2011年7月26日(火)
南極着岸!天才と世界で最高の落ちこぼれ達(終)
旅行日記×93
トップ画像は兵庫県にある『植村直己冒険館』です。
1994年の開館式には病身の身を押して出席した
西堀栄三郎氏の姿がありました。
「宗谷」南極観測隊の最終話になりますが
今までのお話はココ①
②
副隊長の西堀氏は南極横断を生涯の夢とした植村直己に
六分儀等の天測装置とその使用法を教えるなど、
有力な支持者の一人でもありました。
植村直己さんに人気があるのは
彼が素晴らしい冒険家だということだけではなく
その人柄にあるように感じます。
こんなエピソードを一つ…
世界最高峰エベレストへ日本人で初めて登頂する時
あと数メートルの地点で一緒に登山していたチームメイトに
植村直己は
「先輩どうぞお先に登頂してください」
と先を譲りました。
極限の状態であるにも関わらずこんなことが
出来るなんてなかなか出来ることではないと思います。
そして下で待っている登頂出来なかったチームメイト達へ
ただでさえ30キロはある重いリュックに
ありったけの石を詰めて帰ってチームメイト達に手渡しました。
同じ重さのリュックを背負ってみましたが
立ち上がるのがやっとでした
ヒィー(>ω<ノ)ノ重っ!!
登山直前に奥様と交わされている会話が公開されていたのですが
「もぉ~やだな~行きたくないよ~」
なんてダダを捏ねて甘えている人間らしい直己さんにも
とても親近感が湧きました(笑)
豊かな緑の中ある記念館は植村直己さんの笑顔にピッタリで
素敵な記念館でしたよ♪
≪南極着岸!天才と世界で最高の落ちこぼれ達≫
宗谷は立ちふさがる氷の壁を砕きながら
グイグイと進んでいった
船員達はその雄姿に歓喜していた
しかしその後船は氷の海でびくとも動かなくなってしまった
ダイナマイトを爆破させても効果はなし
厳しい現実に皆の心に動揺が走った
凹む隊長…
コンコン
西堀副隊長だった
南極にたどり着いたら、そのまま越冬観測をさせて下さい。
今回を含め南極につける保証はありません。
欧米はすでに観測をはじめて います。
今大事なのは、観測成果を世界に知らしめることです。
( `д´⊂彡☆))Д´)欧米かっ!
一応こういうのも挟んでおきます
西堀氏の気持は痛いほどに伝わったが
人命に係わる決断…
考えさせて欲しい
びくともしない氷の壁
なすすべもないまま氷に閉ざされて3日目
「あ!!あそこをみて下さい!!」
隊員が氷の亀裂を発見
・・・(。_。(゜ω゜(。_。(゜ω゜!!
巨大な氷の海にできた小さな細い亀裂が
南へ伸びていた
ココに突っ込んで行くしかない!
しかし宗谷が耐え切れなかったら…
メキメキと轟音をたてながら
宗谷は突き進んだ
隊員達は身を乗り出して祈るように見守っていた
2日後
ドスン
船は鈍い音をたてた
昭和32年1月24日(南極はギリギリ夏)
「inaccessible」
そう呼ばれていたプリンスハラルド海岸に宗谷は着岸した
世界が驚いた
トム・クルーズも!あ、生まれてないw
観測に参加する資格もないと見下された日本が
人類未踏の地に着いた!!
皆涙が止まらない隊員達と
誇らしげに揺れる日本の国旗
その当時動物園にもいなかった飛べない不思議な鳥
ペンギン達が迎えてくれました
募金した子供たち
国民の夢
国中が歓喜の声を上げました
届ける手立てもないのに
文部省にはたくさんのセーターや物資が送られてきました。
昭和基地と名づけられた観測基地に
プレハブ住宅が組み立てられました
喜びもつかの間
ココからが本当の決断と闘いになりました
本来の目的は「南極の観測」
余りに困難な航海に隊長は一旦全員帰還し
再度挑戦するという予定を立てていたのですが
西堀氏の
「今回を含め南極につける保証はありません…越冬観測を」
という生命がかかった懇願に
どう答えを出すべきか悩んでいました
二人は話し合いを重ねついに西堀氏の想いを受け入れて
越冬観測の許可をしました。
越冬を志願したのは10人の若者達
学校でも会社でも
落ちこぼれた者達ばかりだった。
南極に冬を告げる雪がちらつき始めていた
1年後必ず迎えに来ます!
