2010年7月18日(日)
自家産ハスカップジャムでアイスクリームのおいしさ倍増
2010年7月18日(日)
今年は第九の年
町の話題・その他いろいろ×74
今年は5年に一度の清水町第九演奏会の年です。現在の文化センターのこけら落とし(昭和55年12月)以来、第7回となります。
演奏会のテーマは、
第1回「町民参加による手作りの第九交響曲演奏会」
第2回「北の大地に集う第九 清水と全国を結ぶ歌のかけはし」
第3回「ひろげよう“歓喜の輪”を 第九フェスティバル」
第4回「ときをこえて・・“歓喜の輪”とともに」
第5回「生きる喜びをわかちあおう!」
第6回「次代につなごう〈歓喜〉の架け橋」。
そして、今回は「歓喜のみちしるべ」。
第九演奏会が地域に果たした役割を振り返り、合唱団の原点に返ろうとという思いが込められています。
現在団員は、216名。うち、町内からの参加は68名です。最終的には250名くらいまでになる予定です。もうしばらく募集を続けることになると思います。
町民の合唱団参加を期待しています。
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画像は、北海道芸術高等学校の生徒による第九演奏会のイメージ画を寄せたものです。
演奏会のテーマは、
第1回「町民参加による手作りの第九交響曲演奏会」
第2回「北の大地に集う第九 清水と全国を結ぶ歌のかけはし」
第3回「ひろげよう“歓喜の輪”を 第九フェスティバル」
第4回「ときをこえて・・“歓喜の輪”とともに」
第5回「生きる喜びをわかちあおう!」
第6回「次代につなごう〈歓喜〉の架け橋」。
そして、今回は「歓喜のみちしるべ」。
第九演奏会が地域に果たした役割を振り返り、合唱団の原点に返ろうとという思いが込められています。
現在団員は、216名。うち、町内からの参加は68名です。最終的には250名くらいまでになる予定です。もうしばらく募集を続けることになると思います。
町民の合唱団参加を期待しています。
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画像は、北海道芸術高等学校の生徒による第九演奏会のイメージ画を寄せたものです。
2010年6月8日(火)
イベント中止で解決するとは思えない
町の話題・その他いろいろ×74
とうとう清水やきもの市も中止と決まりました。各地の家畜共進会、中古農機展、国際農機展などに続き、一般のイベントも次々に中止が決まっています。口蹄疫の影響です。
国内で口蹄疫が発生している時期にわざわざ秘蔵っ子の牛たちを集めて共進会をやることは、リスクを考えれば必然性がないと思いますが、一般のイベントまで中止するに当たっては、その意義を説明しなければならないでしょう。
何より、宮崎の口蹄疫が終息すれば元のように何の心配もしないで済むような状態に戻ると考えているなら、イベント中止は単なるアリバイ作りといわざるを得ないでしょう。
観光立国日本を標榜し、海外からの観光客を積極的に迎えようとしている時代、いつまでもイベント中止を貫けるわけでもなく、中止したところでそれですべてが解決するとは思えません。
すべきことは2つあると思います。
ひとつは、発生していない時からの、普段の牧場の防疫体制・意識の強化。
もうひとつは、発生した時に対応できる準備、たとえば殺処分した家畜を埋める土地を用意することなどをした上で営農すること。
農家の意識・対応がザルのままでは、イベント中止が報われません。
国内で口蹄疫が発生している時期にわざわざ秘蔵っ子の牛たちを集めて共進会をやることは、リスクを考えれば必然性がないと思いますが、一般のイベントまで中止するに当たっては、その意義を説明しなければならないでしょう。
何より、宮崎の口蹄疫が終息すれば元のように何の心配もしないで済むような状態に戻ると考えているなら、イベント中止は単なるアリバイ作りといわざるを得ないでしょう。
観光立国日本を標榜し、海外からの観光客を積極的に迎えようとしている時代、いつまでもイベント中止を貫けるわけでもなく、中止したところでそれですべてが解決するとは思えません。
すべきことは2つあると思います。
ひとつは、発生していない時からの、普段の牧場の防疫体制・意識の強化。
もうひとつは、発生した時に対応できる準備、たとえば殺処分した家畜を埋める土地を用意することなどをした上で営農すること。
農家の意識・対応がザルのままでは、イベント中止が報われません。
2010年6月8日(火)
目に青葉 未熟ウグイス 初チーズ
2010年5月23日(日)
見えない敵との戦いは科学的・合理的に、冷たいと言われても
放牧・酪農・農業×84
久しぶりの更新になります。春作業で忙しかったこともありますが、それ以上に、宮崎の口蹄疫問題に対する複雑な気持ちがあります。
飼っている家畜がいつ感染するかという恐怖。飼っている家畜を殺処分しなければならない事に対するやりきれなさ。
想像するだけでは命の重さは理解できないかもしれません。失わなければ。私は、かつての牛舎火災で助けられなかった5頭の牛たちが、炎に包まれた牛舎の中で吠えていた声を今でも忘れることができません。
今、宮崎の畜産家の目の前は真っ暗だろうと思います。そして、真っ暗な中でいつ来るかわからない夜明けに向かって戦い続けていることと思います。
それは私たちにとっても他人ごとではありません。同じ家畜を飼うものとしてその心情は痛いほどわかります。そして、目に見えないウイルスという敵と戦う不安を共有するものとしても。すでにウイルスは全国に拡散しているかもしれません。
治療法のない口蹄疫を終結させるには、ウイルスの封じ込めしかなく、火事でいえば、延焼を防ぐためにまわりの家を壊すような手段しかありません。感染した地域は一時的に「捨てられた」状態になってしまいます。
ひどい方法ですが、感情で判断を誤らせることなく、科学的かつ合理的な方法を迅速に実行するしかないと思います。ウイルスを相手にしては。
「牛がかわいそう」、「種牛は宝」。どれもよくわかりますが、ウイルスにとっては何の価値もないことです。
政府はワクチン投与・殺処分と経営再建補償をリンクさせてはいけないと思います。対応の遅れは命取りです。
まず、口蹄疫を終結させる。あとのことは全部そのあとでいいではないですか。
飼っている家畜がいつ感染するかという恐怖。飼っている家畜を殺処分しなければならない事に対するやりきれなさ。
想像するだけでは命の重さは理解できないかもしれません。失わなければ。私は、かつての牛舎火災で助けられなかった5頭の牛たちが、炎に包まれた牛舎の中で吠えていた声を今でも忘れることができません。
今、宮崎の畜産家の目の前は真っ暗だろうと思います。そして、真っ暗な中でいつ来るかわからない夜明けに向かって戦い続けていることと思います。
それは私たちにとっても他人ごとではありません。同じ家畜を飼うものとしてその心情は痛いほどわかります。そして、目に見えないウイルスという敵と戦う不安を共有するものとしても。すでにウイルスは全国に拡散しているかもしれません。
治療法のない口蹄疫を終結させるには、ウイルスの封じ込めしかなく、火事でいえば、延焼を防ぐためにまわりの家を壊すような手段しかありません。感染した地域は一時的に「捨てられた」状態になってしまいます。
ひどい方法ですが、感情で判断を誤らせることなく、科学的かつ合理的な方法を迅速に実行するしかないと思います。ウイルスを相手にしては。
「牛がかわいそう」、「種牛は宝」。どれもよくわかりますが、ウイルスにとっては何の価値もないことです。
政府はワクチン投与・殺処分と経営再建補償をリンクさせてはいけないと思います。対応の遅れは命取りです。
まず、口蹄疫を終結させる。あとのことは全部そのあとでいいではないですか。