2011716(土)

奇跡の船「宗谷」プロローグ+。(*゜ェ゜*)。+


奇跡の船「宗谷」プロローグ+。(*゜ェ゜*)。+


夕飯のアジの開きの小骨が
喉の奥にひっかかりまだ取れません
ご飯を丸呑みするも

( ̄ー ̄)…イガイガチクチク

さっき電話に出たら掠れた変な声がでました(涙)

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さて、私の日記はどうも飛び飛びになりがちですが
今日は東京ドタバタ旅行の最終回になります。
前回までの日記夏はカレー!薬膳カレーin中目黒

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素敵なホテルで朝食を…と、気取りたかったのですが
残念ながら予算上…素泊まりでw

夜にコンビニで買っておいたレタスハムサンドを
パクパクと口に運びつつ
インスタントのドリップ珈琲で流し込むという
簡単な朝食を取りながらではありましたが
窓からは丹下健三がデザインした東京都庁を
眺められるという贅沢さを味わえました。

大迫力ぅ~~っ!!
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おおお…(o゜ω゜o)ノ

ゆっくりはしていられません
さてさて出発~っ!!


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この日の目的地は『船の科学館』外部リンクです。
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私を含めまして女性にはちょっと
理解を深めるのが難しい「船」の世界ですが
ここに展示してある船「宗谷」の奇跡の物語を知り
この船に会いたい!と思ってしまいました。

風のなかのスバル~♪

プロジェクトXX…でも放送されました。

その奇跡の船と言われる由縁を私なりの解釈で書くので
多々解りにくい点や勘違いもあるかも知れませんので
ふわ~っと聞き流して頂ければ幸いです(笑)


~奇跡の船「宗谷」~

時は昭和 敗戦後の日本は沈みきっていました。
そんな中、日本の未来を左右するかも知れない
一通の手紙が東京大学に届きます。


“ブリュッセルで行われる南極への共同観測会議”
参加の意志を問うものでした。

そしてその会議に心を躍らせて参加したのは
永田武氏(当時:41才バカボンのパパと同い年・東京大学理学部教授ノーベル賞候補)

会議に参加したのは10カ国
アメリカを初めとする戦勝国ばかり

( ̄ー ̄)俺達勝ち組だもんね~っ( ̄ー ̄)

未知の大陸である南極で
天体・気象・地球科学・生物学など
様々な分野の可能性を話し合っていたところ

オーストラリアとニュージーランドの代表から
日本への罵声が飛びました。

「なぜニッポンがここにいるのか」
「ニッポンは国際舞台に上がる資格は無い」


うわぁ…日本が敗戦国で貧困真っ只中
予算が無いだろうという考えもあったと思いますが
まだ強く有色人種への差別迫害が強い時代だったことが
伺える発言ですね。

怒るでしかし(*`д´)ノ
コアラのマーチを鷲づかみして
キウィを皮ごとムシャムシャと噛んでやりたくなった私です。


勿論それ以上の屈辱を受けた

(メ`皿´)←熱い日本男児永田武

議長から日本はこの観測に参加できるのかという質問に

「日本は参加できます」←悔しさから出ちゃった言葉

日本に戻ると早速、大蔵省(財務省)を尋ね
南極観測への参加を訴えるのですが

「南極ぅ?そんなものに金は出せない」ヾノ・´ω`・)

こういう姿勢って最近でいえば文部省の
「2位じゃダメなんですか?」
発言の白いスーツの仕分け人の姿が浮かびますね。
この人…クラリオンガールだったよなぁ…
といつも思ってしまう世代ですw


そんな国の門前払いの対応にも
熱血感の溢れる永田氏は諦めずに方々に働きかけます。
しかし敗戦に沈みきった世の中で
人々は飢え心まで冷え切ってしまったのか
大きな夢を語る永田氏を世間は変人扱いしてしまいます。

と、そこに一人の男が現れる

「私も同じ気持ちを持っている日本は南極に行くべきだ」

永田の思いに強く賛同したその人は
朝日新聞の名物編集長である広岡氏でした。

連日新聞で南極へ観測への支援を呼びかけるキャンペーンを打ち上げ
国民の力で日本隊を南極に送ろうと訴え続けると
まもなく全国で募金運動が始まりました。

するとここで一つ目の奇跡が起こります

ちっちゃな手に小銭を握り締めた子供達が
募金に押し寄せてきたのです。


その歩みは10万人を突破
「日本を南極へ!」
小さな子供達のキラキラした希望が
暗闇で燻っていた大人たちの心にも火を灯し
その夢は国民の希望になっていきました。
支援の輪は広がりやがて文部省や運輸省も動き出します
ヾ(-ε-o)…オソイッチュウノ

ついに国が「南極観測閣議決定」を決め国家プロジェクトが動き出します。
゜*。(*゜ェ゜ノノ゛☆パチパチパチ

日本はこうして国際的な共同観測に
参加することが出来たのですが
割り当てられた観測地は

「inaccessible」
いんあくせさぼぅ

アメリカやイギリスが7回も挑戦したけど凍りに阻まれ
失敗した地形も何もわからない大変危険な場所
『接近不可能』というトムクルーズもビックリな
未開の地だったのです。

なんか意地悪くなぃ?…ヾ(-ε-o)

え~参加するんだぁ~っ?
だったらココ行ってみて
無理だと思うけどぉww
みたいな臭いがプンプンです

途中、船の墓場と言われる難所を通り抜け
氷に阻まれ遭難する船も相次いでいる
2万キロの命がけの航海

重大な国家プロジェクト
厚い氷に耐えられる強靭な船が必要になる
しかし日本には予算も時間もなかったのです
中古の船の中で選ばれた船を
メンバーが確認しに港に行きました。


ボロボロ…ガガガ━(ll゜д゜ll)━ン!!唖然


それが「宗谷」と南極観測隊の運命の出会いです。

宗谷は灯台補給船で建造18年船体は
サビサビで甲板は穴だらけ

しかしこのオンボロ船の宗谷
戦時中海軍の物資輸送船として働き
他の船が次々に撃沈されるなかで生き残り
攻撃されても急所は外れ
魚雷に直撃されても不発弾
まさに強運を持つ船だったのです。

プロジェクトはこのボロボロの船
宗谷の強運にかけることにしたのです。

そして宗谷のお直しが始まります。

日本の未来がっかった大改造劇的ビフォーアフターを
担当することになった匠…゜+。(*゜ェ゜*)。+ワクワク

しかしそこに現れたのは
年老いたお爺ちゃんだったのです。( ̄ω ̄;)!?

しかしこのお爺ちゃんは只者ではありませんでした。
な、なんと、日本の命運をかけた世界最大の軍艦
「戦艦大和」の設計をした牧野茂氏だったのです。

しかしまたまた宗谷の前に大きな問題が立ちはだかります
あまりの工期の少なさに大手の造船所が皆尻込みしてしまったのです。

出航まで一年を切りました。
もしこのまま間に合わなければ日本は
(´σ¨_、`)あ~やっぱ無理?
と、見下されてしまいます。

その時、横浜の小さな会社が手をあげました。
船専門の修理工場「浅野ドック」
会社は小さいけれど腕は日本一と評判の会社でした。

「お国の危機だ!どんな無理をしても間に合わせる!」

大きな機材は無く職人の腕だけが頼り
前代未聞の工事が始まります。

工期はあと9ヶ月!
間に合うのか…

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あ、こんな時間(o゜ェ゜o)ノ
続きはまた次回に・・・

✲それでは皆さん良い休日をお過ごし下さいませ✲







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