それは確信のない約束だということを
誰もが心に抱きながらの別れだった
越冬隊員を残し宗谷は帰国
宗谷が去った後間もなく
想像を絶する極寒の冬がやってきました
プレハブ住宅は快適だったのですが
物凄いブリザードのごう音で研究テーマを見つけるどころか
眠ることさえままならない状態になりました
精神的にも落ち込み
白髪になってしまう隊員もいました
外になど出る者もいなくなり
若者達はマージャンをしたり日に日に自堕落な
生活を送るようになっていきました。
そんな中で西堀だけは黙々と研究に打ち込んでいました。
彼は19歳の時にアインシュタインの来日で通訳をした時に進路について
助言された忘れられない言葉がありました。
「誰もやったことの無い新しいことをやりなさい
一番大事なのはやってみる勇気だ」
その言葉を人生の中に深く刻み付けて生きてきました。
自堕落な生活を送る自分達に何も言わず
一人研究に打ち込む西堀氏の姿に
居た堪れなくなり若者達は西堀の部屋に訪れて
思いの丈を吐き出します
僕達は元々落ちこぼれなんです
観測なんかできっこないんです(≧ω≦ )ノ
大学の成績は芳しくなく就職のあても無い者
気象庁に勤めるも要領が悪く僻地ばかりに回らされていた者
そんな若者達の顔ばかりだった
明くる日、西堀は無線室に行くと担当者に
無線で外国と交信できないかと持ちかけます
担当者がマイクに向かい
「CQCQこちら日本隊南極基地」
発信してみると未開の地からの交信に
各国から声が次々に飛び込んできた
「南極とはどんなところだ!?」
「何の研究をしているんだ!?」
自堕落だった若者達の心がぐらりと揺れた
西堀氏は笑顔で若者達に言った
「自分をさげすむな、落ちこぼれ程強いんや」
゜+。(ノ`・Д・)ノオォオォ。+゜よっしゃぁっ!!
が、せっかくやる気だした矢先に…
朝起きると食料コンテナを載せた地面が割れて
流されてしまうのです
呆然とする若者達…
僅かに残された食料
宗谷が迎えにくるのはまだまだ数ヶ月も先だった
もう終わりだ…
皆遺書を書いた
妻と生まれたばかりの赤ん坊への想いをしたためるもの
父母、兄弟にしたためるもの…
青白く輝く美しい雪景色は隊員達にとっては
絶望の色に見えたことでしょう
ズドーーーン!!
ライフルの音
Σ(=Д=ノ)ノヒィィッ!!×10人
驚いて外へ出ると
ライフルを手にした西堀氏
傍らにはアザラシが横たわっていました
「やる前から諦める人間は一番つまらん人間や!」
食料も調達!なんちゅぅかっちょいぃ53才!!
またまた落ちこぼれ達の心は強く揺さぶられます
皆それぞれ手探りながら研究を始めます
気象庁にいた気弱な若者は
ブリザードの中で気象観測を始めた
「とにかくやってみなはれ」
西堀の言葉が若者達の心に響いていた
ペンギンの生態観察をする者
地質の調査を始める者
皆何かしら目的を決め始めていた
就職先の決まらなかった若者は
南極の夜空に輝くオーロラを不思議に思った
Σ(o゜ω゜o)ハッこれだ!
