離宮、二条城や清水寺など多くの庭園を手掛けた他、昨年訪れた東京の岩崎邸の修景も手掛けている。
主庭も素晴らしいが、特に数寄屋造りの母屋の中庭の素朴さに感銘を受けた。
東山を借景として。
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無鄰菴(むりんあん)は山縣有朋(やまがたありとも)の別邸。
作庭は七代目小川治兵衛(おがわ じへえ)。
琵琶湖疏水を引き込んだ池泉廻遊式庭園で、南禅寺界隈の別荘群の一角にある。この別荘群界隈も歩くと名だたる名士が名を連ね圧巻される。
琵琶湖疎水は当初工業用水として多額の税金をつぎ込んで完成されたもので庭園用に引き込む事は想定されていなかったが、「防火用水」として引き込み庭園に利用したと聞いた。この無鄰庵をはじまりとして、周辺の別荘地にも利用され、その多くを七代目小川治兵衛が手掛けたという。
周辺を歩くと「小川治兵衛作」という表示を数カ所で目にする事ができた。
治兵衛は京都御苑や桂離宮、二条城や清水寺など多くの庭園を手掛けた他、昨年訪れた東京の岩崎邸の修景も手掛けている。
主庭も素晴らしいが、特に数寄屋造りの母屋の中庭の素朴さに感銘を受けた。
東山を借景として。
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2016年7月10日(日)
トイトッキ浜原生花園
おにわ探訪記×4
永年潮風に叩かれた枕木の風格
足元はガンコウラン
大津海岸トイトッキ浜原生花園
センダイハギ、ハマエンドウ、ハマナシなどの花達が出迎えてくれます。
奇跡のような浜辺景観にしばし見とれました。
この環境が創り出した自然のお庭がこのままの形で維持されていく事を願うのみです。
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