2012年12月11日(火)
ネジネジじゃないのお殿様~九州の旅その2~
旅行日記×93
お元気ですかぁ~っ!?
いやぁ マイとかちが繋がらなくなって驚きましたね~っ
まさか大雪で?などとハラハラ思いを巡らせつつ
ちょっと体調を崩していたところなので
私のおさぼり心。。。ウズウズ
危ういところでしたなぁ(;^_^A
さて、ところは九州は鹿児島へ…
照国神社に訪れました
小雨ぽつぽつ…
こちらの神社には島津斉彬公を祀っておられます。
え?なかおあきら?ネジ(・_・ 三・_・)ネジ?
ではなくて、島津のお殿様
薩摩藩代11代藩主
島津な・り・あ・き・ら公であらせられられ…
口が回りませんねw
大河ドラマの「篤姫」を観ておられた方はご存知
桃太郎侍!でお馴染みのポンポンポン
高橋英樹さんが演じられていた
と~っても賢い素敵なお殿様でしたね。
知らな~ぃという方には
あ・と・で(* ̄◎ ̄*)♥
照国神社は初詣の参拝者も例年
鹿児島県1位の神社の神社です。
賢くなりますように…(*_ _)人パンパン
参拝をすませたら
おみくじ~♪
やった!オオーw(*゜o゜*)w大吉でごわす!
お次は境内に併設されている
島津斉彬公の宝物館にp( ̄ー ̄\)☆ミLetsGo!
ここで西郷隆盛さんが登場でごわす
西郷さんて武闘派のイメージでしたが…
西郷どんは身分の低~い藩士の生まれ
子供の頃に肘に大きなケガをしてしまい武芸ではなく
学問に励んだ人だったのですね。
書が巧みであったセンチメンタルジャーニー♪(16歳)
西郷青年は薩摩市役所(藩の書役)に就職
しかしこのお仕事は出張も多くて凄い激務
ムリムリムリムリ))))と
せっかくお勤め出来たのに辞職する先輩もいました。
西郷さんは肘は痛めてはいましたが
180cmのビックな男
貧しい出ゆえにハングリー
幼い兄弟達もいて…
う~ん、
薄々は感づいていましたが
巨人の星の左門豊作って
西郷さんそのものですね~っ
話を戻しまして(^。^;)
そんな西郷青年に目を付けた斉彬会長は
彼を「お庭番」庭方役に任命します。
役職はとても低いのですが
庭方役は唯一、会長と(藩主)と
アポ無しで直接お話が出来る役職でした。
「必ずモノになる」
斉彬会長は身分が低くても将来有望である西郷青年を
身近に置いて誰にも気兼ねする事なく教育しました。
生涯を捧げようと誓った西郷青年の姿が目に浮かびますね…
ね、なんだか斉彬公かっこいいじゃないですか(*´∇`*)
まだチョンマゲだった時代
斉彬公は駅前留学もないのに
書物だけで学び英文まで書いちゃう
ネットじゃなくて地球儀を見つめながら
世界中の日本を見据えていたんですね~っ
斉彬公の多才ぶりには驚きましたが
「絵」には((´д`)) ぶるっとしました!
この躍動感…
凄い!
そして「静」の表現…
ここまで(´ρ`)ヘ~っそうなんだぁと
興味がない方にはインパクトが薄いかも知れませんが
お次は如何でしょう。。。
島津斉彬は薩摩切子で有名なガラス細工や櫨蝋や焼物
造船にも力を入れていました。
幕府はこの頃
大きい船造ったら大名の水軍力があがっちゃうよね
禁止しておこっと!(大船建造禁止令)
あ、ペリー来た!
ヘ(( ̄Д ̄;;)ノ~大きい船造って良いよ!!大砲もね!
斉彬は西洋人が設計した図を基に
桜島で船を造りました。
後に設計者がその船を見て
スバラシイ…見タ事モ無イモノヲ
コレ程正確二作リ上ゲルトハ…
ドノヨウナ人物ナノカ
と、舌を巻いたと言われる素晴らしい
大型の洋式軍艦「昇平丸」を造りあげたのです。
「昇平丸」は幕府に献上することになりました。
その際、外国船と区別するための標識が必要となり
政府はこの旗を掲げると決めていましたが
(徳川氏の先祖である新田氏の旗)
斉彬が(;`O´)ちょっそれはヤダーッ(私もヤダ)
「歴史的に日本が使用してきた印である日の丸に致しましょう」
と、幕府に進言したのです。
斉彬は桜島から昇る太陽を美しく思い
「これを国旗にしよう」と家臣に言ったとされています。
これが日の丸が現在の国旗になった由来でごわす。
知らなかったなぁ~っ日本人なのにね(^。^;)
斉彬公って本当に素晴らしい人だったんだなぁ…
あ、そうそうこの内容に嘘はございませんが
あくまでも歴史が得意ではない
にわか歴女がザックリと理解した内容ですので
ご了承下さいませ~っ((((((^_^;)ノ
今日は前回、九州を旅した際に一目惚れした
白薩摩焼の珈琲茶碗で…♪
ソーサーの太っちょスズメがお気に入りです♥
《作:十五代 沈寿官 》
~つづく~(=⌒ー⌒=)ノ~☆・
いやぁ マイとかちが繋がらなくなって驚きましたね~っ
まさか大雪で?などとハラハラ思いを巡らせつつ
ちょっと体調を崩していたところなので
私のおさぼり心。。。ウズウズ
危ういところでしたなぁ(;^_^A
さて、ところは九州は鹿児島へ…
照国神社に訪れました
小雨ぽつぽつ…
こちらの神社には島津斉彬公を祀っておられます。
え?なかおあきら?ネジ(・_・ 三・_・)ネジ?