オーロラに関しての知識はゼロだった
「やってみなはれ」
西堀副隊長の言葉が胸に響いていた
観測小屋を建て
夢中で観測を続けた
徹夜も連日で頑張った
感じたことの無い充実感だった
観測を始めて1ヶ月が経とうとしていた
その日も明け方までデーターに目を通していた
暖をとっていたストーブのあたたかさ…疲労
ふわりと眠りに落ちてしまった
その時ストーブの近くにあった新聞紙に
運悪く引火してしまう
燃え盛る炎の中
逃げるのが精一杯だった
やっぱり自分はダメなんだ変われないんだ
小屋も測量機も観測データも灰になってしまった
全てダメにしてしまった…
数日後、彼は西堀の部屋に呼ばれた
恐る恐るドアを開けると
そこには鉄パイプで手作りしたオーロラの観測機と
西堀の笑顔があった
西堀氏はかつて東芝の技術者で
日本初の真空管を開発した天才技術者という
顔も持っていました。
火事くらいでくじけたらあかんで
なんもせんと手ぶらで返す訳にはいかんやろぉ
失敗したらまたやり直せばいいんや
これでまたやってみなはれ
責めるような言葉は一切なかった
。゜(PД`q。)゜。一生忘れません
そうして観測は充実して行きました。
間もなく越冬隊員達は約束の一年が経とうとしていました。
そして日本で更なるビフォーアフターを済ませた宗谷が
越冬隊員を迎えに向かっていました
しかしまたもや氷に阻まれあと200キロというところで
身動きが取れなくなってしまっていた。
40日が経過してしまった
越冬隊が危ない…
その時パイロットが救出を申し出ました
お世辞にも条件が良いとは言えない
南極の空へと小型飛行機が飛び発った
危険だがそれしか方法はなかった
ブリザードが吹けば終わり
極寒の南極パイロットの手に汗が滲んでいた
1時間後
大空から昭和基地が見えた
ん? あれは・・・
カ ン ゲ イ
パイロットの救出を知った隊員達が
空腹と疲労でフラフラになりながらも敬意を込めて
空から見えるように大きく「歓迎」と地面に書いたのだった
全ての隊員達が救出されました
堅く握手を交わす西堀氏と永田隊長
ここに『南極観測終了』する
持ち帰った観測結果は世界を驚かせました
手探りで集めた石は南極が地球最古の大陸だと
証明するきっかけとなりました
手作りの観測機で続けたオーロラ観測も
その発生の謎の解明に結びつきました
初めての越冬から43年、昭和基地は、
世界に誇る観測基地になり昭和59年には、
科学史に残る世界初のオゾンホールの発見し
環境破壊の深刻さを世界に警告しました
この天才カリスマ西堀氏と落ちこぼれ隊員11名が
奇跡の船宗谷と共に世界に日本人の底力を見せたのです
この南極観測は永田氏の
「日本は南極観測に参加出来ます!」と言い放った
勇気と熱意に始り新聞社が日本の復興を訴え
子供達の夢となり国民の願いとなり
西堀さんという素晴らしい人がいて
そしてその助言と支えを受けて行動した隊員達…
どれを欠かしても
成功しなかったと思います。
世間で「落ちこぼれ」と言われていた者達には
世界から「敗戦国」と蔑まれていた日本に重なる姿があるように感じました。
落ちこぼれこそ強いんや!!
話が横道にそれて私の文章力では
収拾がつかなくなりマイとかちの中で
遭難してしまいそうで省きましたが
このときに連れて行ったタロとジロを含む
樺太犬の飼育(犬係り)を任命された一人が
観測小屋を燃やしてしまった若者(北村泰一氏)でした。
人間達でさえやっと救出されたなかで
犬たちを連れてくることは困難でした。
そのときの北村氏の心情やその後のお話は
またいつか(ノω`*)
凄く感動した「宗谷」そして日本隊
日本国民が一丸となって世界に挑んだお話を
プロジェクトXをベースにしながら
その他の資料&私的感情を交え
拙い文章でお伝えしました。
楽しみにして頂いた方
初めて読んで頂いた方
ありがとうございました(*・ω・)*_ _))
宗谷ってなんか凄いじゃん!
