2013年1月1日(火)
たかの勝仁後援会長として迎えた新年
まちづくり・政治×59
○不出馬ごめんなさい
4年前、町長選で敗れて、私は酪農家に戻りました。あの時の、十二月に入ってからの出馬表明は、迷いに迷った末、えいやっと身を投げるような決断でした。「一回だけトライさせてくれ、勝てば町長、負ければ牛飼い。」と言って妻を説得しました。
しかし、九十五票差という僅差での負けだったため、再度のチャレンジを期待する声が大きくなってしまい、はっきり、もうできませんと言えなかったことで、多くの皆さんにご迷惑をおかけすることになってしまいました。そのことは、本当に申し訳なく思います。
酪農家としてやりたいことはたくさんありました。土地利用型農業としての酪農経営。輸入穀類にできるだけ依存しない自立した経営。その成果としての独自ブランド乳製品の販売。酪農に新規参入を目指す若者の支援。酪農を都市の人々に理解してもらう交流活動。酪農経営そのものを資源とした滞在型体験観光。今、それらは、本当に小規模ではありますが、実現しつつあります。
今、それらを放り出すことはできなくなってしまいました。清水町という町は新しいことを始める人に冷たく、出る杭は打たれるため、ああしたらいい、こうしたらいいとアイデアを持った人はすごくたくさんいるのですが、それを実行する現場のプレイヤーがいません。やったらいいと思うことはことはまず自らがやってみるしかないと強く思うようになりました。
そんな中で、高野勝仁さんは、30年近く勤めた役場を退職して、まちづくりの先頭に立つことを決心してくれました。
○私が議員になるきっかけを作った人
生活の安定を理由に公務員をめざす人が少なくない中で、その職をなげうって、町のために働こうという彼の強い意志に、私は敬意を表したいと思います。そして、彼ならば、私を支援してくださった方たちにも申し訳が立つとの思いから、後援会長を引き受けました。
彼との出会いは12年前になります。右肩上がりだった町の財政が下り坂に転じ、今までのようにお金を使っていたら、町の財政は借金だらけで破綻してしまう危機的状況でした。
そのことを、担当していた「広報しみず」に書こうとしたのですが、町民を不安にするとの理由で止められました。町民に正しい情報を伝えなければ正しい町政はできない。そう感じた彼は、町民を巻き込んだまちづくりの勉強会を作りました。私も誘われてこの会に入りました。そこで学んでいくうちに、町議会議員になることになり、町長選にも出馬することになりました。
町職員や町議会議員だけでなく、ふつうの町民も町のことをよく知り、みんなで町を良くしていこうということで、まるごと向上委員会と名付けられたこの勉強会は、町議会議員の会派や町の課長会、各種団体と懇談会を開いたほか、北大の宮脇先生や北海学園の森先生を相次いで講師に招き、財政危機を町民で議論するフォーラムを開催しました。
最初は、自治体が倒産するなんてことがあるわけないだろうと言われましたが、この活動があったからこそ、町民全体が危機感を持って、一足早く財政再建に取り組むことができたのだと思います。高野勝仁さんがいなければ、財政健全化のの取り組みはもっともっと遅れていたことは間違いありません。
○これからは先見性が大事
リーダーに必要なことは、先を見通してどこに向かうかをほかのものより先に知り、必要なことが実行できることだと思います。
財政危機から目をそらし、問題を先送りしようとした上司たちの方針に疑問を感じ、勉強会を作った高野勝仁さんの先見性こそが、これからの時代に必要とされると考えます。
現町政に不満のない人々が多いということは、問題を先送りしてぬるま湯につかっていることに多くの人が気付いていないということでもあります。
国の予算の半分が借金であること。東日本大震災の復興に莫大な費用が必要なこと。少子高齢化で社会保障の負担が重くなること。どう考えても、財政的にはこれからの方が厳しくなるのは明らかなのに、清水町の財政問題は一段落したかのような発言が聞こえてくるのはどういうことでしょうか。
○少子高齢化時代のまちづくり
これからの時代に対する不安は、単なる不安ではありません。少子高齢化は必ず直面する、避けられない現象です。がんばれば少子高齢化を止められると考えるのではなく、少子高齢化の下でも幸せに暮らせるためにどうすればいいのかを逃げずに考えることが大事です。
そして、確実に来るであろう事態への対応は、一日でも早くすることが肝心です。しかし、清水町には崖っぷちに追い込まれないと取り組まない悪文化があります。そこを変えられるのは、先見性を持ったリーダーしかいません。
過去の右肩上がりの時代の成功体験が、正しい選択を妨げることになると考えます。
10年後、20年後の人口、年齢構成を考えながら、その頃の町民に理不尽な負担をかけない計画的な社会資本整備、コンパクトな都市計画、町民の起業や自主的な活動の支援、病後の治療から予防や健康づくり重視への転換など、発想の転換が必要です。
あのころは良かった、がんばって何とかしてあのころに戻りたい、という気持ちのままでは、これからの時代にしあわせなまちをつくることはできないと思います。