ではなくて、島津のお殿様
薩摩藩代11代藩主
島津な・り・あ・き・ら公であらせられられ…
口が回りませんねw
大河ドラマの「篤姫」を観ておられた方はご存知
桃太郎侍!でお馴染みのポンポンポン
高橋英樹さんが演じられていた
と~っても賢い素敵なお殿様でしたね。
知らな~ぃという方には
あ・と・で(* ̄◎ ̄*)♥
照国神社は初詣の参拝者も例年
鹿児島県1位の神社の神社です。
賢くなりますように…(*_ _)人パンパン
参拝をすませたら
おみくじ~♪
やった!オオーw(*゜o゜*)w大吉でごわす!
お次は境内に併設されている
島津斉彬公の宝物館にp( ̄ー ̄\)☆ミLetsGo!
ここで西郷隆盛さんが登場でごわす
西郷さんて武闘派のイメージでしたが…
西郷どんは身分の低~い藩士の生まれ
子供の頃に肘に大きなケガをしてしまい武芸ではなく
学問に励んだ人だったのですね。
書が巧みであったセンチメンタルジャーニー♪(16歳)
西郷青年は薩摩市役所(藩の書役)に就職
しかしこのお仕事は出張も多くて凄い激務
ムリムリムリムリ))))と
せっかくお勤め出来たのに辞職する先輩もいました。
西郷さんは肘は痛めてはいましたが
180cmのビックな男
貧しい出ゆえにハングリー
幼い兄弟達もいて…
う~ん、
薄々は感づいていましたが
巨人の星の左門豊作って
西郷さんそのものですね~っ
話を戻しまして(^。^;)
そんな西郷青年に目を付けた斉彬会長は
彼を「お庭番」庭方役に任命します。
役職はとても低いのですが
庭方役は唯一、会長と(藩主)と
アポ無しで直接お話が出来る役職でした。
「必ずモノになる」
斉彬会長は身分が低くても将来有望である西郷青年を
身近に置いて誰にも気兼ねする事なく教育しました。
生涯を捧げようと誓った西郷青年の姿が目に浮かびますね…
ね、なんだか斉彬公かっこいいじゃないですか(*´∇`*)
まだチョンマゲだった時代
斉彬公は駅前留学もないのに
書物だけで学び英文まで書いちゃう
ネットじゃなくて地球儀を見つめながら
世界中の日本を見据えていたんですね~っ
斉彬公の多才ぶりには驚きましたが
「絵」には((´д`)) ぶるっとしました!
この躍動感…
凄い!
そして「静」の表現…
ここまで(´ρ`)ヘ~っそうなんだぁと
興味がない方にはインパクトが薄いかも知れませんが
お次は如何でしょう。。。
島津斉彬は薩摩切子で有名なガラス細工や櫨蝋や焼物
造船にも力を入れていました。
幕府はこの頃
大きい船造ったら大名の水軍力があがっちゃうよね
禁止しておこっと!(大船建造禁止令)
あ、ペリー来た!
ヘ(( ̄Д ̄;;)ノ~大きい船造って良いよ!!大砲もね!
斉彬は西洋人が設計した図を基に
桜島で船を造りました。
後に設計者がその船を見て
スバラシイ…見タ事モ無イモノヲ
コレ程正確二作リ上ゲルトハ…
ドノヨウナ人物ナノカ
と、舌を巻いたと言われる素晴らしい
大型の洋式軍艦「昇平丸」を造りあげたのです。
「昇平丸」は幕府に献上することになりました。
その際、外国船と区別するための標識が必要となり
政府はこの旗を掲げると決めていましたが
(徳川氏の先祖である新田氏の旗)
斉彬が(;`O´)ちょっそれはヤダーッ(私もヤダ)
「歴史的に日本が使用してきた印である日の丸に致しましょう」
と、幕府に進言したのです。
斉彬は桜島から昇る太陽を美しく思い
「これを国旗にしよう」と家臣に言ったとされています。
これが日の丸が現在の国旗になった由来でごわす。
知らなかったなぁ~っ日本人なのにね(^。^;)
斉彬公って本当に素晴らしい人だったんだなぁ…
あ、そうそうこの内容に嘘はございませんが
あくまでも歴史が得意ではない
にわか歴女がザックリと理解した内容ですので
ご了承下さいませ~っ((((((^_^;)ノ
今日は前回、九州を旅した際に一目惚れした
白薩摩焼の珈琲茶碗で…♪
ソーサーの太っちょスズメがお気に入りです♥
《作:十五代 沈寿官 》
~つづく~(=⌒ー⌒=)ノ~☆・
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