くらいにでも伝わっていたら嬉しいです
最後に思いっきり私事ですが学生時代
「落ちこぼれクラス」だった自分達を
立ち直らせてくれた先生の事を私は今でも忘れていません
S先生、本当にありがとうございました。
さて、そろそろ私も北海道に出航する準備を始めなければ…
わが家の隊長に叱られそうですww
1994年の開館式には病身の身を押して出席した
西堀栄三郎氏の姿がありました。
「宗谷」南極観測隊の最終話になりますが
今までのお話はココ①
②
副隊長の西堀氏は南極横断を生涯の夢とした植村直己に
六分儀等の天測装置とその使用法を教えるなど、
有力な支持者の一人でもありました。
植村直己さんに人気があるのは
彼が素晴らしい冒険家だということだけではなく
その人柄にあるように感じます。
こんなエピソードを一つ…
世界最高峰エベレストへ日本人で初めて登頂する時
あと数メートルの地点で一緒に登山していたチームメイトに
植村直己は
「先輩どうぞお先に登頂してください」
と先を譲りました。
極限の状態であるにも関わらずこんなことが
出来るなんてなかなか出来ることではないと思います。
そして下で待っている登頂出来なかったチームメイト達へ
ただでさえ30キロはある重いリュックに
ありったけの石を詰めて帰ってチームメイト達に手渡しました。
同じ重さのリュックを背負ってみましたが
立ち上がるのがやっとでした
ヒィー(>ω<ノ)ノ重っ!!
登山直前に奥様と交わされている会話が公開されていたのですが
「もぉ~やだな~行きたくないよ~」
なんてダダを捏ねて甘えている人間らしい直己さんにも
とても親近感が湧きました(笑)
豊かな緑の中ある記念館は植村直己さんの笑顔にピッタリで
素敵な記念館でしたよ♪
≪南極着岸!天才と世界で最高の落ちこぼれ達≫
宗谷は立ちふさがる氷の壁を砕きながら
グイグイと進んでいった
船員達はその雄姿に歓喜していた
しかしその後船は氷の海でびくとも動かなくなってしまった
ダイナマイトを爆破させても効果はなし
厳しい現実に皆の心に動揺が走った
凹む隊長…
コンコン
西堀副隊長だった
南極にたどり着いたら、そのまま越冬観測をさせて下さい。
今回を含め南極につける保証はありません。
欧米はすでに観測をはじめて います。
今大事なのは、観測成果を世界に知らしめることです。
( `д´⊂彡☆))Д´)欧米かっ!
一応こういうのも挟んでおきます
西堀氏の気持は痛いほどに伝わったが
人命に係わる決断…
考えさせて欲しい
びくともしない氷の壁
なすすべもないまま氷に閉ざされて3日目
「あ!!あそこをみて下さい!!」
隊員が氷の亀裂を発見
・・・(。_。(゜ω゜(。_。(゜ω゜!!
巨大な氷の海にできた小さな細い亀裂が
南へ伸びていた
ココに突っ込んで行くしかない!
しかし宗谷が耐え切れなかったら…
メキメキと轟音をたてながら
宗谷は突き進んだ
隊員達は身を乗り出して祈るように見守っていた
2日後
ドスン
船は鈍い音をたてた
昭和32年1月24日(南極はギリギリ夏)
「inaccessible」
そう呼ばれていたプリンスハラルド海岸に宗谷は着岸した
世界が驚いた
トム・クルーズも!あ、生まれてないw
観測に参加する資格もないと見下された日本が
人類未踏の地に着いた!!
皆涙が止まらない隊員達と
誇らしげに揺れる日本の国旗
その当時動物園にもいなかった飛べない不思議な鳥
ペンギン達が迎えてくれました
募金した子供たち
国民の夢
国中が歓喜の声を上げました
届ける手立てもないのに
文部省にはたくさんのセーターや物資が送られてきました。
昭和基地と名づけられた観測基地に
プレハブ住宅が組み立てられました
喜びもつかの間
ココからが本当の決断と闘いになりました
本来の目的は「南極の観測」
余りに困難な航海に隊長は一旦全員帰還し
再度挑戦するという予定を立てていたのですが
西堀氏の
「今回を含め南極につける保証はありません…越冬観測を」
という生命がかかった懇願に
どう答えを出すべきか悩んでいました
二人は話し合いを重ねついに西堀氏の想いを受け入れて
越冬観測の許可をしました。
越冬を志願したのは10人の若者達
学校でも会社でも
落ちこぼれた者達ばかりだった。
南極に冬を告げる雪がちらつき始めていた
1年後必ず迎えに来ます!