4年前、町長選で敗れて、私は酪農家に戻りました。あの時の、十二月に入ってからの出馬表明は、迷いに迷った末、えいやっと身を投げるような決断でした。「一回だけトライさせてくれ、勝てば町長、負ければ牛飼い。」と言って妻を説得しました。
しかし、九十五票差という僅差での負けだったため、再度のチャレンジを期待する声が大きくなってしまい、はっきり、もうできませんと言えなかったことで、多くの皆さんにご迷惑をおかけすることになってしまいました。そのことは、本当に申し訳なく思います。
酪農家としてやりたいことはたくさんありました。土地利用型農業としての酪農経営。輸入穀類にできるだけ依存しない自立した経営。その成果としての独自ブランド乳製品の販売。酪農に新規参入を目指す若者の支援。酪農を都市の人々に理解してもらう交流活動。酪農経営そのものを資源とした滞在型体験観光。今、それらは、本当に小規模ではありますが、実現しつつあります。
今、それらを放り出すことはできなくなってしまいました。清水町という町は新しいことを始める人に冷たく、出る杭は打たれるため、ああしたらいい、こうしたらいいとアイデアを持った人はすごくたくさんいるのですが、それを実行する現場のプレイヤーがいません。やったらいいと思うことはことはまず自らがやってみるしかないと強く思うようになりました。
そんな中で、高野勝仁さんは、30年近く勤めた役場を退職して、まちづくりの先頭に立つことを決心してくれました。
○私が議員になるきっかけを作った人
生活の安定を理由に公務員をめざす人が少なくない中で、その職をなげうって、町のために働こうという彼の強い意志に、私は敬意を表したいと思います。そして、彼ならば、私を支援してくださった方たちにも申し訳が立つとの思いから、後援会長を引き受けました。
彼との出会いは12年前になります。右肩上がりだった町の財政が下り坂に転じ、今までのようにお金を使っていたら、町の財政は借金だらけで破綻してしまう危機的状況でした。
そのことを、担当していた「広報しみず」に書こうとしたのですが、町民を不安にするとの理由で止められました。町民に正しい情報を伝えなければ正しい町政はできない。そう感じた彼は、町民を巻き込んだまちづくりの勉強会を作りました。私も誘われてこの会に入りました。そこで学んでいくうちに、町議会議員になることになり、町長選にも出馬することになりました。
町職員や町議会議員だけでなく、ふつうの町民も町のことをよく知り、みんなで町を良くしていこうということで、まるごと向上委員会と名付けられたこの勉強会は、町議会議員の会派や町の課長会、各種団体と懇談会を開いたほか、北大の宮脇先生や北海学園の森先生を相次いで講師に招き、財政危機を町民で議論するフォーラムを開催しました。
最初は、自治体が倒産するなんてことがあるわけないだろうと言われましたが、この活動があったからこそ、町民全体が危機感を持って、一足早く財政再建に取り組むことができたのだと思います。高野勝仁さんがいなければ、財政健全化のの取り組みはもっともっと遅れていたことは間違いありません。
○これからは先見性が大事
リーダーに必要なことは、先を見通してどこに向かうかをほかのものより先に知り、必要なことが実行できることだと思います。
財政危機から目をそらし、問題を先送りしようとした上司たちの方針に疑問を感じ、勉強会を作った高野勝仁さんの先見性こそが、これからの時代に必要とされると考えます。
現町政に不満のない人々が多いということは、問題を先送りしてぬるま湯につかっていることに多くの人が気付いていないということでもあります。
国の予算の半分が借金であること。東日本大震災の復興に莫大な費用が必要なこと。少子高齢化で社会保障の負担が重くなること。どう考えても、財政的にはこれからの方が厳しくなるのは明らかなのに、清水町の財政問題は一段落したかのような発言が聞こえてくるのはどういうことでしょうか。
○少子高齢化時代のまちづくり
これからの時代に対する不安は、単なる不安ではありません。少子高齢化は必ず直面する、避けられない現象です。がんばれば少子高齢化を止められると考えるのではなく、少子高齢化の下でも幸せに暮らせるためにどうすればいいのかを逃げずに考えることが大事です。
そして、確実に来るであろう事態への対応は、一日でも早くすることが肝心です。しかし、清水町には崖っぷちに追い込まれないと取り組まない悪文化があります。そこを変えられるのは、先見性を持ったリーダーしかいません。
過去の右肩上がりの時代の成功体験が、正しい選択を妨げることになると考えます。
10年後、20年後の人口、年齢構成を考えながら、その頃の町民に理不尽な負担をかけない計画的な社会資本整備、コンパクトな都市計画、町民の起業や自主的な活動の支援、病後の治療から予防や健康づくり重視への転換など、発想の転換が必要です。
あのころは良かった、がんばって何とかしてあのころに戻りたい、という気持ちのままでは、これからの時代にしあわせなまちをつくることはできないと思います。
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