それは確信のない約束だということを
誰もが心に抱きながらの別れだった
越冬隊員を残し宗谷は帰国
宗谷が去った後間もなく
想像を絶する極寒の冬がやってきました
プレハブ住宅は快適だったのですが
物凄いブリザードのごう音で研究テーマを見つけるどころか
眠ることさえままならない状態になりました
精神的にも落ち込み
白髪になってしまう隊員もいました
外になど出る者もいなくなり
若者達はマージャンをしたり日に日に自堕落な
生活を送るようになっていきました。
そんな中で西堀だけは黙々と研究に打ち込んでいました。
彼は19歳の時にアインシュタインの来日で通訳をした時に進路について
助言された忘れられない言葉がありました。
「誰もやったことの無い新しいことをやりなさい
一番大事なのはやってみる勇気だ」
その言葉を人生の中に深く刻み付けて生きてきました。
自堕落な生活を送る自分達に何も言わず
一人研究に打ち込む西堀氏の姿に
居た堪れなくなり若者達は西堀の部屋に訪れて
思いの丈を吐き出します
僕達は元々落ちこぼれなんです
観測なんかできっこないんです(≧ω≦ )ノ
大学の成績は芳しくなく就職のあても無い者
気象庁に勤めるも要領が悪く僻地ばかりに回らされていた者
そんな若者達の顔ばかりだった
明くる日、西堀は無線室に行くと担当者に
無線で外国と交信できないかと持ちかけます
担当者がマイクに向かい
「CQCQこちら日本隊南極基地」
発信してみると未開の地からの交信に
各国から声が次々に飛び込んできた
「南極とはどんなところだ!?」
「何の研究をしているんだ!?」
自堕落だった若者達の心がぐらりと揺れた
西堀氏は笑顔で若者達に言った
「自分をさげすむな、落ちこぼれ程強いんや」
゜+。(ノ`・Д・)ノオォオォ。+゜よっしゃぁっ!!
が、せっかくやる気だした矢先に…
朝起きると食料コンテナを載せた地面が割れて
流されてしまうのです
呆然とする若者達…
僅かに残された食料
宗谷が迎えにくるのはまだまだ数ヶ月も先だった
もう終わりだ…
皆遺書を書いた
妻と生まれたばかりの赤ん坊への想いをしたためるもの
父母、兄弟にしたためるもの…
青白く輝く美しい雪景色は隊員達にとっては
絶望の色に見えたことでしょう
ズドーーーン!!
ライフルの音
Σ(=Д=ノ)ノヒィィッ!!×10人
驚いて外へ出ると
ライフルを手にした西堀氏
傍らにはアザラシが横たわっていました
「やる前から諦める人間は一番つまらん人間や!」
食料も調達!なんちゅぅかっちょいぃ53才!!
またまた落ちこぼれ達の心は強く揺さぶられます
皆それぞれ手探りながら研究を始めます
気象庁にいた気弱な若者は
ブリザードの中で気象観測を始めた
「とにかくやってみなはれ」
西堀の言葉が若者達の心に響いていた
ペンギンの生態観察をする者
地質の調査を始める者
皆何かしら目的を決め始めていた
就職先の決まらなかった若者は
南極の夜空に輝くオーロラを不思議に思った
Σ(o゜ω゜o)ハッこれだ!
オーロラに関しての知識はゼロだった
「やってみなはれ」
西堀副隊長の言葉が胸に響いていた
観測小屋を建て
夢中で観測を続けた
徹夜も連日で頑張った
感じたことの無い充実感だった
観測を始めて1ヶ月が経とうとしていた
その日も明け方までデーターに目を通していた
暖をとっていたストーブのあたたかさ…疲労
ふわりと眠りに落ちてしまった
その時ストーブの近くにあった新聞紙に
運悪く引火してしまう
燃え盛る炎の中
逃げるのが精一杯だった
やっぱり自分はダメなんだ変われないんだ
小屋も測量機も観測データも灰になってしまった
全てダメにしてしまった…
数日後、彼は西堀の部屋に呼ばれた
恐る恐るドアを開けると
そこには鉄パイプで手作りしたオーロラの観測機と
西堀の笑顔があった
西堀氏はかつて東芝の技術者で
日本初の真空管を開発した天才技術者という
顔も持っていました。
火事くらいでくじけたらあかんで
なんもせんと手ぶらで返す訳にはいかんやろぉ
失敗したらまたやり直せばいいんや
これでまたやってみなはれ
責めるような言葉は一切なかった
。゜(PД`q。)゜。一生忘れません
そうして観測は充実して行きました。
間もなく越冬隊員達は約束の一年が経とうとしていました。
そして日本で更なるビフォーアフターを済ませた宗谷が
越冬隊員を迎えに向かっていました
しかしまたもや氷に阻まれあと200キロというところで
身動きが取れなくなってしまっていた。
40日が経過してしまった
越冬隊が危ない…
その時パイロットが救出を申し出ました
お世辞にも条件が良いとは言えない
南極の空へと小型飛行機が飛び発った
危険だがそれしか方法はなかった
ブリザードが吹けば終わり
極寒の南極パイロットの手に汗が滲んでいた
1時間後
大空から昭和基地が見えた
ん? あれは・・・
カ ン ゲ イ
パイロットの救出を知った隊員達が
空腹と疲労でフラフラになりながらも敬意を込めて
空から見えるように大きく「歓迎」と地面に書いたのだった
全ての隊員達が救出されました
堅く握手を交わす西堀氏と永田隊長
ここに『南極観測終了』する
持ち帰った観測結果は世界を驚かせました
手探りで集めた石は南極が地球最古の大陸だと
証明するきっかけとなりました
手作りの観測機で続けたオーロラ観測も
その発生の謎の解明に結びつきました
初めての越冬から43年、昭和基地は、
世界に誇る観測基地になり昭和59年には、
科学史に残る世界初のオゾンホールの発見し
環境破壊の深刻さを世界に警告しました
この天才カリスマ西堀氏と落ちこぼれ隊員11名が
奇跡の船宗谷と共に世界に日本人の底力を見せたのです
この南極観測は永田氏の
「日本は南極観測に参加出来ます!」と言い放った
勇気と熱意に始り新聞社が日本の復興を訴え
子供達の夢となり国民の願いとなり
西堀さんという素晴らしい人がいて
そしてその助言と支えを受けて行動した隊員達…
どれを欠かしても
成功しなかったと思います。
世間で「落ちこぼれ」と言われていた者達には
世界から「敗戦国」と蔑まれていた日本に重なる姿があるように感じました。
落ちこぼれこそ強いんや!!
話が横道にそれて私の文章力では
収拾がつかなくなりマイとかちの中で
遭難してしまいそうで省きましたが
このときに連れて行ったタロとジロを含む
樺太犬の飼育(犬係り)を任命された一人が
観測小屋を燃やしてしまった若者(北村泰一氏)でした。
人間達でさえやっと救出されたなかで
犬たちを連れてくることは困難でした。
そのときの北村氏の心情やその後のお話は
またいつか(ノω`*)
凄く感動した「宗谷」そして日本隊
日本国民が一丸となって世界に挑んだお話を
プロジェクトXをベースにしながら
その他の資料&私的感情を交え
拙い文章でお伝えしました。
楽しみにして頂いた方
初めて読んで頂いた方
ありがとうございました(*・ω・)*_ _))
宗谷ってなんか凄いじゃん!
くらいにでも伝わっていたら嬉しいです
最後に思いっきり私事ですが学生時代
「落ちこぼれクラス」だった自分達を
立ち直らせてくれた先生の事を私は今でも忘れていません
S先生、本当にありがとうございました。
さて、そろそろ私も北海道に出航する準備を始めなければ…
わが家の隊長に叱られそうですww
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